2番目の1番【完】

綾崎オトイ

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小さな約束

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 次の日もエルネストは宣言通り、私と垣根を挟んでお茶会をしにやって来た。
 予想通り、という気持ちと少しばかりの驚きが私の中に浮かび上がる。

 今日も顔を合わせることなく垣根越しに用意された席に腰を下ろしたらしいエルネストは「ハンナ、これを」と声をかけた。
 エルネストから何かを受け取ったらしいハンナが私のところに戻ってきたけれど、その顔は今までで1番なんとも言えない、ええ、本当になんとも言えない顔をしている。

 少し大きな長方形の物を抱えているけれど、絵画かしら?まだ私には裏側しか見えていないけれど、額縁のように見えるわ。何が描かれているのかしら。

「ハンナ?」

 声をかけると、ハンナはその微妙な表情のままおずおずとそれを私に渡してきた。

 裏返った状態のそれを受け取ってひっくり返してみれば、出てきたのは随分と独創的な絵画。個性的ではあるけれど、これは、多分人物画ね。
 子供の落書きのような雰囲気もあるけれど、色使いは綺麗だし、どこか惹かれるものがある。
 厳かな邸宅では浮いてしまうかもしれないけど、この家には大丈夫そうね。後で部屋に飾りましょう。

「受け取ってもらえたか?」
「ええ。素敵な絵をありがとう」

 立っていたハンナを私と同じテーブルに座らせて、隣から聞こえるエルネストの声に返事を返した。
 絵画はテーブルの横に置いてあるベンチに飾って、今日は鑑賞しながらお茶を飲むことにするわ。たまにはこういうのも良いと思うの。

「昨日見つけて思わず買ってしまったんだ。アリシアに似ていると思って」

 続けられた言葉に、私は思わず瞬きを繰り返してしまった。
 絵を見て、それからハンナに視線を向ける。

「これ、似ている?」

 確かに人物だと思われるのは女性のようで、髪の部分はイエローブロンドみたいだけれど。瞳の色も私のものと同じかもしれないけれど。

 似ている、と言われると首を傾げてしまう。
 素晴らしい絵だとは思うけれど、この絵を誰かに似ている、とは私は考えられそうにないもの。

 目の前のハンナは壊れた人形のように首を横にブンブンと振り続けている。首を痛めてしまいそうね。

 エルネストは別に、センスが悪いわけでは無かったはずなのだけれど。いえ、それもこの絵に失礼かしら。
 屋敷用の家具や調度品なんかを選ぶ時は無難で、けれど適切な物を選んでいたのに、最近のプレゼントは不思議なものばかり。
 新しい一面を見てしまった気分だわ 。

 ハンナが小さく、捨てましょうか?と言うのを首を横に振って止めた。

「部屋に飾らせてもらうわ」
「そうしてくれると嬉しい」

 返ってきたエルネストの声はどこか少し、嬉しそうだった。

***

 しばらくはお茶を飲みながら、どうでもいい話をしていた。今日の天気がいいとか、昨日見かけた猫の話とか、王都の屋敷の使用人の体調とか。
 思いついたことを何も考えずに話していた。

 エルネストと、時間も気にせずこんなにゆっくりと会話をするのはいつぶりになるかしら。
 護衛騎士としていつも気を張って忙しそうなエルネストと、二人の時間がなかった訳ではなかったけれど、あまり長い時間私に使ってもらうことも申し訳なくて、少しでも体を休めてもらいたくて、正直遠慮していた部分もあった。
 時間も立場も気にせずゆったりとした空間というのはあまり記憶にない。

 そういえば、1度だけ、エルネストが怪我の影響で寝込んだ時があったわね。

 目を覚ましてすぐに仕事に復帰しようとした彼に、傷が塞がるまでの自宅を出てくるな、と命令が言い渡されて、その間私たちはほとんど一緒にいた。
 手持ち無沙汰なのかじっと寝ていられない彼と庭に出てゆっくりと散歩をして、お茶をして、疲れて寝てしまった彼の重さを感じながら刺繍と編物をする。そんな時間が数日だけだったけれど、確かにあった。

 体を動かしたそうにしながらも、腕を組んで歩く私のことを振り払うことも出来なくて、ベッドの上に引きこもってはくれなかったけれど、無理はしなかったから怪我も早く治ったの。
 屋敷の皆も温かく見守ってくれて、心地のいい時間だったわ。

