紅蓮の石 八王子城秘話

オボロ・ツキーヨ

文字の大きさ
上 下
9 / 19

九、 薄化粧

しおりを挟む
 
 竜ノ介が交代で通用門の番をする時に、よく見かける気になる人物がいた。少し足を引きずって歩く小柄な男で、朝と夕暮れに御主殿からやって来る。番所の後ろを横切り、北側を少し上った曲輪へ行くようだ。
 
 こっそり後をつけて様子を伺うと、そこには人一人がやっと入れるほどの小さなお堂があった。男は布でお堂の扉を拭いている。下男なのだろうか。それにしては良い着物を着ている。いつも身ぎれいにしている。花を持ってやって来る時もある。微笑みをたたえた穏やかな顔。あの男は一体誰だろう。武士ではなさそうだ。

 ある朝、竜ノ介は思いきって声をかけた。

「おはようございます」
「ああ、おはよう。新入りの門番か。名はなんという。若くていい男が門番になったと、下女たちがしきりに噂しているぞ」

「まさか、そんな。新参者ですがよろしくお願いします。土方竜ノ介と申します。おたずねしますが、そこの曲輪で何をされているのですか」

「ああ、あそこには御館様の持仏堂があるのだ。いつもきれいにしておきたいと思ってな。掃除をしておる。ま、他にやることもないからね。何だい、不思議そうな顔をして。わしが怪しい人物だとでもいうのか」

「いえ、失礼いたしました。化粧されているように見えたので、つい」

「ふん、珍しいかい。男だって化粧ぐらいする。身だしなみだろう。わしは御館様おかかえの猿楽師、宗阿弥だ」

「そうでしたか。失礼いたしました。御主殿には舞台があるそうですね」

「うむ、あの舞台は御館様がわしのために造って下さった。わしへの贈り物というわけだ」
誇らしげにそう言い残し、男は去って行った。

 背筋の伸びた後ろ姿と艶やかな髪。どことなく優雅な風情ふぜい。なるほど猿楽師か。だけど、よく見ると顔には皺があるから若くはなさそうだ。

 
 それ以来、竜ノ介と宗阿弥は顔を合わせると親しく立ち話をすようになった。

「ほお、竜ノ介は波利姫をお守りする役目とな。やれやれ、気の毒なことだ。そもそもあの姫を守る必要などないというのに。中山の若殿から妙な役目を仰せつかったものだ」

「それは、どういう意味ですか」
竜ノ介は宗阿弥ににじり寄る。

「御主殿内には、すでに姫の里の者が何人か守り役として紛れ込んでいる。あれは大事に守るような、か弱き者ではない。武蔵の山奥から来た小鬼じゃ。殺しても死なぬだろう。わしはあの小鬼に毒を盛られたことがある。確かではないが、わしだけ三日三晩ひどい腹痛と高熱に苦しんだ」
眉間の皺が深くなり、白粉がひび割れる。

「まさか、何かの間違いでしょう、そんなことをするなんて。でも、確かに気が強そうな姫様ですね。養女と聞きました。どこから来られたのですか」

「よくは知らんが、武蔵国の久良岐くらきから来た。幻庵殿の娘だそうじゃ」
「なんと、北条幻庵様は百歳近いとお聞きしましたが」

「うむ、身分の低い側室に生ませた子らしいが、真実はわからない。かなりのご老体だから、さすがに子種はあるまい。たぶん血は繋がっていないのだろうな。どこぞやの土豪の娘を養女にしたのかもしれない」

「なるほど、そうでしたか」
竜ノ介は溜息をついた。

「でも、姫を連れて城から出ることができたら、中山家の高麗八丈流馬術に入門させてもらえるのです。出世の道が開けます。姫の守り役が多いのは、おれとしてはとても助かります」

「それはそうだな。もし万が一この御殿谷に敵が攻め込んできた時、この山城のどこから逃げるかということだが、姫の守り役たちは、その辺りのことも抜かりなく考えているのだろう。秘密の抜け穴がどこかにあるのかもしれんな」

「え、抜け穴とは本当ですか」
「ははは、冗談だよ」

「何だ、からかわないでください。ところで、どうして姫に毒殺されそうになるほど憎まれているんですか」

「ほお、そんなこと聞かれたのは初めてじゃ。ずいぶんと聞きにくいことを聞くな」
そう言いつつも嬉しそうな宗阿弥だった。

「ふふふ、それはな、わしは波利姫の恋敵こいがたきだからな」

「へえ、恋ですか」
竜ノ介は意味がわからずに、鳩が豆鉄砲を食らったような顔で宗阿弥を見る。

「そうじゃ、恋だ。姫もわしも御館様に恋をしている。あやつは渋好みでな。若い男よりも四十代の男を好ましく思うらしい。わしはもう四十年近くも前からずっと御館様一筋、北条氏照を追いかけておる。話せば長いが聞いてくれるか」
上目づかいで竜ノ介の顔をじっと見つめる。

