平民女とお貴族様[完]

綾崎オトイ

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お姫様の代わりにはなれない

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 カラカラと車輪が回る音が響く。脱ぎ去った仮面は大して邪魔にはなってなかったはずなのに、何故か視界が開けて開放感がすごい。

「お姫様、素敵な人だね」

 帰りの馬車の中、隣に座るお貴族様は落ち着いている。浮かれすぎても悲しんでいる様子もない。

「ああ、そうだろう。彼女は昔から変わらないんだ」

 だけど、お姫様の話をするときはいつだって少し嬉しそうだ。
 その一途さが相変わらず私には眩しくて羨ましい。

「ねえ、私は少しでもあのお姫様の代わりになれてる?」

 そう、口から思わず零れ出てしまったのは、期待か弱音か。言ってから自分で取り消したくなるけれど、言葉になってしまった後では無かったことにはできない。 
 広い馬車ではあるけれど、それでも隣に座ったお貴族様に聞こえなかった、なんてことは無いだろう。座面に無造作に置いた手と手が触れ合うくらいに距離は近い。

 流れていく景色が妙に落ち着かない気分にさせる。規則的に揺れる馬車の音がまるでカウントダウンのように思えて、嬉しくない緊張に目を瞑る。

「貴女は、フェリシテの代わりにはならない」

 帰ってきた言葉は静かな声音だった。

「そりゃそうだ」

 即答された言葉に苦笑が浮かぶ。
 分かっていたし、想像していた返事と同じだ。
 それなのに私はなぜ聞いてしまったのか、なぜ落胆しているのか。この乙女めいた感情は本当に厄介だ。だからずっと捨てたままだったのに。

 会場の熱気の残る身体を冷ましたくて馬車の窓は開けているから、外を見る私の視界にその表情はわからない。窓に私の表情が反射して見られる心配もない。
 それだけが今この瞬間の救いだ。窓から入る風は少し冷たくて、だけどそれもちょうどいい。

 今更失恋に嘆き悲しむ可憐さなんて残っていない。遠くは無い侯爵家への道を馬車が進んで屋敷に着く頃には私の感情も凪いでいるだろう。

「あのアイス、もう一個食べてくれば良かった」

 口の中に思い出すほろ苦さが恋しい。何個か食べたのに飽きない味だった。
 コーヒーが一番美味しかったけど、濃いめに煮詰めたフルーツソースやブランデーを合わせてもどれも美味しかったのは、あのアイス本体が美味しすぎたんだろう。

「エメが気に入ったならレシピを買ってきて常に用意させておこう。作った人間を引き抜いてきてもいい」
「いや、それは大袈裟」

 大真面目にとんでもないことを言い出す、変なところで私に甘いお貴族様だ。思わず肩を揺らして笑いながら、やめてね、ともう一度言っておく。だって本気でやりそうだし。そこまでされたら私も困るし。

 あの家の住人もあんなに素晴らしいアイスが食べられなくなったら怒るだろうと思うし。迷惑はかけてはいけない。
 お土産に持ってきてくれるというならもちろん拒否はしないけど。

 □□□

 午後の日差しが大きな窓から差し込んで、部屋はぬくぬくと暖かい。私はさっき起きたばかりで昼ごはんという名の朝ごはんを食べているところだというのに、もう寝てしまいそうだ。
 眠くなってしまう原因のもうひとつは、私の膝で静かな寝息を立てるお貴族様のせいでもあるかもしれない。安心しきった整った顔はすごく目の保養。

 疲れているなら自分の部屋のベッドで寝ていればいいのに、こうして今日も律儀に私の部屋でのお茶会に参加していたお貴族様は、いつの間にか本を読みながら器用に夢の中へと旅立っていた。

 使用人は最初の準備をしたあとは気を使ってなのか、部屋を出ていってしまうから、室内はものすごく静かだ。

 しっかりと用意されていたデザートのアイスクリームも平らげて、食後のすっきりとした香りのハーブティーを楽しんでいたのに、隣でこくりこくりとされていたら落ち着いて飲んでいられない。
 そっと頭を膝に誘導してみれば、起きることも無くすうすうと寝始めて、私はそれを見守ることにした。

