平民女とお貴族様[完]

綾崎オトイ

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平民夫人の夜会デビュー

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 食べることと散歩すること、それから寝ること以外は暇でしか無かった私は、用意してもらったマナー教師とやらの授業の他にも侍女たちからも礼儀作法を教わった。

 とは言っても難しいことはしていない。挨拶の仕方とワルツの踊り方。基本的に覚えたのはそれだけ。あとはマナー違反とかそういう豆知識みたいなものも雑談ついでに教えてもらったけど、それくらい。

 マナー教師もどこかのお貴族様らしいと聞いていたから何を言われるかと少しだけ身構えていたけど、使用人たち含めて誰一人私を平民だと嘲笑うことも無く、授業中はセンスが良いと無駄に褒められて気が抜けてしまいそうになる。
 この侯爵家の力がそれだけ凄いということだろう。
 幼い子供だった頃の記憶でもこんなに褒められた記憶は無い。

 ワルツを覚えるのもそう難しいことでは無かった。お貴族様のダンスは私が踊っていた物とはまるで別物だけど、体幹は強いし、リズムを取る事と動きを覚えること自体は今までと同じ。

 お忙しい旦那様の時間を無駄に奪うことも無く、1度パートナー役として1曲確認として相手をしてもらっただけ。

「僕は必要無かったようだな。もう少し貴女と踊る時間を期待していたんだが……」

 なぜか、僕がリードされているようだ、なんてがっかりされてしまった。

 私と踊るお貴族様は普段は小綺麗でスラリとして見えるが、ふれてみれば身体を鍛えているとはっきりわかる体格で、支える腕は力強く安心して身を任せられる。きっと全体重を預けても大丈夫だ。
 か弱い女性は身を任せて踊り、それを支えることが男としての見せ所だと言うのなら、私は期待はずれでしかないのだろう。

 女性陣からは褒められても男性側からは可愛げが無いと判断される。望まれる女性に寄せられなくて申し訳ないとは思うが、最近の流行りであるか弱く可憐な少女には今更慣れないのだからそこは諦めて欲しい。私は1人で歩いてきたし、これからも1人で進んでいけてしまう。

 □□□

 侯爵家の使用人全員の激励で送り出される様子はまるで戦場にでも向かうかのようだった。応援は嬉しいけど、やりすぎではないかと思う。
 貴族令嬢にとっての社交は戦だ、とか言っていたし戦場であるというのは間違いではないのかもしれない。
 ただ、私には緊張や恐れを感じる繊細な感覚が備わっていないから、呑気に会場まで辿り着いてしまったんだけど。

 遠目に見ていた、絵本の中のお城と同じくらいの気持ちで眺めていた建物が、目の前にある。黄色い声を上げてときめく乙女心は無いけれど、夢のまた夢のような場所に実際立っていることには少しだけ感動した。人生何があるかわからない。

「エメ、緊張していないか?」
「全く」
「それは心強いな」

 お貴族様が集まる夜会の中でも、目の前のウルリシュというお貴族様は一際目立っていた。容姿も存在感も飛び抜けている。どこを見渡しても装飾品や宝石で煌めいている中でも輝いて見えるのだから相当だ。
 私も見てくれだけはそこそこのはずだから、まあ隣に立っていても外見だけならギリギリセーフだろう。中身はただの平民だけど。

 侯爵という地位のおかげか、向こうから話しかけてくる人間はほとんどいない。身分が上の人間には気安く話しかけてはいけないだとか、お貴族様の世界の暗黙の了解とかいうやつだろう。
 練習した挨拶はあまり役に立たなそうだ。
 プラムたちが言っていたように、広すぎる会場にはタイトなシルエットのドレスばかりが並んでいた。私が着ているのもそんなドレスだけど、凹凸のある身体の曲線も、可愛くは無い顔立ちも、こういう服が自分で言い切れるほどに良く似合う。精一杯雰囲気を合わせようと化粧で作りこむ必要も無い。

 幼女趣味のようなドレスが流行だからと着せられていたら悲惨なことになっていただろうけど、例えそれが人気だと言われてもその場合は私は絶対に断った。
 似合わない服を着たってどう考えても指さされて笑われるだけだ。

