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第五章 恋と友情の鎖
第二十二話 宇宙王子とお姫様
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視界の中で見知った女の子が倒れていく。
「…………っ芹香!」
ほんのコンマ数秒前に現実感を取り戻したばかりの身体に力を込めて、前のめりに傾いだ芹香を抱きとめた。腕にかかる重量で彼女が意識を失っているのを悟る。
固く目を閉じている芹香の青白い顔が、玲音の心に傷薬を吹きかけたみたいに沁みた。身体中を巡っている魔力は悪魔にとって大切なエネルギーであり、それをギリギリまで吸い取られればこうなるのが当たり前だ。
魔法に掛かっていた玲音には魔力吸収の加減ができなかった。掛かった魔法を解くために、手近で手に入る魔力を本能的に奪ってしまったのだ。
片手を伸ばして自分の鞄を取り、それを枕代わりにして芹香を床に寝かせた。死人のような顔色だが、胸が呼吸に合わせて上下している。しばらくすれば元気を取り戻すだろう。
(まさか誰とも知らない悪魔の魔法に掛かるとは……)
横たえた芹香を眺めながら、玲音は口の端に自嘲的な笑みを浮かべた。人間でもあるまいし、悪魔である自分が魔法に行動を支配されることになるとは焼きが回ったものだ。
「……ごめんな」
悲しげに目を細め、芹香に向かってそう言った。魔力を奪い苦しめたこと、そして芹香の心を傷つけたこと、どちらも謝りたい。
(芹香は俺を好きだったんだ……)
自分が迫った時の芹香の反応を思い出すといたたまれなくなり、胸が痛む。
大切な友人で、王子仲間。芹香が女子であることは頭で分かっていたが、あまりにも男性的な振る舞いが似合うためにすっかり忘れていた。
昔から近くにいた真愛には警戒できたというのに、男装して男友達のように振る舞う芹香には気を許してしまった。思慮が足りないばかりに芹香の気持ちに気づけず、結果として芹香を傷つけた。
(芹香にももっと注意を払うべきだった。真愛だけでなく、芹香にも)
幼い真愛に魔法をかけたように、可能性のある人間には手当たり次第魔法をかけておくべきだったのだ。自分に対して本気になる可能性の芽はすべて摘んでおくべきだったのだ。
「…………いや」
真面目にそう後悔したが、現実を思い出して頭を振った。
(それは無理だな)
手のひらに意識を集中すると、ぼんやりと青白い光を放ち始める。魔力のある証拠だ。
(短時間なら留めてられるが、そう長くはもたない)
今しがた吸い取ったばかりだから魔力が留まっているだけだ。この場ですぐ魔法を使うことならできそうだが、そうでなければ無理だ。
最後に魔法を使ったのはもう随分昔のことになる。その時から徐々に弱っていたとすれば、芹香と出会った昨年にはもう魔力をほとんど持っていなかっただろう。
(人間としての生活に慣れすぎたな。ここまで弱っているのに気づかないとは)
魔力を生み出せない、蓄積できない。一方で、他の悪魔から奪う力は健在だ。
「…………悪魔から奪う?」
悪魔としての自分についての思考を切り上げ、玲音は目の前の友人の顔を見つめた。妙な胸騒ぎとともに湧き上がる疑問。
――芹香は何者だ?
一つの可能性に顔を強張らせて玲音は立ち上がり、素早く目を閉じた。意識を集中させて同族を探る。
(校内に二人、か。芹香じゃない。反応は空き教室と放送室だ。一人は真愛が連れてる悪魔だな)
一週間ほど口をきいてない幼馴染の顔を思い出し、熱いような冷たいような不快な気持ちがこみ上げてくる。苛立ちの矛先は主に自分だった。
自分より他の悪魔の方を信じた真愛に対して思うところはあるが、それは他人を受け入れる真愛の長所なのだから仕方がない。問題なのはこうまでも真愛を守りたいと思っている自分の心だ。
真愛への特別な想いが時の流れに乗って次第に大きく強くなっていくのを玲音は心の奥で気付いていた。それを認めまいと頑なに否定し続けていたが、優が真愛と付き合うと考えた時に限界を迎えた。理性ではもう抑えきれなくなった。好きにならないようにとする努力さえ、溢れる想いに飲みこまれて、もうどうしようもない。
充分に動揺していた玲音に止めを刺したのが、フィードの行為だった。
(真愛は俺が守るはずだったのに……!)