 寝顔は普段の表情よりも筋肉が緩んでいるのか、優しげな雰囲気がある。実際に私よりも年下なのもあって、格好いいより可愛いと感じてしまう。

 相変わらずうやらましいとしか思えないサラサラと指の隙間を零れ落ちる髪を堪能していれば、閉じていた瞼から空色が顔を出す。大きな雲の塊に穴が空いた瞬間のように、目が離せない。

「……エメ?」

 ぼんやりとしたままのお貴族様の視線が彷徨って、暫くして私に戻ってくる。

「すまない。寝てしまったようだ」
「いいよ、別に」

 もう少しお眠り、と形の良い頭を撫でてやれば不満気にその瞳が細められた。

「寝れないなら子守唄でも歌おうか?」
「……貴女は僕のことを子供扱いしているな」
「実際、私のが年上だからね」

 どうにも甘やかしてやりたくなる、というのは間違いない。自分が甘えるような関係は過去にはあったけど、ここ数年はそんなこと全くなかったし、どちらかというと甘える人を相手にする方が多かったから癖になっているのかもしれない。
 それがこのお貴族様は気に入らないらしい。

「お姫様にも子守唄歌ってもらったりしてた?」

 あのお姫様は随分とこのお貴族様のことを気にかけていたようだから、試しに聞いてみればまさかと首を横に振られた。

「年下のフェリシテに子守唄など歌われてたら、流石に情けなさすぎるだろう。むしろ歌ってくれと頼まれた側だ」
「それで歌ってあげたの?」
「いや、僕は歌が得意じゃない」

 それはそれで歌ってみて欲しい気がする。
 今度頼んでみようか、と頭を撫でながら思っていれば、何かを考えるように目を伏せたあと、お貴族様はモゾモゾと向きを変えた。上を向いていた顔が私の方に向けられて、下腹部に寄せられた唇の熱を布越しに感じる。
 腰に回された手で更に密着度が増していて、男女の位置が逆ならば確実に際どい位置に色々と当たっていただろう。

 このまままた寝るんだろうか、ともう一度お茶に手を伸ばした私に「エメ」と不満気に声がかけられる。

 私に顔を埋めて瞼に刺さる光を遮断しているのかと思っていたお貴族様の目はしっかりと開いていて、私のことを見上げていた。もう眠そうな様子は全くない。

「……普通の貴族令嬢はもっとこう恥ずかしがるものだと思うんだが」

 キャア、とか、エッチ、とか顔を赤らめて叫ぶような反応を期待されていたよだろか。それが分かって思わず笑ってしまう。
 自分で想像しただけで面白すぎる。

「貴族令嬢じゃないから。それに生娘でもあるまいし、今更そんな初な反応しないよ」

 そもそも書類上と言えど夫婦なんだから、このくらいの触れ合いは貴族だって普通なんじゃないの。もっとあれやこれやするだろうし。

「初めてじゃないから平気だと言うのか」
「そゆこと。別に使ってくれても構わないよ」

 どうぞどうぞと手を広げて迎え入れる動作をしてみる。踊り子として身体を売ったことはないけど、潔癖だったわけでもない。
 最低限の関係さえあれば私は誰でもいけるタイプだ。
 もちろん浮気はしないけどね。

「貴女にはもっと自分を大切にして欲しい」

 本気で言っているだろう真剣な言葉は、私を拒絶する言葉に聞こえる、というか優しい拒絶そのものか。

 体のいい断り方だ。このお貴族様は素直すぎる。悩む素振りくらいしてくれてもいいというのに。

 当然の反応かと改めてお茶を流し込む。冷め切った温度が逆に丁度いい。アイスクリームの後味が綺麗に流れていくのは悲しさも感じるけど。

 何を企んでいるのか、なんて、私がこのお貴族様を利用しないか心配していたようだけど。
 どう考えたって利用されてるのは私。
 って言いたいけど、その分多すぎる見返りの衣食住があるんだから私に有利すぎる契約か。

 ただ、そこに想いが増えてしまったら。

 この関係は続かない。続けられない。
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