旅人アルマは動かない

洞貝 渉

文字の大きさ
上 下
19 / 29

5-2

しおりを挟む
 草の青い匂いと牛乳の甘い匂いが混じって、不思議な香りをさせている。
「カモミールティーです。熱いので、お気をつけて」
 マグカップに注いだそれを、ルドはそれぞれの席にそっと置いた。
 白い不思議な香りの液体に、私はそっと口をつける。牛乳のまったりとした味に薬草の何とも言えない味がかぶさり、その二つを押しやってハチミツの独特な甘みが口の中いっぱいに広がっていく。
 頭の芯で渦巻いていた熱が、すっと解けていくような気がした。

 私たち三人はヤドカリハウスに戻っていた。
 壊されたドアもルドがあっという間に直し、詳しい話を聞くためにダイニングに腰を落ち着かせている。
 うつむいて不思議な香りのするお茶を見つめるマナ……いや、マーナなのか。
 身体の所々に白いガーゼを当てた彼女は頑なな表情で沈黙したままだ。
「……あの男の人が言っていたことは、本当、なの?」
 恐る恐る、声をかけてみる。
 彼女は口を開き、困惑したように閉じ、思い切ったようにもう一度開き、苦し気に閉じた。
 そして、破れかぶれのように少し笑うと、歪んだ笑顔で私をまっすぐに見据える。
「本当だよ、ああ本当だ。で、どうする? あたしのこと突き出す?」
「私はただ、説明して欲しいの。はじめから、マナ……マーナの口から、どういうことなのか、ちゃんと聞きたい」
「……」
 彼女の顔から歪みが消え、沈んだ表情で首から下げた小さな袋を撫でる。
「あたしは……」
 言葉を探すように目が動き、マグカップに行き当たる。
 震える手でカップを持ち上げ、一口ごくりと飲んだ。
 ため息を吐く。強張っていた彼女の身体から力が抜け、表情からも剣呑なものがとれていた。


「……あたしは、小さな村でお兄ちゃんと暮らしていた。
 両親は鳥の卵とか牛の乳とか、そういったものを売って細々と生計を立ててたけど、流行り病で二人とも死んだ。
 両親の仕事をあたしはそのまま引き継いだの。だから生活に困ることはなかった。
 でも、お兄ちゃんはずっとこの仕事を嫌がっていた。いつも言っていたらしいよ。こんな誰にでも出来てあまり人の役に立たないことではなく、もっと大きくて立派で、多くの人に役立って儲かる仕事がしたいって……たぶんお兄ちゃんは、仕事のことに関しては両親のこと、少し見下してたのかもしれない。あたしからしたら、この仕事も十分人の役に立つ立派なものだとは思ったんだけど、お兄ちゃんの言いたいことも何となくわかったんだよね。

 だから、あたしはお兄ちゃんに協力することにした。
 お兄ちゃんが具体的に何をしたいのか、あたしには理解が出来なかったけれど。
 でも、信じてたんだ。
 人を集めてお酒を飲みながら、今の世の中に必要な物はなにかみんなで何日も話し合ったり、使いどころのよくわからない不格好な道具を持ってきて、これさえあればみんな幸せになれる、もう食べる物に苦労せずに済むと熱弁を振るったり。とても生き生きとしていて、よくはわからなかったけれど、ああきっとこれで良かったんだなって、その時は思った。

 お兄ちゃんは仕事のために物入りだって言って、たくさんお金を遣った。あたしの稼ぐお金は、贅沢しなけりゃ普通に生活できる程度のもので、全然足りなかった。だから、もっと稼がなくちゃいけなくなって、仕事を増やした。村の工事を手伝ったり、たくさんの重い荷を町まで運んだり。お金になるから力仕事ばかりしていたんだ。
 でも、稼いでも稼いでもすぐに無くなってしまう。

