普通に生きられなかった私への鎮魂歌

植田伊織

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口腔保健センターへ行く。

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 川辺を走る電車を横目に、息子がはしゃぐ。
 今日も暖かい。水面に落ち葉が浮かび、冬の陽光が反射していた。目が楽しい。
 
 昨日の予約をもとに、今日は口腔保健センターへ行った。
 どういう所なのかと言うと、一言で表せば、障害など、スペシャルニーズのある方に向けて歯科診療、予防、相談、食べる機能や話す機能の訓練を行う場所である。

 緊張する息子と一緒に、待合室で順番を待つ。
 障害の程度や年齢など、いろんな人が同じように順番を待っていた。保護者の方もいろんな方がいらっしゃったが、みなさん、お子さんへの声かけがとても優しくて明確だったのが印象的だった。
 適切な声掛けができるというのは、真摯にこどもと向き合っているという事だから。みんな頑張っていた。

 歯医者さんが大嫌いな上に、不安を抱きやすい息子は順番が来ると大泣き。
 絵カードで治療の順番を説明しても、スタッフの方が緊張をほぐすために遊んでくださっても、

「それがどうした、俺は治療が嫌なのだ」

 の主張を崩さない。頑固なのは父親譲りだ。

 それにしてもスタッフの皆様はとても親切に、声かけをしてくださった。恐怖を取り除くために大好きなピカチュウのぬいぐるみを抱かせてくれたり、ドラえもんに歯磨きをさせて遊ばせてくださったり。専門施設だからこその行き届いた対応である。本当にありがたかった。

 しかし、大人の労力もむなしく、息子は全力を以って治療を拒否してしまったので、仕方がなく足のみタオルで巻いて簡易的に拘束し、スタッフの皆様と私とで体を押さえながら歯の様子を見た。
 様子を見るのも、まずは椅子に座って、持参した自分の歯ブラシを動かしながら。次にベッドに寝っ転がってブラシを動かしながら。最後に、鏡など専門的な器具と、先の歯ブラシを交互に使いながら……と、段階を踏んでくださった。
 おかげ様で、大泣きで治療を拒否をしていた息子だったが、全てが終わるとケロッと機嫌を治すではないか。これには驚いた。

 そもそも何故、口腔保健センターへ行ったのかと言えば、息子が冷凍してあるチョコレートをかじった時に歯が抜けたからである。
 私は抜けた瞬間を見ていなかったため、歯が折れたのか、抜けたのか判断できなかった。
 万が一本当に歯が折れてしまっていて、根っこの部分が歯茎に残っていたら治療が必要なので、医療に繋がったという訳だ。

 結論から言えば、歯の抜け替わりの時期と重なっていただけで、新しい歯は順調に育っている事が確認出来た。体中が弛緩するほど安堵した。
 歯も綺麗に保てていると褒めていただき、嬉しかった。

 こどものころ、歯の治療で嫌な想いをした自分を、少しだけ救い上げられたような気がした。

 私自身、こどもの頃うまく歯磨きが出来なかったのと、母が仕上げ磨きをしないで放っておいた為、乳歯が入れ替わるころにはほとんどすべての歯が虫歯だった。
 母は歯が強い人だったらしく、頻繁に歯磨きをしなくても虫歯にならなかったから、私の歯も放っておいたというのが理由だった。
 実際の所がどうなのかはわからない。確かに、祖父の歯は強く、母はその遺伝をついでいたと周囲は言うが、娘の私がその特徴を受け継がなかったことには思い至らなかったようである。
 母も思い込みが激しく、認知が激しく歪んでいる人だった。

 そういった経緯があって、私は同じ思いを息子にさせないため、口腔ケアには力を入れていた。自粛期間と多動症の症状が出てからは歯科へ行けなかったので、自分がきちんと歯を清潔に保てているか、自身がなかったのだけれど、お墨付きをいただけて本当にうれしかったのだ。

 こうやって、自分が満たされなかった思いをこどもに経験させない事で、癒されてゆく傷もあるのだろうと思う。

 ほかにも相談したい事があったので詳しく説明を聞き、結果的には、「歯医者」という場所に慣れるため、通院を続ける事にした。
 治療に恐怖心を抱かなくなれば、地域の歯科に通う予定だ。
 行き届いた支援と医療に繋がれた機会に、感謝した一日だった。

 余談だが、息子の泣きっぷりがよかったのと、理解力が高そうだと判断された為、歯科の学生向けの治療経過観察映像の撮影に協力する事になった。簡単に言えば、
「ギャン泣きの子が適切な指導を受けることで、治療に協力的になってゆく様を撮影させて欲しい」
 との事。たしかに、すごい泣きっぷりだったもんな。

 思わぬところで息子が社会貢献をした瞬間だった。なんだかちょっと嬉しい。
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