24 / 29
6-2
しおりを挟む
カーテンを引き、ずっと部屋の中に籠っていると、夢と現実の境が曖昧になる。
自分でも、どこで何を間違えてしまったのかわからなかった。
いじめを受けていたわけではない。話のできる友人もいた。家庭環境もそこそこ、勉強もそこそこ、運動もそこそこ。可もなく不可もなく、そこそこの人生だったように思う。
無事、志望していた高校に入学した矢先のことだった。
新しい環境。一から組み立てる人間関係。新鮮で、緊張感の高いあの独特な教室の空気。
ストレスが無かったといえば嘘になる。
憂鬱な気持ちにならなかったといえば、嘘になる。
でも、引きこもらなくてはならないほどの強いストレスではなかった。
自分でもわけがわからなかった。
きっかけは猫の死体だ。
見慣れたものというわけではないけれど、別に生まれて初めて見たわけでもないし、飼っていた猫とか顔見知りの猫とか、そういう縁あった猫でもない。
なのに、ダメだった。
通学の途中で道の脇に転がっているのを見た途端、足が一歩も動かなくなってしまったのだ。
よく覚えてはいないけれど、あの時私は、たぶん三時間くらいは固まっていたと思う。何が起こったのかはわからなかったが、とにかく完全に遅刻だった。
吐き気とか頭痛とか、そういったものは無かった。ただ、頭がぼんやりとして、足元がふわふわと覚束なく、現実感が無かった。
どうやって帰ったのかもわからない。
両親が共働きだったのが幸いだったのか禍だったのか、学校へは行かずにそのまま帰宅したことを誰に見咎められることもなく自室に戻ってこもり、翌日も、その翌々日も、なぜか私は自室から出られなくなってしまった。
「というか、あんたのその人生、まるっと欲しいんだよね。いや、欲しいってか、ください。こんなに好条件そろってる人間、探すの大変なんだから」
カーテンを引き、ずっと部屋の中に籠っていると、夢と現実の境が曖昧になる。
だから、それが夢の出来事なのか現実の出来事なのか、私には判断がついていなかった。
「体が健康で若くて、周囲の誰にも注意を払われてないし、親にさえも理解されていない。突然人格が変わっても誰にも気付かれない人間。まさにあんたみたいなの、探してたんだ!」
黒い一対の羽。黒を基調とした変な服。なにより、鍵のかかった部屋にいつの間にか入り込んでいることから、それが人間ではないことを感じた。幻覚か、夢の続きか、もしくは悪魔だったりするのかもしれない。ぼんやりと回らない頭でそんなことを思ったのを覚えている。
……目が覚めた。昔の夢を見ていた。こちらの世界へ来る前の夢だ。
自室の天井でもヤドカリハウスの天井でもない、石造りの知らない光景にだんだんと目が慣れてきて、なにがあったのか思い出す。
私は身体を起こし、ちょっと感動した。寝袋もなく、固い地面に直接寝転がって眠ったのにも関わらず、身体が全然痛くないし軋んでいない。子どもの身体は偉大だ。
「嬢ちゃん、起きたか」
すでに起きていたカイテーが声をかけてくる。
そして、ほら、食っとけ、と固いパンを渡された。ルドのご飯が恋しくなる。
「おう、嬢ちゃん。どうした、難しい顔して」
「……誘拐されたんです、難しい顔の一つもしたくなります」
「それもそうだな! いやー、悪い悪い!」
カイテーは悪びれもせずにガハハハッと豪快に笑う。
私はこの大男の性格が今一つ掴めず、そっと様子を盗み見た。
カイテーは固いパンを大きな口であっという間に食べてしまい、あとは壁にもたれてじっとしている。ルドを迎え撃つために体力を温存しているのかと思ったけれど、なんだか変な気がした。顔色が悪いような、よくよく見ると脂汗がにじんでいるような……。
「あの、大丈夫、ですか?」
「……」
大男は動かない。
私は恐る恐るカイテーに近づくと、丸太のような腕に触れてみた。火であぶった鉄みたいに、熱い。慌てて手を離す。
「あの、本当に大丈夫ですか⁉」
カイテーはうめくような声を出したけれど、やっぱり動かない。
大丈夫ではなさそうだ。
病気だろうか。昨日まで何ともなさそうだったのに。
どうすればいいのかオロオロとしていると、カイテーが口を開いた。
「……平気だ。ちょいとばかし、こいつとの相性が悪いみたいでな」
こいつ、と言いながらカイテーは赤い義手を揺する。私はそれを見て、驚いた。義手から黒い靄が漏れ出ている。
「これ、その……あまりよくないものなんじゃ、ないですか?」
「さあな。だが、今の俺に必要なもんには違いねえ」
脂汗をにじませながら、呼気も荒くカイテーは言う。
どうしよう、どうすればいいのか、とにかくこの身体を冷やさないと……。
焦る私の脳裏に、昨日教えてもらったルドの魔法の話がよぎる。
火が生まれると風が発生し、風が吹くと火は燃え上がる。この二つは相互に力を増す関係にある魔法。
なら、火と水ならどうだろうか?