守るはずだった真愛は、別の悪魔に守られてしまった。忌々しいことにその悪魔は現在、真愛の家に住みついている。
――こんな気持ちになりたくなかった。
真愛のことは好きだ。でも、自分の中で特別にするつもりはなかった。だというのに、あの自分の贈ったクマのぬいぐるみが妬ましくてしょうがない。
大好きな真愛への燃える想いと気持ちを押さえられない自分への失望が玲音の心で複雑に絡まり合い、身動きを取れなくさせた。結果として玲音は真愛と距離を置かざるを得なくなった。近くにいれば苦しくなり、理性的な判断が出来なくなって真愛を傷つけてしまいそうで怖い。
脳内を真愛で埋め尽くした玲音を現実へと引き戻したのは、小さなうめき声だった。
「……っん」
「芹香!」
声に素早く反応し、床に膝を付いて玲音は芹香の顔を覗き込んだ。
(今は真愛よりも芹香だ)
弱々しくまぶたを震わせ、茶色い瞳が玲音を映す。まだいつもより血色が悪いが、さっきよりもマシだ。
「……れ……ぉ……」
「いい、まだ喋るな」
「い……かな、きゃ」
「大人しくしてろって!」
苦しげに顔を歪めて身体を起こそうとする芹香に、彼女の肩を押し返しながら玲音は強い口調でそう言った。
苦しそうな顔のまま芹香は首を振る。
「は、や……く」
「早く?」
「と……めない、と」
「止める? なにをだ?」
芹香への制止を中断し、吐息で聞き取りにくくなっている言葉に耳を傾けた。
「ま、ほう」
「ッ! 芹香……お前」
この一件が魔法だと知っている?
芹香に悪魔の反応は見られない。どんな成り行きで魔力を有することになったのかは分からないが、彼女は間違いなく人間だ。
(真愛がなにか話した? ……いや、千葉さんに憑いてた悪魔のことがなければ俺にだって黙ってたはずの真愛が、そう他人に話すはずがない。あの悪魔もそれを許しはしないだろう。芹香に魔力を与えた者が話したと考えるのが自然か)
目を丸くしたまま固まってしまった玲音に、芹香は苦笑した。
笑み膨らんだ頬には微かに赤みが戻っている。
「そ、の顔はし……ってる、って……顔だ。……っぱり、れ……おんは、あ……くまなんだ、ね」
絞り出すような声だというのにそのトーンは明るい。
(やはり悪魔の存在も知っている、と)
上体を起こし床に手をついて立ち上がろうとする芹香だが、腕に力が入らないらしく何度もカクンカクンと床に崩れ落ちそうになっている。
「そんな必死になって、どうしてそうまでして魔法を止めたい?」
背中に腕を回して芹香を支えてやる。その瞬間わずかだが芹香の肩が震えた。
一度黙り込んだ芹香は、何かを考える様にまばたきを三回した後、重い口を開いた。芹香の顔に暗い影が落ちる。
「うちの、せい、だから。……れ、おん、がおかしくなったの……うちのせいだから」
影の差す芹香の顔を見ながら、玲音は重ねて問いかける。
「芹香が魔法を掛けたのか?」
「掛け、たのは、うちじゃ、ない」
弱く首を振った後、なんとか立ち上がった芹香は言葉を続けた。
「けど、掛けら、れる場所、を……貸し、たのはうち、だ」
立った芹香の足取りはおぼつかない。何度か左右に傾ぎながら机にたどり着き、鞄を手に取る。
それを見ていた玲音が無言で近づき、芹香の手から鞄を取り上げた。
「無理するな」
まさか玲音に奪われると思っていなかった芹香は呆気に取られて、手持ちぶたさに玲音の様子を伺う。
芹香の困惑を気に留めず、鞄を肩にかけた後自分の鞄を床から拾い上げた。
「魔法を止めに行くんだろ?」
「え……」
重たげに半分だけ開かれていた芹香の瞳が丸くなる。
「俺も行く」
芹香一人で行かせるつもりはない。
(相手は悪魔だ。芹香一人でどうにかできる相手じゃない)
「で、でも……」
「芹香の言うとおり、俺は悪魔だ。その俺が、やられっぱなしで黙っていると思うのか?」
「っ!」
「行こう、けりをつけに」
鞄を二つ提げた玲音はドアの出入り口に立ち芹香を待った。
フラつく身体を引きずるようにして芹香は歩く。傍目に見れば反射的に駆け寄る程に足取りは危うい。