 お兄ちゃんは、あたしに謝ってくれた。苦労ばかりかけてごめんなって。もう少しの辛抱だから、もう少し、あと少しで、次こそきっとうまくいくはずなんだって、いつも言っていた。あたしもそれを信じて、もう少しだからと頑張り続けた。頑張ったんだけど、さ。そんな生活は長く続かなくて。

 あたし、倒れちゃったんだよね。毎日毎日働きづめで、お金もないからろくなものも食べてなくて。お兄ちゃんはごめんなって言ってくれてた。ごめんな、俺が何とかするから、もう無理しなくてもいいからって。

 信じたんだ。お兄ちゃんがそう言うからにはきっとなんとかしてくれるって。

 それからは、あたしは力仕事は止めて、また鳥の卵とか牛の乳とかそういったものを売るつつましい生活に戻ったよ。お兄ちゃんは相変わらずいろいろとしていたみたいであたしの仕事を手伝いはしなかったけれど、前のようにあたしからお金を持っていくようなことはしなくなった。お兄ちゃんの仕事はどうなったのか、気にはなったけれど、きっと軌道に乗ったのかも、落ち着いたのかも、そんなふうに思っていた。

 正直なところ、ホッとしていたんだ、あたしは。もう無理にお金を稼がなくてもいいんだって思って。

 でもすぐにそれがあたしの勘違いだったってわかった」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

とある世界の、とある国の、とあるお話

下菊みこと
ファンタジー
詩を書きたかった。何故か小説になっていた。そんな短編の物語達のシリーズ置き場。 小説家になろう様でも投稿しています。

150年後の敵国に転生した大将軍

mio
ファンタジー
「大将軍は150年後の世界に再び生まれる」から少しタイトルを変更しました。 ツーラルク皇国大将軍『ラルヘ』。 彼は隣国アルフェスラン王国との戦いにおいて、その圧倒的な強さで多くの功績を残した。仲間を失い、部下を失い、家族を失っていくなか、それでも彼は主であり親友である皇帝のために戦い続けた。しかし、最後は皇帝の元を去ったのち、自宅にてその命を落とす。 それから約150年後。彼は何者かの意思により『アラミレーテ』として、自分が攻め入った国の辺境伯次男として新たに生まれ変わった。 『アラミレーテ』として生きていくこととなった彼には『ラルヘ』にあった剣の才は皆無だった。しかし、その代わりに与えられていたのはまた別の才能で……。 他サイトでも公開しています。

転生貴族のスローライフ

マツユキ
ファンタジー
現代の日本で、病気により若くして死んでしまった主人公。気づいたら異世界で貴族の三男として転生していた しかし、生まれた家は力主義を掲げる辺境伯家。自分の力を上手く使えない主人公は、追放されてしまう事に。しかも、追放先は誰も足を踏み入れようとはしない場所だった これは、転生者である主人公が最凶の地で、国よりも最強の街を起こす物語である *基本は1日空けて更新したいと思っています。連日更新をする場合もありますので、よろしくお願いします

大工スキルを授かった貧乏貴族の養子の四男だけど、どうやら大工スキルは伝説の全能スキルだったようです

飼猫タマ
ファンタジー
田舎貴族の四男のヨナン・グラスホッパーは、貧乏貴族の養子。義理の兄弟達は、全員戦闘系のレアスキル持ちなのに、ヨナンだけ貴族では有り得ない生産スキルの大工スキル。まあ、養子だから仕方が無いんだけど。 だがしかし、タダの生産スキルだと思ってた大工スキルは、じつは超絶物凄いスキルだったのだ。その物凄スキルで、生産しまくって超絶金持ちに。そして、婚約者も出来て幸せ絶頂の時に嵌められて、人生ドン底に。だが、ヨナンは、有り得ない逆転の一手を持っていたのだ。しかも、その有り得ない一手を、本人が全く覚えてなかったのはお約束。 勿論、ヨナンを嵌めた奴らは、全員、ザマー百裂拳で100倍返し! そんなお話です。

