2番目の1番【完】

綾崎オトイ

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一番大切なもの

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 待って、と伸ばした手は大きな手で包み込まれた。
 私より高い体温が私のものとゆっくりと混ざりあっていく。
 
 いつだってこの手で掴めなかった彼が目の前に立って、いつだってその背中しか見えなかったのに立ち止まって振り向いて、私に手を差し伸べている。

「アリシア」

 その声で優しく呼ばれる私の声に甘美な愛が乗せられている。私だけをその目に映して、思わずお腹に手を乗せた私を気遣うようにそっと距離が縮められる。
 大丈夫だ、と言うように繋いだ手の甲を撫でられて、なんだか泣いてしまいそうになった。
 私は、今、ひとりじゃない。

 きっと、この子達のおかげ。
 あの日いなくなってしまったあの子が、やり直すという関係ですらなかった私たちを、もう一度始めさせてくれた。それからこうして、また戻ってきてくれた。なんて、都合が良すぎるかもしれないけれど、なんとなくそう思うの。



 結婚式の日程は、予定より少しだけ早くなった。
 妊娠をエルネストに告げてから、屋敷はお祭り騒ぎで、いつの間にか街の人たちや家族にまであっという間に広がって、すれ違う度に祝いの言葉を貰う日が続いた。
 それになぜか外出するときにエルネストがいつも隣を歩いているものだから、見守るような皆からの視線に 嬉しいけれど気恥ずかしいような擽ったい気分で、すごく、すごす幸せだった。

 私が動きにくくなる前に、と急いで進められたけれど、希望通りの場所を使用人も家族も総出で飾り付けてくれて、ドレスは少しだけゆったりとしたデザインに変更された。
 膨らみが目立つようになってきた腰周りを自然に隠すようなデザインで、エルネストの騎士服を元にしたデザインの式服と刺繍のデザインが揃えられている。

 目立つような場所に刺繍を、と要望を出したのはエルネストだった。私がお揃いを喜んでから、エルネストも気に入ったみたいで、これでは本当に初々しいカップルみたいだわ。
 もう結婚して何年も経っているのになんだかおかしい、と少し笑ってしまった私と違って、屋敷の皆もお母様たちも感動したように涙ぐみながら何度も頷いていた。

「アリシア、体調は悪くないか? ドレスはキツくないか? やはり歩かずに俺が抱き上げた方がいいと思うんだが」

 目前の扉を開いた先出歩く距離なんて数歩だけなのに、エルネストが心配そうに私の腰を抱く。
 子供ができる前からエルネストは私のことを気にしてくれることが増えていたけど、今ではすっかり過保護になってしまった。
 椅子から立ち上がるだけでも不安そうにするし、少し歩くだけでも支えてくれる。走り回っている訳でもないのに大袈裟すぎるのよ、と流石に呆れてしまったわ。

 お医者様にも少しの運動をすることは母親にとってもお腹の子供にとっても良いことだと言われてからは止められなくなったけれど、私に着いてきて離れない。
 かっこいい騎士様だったはずなのに、鳥の雛みたいで可愛かった、なんて言ったら怒るかしら。

「そこ、段差があるから気をつけてくれ」
「大丈夫よ。ありがとう」

 靴引っかかることも無いような僅かな段差を睨みつけるエルネストの腕に手を添えてそっと引くように一歩踏み出せば、エルネストもゆっくりと歩き出した。

 「行こう、アリシア」

 彼の、エルネストの手を取って、彼に支えられるように扉の向こうへと歩き始める。ゆっくりと、低めのヒールを履いた私の歩幅に合わせて進んでいく。

 小さな教会で赤い絨毯を踏みしめて、柔らかな光が反射する中、家族の顔が見えた。

 結婚して3年目、王都から少し離れた小さな町の小さな教会。中にいるのは神父様と、私とエルネストと、それから私の家族。

 エルネストのお父様はお忙しいらしく間に合ったら顔を出すと言っていた。
 きっと気恥しさもあるのだと思うわ。エルネストに対しても、昔から親子というより師匠と弟子というか、そんな感じだったから。
 あの方も家族のあり方がよく分かっていないみたい。奥様を早くに亡くしてしまってたからはどう接していいのか分からなくなってしまって、そのまま今日を迎えてしまったような、不器用な人だから。

 きっと忙しいなんて言いながらもそっと覗きに来ると私は思っているの。エルネストは本気で全く気にしていないようだけど。
 でも、エルネストにとっても初めての式だもの。せっかくならちゃんと見てほしい。

 結婚はもう随分と昔のことのように思えるし、今回式をやり直すと言っても、内容は最低限。愛の誓いだけ。他にも色々出来ることはあるのだけど、私たちには今更必要ないと思ったから。

 「アリシア、改めて誓わせてほしい。オレの愛も忠誠も全て、アリシアに捧げよう。俺は、この先の全てを懸けるならアリシアがいい」

 誓いの口づけの代わりに、エルネストが私の手に唇を寄せる。応えるように私も誓いの言葉を紡げば、優しそうな顔の神父様が満足そうに頷いた。

 ゆっくりと教会の扉が開かれて、外の光が広がってくる。光が道を作るように真っ直ぐに、柔らかな花の香りと共に私たちの足元まで伸びてきて、色んな暖かさに包み込まれているように感じる。
 神様に抱きしめられているような、と言えばいいのかしら。

