旅人アルマは動かない

洞貝 渉

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 草の青い匂いと牛乳の甘い匂いが混じって、不思議な香りをさせている。
「カモミールティーです。熱いので、お気をつけて」
 マグカップに注いだそれを、ルドはそれぞれの席にそっと置いた。
 白い不思議な香りの液体に、私はそっと口をつける。牛乳のまったりとした味に薬草の何とも言えない味がかぶさり、その二つを押しやってハチミツの独特な甘みが口の中いっぱいに広がっていく。
 頭の芯で渦巻いていた熱が、すっと解けていくような気がした。

 私たち三人はヤドカリハウスに戻っていた。
 壊されたドアもルドがあっという間に直し、詳しい話を聞くためにダイニングに腰を落ち着かせている。
 うつむいて不思議な香りのするお茶を見つめるマナ……いや、マーナなのか。
 身体の所々に白いガーゼを当てた彼女は頑なな表情で沈黙したままだ。
「……あの男の人が言っていたことは、本当、なの?」
 恐る恐る、声をかけてみる。
 彼女は口を開き、困惑したように閉じ、思い切ったようにもう一度開き、苦し気に閉じた。
 そして、破れかぶれのように少し笑うと、歪んだ笑顔で私をまっすぐに見据える。
「本当だよ、ああ本当だ。で、どうする? あたしのこと突き出す?」
「私はただ、説明して欲しいの。はじめから、マナ……マーナの口から、どういうことなのか、ちゃんと聞きたい」
「……」
 彼女の顔から歪みが消え、沈んだ表情で首から下げた小さな袋を撫でる。
「あたしは……」
 言葉を探すように目が動き、マグカップに行き当たる。
 震える手でカップを持ち上げ、一口ごくりと飲んだ。
 ため息を吐く。強張っていた彼女の身体から力が抜け、表情からも剣呑なものがとれていた。


「……あたしは、小さな村でお兄ちゃんと暮らしていた。
 両親は鳥の卵とか牛の乳とか、そういったものを売って細々と生計を立ててたけど、流行り病で二人とも死んだ。
 両親の仕事をあたしはそのまま引き継いだの。だから生活に困ることはなかった。
 でも、お兄ちゃんはずっとこの仕事を嫌がっていた。いつも言っていたらしいよ。こんな誰にでも出来てあまり人の役に立たないことではなく、もっと大きくて立派で、多くの人に役立って儲かる仕事がしたいって……たぶんお兄ちゃんは、仕事のことに関しては両親のこと、少し見下してたのかもしれない。あたしからしたら、この仕事も十分人の役に立つ立派なものだとは思ったんだけど、お兄ちゃんの言いたいことも何となくわかったんだよね。

 だから、あたしはお兄ちゃんに協力することにした。
 お兄ちゃんが具体的に何をしたいのか、あたしには理解が出来なかったけれど。
 でも、信じてたんだ。
 人を集めてお酒を飲みながら、今の世の中に必要な物はなにかみんなで何日も話し合ったり、使いどころのよくわからない不格好な道具を持ってきて、これさえあればみんな幸せになれる、もう食べる物に苦労せずに済むと熱弁を振るったり。とても生き生きとしていて、よくはわからなかったけれど、ああきっとこれで良かったんだなって、その時は思った。

 お兄ちゃんは仕事のために物入りだって言って、たくさんお金を遣った。あたしの稼ぐお金は、贅沢しなけりゃ普通に生活できる程度のもので、全然足りなかった。だから、もっと稼がなくちゃいけなくなって、仕事を増やした。村の工事を手伝ったり、たくさんの重い荷を町まで運んだり。お金になるから力仕事ばかりしていたんだ。
 でも、稼いでも稼いでもすぐに無くなってしまう。

 お兄ちゃんは、あたしに謝ってくれた。苦労ばかりかけてごめんなって。もう少しの辛抱だから、もう少し、あと少しで、次こそきっとうまくいくはずなんだって、いつも言っていた。あたしもそれを信じて、もう少しだからと頑張り続けた。頑張ったんだけど、さ。そんな生活は長く続かなくて。

 あたし、倒れちゃったんだよね。毎日毎日働きづめで、お金もないからろくなものも食べてなくて。お兄ちゃんはごめんなって言ってくれてた。ごめんな、俺が何とかするから、もう無理しなくてもいいからって。

 信じたんだ。お兄ちゃんがそう言うからにはきっとなんとかしてくれるって。

 それからは、あたしは力仕事は止めて、また鳥の卵とか牛の乳とかそういったものを売るつつましい生活に戻ったよ。お兄ちゃんは相変わらずいろいろとしていたみたいであたしの仕事を手伝いはしなかったけれど、前のようにあたしからお金を持っていくようなことはしなくなった。お兄ちゃんの仕事はどうなったのか、気にはなったけれど、きっと軌道に乗ったのかも、落ち着いたのかも、そんなふうに思っていた。

 正直なところ、ホッとしていたんだ、あたしは。もう無理にお金を稼がなくてもいいんだって思って。

 でもすぐにそれがあたしの勘違いだったってわかった」
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