平民女とお貴族様[完]

綾崎オトイ

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空とプリンを振り払う

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 感情に振り回されるのは好きじゃない。

 平民の女が1人で生きていくのにそんなものは無駄でしかない。
 常に私は私の事だけを一番に考えて生きてきた。感情よりも損得を優先するように。それが賢い生き方だと知っていたから。

 これからだって、私はそうやって生きていく。それが一番楽で傷つかない。

 □□□

 最初に出会った日の、あの生気のない瞳が嘘のように、最近のお貴族様は生き生きとしている気がする。曇り空から晴天の色に変わったような、例えるならそんな輝きがある。

 お貴族様が私の部屋へ足繁く通ってくる度に、あのお姫様の話題が出る。
 というのも、このお貴族様のことを心配しているらしいお姫様が状況確認で話しかけてくることが増えたらしい。
 エメは素晴らしい女性だと伝えている、なんて、嬉しそうに言っているけど、たぶんそれは逆効果だと思う。

 私の元に毎日やってきては使用人のようにせっせと世話を焼いて、宝石やら食べ物やらを山のように持ってくる。
 愛されているような錯覚を思想になる度に、そうしてお姫様の話で引き戻される。その繰り返しだ。

 私には多分もう耐えられない。
 妬む気持ちは一切ない。このお貴族様が幸せそうならそれでいい。
 だけど、その傍にいるには、私には足りないものばかりだ。そしてそのために全てを捨てて全力で頑張る、なんて可愛らしいこともできやしない。

 ずるい人間でしかない私は、逃げることを選択することに迷いも罪悪感もない。
 高潔なお貴族様と違って、私には責任もプライドも何も無いのだから。
 踊り子としてのプライドならそれなりにあったけど、今は踊り子ですらないし。

 美味しい食べ物とふかふかのベッド。生きるのに最高すぎる環境にしがみつくようにここに留まっていたけど、それよりもお貴族様に動かされる感情のが大きくなってきてしまった。

 なぜかバタついている屋敷の使用人たちを見て、私は最低限の荷物を詰め込んだバッグを手に取って歩き出す。
 私の存在はもう用済み。別にいい女性が現れたならそれでよし、それまでは書類上夫婦のままでいればいい。離婚届はお貴族様の部屋に置いてきた。

「あら、エメ様お出かけですか?」
「うん、ちょっと」
「待ってください、今ご一緒にっ」

 すれ違ったプラムに声をかけられたけど、何かの書類を両手に積んでいるプラムにいいよいいよと首を振る。
 そのまま転んでしまいそうな様子に慌てすぎだと苦笑してしまう。

「一人で平気。なんか大変そうだし」
「あ、いえ、ちょっとトラブルがありまして。でも、私1人くらいなら」
「とりあえず、その荷物置いてきたら?」
「はい!ㅤすぐ戻ってきますから!」

 パタパタと駆けていくプラムはいつみても慌ただしい。
 その背中を見送って、私は扉に向かって足を踏み出した。

 鞄の中には最低限の着替えと、貰った宝石をいくつか、資金のために詰めてきた。最初に言われた通り、何かあったら私の物だという約束を、あのお貴族様が今更撤回するはずも無い。
 遠慮なく、と言っても私の小さな鞄に入れるには沢山のものを貰いすぎていたから、ごく1部でしかないけど。1人で生活を再開するのに資金は大事だからね。

 大粒の宝石がついたネックレスを1つ取り出して、目の前でチャリと揺らしてみる。
 豪華すぎないデザインに嵌め込まれた、透き通る様な青い色の石がとても綺麗だ。まるであの空のような瞳みたいに。売れそうだ、という理由以上に、頭に過ぎった瞳の色がこのネックレスを選んだ原因かもしれない。

 なんて、らしくもない感傷に浸ってる場合じゃないと手を下げて歩きだそうと視線を前方に向けた私は、踏み出しかけた足を不自然な位置で止めてしまった。
 後ろからまだプラムはやってこないけど、私の前に立ち塞がるようにお姫様が立っている。瞬きをしても消えないそれは、幻影なんかではないらしい。

