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第59話
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ティートさんに部屋まで送り届けられた私は、テオとアルノーさんのところに戻りがてらお茶の手配をしておく、とって背を向けた彼を見送り、しばらくは室内でのんびりと過ごせる――筈だった。
「…………嘘でしょ」
「ンキュ……」
目の前にあるのは早速運ばれてきた紅茶とお菓子の乗った配膳台。
それ、というよりも真新しいカップと紅茶の注がれたポットをじっと見下ろしながら、私は呆然と言葉を零し、肩口に乗ったリフがげんなりと鳴き声を上げた。
どうしてなのか、と聞かれれば答えは単純明快だ。
「はてさて、俺の留守中にリリィは随分と敵を作ったようで」
と、くすくすと笑みを零しながら言ったのはつい先程、窓から帰ってきたカノン。
ベッドの縁に腰掛けて至極面白そうに笑う彼を、私はジトりと半目で睨み、
「敵を作ったつもり、ないんだけど?」
「知ってる。リリィはそんなある種器用な人間、ってわけじゃないしな」
に、っとからかうようにカノンは目を細める。
刹那、怒ったように頭突きをしようと突撃したリフを難なく受け止め、宥めるように撫でてやりながら彼は言った。
「きっとこれは、あの勘違いも甚だしい小娘の仕業でもない。とすれば、お前に聞いた限りでの残りの可能性は一つだけ」
「…………」
「まあ、じゃなきゃこんな事をする必要もないわけだが」
その口調は常と変わりない。けれども言葉の節々から怒りが滲んでいるように感じるのは、勘違いというわけじゃないだろう。
私は小さく嘆息して、カノンから視線を配膳台の上へと戻す。
そうして今度は深く深く息を吐いた。
「だとしても、毒を盛られる謂れはないんだけど」
言葉にするとドッと疲労感が襲ってくる。
このまだ運び込まれたばかりの配膳台に乗ったカップと紅茶に毒が仕込まれている、だなんて……気付いてしまったらなにも思わないし考えないってのは土台無理って話よね。
そもそも毒が仕込まれていると気付いたのはリフだった。
鋭敏な感覚でもってリフは、見慣れぬメイドによって部屋の前まで運ばれ、私が引き受けた配膳台を室内に入れた瞬間からそのことに気付いたらしい。
もっとも、私は突然キュイキュイと騒ぎ始めたリフに混乱しきりで、開けっ放しだった窓から軽やかに侵入するようにしてカノンが戻ってくるまで何を訴えていたのかわからなかったんだけど。
まあ、戻ってそうそうに毒が仕込まれているんだ、とリフに騒がれたカノンの心的疲労やいなや、って感じだけど、それはそれとして。
とにかくカノンが改めて確認したところ、毒が仕込まれていたのは事実だったらしい。
ただしその毒量は決して多くなく、致死量だなんてことはないとのことだけど、それでも毒であることは変わりなくて、仕込まれていたのもまた事実である状況で、カノンは怒りを押し隠した満面の笑顔で私に何があったのかを尋ねたのであった。……言うまでもなくカノンがあらわにした怒りは私とリフに向けたものではなかったんだけど、リフが酷く怯えたのは言うまでもない。
そうして今朝からの出来事を洗いざらいカノンに話すと、キュイキュイと訴えるリフの言葉も聞いた上で、彼は断言した。
「クスィオン・マレディは間違いなく黒だ。首謀者かどうかは別としても、他の協力者に指示出来る立場にはあることもまた事実だろうな」
どかりとベッドに腰掛けて言い放ったカノンに、私は首を傾げて問いかける。
「そう断言した理由は、リフの言葉?」
「それもあるにはあるが、ことリフがクスィオンという男に関して教えてくれたのは、要約するとおかしいって事実だけだよ。後はラスカが語ってたことを裏付けるような事だけ。むしろ断言するに至った理由は、リリィ、お前が抱いた感覚の方だよ」
「私?」
「怖い、と感じたんだろう? ただの人間にしか見えない相手に、恐怖を抱いた。これが普通の人間の子供ならわからなくもないが……リリィは違う。だってお前は成竜と向き合った事があるんだから。クスィオンが何者であろうとも、竜以上に畏れを抱くような存在はそうそういないだろ」
それはまあ、確かにそうなんだろう、と思う。
何度だって繰り返すけど、竜は神聖なるモノだ。
故にそれと真正面から相対すれば圧倒的な差を突きつけられて、多くはその恐怖から抜け出せずに一切動けない。
そしてカノンの言葉通り、私もそうした経験――竜と向き合うという経験をしたことがあった。
息苦しい程の圧と共に突きつけられる力量差に、指先どころか瞬きだって出来なかったあの瞬間を、決して忘れることなんてない。
だからこそ、クスィオンという人物に恐れたという事実は、きっと本当ならおかしいのだろう。
それに、とカノンはややあってから言葉を続けた。
「毒の仕込みがあまりにも迅速だ。幻獣と竜の感覚を欺くようなモノじゃないにせよ、普通の人間相手ならじわじわ追い詰めることは可能だっただろう代物を、多くの侍従の目を掻い潜って混ぜて運ばせるなんて出来るもんじゃない。……一人や二人じゃないだろうなあ」