 外に集まっている使用人の皆や町の人々、彼らに姿を見せるために光の中へ進めば、いつも遠くにあって、けれどずっと見つめ続けていた方の笑顔が目前に飛び込んできた。

「エルネスト、夫人、おめでとう」

 シンプルな町娘のような装いにも関わらず、圧倒的な存在感を放つ、光のような王女様。こんなところにいるはずのないその姿に、幻でも見ているのかと思わず見つめてしまった。
 数秒してやっと動き出した思考で片足を引いて腰を落とそうとすれば、目の前の王女様が慌てたように首を振る。
 なぜか私の腰を支える手に力を入れたエルネストのせいで、腰を下げきれず中途半端な姿勢のまま王女様を見上げるしかできない。

「今日のわたくしはただの町娘よ。主役に頭を下げさせるわけにはいかないわ。驚かせてしまってごめんなさい。でもどうしてもお祝いをしたかったの」

 ゆっくりと近づいてくる王女様に何も言葉が浮かばない。私の中の王女様はいつだって遠くて高いところにいて、エルネスト傍にいて、孤独と責任の中で真っ直ぐに立っている、王族そのものだったから。
 個人的に会話をするなんて、あってはならないことなのに。

「夫人、わたくし、貴女に伝えたいことがあるのよ。聞いていただけるかしら」

 不安げに瞳を揺らすその姿は、私よりも年下の、ただの少女だった。

「もちろんでございます。王女殿下」
「わたくしは、貴女に謝らなくてはならないわ」
「謝る、とは……」
「わたくし、貴女に甘えすぎていたのよ。実の両親も兄たちも、王族に生まれた以上家族より立場が優先される中で、エルネストは兄より兄のような存在だったわ。そして、そんなエルネストを見つめる貴女は、わたくしにとって姉のようだった。勝手にそう思っていたのよ」

 おかしいでしょう、と王女様は見た事のない、弱々しい顔を浮かべる。

「貴女の視線は、エルネストに向けられた物だった事は分かっているわ。けれど、いつだってそれは暖かだった。貴女にとってわたくしは憎むべき相手だったでしょうに、鋭い視線を感じたことなんて一度もなくってよ。その存在はわたくしに安心を与えてくれるものだった」
「王女殿下……」
「だから何も言わない貴女に甘えて、エルネストに甘えて、こうして貴女を傷つけたのはわたくしの罪。ごめんなさい」

 思わず触れている手を握り返してしまった。王女様は何も言わないし、護衛騎士たちも口を開かない。本来ならばありえない行為だけれど、私は今、この無礼を許されている。

「いえ、いいえ。何も言わなかったのは私なのです。誰の罪でもありません。王女殿下を憎んだことだって、本当に、本当に一度もないのです。それに、私は今、幸せですよ」

 全て私の本心、と胸を張って言える。
 まさか王女様がそんなことを思っているなんて考えもしなかった。私は確かに、王女様にも幸せになってもらいたいと、そう思っているのだもの。

「ありがとう。わたくし、貴女のことが好きなのよ。傲慢にも、わたくしに着いてきて欲しいと、そう思うくらい。ねぇ、どうか、マリーと呼んでちょうだい。わたくしもアリシアと、呼んでもいいかしら」
「はい、もちろんです、マリー様」

 嬉しそうに微笑んだマリー様の手が私から離れていく。後ろから引き寄せられるように抱きしめてきたエルネストを見上げれば、少しだけ不機嫌そうな顔をしていた。
 あら、珍しい表情だわ。

「アリシアは今大事な時期なのです。あまり無理はさせないでください」
「エルネスト、これくらい何ともないわ」

 最近ではすっかり慣れてしまったこの調子に、エルネストの元同僚である護衛騎士たちは信じられない様子で視線を向けていた。
 気持ちはよくわかるわ。急に過保護になってしまったのだもの。

「エルネスト、お前変わったな。なんだ、相変わらずの朴念仁だったら今度こそアリシア嬢を俺が攫っていこうと思ったのに」
「お前にアリシアは渡さない」
「さすがに、こんな幸せそうに笑う夫人は連れて行けねぇよ」

 教会の外には簡単な軽食やお茶が並べられていて、町の人々も混ざりあって歌ったり踊ったり。どこを見たらいいのか分からなくなるくらいに色んなことが起きていて、教会の敷地から溢れてしまっているみたい。

「ほら、貴方も祝いの言葉の一つや二つあるのではなくて?」

 マリー様に背中を押されるように前に出てきたのは、先程まで護衛騎士たちの後ろに隠れるように立っていたエルネストのお父様。
 私もエルネストも、騎士としてのお父様ばかり見てきた気がするわ。いつだって厳しくて、けれど優しさも確かにあって。私はこの人のことがお父様と同じくらい好きだったもの。

 何を言ったら良いのか迷うように視線をさ迷わせる様子をじっと待ちながら、私の腰にあるエルネストの手をそっと包み込む。後は見えないけれど、きっと、2人は同じような顔をしているのでしょうね。

「その、アリシア。愚息を、エルネストを、頼む」

 深く頭を下げた彼が顔を上げるのを待って、私は大きく頷いた。

「もちろんです、お義父様。この子が産まれたら、抱いてあげてくださいね」

 そっとエルネストの手ごと私の腹部を撫でれば、噛み締めるような小さな返事が返ってきた。その後すぐに仕事があるからと、マリー様とお義父様たちは帰ってしまったけれど、楽しげな声はずっと響き渡っている。

「こじんまりとするつもりが随分と賑やかになってしまったわね」

 でも、嫌じゃないわ。
 そう言って笑えば、エルネストも小さく笑ったようで身体に振動が伝わってきた。

 これからはずっと隣で。
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