自分でも、どこで何を間違えてしまったのかわからなかった。
いじめを受けていたわけではない。話のできる友人もいた。家庭環境もそこそこ、勉強もそこそこ、運動もそこそこ。可もなく不可もなく、そこそこの人生だったように思う。
無事、志望していた高校に入学した矢先のことだった。
新しい環境。一から組み立てる人間関係。新鮮で、緊張感の高いあの独特な教室の空気。
ストレスが無かったといえば嘘になる。
憂鬱な気持ちにならなかったといえば、嘘になる。
でも、引きこもらなくてはならないほどの強いストレスではなかった。
自分でもわけがわからなかった。
きっかけは猫の死体だ。
見慣れたものというわけではないけれど、別に生まれて初めて見たわけでもないし、飼っていた猫とか顔見知りの猫とか、そういう縁あった猫でもない。
なのに、ダメだった。
通学の途中で道の脇に転がっているのを見た途端、足が一歩も動かなくなってしまったのだ。
よく覚えてはいないけれど、あの時私は、たぶん三時間くらいは固まっていたと思う。何が起こったのかはわからなかったが、とにかく完全に遅刻だった。
吐き気とか頭痛とか、そういったものは無かった。ただ、頭がぼんやりとして、足元がふわふわと覚束なく、現実感が無かった。
どうやって帰ったのかもわからない。
両親が共働きだったのが幸いだったのか禍だったのか、学校へは行かずにそのまま帰宅したことを誰に見咎められることもなく自室に戻ってこもり、翌日も、その翌々日も、なぜか私は自室から出られなくなってしまった。
「というか、あんたのその人生、まるっと欲しいんだよね。いや、欲しいってか、ください。こんなに好条件そろってる人間、探すの大変なんだから」
カーテンを引き、ずっと部屋の中に籠っていると、夢と現実の境が曖昧になる。
だから、それが夢の出来事なのか現実の出来事なのか、私には判断がついていなかった。
「体が健康で若くて、周囲の誰にも注意を払われてないし、親にさえも理解されていない。突然人格が変わっても誰にも気付かれない人間。まさにあんたみたいなの、探してたんだ!」
黒い一対の羽。黒を基調とした変な服。なにより、鍵のかかった部屋にいつの間にか入り込んでいることから、それが人間ではないことを感じた。幻覚か、夢の続きか、もしくは悪魔だったりするのかもしれない。ぼんやりと回らない頭でそんなことを思ったのを覚えている。
……目が覚めた。昔の夢を見ていた。こちらの世界へ来る前の夢だ。
自室の天井でもヤドカリハウスの天井でもない、石造りの知らない光景にだんだんと目が慣れてきて、なにがあったのか思い出す。
私は身体を起こし、ちょっと感動した。寝袋もなく、固い地面に直接寝転がって眠ったのにも関わらず、身体が全然痛くないし軋んでいない。子どもの身体は偉大だ。
「嬢ちゃん、起きたか」
すでに起きていたカイテーが声をかけてくる。
そして、ほら、食っとけ、と固いパンを渡された。ルドのご飯が恋しくなる。
「おう、嬢ちゃん。どうした、難しい顔して」
「……誘拐されたんです、難しい顔の一つもしたくなります」
「それもそうだな! いやー、悪い悪い!」
カイテーは悪びれもせずにガハハハッと豪快に笑う。
私はこの大男の性格が今一つ掴めず、そっと様子を盗み見た。
カイテーは固いパンを大きな口であっという間に食べてしまい、あとは壁にもたれてじっとしている。ルドを迎え撃つために体力を温存しているのかと思ったけれど、なんだか変な気がした。顔色が悪いような、よくよく見ると脂汗がにじんでいるような……。
「あの、大丈夫、ですか?」
「……」
大男は動かない。
私は恐る恐るカイテーに近づくと、丸太のような腕に触れてみた。火であぶった鉄みたいに、熱い。慌てて手を離す。
「あの、本当に大丈夫ですか⁉」
カイテーはうめくような声を出したけれど、やっぱり動かない。