 何度見ても綺麗で可憐で曇りも濁りもない。高潔そのものだ。その眩しさに目を細めてしまいそうになる。

「待ちなさい」

 もう待ってる、とはさすがの私でも言えなかった。
 足を止めたまま、彼女の視線を真っ直ぐに受け止める。

「侯爵様に会いに来たならいないけど?」

 そう、一応伝えてみるけれど、お姫様は動かない。
 睨むような視線は和らぐこともなく、私に突き刺さるばかりだ。

「貴女、やっぱりウルリシュを騙していたのね」
「騙す?」

 それには本当に心当たりがない。お貴族様の一目惚れでの恋愛結婚だとか、そんな感じで話が広まっているらしいから周りの人間を騙してはいるかもしれないけど、お貴族様とは共犯関係だ。しかも提案してきたのは向こう。
 彼女の言葉が分からなくて首を傾げてみれば、指さされたのは私、というより私が今まで見ていたネックレスだった。
 向けられた指先は僅かに震えている気もする。

「それは、前侯爵夫人の形見よ。まさかそれを盗み出したなんて……。これ以上ウルリシュを傷つけるのは止めて」

 思わずネックレスを再び光にかざして見つめてみる。盗んだ訳ではなく、その彼本人から普通に贈られた物だけど、形見だなんて初耳だ。本当に一言も聞いていない。

 そんなものなら受け取らなかったし持ち出しもしなかった。
 あのお貴族様の様子からはそんなに大切なものだと思えなかった、なんて言うのは言い訳にしかならないかもしれないけど。

「これが、形見……?」

 まさか、と思わず声に出る。

「そうよ。昔に彼の乳母が形見を盗んで姿を消したせいで、もう残っているのはそれくらいなの。今度は妻である貴女が裏切るなんて黙っていられない。ウルリシュを騙して近づいて、心を許してくれたら去っていく。もうやめて。この屋敷に貴女が持ち出していい物なんて一つもないわ、出ていくなら全て置いていきなさい」

 乳母の話、それも初耳だ。
 あのお貴族様は重要なところだけ何も言ってこない。
 きっと、仮初の夫婦関係に言い合える絆なんて存在していないのだ。と教えて貰っていない理由はそれが一番納得出来る。

 そしてこのお姫様はそんなお貴族様の全てを知っているのだろう。
 正義感が強く、その真っ直ぐな折れない芯が彼女が慕われている理由なのかもしれない。私みたいに流されて生きているだけの人間とは正反対だ。

 私が今手に持っているものは全て彼が私にくれたもので、いざという時には持って行って構わないと言われている物しかないけれど、このお姫様に止められてしまっては持って行けるはずもない。

 形見を持ち出して売ってしまわなくて良かった、と正直ほっとする。私には両親の記憶すらないけど、そういうのは大事なものだと思う。無くしてからは戻ってこないんだから。

 ここでどうこう言い合うのは面倒だし、騒ぎになるのも困る。
 私が身一つで出ていったなんて知ったらあのお貴族様は気にしてしまうかもしれないけど、ここに彼女がいるなら別だろう。
 私なんかと結婚しても傍にいたかったお姫様。あんなに恋こがれていた彼女。
 彼の部屋に幼い日の彼と彼女が描かれた肖像画が飾ってあることも私は知っている。それほどまでに想う相手が目の前にいたなら、きっと私のことは思い出す暇も無いだろう。それでいい。

「仲いいんだね」
「幼なじみだもの。当たり前よ」
「そう。それならずっと一緒にいてあげて」

 他の人を選んでいたとしても、そばにいてあげて欲しい。

 お相手の王子様が彼に結婚相手を見つけてからじゃないと彼女に会わせないとか言った本人らしいけど、それは本気で来られたら奪われるかもしれないとか危機感を感じたからなんじゃないかと思う。
 略奪だとかどうでもいい。私は大して知らない王子様よりお貴族様の味方だ。

「これ、返しといて。ちゃんとお姫様からあの人に手渡しで」
「だから私はお姫様ではないわ」
「戻ってきた時はプリンが食べられると思う」
「え、プリンが何ですって?」
「よろしく」

お姫様はお姫様だ。平民の私にとって本物も偽物もない。
 それにあのお貴族様にとっては正真正銘のお姫様なのだろうとも思うし。

 持ち上げた鞄を彼女の前で落とすようにすれば、慌てて手を広げて抱え込む。その姿を見ながら私は横を通り過ぎた。

 彼が幸せそうに笑っていてくれたらいいと、人生で初めて他人のことを想いながら。

 次は人気のプリンを買ってきてくれると約束していたから、それが食べられないことだけが残念だ。
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