 主催者である王太子様への挨拶と始まりのダンスを1曲。それなりに注目を集めて、長くは無い時間で会場を舞うようにくるくると回る。ゆったりとした動きだからこそ、力量がよく分かる。付け焼き刃だったけど、踊りならお貴族様にも負けてはいない。
 そして私の仕事はあっさりと終わった。

 エスコートとしてお貴族様の腕に添えていた手をゆっくりと離して、同じ会場だというのに喧騒から少し外れている場所を指さしてみる。さっきからずっと気になっていた。

「ねぇ、あそこにあるのは自由に食べていいんでしょ?」

 会場の隅には立食形式の軽食とデザートが用意されている。王族主催の夜会という名前に相応しい煌びやかさで、味の方もきらきらしているのだろうと期待が膨らむ。

「ああ。僕も一緒に行こう」

 そっとエスコートとやらをするために再び差し出された手を、静かに押し返して首を横に振る。

「想い人のところに話しに行きたいでしょ? 私は勝手に隅っこで食べてるからいいよ」
「だが貴女を一人にするわけには……」
「いいからいいから」

 行っておいで、と背中を押して手を振ってみれば、まだ何かを言い出しそうなお貴族様は諦めたようにゆっくりと歩き出した。

 貴重な時間だからね。会いたい人に会えるうちに、ってやつ。
 しかも相手は人妻、の前に婚約者だったか、どっちにしても気軽に会いにいけない相手なんだし。
 私も食べたいものを食べられるうちに、ってことで食べる前から美味しい料理を食べるんだから。

 見慣れない存在だからか、私へ集まる視線は多い。あまり良くない囁き声も聞こえる。
 だけど私にとってはそんなもの全然意味が無い。
 見られる事が仕事で、悪口を言われるのは人気者の証だった。私が気にしてやる理由はこれっぽちもありはしない。

 お皿いっぱいに料理を盛って、開け放たれたバルコニーに用意されたベンチに腰を降ろした。
 中から見ると随分と暗く感じたバルコニーも、自分が足を踏み入れてみれば思っていたより明るかった。シャンデリアの光に照らされる室内は輝いていて、ここからでもよく見える。

 この夜会の主催である王太子の横には挨拶をしに行った時からずっと、1人の女性が寄り添っていた。今も2人は身を寄せあっていて、微笑み合う姿はすごく仲が良さげだ。
 招かれた貴族が列を作って次々と挨拶をしていくから、自分の番は一瞬で会話どころじっくりと顔を見ることもできていないけど、こうして遠くから見ても綺麗な女性だと思う。

 一座で今人気の可憐な少女たちのような、最近流行りの純粋で守ってあげたくなるような儚さを持っていて、だけどお貴族様の中でも飛び抜けた存在感というか威圧感というか、そんな強さも垣間見える。

 なんていうか、理想の女性像ってやつだよね。物語のお姫様はみんなあんな感じ。

 私みたいなのを妻にしてでもそばに居たいという、お貴族様の想い人。実際に目にして思うのは、なるほど、という感情だった。

「未来の王様とお妃様が幼なじみって、これまた次元が違いすぎてよくわかんないんだけど」

 青春だなぁ、なんて口にしたら怒られるだろうか。立派なお貴族様たちだけど、友情も恋情も存在していて羨ましい。こうして見ているだけでお腹がいっぱいになりそうだ。

 1口大にまとめられたパスタは美味しいけど少なくて物足りないからおかわりをしに行こうか、と考えて、デザートを選ぶことに決めた。お皿に乗り切らないほどの種類のデザートがあったから、まだ余裕のある胃の中はそちらで満たすことにしよう。

 時折感じる視線に目を向ければ、噂の彼女と目が合った。睨まれているわけではないらしいけれど、鋭い視線は私のことを警戒しているように感じる。私の話は聞いているだろうから幼なじみのことを心配しているのか。

 案外お貴族様にも脈アリなのかもしれない。本人は略奪なんて考えていないようだったけど、頑張ったらいけるんじゃないだろうか。

 とりあえず、私の仕事は無事に完了できたし、噂のお姫様の姿も見られた。それに王宮の料理もとても美味しかったから私は満足だ。
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