「いえ、長話は困ります。門番ですから」
「わかった、手短に話す」
宗阿弥は、少し残念そうに溜息をついた。

「戦乱の京の都を離れて、猿楽の大和四座は海と山に囲まれた豊かな北条家の城下町、小田原へこぞってやって来た。そして我が宝生流は北条家お抱えとなった。いつも父が小田原城の舞台で稽古をしている姿を見ていた。六歳になった頃、気づいたら父を真似て舞台の下で舞っていた。
 そこに、たまたま北条氏康公のお子たちがやって来て、わしを面白がって、やんややんやとはやし立てる。わしを真似て足を踏みならして拍子をとる。幼名、松千代丸は氏政様、藤菊丸は氏照様、乙千代丸は氏邦様。わしが調子に乗って得意のとんぼ返りをお見せすると、ご兄弟皆は大喜び。すっかり、わしのことを気に入ってくれたのだ。
 それからというもの、父について城へ上がった時には、必ずわしに饅頭や果物をくれた。どれも美味かったな。年長の松千代丸様は、まるで子犬のようにわしを可愛がって、遊び仲間に加えてくださった。ちなみに、その頃のわしの名は虎夜叉《とらやしゃ》。城内でよく蹴鞠けまりをしたな。わしは舞や謡いをご兄弟に伝授して差し上げた。今思えば、小田原で夢のように楽しい子ども時代を過ごした。虎夜叉と藤菊丸は同じ歳でとても気が合い仲が良かったのだ」

「へえ、身分の違う幼なじみというわけですね」

「そうじゃ、わしが武士だったらよかったのだ。身分が違い過ぎたが、互いに強く惹かれ合い、身も心も離れがたい仲になってしまった。ついに十四の春に氏照様と衆道の契りを結んだ。互いにももを二寸ほど短刀で切った。心中立《しんじゅうただ》てというわけじゃ。決して人に知られてはいけない二人だけの秘密だった。
 やがて御館様はいにしえからの武蔵の豪族、大石家の養子となるために、小田原を去ってしまった。十六の頃だ。わしも猿楽修行中で忙しい身だったから、数年間は耐えられたのだが、いよいよ御館様が初陣と聞いて、どうしても一目お姿を見たくなった。ついに家を抜け出し武蔵国へ来てしまった。御館様は大石の姫君を娶り名実ともに大石の名跡を継いでいた。
 わしは少しでもお役に立ちたいと思い、雑兵ぞうひょうとなり、御館様の初陣に加わった。わしも一緒に初陣というわけじゃ。青梅《おうめ》の辛垣城《からかいじょう》の三田氏との戦はもちろん勝利だった。
 御館様はわしが小田原で猿楽師をしているとばかり思っていたから、戦で傷つき地べたでひっくり返っているわしを、偶然見つけて驚くやら怒るやらで。その時、わしは手当を受けていた。すねを矢で射られてな。今も時々古傷が痛む。あの時、御館様の涙を見た。泣きじゃくる幼き日の藤菊丸がそこにいた。
 わしは御館様のために命を捧げたいと思い雑兵となった。小田原へは決して帰らないと申し上げた。すると御館様は、雑兵になることは許さないが、猿楽師として仕えるのなら召し抱えると言って、城下に小さな家を与えてくださった。傷が癒えてから、浄福寺城や滝山城で猿楽を披露させていただいた」

「そうでしたか。御館様が小田原へ行ってしまわれて、離ればなれでお寂しいですね。その気持ち、おれにもわかります」
榧丸との楽しかった日々を思い出していた。

「ああ、寂しいが仕方が無い。もう充分別れを惜しんだ。離れていても互いを想い合う心は伝わるものだ。これまで長い時を共に生きることができた。籠城戦には一人でも多くの屈強な若武者を連れて行くほうが良い。わしは武士ではないし、御館様をお守りする力が無い。せめて、この八王子城を守る手伝いをしたいと思う」

「また、きっと御館様にお会いになれますよ」
「おまえは優しいな。そうだ、明日の夕刻、ささやかな宴があるから御主殿に来なさい。そうすれば、小鬼に会えるだろう。わしも舞うから見においで。舞台の前で会おう」

「いえ、そんな。勝手に御主殿に近づくなと、言われておりますので」

「かまわぬ。わしが、いいと言っておるのだ。中山家の若様から小鬼を守るように言われたのだろう。いくらなんでも、そろそろ顔を見知ってもらえ。黙っていては、あの意地の悪い小鬼がおまえを呼ぶことなど一生ないぞ。こちらから挨拶にいくのだ」

