2番目の1番【完】

綾崎オトイ

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祝われることの無い誕生日

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「奥様、お誕生日おめでとうございます!」

 朝一番、起こしに来てくれた私付の侍女のハンナが笑顔で小さな花束を差し出してくれた。まだ10代の彼女の笑顔はとても眩しくて、照れながら渡してくれた明るい色の花束は彼女みたい。

「ありがとう、ハンナ! いい香りだわ」

「そんな小さな花束ですみません……。本当は抱えきれないくらいの大きなのを用意したかったんですけど……」

 申し訳なさそうに言うハンナに思わず笑ってしまう。その気持ちが嬉しいのだから大きさなんて気にしてくてもいいのに。

「そんなことないわ。朝起きてすぐ、一番にお祝いをもらえるなんてとっても嬉しい」

「喜んでもらえてよかったです。奥様、最近気分が優れないことが多かったから、香りが強くないものを選んでもらったんです」

 確かにあまり強い香りのものは最近苦手だったのだけど、この花束はすっきりとした香りでとてもいい匂い。そんなハンナの気遣いがすごく嬉しかった。

 その後ハンナに続いて入ってきた侍女たちが私を身支度をしてくれる。特に用事はないけれど、今日はいつもより少しだけ気合が入っている。髪も少し複雑にリボンと一緒に編み込んで、花の飾りをつけてくれた。

「ふふ、いつも素敵な奥様ですけど、今日はいつもよりもっともっと綺麗です。何て言っても、今日の主役は奥様ですからね!」
「今日の奥様は世界で一番です! 私たちもプレゼント用意しているんですよ。受け取ってくださいね」

 侍女たちが褒め称えてくれるのを少しだけくすぐったい気持ちで聞いて、一人一人にお礼を言う。今日は私の誕生日。この日は毎年使用人たちが盛大に私のことを祝ってくれる。息をつく暇もないくらい。

 夫であるエルネストと結婚してから3年。毎年欠かさず。

 一週間後にはこの国の第一王女様であるマリーアンジュ様の誕生日で国を挙げての生誕祭が開かれる。もちろん国全体お祭り騒ぎ。その前後は城への人の出入も増える。
 王女様に挨拶に来る他国の王族なんかも大勢いるからどうしても王女様の周りが騒がしくなる。
 もちろん王女様の護衛騎士でもあるエルネストはその期間すごく忙しい。常に出入する人間に注意を向けて、紛れる刺客や賊に目を向けなければいけない。
 真面目な彼はもちろん全力を尽くして職務を全うしているわ。全身全霊で王女様の護衛に当たっている。

 だから、彼は目の前のことに手一杯で私の誕生日なんてものは頭にないの。結婚してからもずっと。私は彼に誕生日を祝ってもらったことはない。遅れて祝ってくれるなんてことも、ない。

 でもそれを選んだのは私だから。王女様と誕生日が離れていたのなら、なんて考えたことはあるけど、こればっかりはもう運が悪いとしか言えないから。とっくに諦めはついてるの。
 その分こうして使用人のみんなが気を使ってお祝いしてくれるから、私はそれでも幸せだと思っているし。

 今日は着飾って綺麗にしてもらった私に会う人みんなが褒めてお祝いをいってくれて、食事は好きなものだけ、プレゼントも両手で抱えきれないくらいたくさんくれて、みんなで笑って踊って楽しむの。この日ばかりは一緒にご飯だって食べてマナーも何も考えずに踊って騒いで、疲れ果てて眠るの。

 だから悲しいなんて思わなかったの、一度も。
 今日も楽しい日が始まるわ。
 鏡の中の自分を見て頬を緩める私にハンナが声をかけてくる。

「今日は午前中にお医者さまがきてくれることになってます。念のため検査してもらって、その後は目一杯、お祝いさせていただきますからね!」

「ええ、そうね。少し体調が悪いだけだから大袈裟だと思うけど」

「そんなことありません! 奥様に何かあったら一大事ですから!」


_______________________________


「アリシア様、おめでとうございます」

 診察が終わって医師が告げた一言に、私は誕生日のお祝いの言葉をくれたのかと思った。
 不思議なタイミングで祝ってくれるのね、と不思議に思ったけれど「ありがとう、ございます?」と語尾をあげながら返してみる。

 そんなと惚けた様子の私に年配のお医者様は優しげに微笑んで。

「ご懐妊でございますよ」

 そう、言った。

「まあ! 奥様、おめでとうございます!」
「お誕生日に合わせてこちらもお祝いしなければ!」
「屋敷中に早く伝えてきて頂戴! お祝いよ! お祝いの準備はしていたけれど、足りないわ! もっと豪華に!」

 騒ぎ出す侍女たちの横で、私は遅れて思考がやってきた。

 懐妊……? つまり、私の、子供……?
 エルネストと、私の……。

「本当に……?」

「ええ、間違いありません。ですがまだ安心はできませんからな。もうしばらくは安静にしてください」

 特に変哲もないように見える腹部に手を置く。いつもと変わった様子はない。膨らみもないどころか、さいきん食欲が落ちたせいで少し痩せたくらい。
 何も感じないけれど、ここに命が宿っている。なんだか少しだけそこが暖かいような気がした。