ユーヤのお気楽異世界転移

暇野無学
ファンタジー
 死因は神様の当て逃げです!  地震による事故で死亡したのだが、原因は神社の扁額が当たっての即死。問題の神様は気まずさから俺を輪廻の輪から外し、異世界の神に俺をゆだねた。異世界への移住を渋る俺に、神様特典付きで異世界へ招待されたが・・・ この神様が超適当な健忘症タイプときた。

『異世界庭付き一戸建て』を相続した仲良し兄妹は今までの不幸にサヨナラしてスローライフを満喫できる、はず?

釈 余白(しやく)
ファンタジー
HOT 1位!ファンタジー 3位! ありがとうございます!  父親が不慮の事故で死亡したことで最後の肉親を失い残された高校生の小村雷人(こむら らいと)と小学生の真琴(まこと)の兄妹が聞かされたのは、父が家を担保に金を借りていたという絶望の事実だった。慣れ親しんだ自宅から早々の退去が必要となった二人は家の中で金目の物を探す。  その結果見つかったのは、僅かな現金に空の預金通帳といくつかの宝飾品、そして家の権利書と見知らぬ文字で書かれた書類くらいだった。謎の書類には祖父のサインが記されていたが内容は読めず、頼みの綱は挟まれていた弁護士の名刺だけだ。  最後の希望とも言える名刺の電話番号へ連絡した二人は、やってきた弁護士から契約書の内容を聞かされ唖然とする。それは祖父が遺産として残した『異世界トラス』にある土地と建物を孫へ渡すというものだった。もちろん現地へ行かなければ遺産は受け取れないが。兄妹には他に頼れるものがなく、思い切って異世界へと赴き新生活をスタートさせるのだった。 その他、多数投稿しています! https://www.alphapolis.co.jp/author/detail/398438394

家庭菜園物語

コンビニ
ファンタジー
お人好しで動物好きな最上 悠(さいじょう ゆう)は肉親であった祖父が亡くなり、最後の家族であり姉のような存在でもある黒猫の杏(あんず)も静かに息を引き取ろうとする中で、助けたいなら異世界に来てくれないかと、少し残念な神様に提案される。 その転移先で秋田犬の大福を助けたことで、能力を失いそのままスローライフをおくることとなってしまう。 異世界で新しい家族や友人を作り、本人としてはほのぼのと家庭菜園を営んでいるが、小さな畑が世界には大きな影響を与えることになっていく。

乙女ゲームの悪役令嬢と魔王が居候!?〜偽ヒロインは後でゆっくり制裁を下します〜

七彩 陽
ファンタジー
異世界に行ったり来たり、現代日本人と乙女ゲームの攻略対象を次々に虜にしていくおはなし。 ある日、女子高生美羽(みう)の前に乙女ゲームの悪役令嬢が現れた。そして、遅れて魔王も現れた。 ひょんなことから偽ヒロインに追われている悪役令嬢を匿うため、美羽は悪役令嬢と魔王と同居をすることに! その間、美羽は次々と周囲の人を虜にし、生粋のお嬢様である悪役令嬢は何故か主婦業に目覚めていく! そして、乙女ゲームは続編へ。悪役令嬢は日本にいても安全とはいえない状況に! それならいっそ偽ヒロインにざまぁしようとはりきるのだが……。 対魔王用のアイテムを求めて美羽は友人や幼馴染をつれて異世界へ。古代遺跡やダンジョン、迷宮など様々なところを冒険しながらレベルアップを試みる。 さらには、その天然無自覚たらしキャラで美羽は攻略対象を次々に攻略!?恋の行方はどうなることやら。 美羽は恋に勉強に大忙し。悪役令嬢は現代の日本で果たして上手くやっていけるのか!? ドタバタ現代転移ファンタジー、どうぞ宜しくお願いします。

処理中です...