「はあ、そういうものですか」

「何事も待っているだけでは駄目だ。おのれから行くのだ」

「はい、承知しました」
竜ノ介は身が引き締まる思いだった。

「御館様の御持仏をおがむかい。すらりと細身でとても美しいお姿だ。恐れ多いが、わしによく似ていると言われるよ。はははは」
嬉しそうに笑う。

「はい、持仏堂までお供させていただきます」
二人は急な細い道を上る。


 宗阿弥が錠を開けてお堂の扉を開くと、三尺ほどの地蔵菩薩像が鎮座していた。

「想像していたお姿とは、ずいぶん違います。とても色っぽい菩薩様ですね。ところで、どなたが宗阿弥様に似ているとおっしゃったのですか」

無邪気な竜ノ介の問いに、宗阿弥は不満そうに鼻を鳴らした。

唇に紅をさし薄化粧をほどこしたような、美麗な地蔵菩薩像が静かに微笑む。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

峽の剣

Shikuu
歴史・時代
阿波國の山塊にある小さな集落で失われた霊剣を探すために、山を下りた若者の出会いと試練の物語です。

独裁者・武田信玄

いずもカリーシ
歴史・時代
国を、民を守るために、武田信玄は独裁者を目指す。 独裁国家が民主国家を数で上回っている現代だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。 【第壱章 独裁者への階段】 純粋に国を、民を憂う思いが、粛清の嵐を巻き起こす 【第弐章 川中島合戦】 甲斐の虎と越後の龍、激突す 【第参章 戦争の黒幕】 京の都が、二人の英雄を不倶戴天の敵と成す 【第四章 織田信長の愛娘】 清廉潔白な人々が、武器商人への憎悪を燃やす 【最終章 西上作戦】 武田家を滅ぼす策略に抗うべく、信長と家康打倒を決断す この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。 (前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です))

『帝国の破壊』−枢軸国の戦勝した世界−

皇徳❀twitter
歴史・時代
この世界の欧州は、支配者大ゲルマン帝国[戦勝国ナチスドイツ]が支配しており欧州は闇と包まれていた。 二人の特殊工作員[スパイ]は大ゲルマン帝国総統アドルフ・ヒトラーの暗殺を実行する。

永き夜の遠の睡りの皆目醒め

七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。 新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。 しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。 近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。 首はどこにあるのか。 そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。 ※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい

【完結】風天の虎 ――車丹波、北の関ヶ原

糸冬
歴史・時代
車丹波守斯忠。「猛虎」の諱で知られる戦国武将である。 慶長五年(一六〇〇年)二月、徳川家康が上杉征伐に向けて策動する中、斯忠は反徳川派の急先鋒として、主君・佐竹義宣から追放の憂き目に遭う。 しかし一念発起した斯忠は、異母弟にして養子の車善七郎と共に数百の手勢を集めて会津に乗り込み、上杉家の筆頭家老・直江兼続が指揮する「組外衆」に加わり働くことになる。 目指すは徳川家康の首級ただ一つ。 しかし、その思いとは裏腹に、最初に与えられた役目は神指城の普請場での土運びであった……。 その名と生き様から、「国民的映画の主人公のモデル」とも噂される男が身を投じた、「もう一つの関ヶ原」の物語。

16世紀のオデュッセイア

尾方佐羽
歴史・時代
【第13章を夏ごろからスタート予定です】世界の海が人と船で結ばれていく16世紀の遥かな旅の物語です。 12章は16世紀後半のフランスが舞台になっています。 ※このお話は史実を参考にしたフィクションです。

佐々木小次郎と名乗った男は四度死んだふりをした

迷熊井 泥(Make my day)
歴史・時代
巌流島で武蔵と戦ったあの佐々木小次郎は剣聖伊藤一刀斎に剣を学び、徳川家のため幕府を脅かす海賊を粛清し、たった一人で島津と戦い、豊臣秀頼の捜索に人生を捧げた公儀隠密だった。孤独に生きた宮本武蔵を理解し最も慕ったのもじつはこの佐々木小次郎を名乗った男だった。任務のために巌流島での決闘を演じ通算四度も死んだふりをした実在した超人剣士の物語である。

天竜川で逢いましょう 起きたら関ヶ原の戦い直前の石田三成になっていた 。そもそも現代人が生首とか無理なので平和な世の中を作ろうと思います。

岩 大志
歴史・時代
ごくありふれた高校教師津久見裕太は、ひょんなことから頭を打ち、気を失う。 けたたましい轟音に気付き目を覚ますと多数の軍旗。 髭もじゃの男に「いよいよですな。」と、言われ混乱する津久見。 戦国時代の大きな分かれ道のド真ん中に転生した津久見はどうするのか!?

処理中です...