 嬉しい。

 じわじわと優しい感情が湧いてくる。これは喜びだ。
 今すぐにエルネストに伝えたい。それが叶わないことが少しだけもどかしい。

 彼が帰ってきたら真っ先に伝えよう。きっと彼も喜んでくれる。喜んで、お腹を触ってくるだろうか、なんて考える。

 私の誕生日はいつも屋敷内が騒がしいけれど、今はいつもよりも騒がしい。でもそれも耳障りなんかじゃなくて、今までよりもとてもとってもいい誕生日。すごく素敵なプレゼントだわ。


 部屋の長椅子に腰掛けて侍女たちに代わる代わる世話を焼かれていると、彼が帰ってくる音が聞こえた。彼の乗る馬の蹄の音はもう覚えてしまったから、間違えることはない。
 侍女たちの制止も聞かずに、私は部屋をとびだした。

「エルネスト!」

 私の声に、エルネストが一瞬だけ視線を向けて、すぐに家令と家の騎士を呼び出した。

「あの、エスネスト! 聞いてほしい話が!」

「アリシア、すまない。話は落ち着いたらにしてほしい。……今話した通りだ。この家も狙われるかもしれない。十分に気をつけておいてくれ。俺も時間がないからもう出る」

 エルネストは口早にそう言って、すぐに使用人たちに指示を出し始めた。私のことはほとんど視界に入っていない。それでもこれだけは、と私はエルネストに手を伸ばした。

「お願い、エルネスト。少しだけ……」

「マリーアンジュ様が狙われてるんだ。帰ったら必ず聞く」

 言い終わる頃にはすでに馬に乗って小さくなっているところだった。こんなこと慣れているはずなのに、今日はなぜか痛い、と思った。

 エルネスト、と口の中で呟く。もちろん返事なんてあるはずもない。

 しばらくその場から動けなくて、いつまでそうしていたのかハンナが優しく肩を抱いてくれた。

「さ、奥様。お体に触りますわ。お部屋で暖かいハーブティを飲みましょう」

 あまり気を遣わせるのもよくないわ。暗くなり始めた気分を誤魔化すように微笑みを浮かべる。こんなことには慣れてるんだから。
 仕方ないの。私のことがどうでもいいとか、そう言うことじゃないの。王女様のことしか今の彼には頭にないから、だから全部落ち着いたら真剣に聞いてくれる。

 だから今は。せっかくの誕生日だもの。笑いましょう。
 だって真剣な顔をする彼のことがやっっぱり好きだから。

「そうね。私は大丈夫よ。きっと帰ってきたときに伝えたら驚くわよね」

「それはもちろんです! きっと腰を抜かしてしまいますわ!」

 ふん、と拳を作って見せるハンナに少しだけ心が軽くなる。ハンナにもらった花束だって部屋に飾ってもらったし、そうだ、プティングが食べたいからキッチンによっておねだりしてから行きましょう。
 苺味のとショコラ味のも作ってもらって三つとも食べたいわ。今日は特別な日だから笑った後にきっと三つとも作って出してくれる。

 ハンナに腕を支えてもらいながらゆっくりと歩き出したときだった。

 ねえ、ハンナ、と口に出そうとして、顔を向けたその先。光る何かが見えた。
 うちの騎士じゃない、使用人じゃない、知らない顔だ、と一瞬で思考が駆けた。ハンナの背後にいるのは確実に敵だ。

 その光がナイフの刃だと理解して、理解するよりも先に体が動いてしまっていた。
 ハンナの腕を引いて自分の立ち位置と入れ代わる。

「奥様っ!?」

 驚くハンナの声にニヤリと笑う知らない男の顔。動きがゆっくりに見えた。ああ、本当にこんな風に見えるのね、そんなふうに冷静に思考が働く。でも体はもう動かない。
 ハンナとの間に入ったままの勢いでナイフに向かっていく。

 きっとエルネストはいつもこんな世界にいて、王女様が今の私と同じ状況になったのならその身を呈して守ってるのね。

 脇腹を熱が掠めて、そのすぐ後に男が捕らえられたのが見えた。今度は間違いなく知っている顔、家の騎士だ。ハンナにも怪我はないみたい。

 よかった。

 最後の抵抗なのか騎士に抑えられる寸前男が投げたナイフは私の額に当たったらしい。目の前が赤く染まる。痛みはあまり感じないのに、冷静に思考は動いているのに、意識が遠のいていく。

「奥様!」
「アリシア様!」

 声が遠い。くぐもっていてよく聞こえない。視界もぼやけていて、なんだか水の中にいるような、そんな感じ。

 誰の声かよく聞こえなくてはっきりとわからないから。
 もしかしてエルネストの声かもしれない、なんて。夢でもいいから、彼がきてくれたなら。
 
 そう思いたかったのに。

 ああ、これはエルネストの声なんかじゃない。
 彼はこんなところにいるはずがないし、はっきりと聞こえなくたって間違えるはずもない。ぼやける視界に写る人影はどれもこれも彼じゃない。
 闇に飲まれる前、私にはわかってしまった。
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