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第54話
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クスィオン・マレディ。
その名前を出したラスカは、その人を天狼の感覚で匂いがしなさすぎると言った。
それは決して私には分かるはずもない感覚で、つまりは彼女以外ではカノンしかわからないであろうものだ。
それは、今だって変わらない。
私にはクスィオンから感じる匂いなんてわからない。
でも、だけど。
「(どうしてだろう、怖い)」
漠然と、ただただ漠然とそんな感覚があった。
肩口で顔を覗かせていた筈のリフもまた同じなのか、怯えたようにか細く小さな鳴き声を上げて隠れてしまっている。
竜であるリフは私以上に気付き、察している事は多いだろう。
けどそんな優れた五感も、冴え渡るような第六感を持っているとも思えない私でも、クスィオンと呼ばれた男性のことがどうしても怖いと思う。
「どうかしたのか?」
でもテオはクスィオンさんにそうした反応を見せることなく、ごく普通に接していた。
まるで私が怖いと感じている事が異様なように。
それでも拭えない恐怖に、クスィオンさんと向き合い彼の方に一歩踏み出したテオの服の裾を、私は摘むようにして引いた。
それはほとんど無意識的な行動だった。近付いては危険だと思ったとか、そんな理由もなくただただ気付いたら服の裾を摘んでいたのだ。
瞬間、気付いたテオが肩越しに振り向き、
「リリィ?」
小さな声音で名を呼びながら不思議そうに目を瞬かせる姿を見て、私はハッとして手を離した。
「ご、ごめんなさい!」
口から出た声が大きな声量となったことに驚いたのはテオだけじゃなくて私自身も同じだ。
けど、クスィオンさん――執事だという彼の前でテオに対して砕けすぎた口調を私がするのはいただけないだろう、とそれ以上は口を噤む。
そうして唇を真一文字に結び、首を横に振って見せる。
これがカノンやラスカならまだしも、事情の伝えていないテオからすれば私の反応は不審そのものなのだ。
話せるだけの時間もないし、そもそも話していいような事でもない以上は気にしないで欲しいと伝える他ない。
……本音を言うと、クスィオンさんとは関わらない方が良いんじゃないかって思うけど、こればかりは確証のないラスカと私、それにリフの反応と感覚からなる思いでしかないものね。
実際のところ、ラスカもクスィオンさんの勤務態度は優秀であり誠実そのものだと言ってたし。
テオはしばし私を見て、だけどすぐに何かを結論づけると僅かに表情を緩めた。
「大丈夫だ。彼はクスィオン・マレディ、城使えの侍従。怪しい者じゃない」
言いながらテオが視線をクスィオンさんに向けると、クスィオンさんはすまなそうに眉を下げ、
「ご歓談の邪魔をしてしまい申し訳ありません」
「あ、い、いえ……それは、大丈夫、ですが……」
慌てて否定すると、クスィオンさんはホッと安堵したような表情を浮かべた。
その様子は至って普通の侍従であり執事の反応だ。
けれども、きっと彼は普通では決してない。
「ありがとうございます。……私はクスィオンと申します」
だって、にこやかに、穏やかに、どこまでも人当たりが良く朗らかに微笑んで、丁寧に挨拶をしてくれているのに。
それなのに――彼の目は暗く淀んでいて、私にまっすぐに向けるその双眸には好意的な色など決っしてなかったのだから。
その名前を出したラスカは、その人を天狼の感覚で匂いがしなさすぎると言った。
それは決して私には分かるはずもない感覚で、つまりは彼女以外ではカノンしかわからないであろうものだ。
それは、今だって変わらない。
私にはクスィオンから感じる匂いなんてわからない。
でも、だけど。
「(どうしてだろう、怖い)」
漠然と、ただただ漠然とそんな感覚があった。
肩口で顔を覗かせていた筈のリフもまた同じなのか、怯えたようにか細く小さな鳴き声を上げて隠れてしまっている。
竜であるリフは私以上に気付き、察している事は多いだろう。
けどそんな優れた五感も、冴え渡るような第六感を持っているとも思えない私でも、クスィオンと呼ばれた男性のことがどうしても怖いと思う。
「どうかしたのか?」
でもテオはクスィオンさんにそうした反応を見せることなく、ごく普通に接していた。
まるで私が怖いと感じている事が異様なように。
それでも拭えない恐怖に、クスィオンさんと向き合い彼の方に一歩踏み出したテオの服の裾を、私は摘むようにして引いた。
それはほとんど無意識的な行動だった。近付いては危険だと思ったとか、そんな理由もなくただただ気付いたら服の裾を摘んでいたのだ。
瞬間、気付いたテオが肩越しに振り向き、
「リリィ?」
小さな声音で名を呼びながら不思議そうに目を瞬かせる姿を見て、私はハッとして手を離した。
「ご、ごめんなさい!」
口から出た声が大きな声量となったことに驚いたのはテオだけじゃなくて私自身も同じだ。
けど、クスィオンさん――執事だという彼の前でテオに対して砕けすぎた口調を私がするのはいただけないだろう、とそれ以上は口を噤む。
そうして唇を真一文字に結び、首を横に振って見せる。
これがカノンやラスカならまだしも、事情の伝えていないテオからすれば私の反応は不審そのものなのだ。
話せるだけの時間もないし、そもそも話していいような事でもない以上は気にしないで欲しいと伝える他ない。
……本音を言うと、クスィオンさんとは関わらない方が良いんじゃないかって思うけど、こればかりは確証のないラスカと私、それにリフの反応と感覚からなる思いでしかないものね。
実際のところ、ラスカもクスィオンさんの勤務態度は優秀であり誠実そのものだと言ってたし。
テオはしばし私を見て、だけどすぐに何かを結論づけると僅かに表情を緩めた。
「大丈夫だ。彼はクスィオン・マレディ、城使えの侍従。怪しい者じゃない」
言いながらテオが視線をクスィオンさんに向けると、クスィオンさんはすまなそうに眉を下げ、
「ご歓談の邪魔をしてしまい申し訳ありません」
「あ、い、いえ……それは、大丈夫、ですが……」
慌てて否定すると、クスィオンさんはホッと安堵したような表情を浮かべた。
その様子は至って普通の侍従であり執事の反応だ。
けれども、きっと彼は普通では決してない。
「ありがとうございます。……私はクスィオンと申します」
だって、にこやかに、穏やかに、どこまでも人当たりが良く朗らかに微笑んで、丁寧に挨拶をしてくれているのに。
それなのに――彼の目は暗く淀んでいて、私にまっすぐに向けるその双眸には好意的な色など決っしてなかったのだから。
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