何が、だなんて言われなくてもわかる。
でもそれを口にする気にはなれなくて、私はこの短時間で三回目の溜息を吐いたのであった。
「…………嘘でしょ」
「ンキュ……」
目の前にあるのは早速運ばれてきた紅茶とお菓子の乗った配膳台。
それ、というよりも真新しいカップと紅茶の注がれたポットをじっと見下ろしながら、私は呆然と言葉を零し、肩口に乗ったリフがげんなりと鳴き声を上げた。
どうしてなのか、と聞かれれば答えは単純明快だ。
「はてさて、俺の留守中にリリィは随分と敵を作ったようで」
と、くすくすと笑みを零しながら言ったのはつい先程、窓から帰ってきたカノン。
ベッドの縁に腰掛けて至極面白そうに笑う彼を、私はジトりと半目で睨み、
「敵を作ったつもり、ないんだけど?」
「知ってる。リリィはそんなある種器用な人間、ってわけじゃないしな」
に、っとからかうようにカノンは目を細める。
刹那、怒ったように頭突きをしようと突撃したリフを難なく受け止め、宥めるように撫でてやりながら彼は言った。
「きっとこれは、あの勘違いも甚だしい小娘の仕業でもない。とすれば、お前に聞いた限りでの残りの可能性は一つだけ」
「…………」
「まあ、じゃなきゃこんな事をする必要もないわけだが」
その口調は常と変わりない。けれども言葉の節々から怒りが滲んでいるように感じるのは、勘違いというわけじゃないだろう。
私は小さく嘆息して、カノンから視線を配膳台の上へと戻す。
そうして今度は深く深く息を吐いた。
「だとしても、毒を盛られる謂れはないんだけど」
言葉にするとドッと疲労感が襲ってくる。
このまだ運び込まれたばかりの配膳台に乗ったカップと紅茶に毒が仕込まれている、だなんて……気付いてしまったらなにも思わないし考えないってのは土台無理って話よね。
そもそも毒が仕込まれていると気付いたのはリフだった。
鋭敏な感覚でもってリフは、見慣れぬメイドによって部屋の前まで運ばれ、私が引き受けた配膳台を室内に入れた瞬間からそのことに気付いたらしい。
もっとも、私は突然キュイキュイと騒ぎ始めたリフに混乱しきりで、開けっ放しだった窓から軽やかに侵入するようにしてカノンが戻ってくるまで何を訴えていたのかわからなかったんだけど。
まあ、戻ってそうそうに毒が仕込まれているんだ、とリフに騒がれたカノンの心的疲労やいなや、って感じだけど、それはそれとして。
とにかくカノンが改めて確認したところ、毒が仕込まれていたのは事実だったらしい。
ただしその毒量は決して多くなく、致死量だなんてことはないとのことだけど、それでも毒であることは変わりなくて、仕込まれていたのもまた事実である状況で、カノンは怒りを押し隠した満面の笑顔で私に何があったのかを尋ねたのであった。……言うまでもなくカノンがあらわにした怒りは私とリフに向けたものではなかったんだけど、リフが酷く怯えたのは言うまでもない。
そうして今朝からの出来事を洗いざらいカノンに話すと、キュイキュイと訴えるリフの言葉も聞いた上で、彼は断言した。
「クスィオン・マレディは間違いなく黒だ。首謀者かどうかは別としても、他の協力者に指示出来る立場にはあることもまた事実だろうな」
どかりとベッドに腰掛けて言い放ったカノンに、私は首を傾げて問いかける。
「そう断言した理由は、リフの言葉?」
「それもあるにはあるが、ことリフがクスィオンという男に関して教えてくれたのは、要約するとおかしいって事実だけだよ。後はラスカが語ってたことを裏付けるような事だけ。むしろ断言するに至った理由は、リリィ、お前が抱いた感覚の方だよ」
「私?」
「怖い、と感じたんだろう? ただの人間にしか見えない相手に、恐怖を抱いた。これが普通の人間の子供ならわからなくもないが……リリィは違う。だってお前は成竜と向き合った事があるんだから。クスィオンが何者であろうとも、竜以上に畏れを抱くような存在はそうそういないだろ」
それはまあ、確かにそうなんだろう、と思う。
何度だって繰り返すけど、竜は神聖なるモノだ。
故にそれと真正面から相対すれば圧倒的な差を突きつけられて、多くはその恐怖から抜け出せずに一切動けない。
そしてカノンの言葉通り、私もそうした経験――竜と向き合うという経験をしたことがあった。
息苦しい程の圧と共に突きつけられる力量差に、指先どころか瞬きだって出来なかったあの瞬間を、決して忘れることなんてない。
だからこそ、クスィオンという人物に恐れたという事実は、きっと本当ならおかしいのだろう。
それに、とカノンはややあってから言葉を続けた。
「毒の仕込みがあまりにも迅速だ。幻獣と竜の感覚を欺くようなモノじゃないにせよ、普通の人間相手ならじわじわ追い詰めることは可能だっただろう代物を、多くの侍従の目を掻い潜って混ぜて運ばせるなんて出来るもんじゃない。……一人や二人じゃないだろうなあ」
何が、だなんて言われなくてもわかる。
でもそれを口にする気にはなれなくて、私はこの短時間で三回目の溜息を吐いたのであった。
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