 今日用意されたお茶はハーブティー。
 癖がなく、飲みやすくて、少しだけリラックス効果があるもの。寝る前によく飲んでいる茶葉だった。

 過去に思いを馳せながら少し冷めたそれを、ゆっくりと嚥下する。

「ねぇ、エルネスト」
「なんだ?」
「そろそろ、王女様に会いたいんじゃない? 恋しくなってくる頃でしょう」
「昨日も、そんなような事を言ってたな」
「そうだったかしら?」

 だって、あなたの事はよく分かっているもの。
 あなたの夢を、奪いたいわけではないのよ。

「だって、エルネストは昔から王女様が大好きだったでしょう」
「そうか?」

 エルネストの不思議そうな声に思わず笑ってしまう。

「そうよ。王女様の話をするするあなたはいつもキラキラしていて眩しいくらいの笑顔で、誇らしそうで嬉しそうだったもの」
 そんな貴方を、好きになってしまっのだけど。

「そう、見えていたのか?」
「ええ、私、ずっと見ていたもの」

 あなたの事を、ずっと、追いかけていた。

「そう、だな。アリシアはずっと俺のそばにいた。今まで俺は、そんなことにも気づいてなかった。支えてくれていたのに」
「あなたの視線の先には何時だって王女様がいたもの。私はその後ろにいただけ。貴方を支えようと勝手に思って、勝手に後を追いかけ回していただけよ」

「それでも、俺は、アリシアがいたからここにいる。それは、本当のことだ。アリシアが隣にい てくれるのが普通のことだと思っていた。励ましも賞賛も必ずアリシアがしてくれること、それが当たり前なんかじゃなかったと。それにただ甘えて享受していただけなんだと、俺は思い知ったんだ」

 そんな、凄いことなんかしていないわ。
 私はただ、自己満足で、エルネストの傍にいただけ。それなのに、耐えきれなくなって逃げだしたなんて、どうしようもない。
 エルネストの語る私は何だかとても誇張されていてまるで聖女のようだけれど、私はそんな素晴らしい人間なんかじゃないから。

 隣から、カタリと音が聞こえて、地面を踏み締める気配がした。

「アリシア、顔が見たい。戻って来て、欲しいんだ。アリシアに、俺が会いたい」

 彼の声が、先程よりも近くで、真っ直ぐ飛んで聞こえてきた。
 エルネストにこんなことを言われたことなんて、あったかしら。考えても思い出すことはできない。
 私も、エルネストの顔が見たい。
 けれどやっぱり私は頷けなかった。

「エルネスト……」

 私が出来たのは、彼の名前を呼ぶことだけ。だって、どうすればいいのか分からないのだもの。私はもう、伸ばす手を失ってしまった。
 温めるように腹部に両手を置いて、ハンナがおかわりを淹れてくれたハーブティーの水面を見つめる。

「すぐに、とは言わない。アリシアが頷いてくれるまで、ここに来ることは許して欲しい」

 衣擦れの音がする。
 彼はまた、律儀にも跪いて頭でも下げているのでしょうね。垣根を挟んでいて、姿なんて見えないというのに。

「ねぇ、エルネストは明日も来るの?」
「アリシアが許してくれるのなら」

 間髪入れずに返ってきた言葉に、思わず少しだけ笑ってしまう。

「毎日押しかけるなんて非常識ですっ。私とアリシア様のお茶会なのにっ」

 隣には聞こえない程度の声量で目を釣り上げたハンナに「ごめんなさいね」と私も小声で返す。
 おそらくエルネストが居るであろう位置を見つめて、それならば、と思いついた我儘を口にすることにした。

「それなら、明日のプレゼントは街の入口にある洋菓子店のフィナンシェがいいわ。全部美味しいの。コーヒーとショコラのフレーバーは甘すぎないし、あなたにも食べて欲しいわ」

 私の言葉で一瞬で顔を輝かせたハンナに吹き出してしまいそうになる。
 あそこのフィナンシェは本当にとても美味しいものね。フレーバーの種類も多くてしかもハズレがない。王都に店を構えても行列が出来るわ。
店主はこの地を動く気は無いようだけど。

「分かった。必ず買ってくる」

 王都の屋敷では、エルネストの隣でフィナンシェを食べることはあまり無かった。
プチガトーが並べられた中に入っていたことはあるけれど、エルネストは甘いものがあまり好きではないから、2人の時は別のものを用意してもらっていたの。フィナンシェが好きな私のために、1人の時にはたくさん出してくれていたけれど。
 皆が用意してくれた王都の人気店の味にもここは負けていない。

 真面目な様子で了承したエルネストに、私も楽しみになって頬が緩んでしまった。
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