――けれど玲音は支えなかった。自分には支える資格などなかったことに、気付いてしまったから。
「…………っ芹香!」
ほんのコンマ数秒前に現実感を取り戻したばかりの身体に力を込めて、前のめりに傾いだ芹香を抱きとめた。腕にかかる重量で彼女が意識を失っているのを悟る。
固く目を閉じている芹香の青白い顔が、玲音の心に傷薬を吹きかけたみたいに沁みた。身体中を巡っている魔力は悪魔にとって大切なエネルギーであり、それをギリギリまで吸い取られればこうなるのが当たり前だ。
魔法に掛かっていた玲音には魔力吸収の加減ができなかった。掛かった魔法を解くために、手近で手に入る魔力を本能的に奪ってしまったのだ。
片手を伸ばして自分の鞄を取り、それを枕代わりにして芹香を床に寝かせた。死人のような顔色だが、胸が呼吸に合わせて上下している。しばらくすれば元気を取り戻すだろう。
(まさか誰とも知らない悪魔の魔法に掛かるとは……)
横たえた芹香を眺めながら、玲音は口の端に自嘲的な笑みを浮かべた。人間でもあるまいし、悪魔である自分が魔法に行動を支配されることになるとは焼きが回ったものだ。
「……ごめんな」
悲しげに目を細め、芹香に向かってそう言った。魔力を奪い苦しめたこと、そして芹香の心を傷つけたこと、どちらも謝りたい。
(芹香は俺を好きだったんだ……)
自分が迫った時の芹香の反応を思い出すといたたまれなくなり、胸が痛む。
大切な友人で、王子仲間。芹香が女子であることは頭で分かっていたが、あまりにも男性的な振る舞いが似合うためにすっかり忘れていた。
昔から近くにいた真愛には警戒できたというのに、男装して男友達のように振る舞う芹香には気を許してしまった。思慮が足りないばかりに芹香の気持ちに気づけず、結果として芹香を傷つけた。
(芹香にももっと注意を払うべきだった。真愛だけでなく、芹香にも)
幼い真愛に魔法をかけたように、可能性のある人間には手当たり次第魔法をかけておくべきだったのだ。自分に対して本気になる可能性の芽はすべて摘んでおくべきだったのだ。
「…………いや」
真面目にそう後悔したが、現実を思い出して頭を振った。
(それは無理だな)
手のひらに意識を集中すると、ぼんやりと青白い光を放ち始める。魔力のある証拠だ。
(短時間なら留めてられるが、そう長くはもたない)
今しがた吸い取ったばかりだから魔力が留まっているだけだ。この場ですぐ魔法を使うことならできそうだが、そうでなければ無理だ。
最後に魔法を使ったのはもう随分昔のことになる。その時から徐々に弱っていたとすれば、芹香と出会った昨年にはもう魔力をほとんど持っていなかっただろう。
(人間としての生活に慣れすぎたな。ここまで弱っているのに気づかないとは)
魔力を生み出せない、蓄積できない。一方で、他の悪魔から奪う力は健在だ。
「…………悪魔から奪う?」
悪魔としての自分についての思考を切り上げ、玲音は目の前の友人の顔を見つめた。妙な胸騒ぎとともに湧き上がる疑問。
――芹香は何者だ?
一つの可能性に顔を強張らせて玲音は立ち上がり、素早く目を閉じた。意識を集中させて同族を探る。
(校内に二人、か。芹香じゃない。反応は空き教室と放送室だ。一人は真愛が連れてる悪魔だな)
一週間ほど口をきいてない幼馴染の顔を思い出し、熱いような冷たいような不快な気持ちがこみ上げてくる。苛立ちの矛先は主に自分だった。
自分より他の悪魔の方を信じた真愛に対して思うところはあるが、それは他人を受け入れる真愛の長所なのだから仕方がない。問題なのはこうまでも真愛を守りたいと思っている自分の心だ。
真愛への特別な想いが時の流れに乗って次第に大きく強くなっていくのを玲音は心の奥で気付いていた。それを認めまいと頑なに否定し続けていたが、優が真愛と付き合うと考えた時に限界を迎えた。理性ではもう抑えきれなくなった。好きにならないようにとする努力さえ、溢れる想いに飲みこまれて、もうどうしようもない。
充分に動揺していた玲音に止めを刺したのが、フィードの行為だった。
(真愛は俺が守るはずだったのに……!)