大丈夫ではなさそうだ。
病気だろうか。昨日まで何ともなさそうだったのに。
どうすればいいのかオロオロとしていると、カイテーが口を開いた。
「……平気だ。ちょいとばかし、こいつとの相性が悪いみたいでな」
こいつ、と言いながらカイテーは赤い義手を揺する。私はそれを見て、驚いた。義手から黒い靄が漏れ出ている。
「これ、その……あまりよくないものなんじゃ、ないですか?」
「さあな。だが、今の俺に必要なもんには違いねえ」
脂汗をにじませながら、呼気も荒くカイテーは言う。
どうしよう、どうすればいいのか、とにかくこの身体を冷やさないと……。
焦る私の脳裏に、昨日教えてもらったルドの魔法の話がよぎる。
火が生まれると風が発生し、風が吹くと火は燃え上がる。この二つは相互に力を増す関係にある魔法。
なら、火と水ならどうだろうか?
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説

ユーヤのお気楽異世界転移
暇野無学
ファンタジー
死因は神様の当て逃げです! 地震による事故で死亡したのだが、原因は神社の扁額が当たっての即死。問題の神様は気まずさから俺を輪廻の輪から外し、異世界の神に俺をゆだねた。異世界への移住を渋る俺に、神様特典付きで異世界へ招待されたが・・・ この神様が超適当な健忘症タイプときた。
老女召喚〜聖女はまさかの80歳?!〜城を追い出されちゃったけど、何か若返ってるし、元気に異世界で生き抜きます!〜
二階堂吉乃
ファンタジー
瘴気に脅かされる王国があった。それを祓うことが出来るのは異世界人の乙女だけ。王国の幹部は伝説の『聖女召喚』の儀を行う。だが現れたのは1人の老婆だった。「召喚は失敗だ!」聖女を娶るつもりだった王子は激怒した。そこら辺の平民だと思われた老女は金貨1枚を与えられると、城から追い出されてしまう。実はこの老婆こそが召喚された女性だった。
白石きよ子・80歳。寝ていた布団の中から異世界に連れてこられてしまった。始めは「ドッキリじゃないかしら」と疑っていた。頼れる知り合いも家族もいない。持病の関節痛と高血圧の薬もない。しかし生来の逞しさで異世界で生き抜いていく。
後日、召喚が成功していたと分かる。王や重臣たちは慌てて老女の行方を探し始めるが、一向に見つからない。それもそのはず、きよ子はどんどん若返っていた。行方不明の老聖女を探す副団長は、黒髪黒目の不思議な美女と出会うが…。
人の名前が何故か映画スターの名になっちゃう天然系若返り聖女の冒険。全14話+間話7話。
平凡冒険者のスローライフ
上田なごむ
ファンタジー
26歳独身動物好きの主人公大和希は、神様によって魔物・魔法・獣人等ファンタジーな世界観の異世界に転移させられる。
平凡な能力値、野望など抱いていない彼は、冒険者としてスローライフを目標に日々を過ごしていく。
果たして、彼を待ち受ける出会いや試練は如何なるものか……
ファンタジー世界に向き合う、平凡な冒険者の物語。

少し冷めた村人少年の冒険記
mizuno sei
ファンタジー
辺境の村に生まれた少年トーマ。実は日本でシステムエンジニアとして働き、過労死した三十前の男の生まれ変わりだった。
トーマの家は貧しい農家で、神から授かった能力も、村の人たちからは「はずれギフト」とさげすまれるわけの分からないものだった。
優しい家族のために、自分の食い扶持を減らそうと家を出る決心をしたトーマは、唯一無二の相棒、「心の声」である〈ナビ〉とともに、未知の世界へと旅立つのであった。
『収納』は異世界最強です 正直すまんかったと思ってる
農民ヤズ―
ファンタジー
「ようこそおいでくださいました。勇者さま」
そんな言葉から始まった異世界召喚。
呼び出された他の勇者は複数の<スキル>を持っているはずなのに俺は収納スキル一つだけ!?
