平民女とお貴族様[完]

綾崎オトイ

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エメのお悩み相談室

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 それからも、私の生活は相変わらずだ。食べたいものを食べて時間を気にせず眠って、少し動く。そんな自堕落で悠々自適な生活を満喫している。

 屋敷と庭を歩き回って、最近覚えたばかりのお貴族様のダンスを1人でくるくると踊ってみたり、一座にいたときの踊を教えて欲しいと言われて素直に教えてみたり。
 高貴な男性が踊り子目当てに熱心に通うこともあるけど、同時にはしたないと言われる平民のそれを貴族のご令嬢様に教えてるなんてきっとバレたら誰かに怒られるに違いない。
 実際、お姉さん素敵ねと幼い少女が私に憧れてくれた時、その母親からは破廉恥なものをうちの子に見せないで、と引っ叩かれたことがある。それも今ではいい思い出だ。

 お貴族様の中でも高位貴族と呼ばれるこの侯爵家には、大きな図書室や音楽ホールなんかもあって、暇つぶしには困らない。普段は使っていないようで、私も好きにしていいと言われている。
 ここに来てからのんびり過ごして、飽きると色々な部屋を物色する、その繰り返しだ。

 変わったのはマナー教師の授業をたまに暇つぶしに受けるようになったことか。
 授業というか、これもただのお茶会な気がするけど。
 夜会前の数回はたしかに授業と言えたはずのそれと、今目の前で繰り広げられているこれが同じものだとは正直思えない。

「エメ様は本当に素晴らしい貴婦人ですわ」
「ただの平民だけど」
「エメ様は初めてだというのに挨拶な歩き方の姿勢も重心も完璧で素晴らしいですわ。ダンスを覚えるのも早いですし」
「まあ、平民のが元々の筋力とかあるだろうし、本業だったかららね」

 蝶よ花よと育てられるお貴族様が装飾品を大量につけて歩く姿はしんどそうだな、と前から少し思っていた。平民の私にしてみれば大した重さではないんだけど。

 このマナー教師もどこかの貴族のご夫人らしいけれど、色々と大変らしい。私は蜂蜜を入れたお茶を飲みながらてきとうな返事をする。はぁ、と重いため息を吐き出しながら遠い目をしている彼女にかける素敵な言葉なんて私には見当たらないから相槌だけ繰り返す。

「エメ様はセンスもありますし、冷静でヒステリーもおこさない」

 それはまぁ、私もいい歳だし、冷静というか気にしていないだけというか。過大評価すぎないか、と思いながらも口にはしない。

「昨日は高位貴族のご令嬢の授業だったのですが、気分が乗らないからとオルゴールを投げつけられて……。しかも壊れたから弁償しろなんて言うのですよ!?」
「それはひどい。お貴族様っていうのは嫌な生き物だね」
「そうなんです。分かっていただけますか?」

 私も一応今の身分は貴族で、目の前のマナー教師も周りの使用人たちの多くも貴族なはずだけど、それを指摘する人間は一人もいない。
 ここに来てまともなお貴族様もいるものだな、と思ったけど、イメージ通りのお貴族様もやはり少なくは無いらしい。

 ついに泣き始めたマナー教師にはとりあえず前回の授業で作ったハンカチを差し出した。

「ありがとうございます。エメ様は本当にお優しくて素敵な方で……この刺繍も涙を止めて嫌なことを忘れさせてくれるような、そんな効果を感じますわね。素敵な作品です」
  
 私に刺繍の才能は全くないらしい。お貴族様の遠回しな言い方とやらは分からないけれど、これは思わず笑ってしまうような出来だと言われていることは分かる。
 バカにしているんじゃなく本気で褒めてくれているというのがなんともいえない気持ちになって、これなら酷評された方がマシなんじゃないかと思う。

「エメ様のセンスは素晴らしいですもの」
「奥様に選んでいただいたアクセサリーを付けたら想い人の反応もすごく良かったんですのよ」
「まぁ、それはわたくしも選んでいただきたいですわ」

 わいわいと盛り上がる侍女とマナー教師を見ながら甘いお茶をズズッと啜る。ドライフルーツを入れると違った風味になって、フルーツも柔らかくなって美味しい。カップと受け皿が当たって音がなりひびいてしまっても、目の前のマナー教師はなにもいわな い。

 厳しくされたところで必死に覚える気もないからいいんだけど、授業の時間はどうやら消え去ってしまったらしい。
 これはただのお茶会だ。まあ、私は別にいいんだけど。

「エメ様にダンスを教えていただいてから腰のくびれができましたのよ」
「私も頑張ってもどうにかならなかった脚が細くなりましたわ」
「普段の動きも女性らしさが倍増したと夫に言われましたの」
「まあ、それはわたくしも参加させていただかなくては」

 その会話の内容が私の事ばかりなのはどうにかして欲しい。何をそんなに語っているのか。

「先日はお気に入りのドレスに付いてしまった汚れを落とす方法を教えていただいんですよ」
「調理場でも面白いことを教えてくださって、料理人一同勉強させていただきました」
「エメ様は知識も素晴らしいのですね」

 お茶会、というか使用人も参加しているこれは井戸端会議なんじゃないだろうか。何故かべた褒めされているけど、どれもこれも大したことじゃない。
 平民では一般的な、おばあちゃんの豆知識とか呼ばれるようなそとをポツリと口にしただけだ。
 高級お菓子は美味しくて最高だけど、たまには下町の素朴なおやつも食べたくなる。綺麗さよりも素早さと簡単さを優先させたやり方がある。それだけの話がお貴族様たちには余程珍しいことだったのか目を輝かせて話して聞かせている。やめて欲しい。

 身分は違くてもどこの女性も話をするのは大好きらしく、この屋敷の主人であるお貴族様が帰ってくるまで話は盛り上がっていた。

 □□□

 最近はお茶会が多い。もちろん私が誘っているわけでも開催している訳でもない。美味しいお茶とお菓子を用意したからと誘われているだけだ。

「実は、婚約者と喧嘩をしてしまったのです」

 キラキラとした可愛らしいご令嬢が目の前で悲しげに俯いているのを見ながら、私はお土産に貰ったドライフルーツを口に放り込んだ。

 ここはいつの間にお悩み相談室になってしまったのだろうか。

 プラムが友人を招待したいと言っていたから安易にいいよと言ってしまったが、私と気軽に話をしすぎていてプラムが貴族令嬢だということをすっかり忘れてしまっていた。
 お友達がお貴族様なのは当然で、目の前のお客人は想像以上にお貴族様のお嬢様だった。髪の先からつま先まで完璧に手入れされて着飾ったご令嬢は絵本の中のお姫様のようだ。

 エメ様に話を聞いてもらったら良いと教えていただいて……と始まったのがこんな内容だ。話を聞くのは別にいいんだけど、私にどうしろというのか。
 いつもなら流しててきとうに相槌だけ繰り返してしまうけど、今日のこれは意見を求められているらしく、なにか言わないといけないらしい。期待を込めた目で私の言葉を待っている様子にとりあえず口を開いてみる。

「謝れば?」

 相談する相手を間違えているのだから、文句はうけつけない。礼儀も敬意も綺麗な言葉遣いも、私は持ち合わせていないのだ。

「でもわたくし悪くありませんのよ。でもあの人も自分は悪くないと言いますの」
「それなら別れたら?」

 お貴族の婚約者といえば家の関係だとか権力だとか、平民と違って色々あるらしいからそんな簡単な物じゃないんだと怒られるだろうか。個人の感情を押し殺してでも一緒にならないといけないなんて本当に大変そうだ。

 保存食としてのドライフルーツは今までも食べたことがあったけど、今食べているのは瑞々しさがあって甘さも丁度いい。何が違うんだろう。

 口を動かしながら、ドライフルーツからご令嬢に視線を戻してみれば、悲しげな表情にうるうると大粒の涙が浮かんでいた。

「でもわたくし彼と別れたくないのです。彼のことが好きなんですのよぉ……」

 怒られるどころかまさかの泣き出した。
 うわぁん、と全力で泣き出す高貴なお嬢様には何と声をかけるのが正解だろうか。あわあわと慌てて全力でご機嫌取りをするべきだろうか。

 横に座っているプラムがご令嬢の肩を支えながら涙を拭っているし、ご令嬢が連れてきた使用人たちは心配そうに見つめている。

「それなら、私は悪くないけど別れなくないから謝る、って正直に言ってみたら?」

 男女関係は平民もお貴族様も変わらないのかもしれない。それなら他人が間でどうこう言っても仕方がない。
 だから私が答えられるのはてきとーなアドバイスだけ。

「そういたしますわ!」

 ハンカチに顔を埋めていたご令嬢がバッと顔を上げて潤んだ瞳と視線が交わる。泣いて崩れた顔の中でキラキラとした瞳に思わず身体がびくりと揺れた。全てを吹っ切ったような顔をしているけど、私はそんなにいいことを言ったつもりは毛頭ない。

「エメ様にお話して良かったですわ。そんな妙案があるなんて思いもしませんでした。早速行ってまいります! ありがとうございました!」

 優雅なお貴族様とは思えない俊敏な動きで走り去る姿を、使用人たちが慌てて追いかけていく。

「え、ほんとにあれで納得したの?」

 何しに来たの、あの人。

 走り去ったお嬢様は本当にそのまま行動したようで、婚約者との仲は以前よりも良好らしい、とはプラムが教えてくれた。
 何故か私に相談すると素晴らしい助言をくれるという噂が広がっていて、私と話をしたいという申し出が次々と来ているらしい。

 やめてくれないかな。
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