守るはずだった真愛は、別の悪魔に守られてしまった。忌々しいことにその悪魔は現在、真愛の家に住みついている。
――こんな気持ちになりたくなかった。
真愛のことは好きだ。でも、自分の中で特別にするつもりはなかった。だというのに、あの自分の贈ったクマのぬいぐるみが妬ましくてしょうがない。
大好きな真愛への燃える想いと気持ちを押さえられない自分への失望が玲音の心で複雑に絡まり合い、身動きを取れなくさせた。結果として玲音は真愛と距離を置かざるを得なくなった。近くにいれば苦しくなり、理性的な判断が出来なくなって真愛を傷つけてしまいそうで怖い。
脳内を真愛で埋め尽くした玲音を現実へと引き戻したのは、小さなうめき声だった。
「……っん」
「芹香!」
声に素早く反応し、床に膝を付いて玲音は芹香の顔を覗き込んだ。
(今は真愛よりも芹香だ)
弱々しくまぶたを震わせ、茶色い瞳が玲音を映す。まだいつもより血色が悪いが、さっきよりもマシだ。
「……れ……ぉ……」
「いい、まだ喋るな」
「い……かな、きゃ」
「大人しくしてろって!」
苦しげに顔を歪めて身体を起こそうとする芹香に、彼女の肩を押し返しながら玲音は強い口調でそう言った。
苦しそうな顔のまま芹香は首を振る。
「は、や……く」
「早く?」
「と……めない、と」
「止める? なにをだ?」
芹香への制止を中断し、吐息で聞き取りにくくなっている言葉に耳を傾けた。
「ま、ほう」
「ッ! 芹香……お前」
この一件が魔法だと知っている?
芹香に悪魔の反応は見られない。どんな成り行きで魔力を有することになったのかは分からないが、彼女は間違いなく人間だ。
(真愛がなにか話した? ……いや、千葉さんに憑いてた悪魔のことがなければ俺にだって黙ってたはずの真愛が、そう他人に話すはずがない。あの悪魔もそれを許しはしないだろう。芹香に魔力を与えた者が話したと考えるのが自然か)
目を丸くしたまま固まってしまった玲音に、芹香は苦笑した。
笑み膨らんだ頬には微かに赤みが戻っている。
「そ、の顔はし……ってる、って……顔だ。……っぱり、れ……おんは、あ……くまなんだ、ね」
絞り出すような声だというのにそのトーンは明るい。
(やはり悪魔の存在も知っている、と)
上体を起こし床に手をついて立ち上がろうとする芹香だが、腕に力が入らないらしく何度もカクンカクンと床に崩れ落ちそうになっている。
「そんな必死になって、どうしてそうまでして魔法を止めたい?」
背中に腕を回して芹香を支えてやる。その瞬間わずかだが芹香の肩が震えた。
一度黙り込んだ芹香は、何かを考える様にまばたきを三回した後、重い口を開いた。芹香の顔に暗い影が落ちる。
「うちの、せい、だから。……れ、おん、がおかしくなったの……うちのせいだから」
影の差す芹香の顔を見ながら、玲音は重ねて問いかける。
「芹香が魔法を掛けたのか?」
「掛け、たのは、うちじゃ、ない」
弱く首を振った後、なんとか立ち上がった芹香は言葉を続けた。
「けど、掛けら、れる場所、を……貸し、たのはうち、だ」
立った芹香の足取りはおぼつかない。何度か左右に傾ぎながら机にたどり着き、鞄を手に取る。
それを見ていた玲音が無言で近づき、芹香の手から鞄を取り上げた。
「無理するな」
まさか玲音に奪われると思っていなかった芹香は呆気に取られて、手持ちぶたさに玲音の様子を伺う。
芹香の困惑を気に留めず、鞄を肩にかけた後自分の鞄を床から拾い上げた。
「魔法を止めに行くんだろ?」
「え……」
重たげに半分だけ開かれていた芹香の瞳が丸くなる。
「俺も行く」
芹香一人で行かせるつもりはない。
(相手は悪魔だ。芹香一人でどうにかできる相手じゃない)
「で、でも……」
「芹香の言うとおり、俺は悪魔だ。その俺が、やられっぱなしで黙っていると思うのか?」
「っ!」
「行こう、けりをつけに」
鞄を二つ提げた玲音はドアの出入り口に立ち芹香を待った。
フラつく身体を引きずるようにして芹香は歩く。傍目に見れば反射的に駆け寄る程に足取りは危うい。
――けれど玲音は支えなかった。自分には支える資格などなかったことに、気付いてしまったから。
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