そんなふざけた事になったうえ俺たちを呼び出した国はなんだか色々とヤバそう!
このままじゃ俺は殺されてしまう。そうなる前にこの国から逃げ出さないといけない。
勇者なら全員が使える収納スキルのみしか使うことのできない勇者の出来損ないと呼ばれた男が収納スキルで無双して世界を旅する物語(予定
私のメンタルは金魚掬いのポイと同じ脆さなので感想を送っていただける際は語調が強くないと嬉しく思います。
ただそれでも初心者故、度々間違えることがあるとは思いますので感想にて教えていただけるとありがたいです。
他にも今後の進展や投稿済みの箇所でこうしたほうがいいと思われた方がいらっしゃったら感想にて待ってます。
なお、書籍化に伴い内容の齟齬がありますがご了承ください。
神々の間では異世界転移がブームらしいです。
はぐれメタボ
ファンタジー
第1部《漆黒の少女》
楠木 優香は神様によって異世界に送られる事になった。
理由は『最近流行ってるから』
数々のチートを手にした優香は、ユウと名を変えて、薬師兼冒険者として異世界で生きる事を決める。
優しくて単純な少女の異世界冒険譚。
第2部 《精霊の紋章》
ユウの冒険の裏で、田舎の少年エリオは多くの仲間と共に、世界の命運を掛けた戦いに身を投じて行く事になる。
それは、英雄に憧れた少年の英雄譚。
第3部 《交錯する戦場》
各国が手を結び結成された人類連合と邪神を奉じる魔王に率いられた魔族軍による戦争が始まった。
人間と魔族、様々な意思と策謀が交錯する群像劇。
第4部 《新たなる神話》
戦争が終結し、邪神の討伐を残すのみとなった。
連合からの依頼を受けたユウは、援軍を率いて勇者の後を追い邪神の神殿を目指す。
それは、この世界で最も新しい神話。

解呪の魔法しか使えないからとSランクパーティーから追放された俺は、呪いをかけられていた美少女ドラゴンを拾って最強へと至る
早見羽流
ファンタジー
「ロイ・クノール。お前はもう用無しだ」
解呪の魔法しか使えない初心者冒険者の俺は、呪いの宝箱を解呪した途端にSランクパーティーから追放され、ダンジョンの最深部へと蹴り落とされてしまう。
そこで出会ったのは封印された邪龍。解呪の能力を使って邪龍の封印を解くと、なんとそいつは美少女の姿になり、契約を結んで欲しいと頼んできた。
彼女は元は世界を守護する守護龍で、英雄や女神の陰謀によって邪龍に堕とされ封印されていたという。契約を結んだ俺は彼女を救うため、守護龍を封印し世界を牛耳っている女神や英雄の血を引く王家に立ち向かうことを誓ったのだった。
(1話2500字程度、1章まで完結保証です)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる