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第73話
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アナスタシア王女が連れ出された中庭は、静けさに包まれていた。
いっそ少し落ち着かないような、そんな静かさのように感じてしまうのは、彼女の一挙一動にはどうにも怖さが勝ってしまう瞬間があるせいなんだろうなあ。
どれだけ言い繕ったって誤魔化そうとしたって、小さな頃に崖から突き落とされたあの瞬間に見た姉さんは、どうしようもない恐怖の象徴だったんだ。
例えいま、彼女に対してどういう感情でいて、その感情を強めていたとしても。
「王妃殿下」
ややあってから口を開いたのはリュシアン王子だった。
リュシアン王子はシルヴェール王妃を見て、けれどもちらりと連れ出されたアナスタシア王女が消えた方向を見ると、意を決したように言った。
「王妃殿下は、この為に皆をこの場に揃えたのですか……?」
それは私とカノンが考え、おそらくはテオたちも気付いていた事だ。
リュシアン王子が言葉にしたことで共通認識だったと理解し言葉を待つと、シルヴェール王妃は柔和な表情のまま紅茶に口つけた。
「この為、だけではないわ。可愛らしいお客様たちとお話したいとは思っていたし、テオドールともゆっくりとした時間を過ごしたいとは思っていたもの」
「……それは、つまり俺は……」
言いにくそうに呟くリュシアン王子に、シルヴェール王妃殿下は僅かに眉を下げて微笑んだ。
「そうね、それを否定はするつもりはないわ」
そうはっきりと告げられた瞬間、リュシアン王子の表情が歪む。
憤りとも悲しみとも言い難い表情を浮かべたリュシアン王子に声を掛けたのは、口を開こうとしたシルヴェール王妃殿下ではなく、私の隣で呑気に紅茶を飲むカノンだった。
「だが、今を逃せばお前には猶予さえもなかったよ」
のんびりと、間延びしたように言うカノンに、リュシアン王子は途端に怪訝そうな顔にその表情を変えた。
「猶予……?」
「あの小娘の影響としても許されざる所までお前は踏み込み掛けていた。まあ、そうじゃなくてもこのままじゃヒトとして終わりかけてたからな。王妃殿下の機転に感謝すると良いよ」
「幻獣である貴様に何がわかると……――」
カノンに対して語気を強めたリュシアン王子だったけど、勢いはすぐに萎んだ。その理由はわからないけれど、何か思うことがあったのかもしれない。
ただ、しばらく押し黙ったリュシアン王子は、再度中庭の入口の方に目をやると、
「シアは……アナスタシア王女は、どうなるのですか?」
小さな呟きに答えはない。
カノンはそのつぶやきが聞こえた瞬間、リュシアン王子を理解出来ないと言わんばかりに見たし、テオも怪訝そうに眉を顰め、シルヴェール王妃殿下は素知らぬ風で紅茶を飲んでいたから。
もちろんこの場で発言が許されるような立場にはないアルノーさんも、ティートさんもラスカも黙ったままだ。
そうしてじっと答えを待っていると、
「リュシアン。お前はさっきまでのアナスタシア王女の振る舞いを見てもなお、彼女を案ずるのか?」
テオが何度か躊躇った様子を見せながらも、眉を寄せたままリュシアン王子に問い掛けた。
リュシアン王子はテオを見上げ、
「……兄上には理解ができないでしょうね」
「……ああ。理解出来ない。あんな、嘘に塗れた者を変わりなく想うなど」
「変わりなくではきっとありませんが、嘘に塗れていようが構わなかったんです」
自嘲するようにリュシアン王子は言う。
テオはそんなリュシアン王子を、心底わからないと言わんばかしの表情でじっと見ていた。
私はそんな彼らを見て、一度シルヴェール王妃を見てからそっと口を開く。
「嘘を吐かれていると、お気づきだったんですか?」
静かな問いに、リュシアン王子は私を見た。
少しだけ意外そうに、けれどもすぐに目を伏せて。
「……どう、だろうな。気付いていても、考えようと思わなかったのならば気付いていないと同じのような気はするが」
「ですが、リュシアン王子殿下がどれだけアナスタシア王女を思われようとも、彼女の心は……」
「――知っている」
それは悲しいほどにはっきりと、そしてしっかりとした声音だった。
視線の先で、リュシアン王子が淡く微笑む。
「だが、アナスタシア王女だけだったんだ。的外れでも、俺を理解しようとしてくれたのは」
その言葉に、私は何も言えなくなる。
言い逃れができないほどにアナスタシア王女が、姉さんが、今ここで生きている日々を物語をなぞらえたものと認識しているとしても。彼女にとって物語に過ぎず、通過点という認識しかしていなかったとしても。
それでも彼女の演じるような言動に、リュシアン王子は救われていたのだから。
いっそ少し落ち着かないような、そんな静かさのように感じてしまうのは、彼女の一挙一動にはどうにも怖さが勝ってしまう瞬間があるせいなんだろうなあ。
どれだけ言い繕ったって誤魔化そうとしたって、小さな頃に崖から突き落とされたあの瞬間に見た姉さんは、どうしようもない恐怖の象徴だったんだ。
例えいま、彼女に対してどういう感情でいて、その感情を強めていたとしても。
「王妃殿下」
ややあってから口を開いたのはリュシアン王子だった。
リュシアン王子はシルヴェール王妃を見て、けれどもちらりと連れ出されたアナスタシア王女が消えた方向を見ると、意を決したように言った。
「王妃殿下は、この為に皆をこの場に揃えたのですか……?」
それは私とカノンが考え、おそらくはテオたちも気付いていた事だ。
リュシアン王子が言葉にしたことで共通認識だったと理解し言葉を待つと、シルヴェール王妃は柔和な表情のまま紅茶に口つけた。
「この為、だけではないわ。可愛らしいお客様たちとお話したいとは思っていたし、テオドールともゆっくりとした時間を過ごしたいとは思っていたもの」
「……それは、つまり俺は……」
言いにくそうに呟くリュシアン王子に、シルヴェール王妃殿下は僅かに眉を下げて微笑んだ。
「そうね、それを否定はするつもりはないわ」
そうはっきりと告げられた瞬間、リュシアン王子の表情が歪む。
憤りとも悲しみとも言い難い表情を浮かべたリュシアン王子に声を掛けたのは、口を開こうとしたシルヴェール王妃殿下ではなく、私の隣で呑気に紅茶を飲むカノンだった。
「だが、今を逃せばお前には猶予さえもなかったよ」
のんびりと、間延びしたように言うカノンに、リュシアン王子は途端に怪訝そうな顔にその表情を変えた。
「猶予……?」
「あの小娘の影響としても許されざる所までお前は踏み込み掛けていた。まあ、そうじゃなくてもこのままじゃヒトとして終わりかけてたからな。王妃殿下の機転に感謝すると良いよ」
「幻獣である貴様に何がわかると……――」
カノンに対して語気を強めたリュシアン王子だったけど、勢いはすぐに萎んだ。その理由はわからないけれど、何か思うことがあったのかもしれない。
ただ、しばらく押し黙ったリュシアン王子は、再度中庭の入口の方に目をやると、
「シアは……アナスタシア王女は、どうなるのですか?」
小さな呟きに答えはない。
カノンはそのつぶやきが聞こえた瞬間、リュシアン王子を理解出来ないと言わんばかりに見たし、テオも怪訝そうに眉を顰め、シルヴェール王妃殿下は素知らぬ風で紅茶を飲んでいたから。
もちろんこの場で発言が許されるような立場にはないアルノーさんも、ティートさんもラスカも黙ったままだ。
そうしてじっと答えを待っていると、
「リュシアン。お前はさっきまでのアナスタシア王女の振る舞いを見てもなお、彼女を案ずるのか?」
テオが何度か躊躇った様子を見せながらも、眉を寄せたままリュシアン王子に問い掛けた。
リュシアン王子はテオを見上げ、
「……兄上には理解ができないでしょうね」
「……ああ。理解出来ない。あんな、嘘に塗れた者を変わりなく想うなど」
「変わりなくではきっとありませんが、嘘に塗れていようが構わなかったんです」
自嘲するようにリュシアン王子は言う。
テオはそんなリュシアン王子を、心底わからないと言わんばかしの表情でじっと見ていた。
私はそんな彼らを見て、一度シルヴェール王妃を見てからそっと口を開く。
「嘘を吐かれていると、お気づきだったんですか?」
静かな問いに、リュシアン王子は私を見た。
少しだけ意外そうに、けれどもすぐに目を伏せて。
「……どう、だろうな。気付いていても、考えようと思わなかったのならば気付いていないと同じのような気はするが」
「ですが、リュシアン王子殿下がどれだけアナスタシア王女を思われようとも、彼女の心は……」
「――知っている」
それは悲しいほどにはっきりと、そしてしっかりとした声音だった。
視線の先で、リュシアン王子が淡く微笑む。
「だが、アナスタシア王女だけだったんだ。的外れでも、俺を理解しようとしてくれたのは」
その言葉に、私は何も言えなくなる。
言い逃れができないほどにアナスタシア王女が、姉さんが、今ここで生きている日々を物語をなぞらえたものと認識しているとしても。彼女にとって物語に過ぎず、通過点という認識しかしていなかったとしても。
それでも彼女の演じるような言動に、リュシアン王子は救われていたのだから。
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