普通に生きられなかった私への鎮魂歌

植田伊織

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戦場(ベイルート)へようこそ

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 『オランダへようこそ』という有名な文章がある。

 ダウン症のある子の育児が、一般の育児と比べてどんな物かを説明するための文で、障害の無い子の育児を「イタリア旅行」に例えるもの。
 華やかなイタリアを観光するはずだったのに、素朴な「オランダ」に辿り着いてしまった。
 イタリアのような華やかさ――育児でいうなれば、進学や就職など――とは無縁の世界。
「私はイタリア旅行に行くはずだったのに!」と涙する事もあるが、素朴なオランダも良いところはたくさんある。もちろん、障害児育児にだって。……という文章である。(ざっくりまとめた)

 日本語訳も原文も読めるサイトがたくさんあって、どのページを紹介しようか迷いましたが、こちらのページが「オランダ」も「ベイルート」も両方読めるので、貼らせていただきます。
https://nldot.info/welcome-to-holland/

 それに対して自閉症育児を説明したものに、「ベイルート(戦場)へようこそ」という記事がある。
『オランダへようこそ』に比べると随分物騒だが、自閉症育児の過酷さを知る人にとっては共感できる箇所も多い文章だと思う。

 私の心に残ったのは以下の文章だった。


「ある日のこと、誰かが後ろから近づいてきて、あなたの頭に黒い袋をかぶせる。そいつらは、あなたのお腹を蹴飛ばし、あなたの心臓を引き裂こうとする。あなたはおびえ、暴れたり叫んだりして逃げ出そうとする、でも敵がたくさん居すぎて、あなたは打ち負かされ車のトランクに詰め込まれる。ぶつけられ、茫然として、自分がどこに居るのかも分からない。あなたにいったい何が起こってるの?この状況を切り抜けられるの?「あなたの子どもさんは自閉症です」と診断される日は、こんな感じ。

 あなたはベイルートに居る、戦争の真っただ中に放り込まれて。あなたは言葉も分からず、何が起こっているかも分からない。「生涯続く診断です」「神経学的な障がいです」といった爆弾が投下される。「冷蔵庫マザー」「良くなるために必要な全ては愛のある平手打ち」という銃弾がビューっと風を切って飛んでくる。時計の針がカチカチ進んで、あなたの子どもの「回復」の機会が遠ざかると、あなたのアドレナリンは激しく分泌される。こんな契約にサインした覚えは絶対ないし、今すぐ!抜け出したい。神様はあなたの能力を過大評価しちゃったのよ。

不幸なことに、あなたの辞職願を引き受けてくれる人は誰もいない。あなたは、人生、一生懸命よくやってきたけれど、あまり受け止めてもらえなかった。ほら、あなただって、それまで自閉症のことを聞いたことさえなかったじゃない。あたりを見渡すと、何もかもが同じ、だけど違ってる」


 私は普通にこどもを産んで、育てていただけなのに。

 ある日突然レッテルが貼られ、「そういう人」と区別され。時には見てはいけないもののように透明化された「あちら側の人間」だとよりわけられる。
「何もかもが同じ、だけど違ってる」……本当に、その通りだなと思う。

 そんな、戦場のまっただ中で戦ってきたとある先輩を、私は一方的に尊敬している。

 以前の日記でも書いたけれど、私は役にたたない「駄目な自分」で在ることを許してはもらえなかった。
 ひきこもるなら何かの才能に恵まれていなければいけなかったし、何かに失敗したなら、失敗経験を即座に今後の肥やしにするよう、言われながら育った。
 その影響は多分にあるだろう。しかしそれ以上に、私が自身に言い聞かせてしまったとも言える、
『役にたたなければ生きている意味は無い』という呪いから脱する事ができないでいた。

 けれどその先輩は軽やかに、

「障害者に生きる価値はあるのか」

 という人権侵害にあたるネットの罵詈雑言に対し、

「あなたは生きる価値はあるのか」と問い返した。

「税金を払っていたら生きている価値があるのか。生きている価値は何で推し量るのか」とも。

 経済の価値観で推し量るなら、働けない障害を持つ人はなるほど、戦力外のために「価値は無い」と判定されるかもしれない。私がよく就職活動の頃使われていた言葉、人の罪とかいて「じんざい」と読む悪趣味な造語にカテゴライズされるのかも知れない。

 しかし私にとって息子の存在は、何にも代えがたい大切な「人材」である。
 ただ一つの家庭の価値観と、日本の経済価値とを比べるなといわれそうだが、人生とはそういう物ではないだろうか。

 ひとつひとつの小さな選択や手のひらの上でしかこなせない仕事が、巡り巡って誰かを助けている。目の前のものを大切にする事、目の前にある出来る事を大切にする事、それを疎かにしてはいけないはずだし、家族への想いも同様ではないだろうか。
(ついでに言えば、息子の存在だって雇用を生み出している)

「命に価値を求める概念から脱しなければ、居るだけで良いのだから」

 とは、先輩の言葉である。
 私はその境地に達していなかったため、正直、打ちのめされた。
 戦場の最前線で戦う人が皆、同じように言う訳では無い。この方がすごいのだ。

 障害者の教育はもとは、障害の軽い者の中から仕事を出来る人材を発掘・育成するところからはじまっていると、どこかで読んだ。
 社会を動かす血液である貨幣のため、政策は生まれる。当然の事だろう。

「綺麗ごとだけでは飯は食えない」

 これは真実だ。
 しかし、

「居るだけで良い」

 という価値観もまた真実ではなかろうか。

 この二つの価値観を両輪とする社会が理想なのだろうなと思う。
 そして今は――もちろん、理不尽と闘ってくれた先人の皆様の恩恵受けている箇所は多々あれど――前者の価値に重きを置く流れなのだろうとも思う。
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