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第35話
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リディアーヌ王女はそれでは、とお茶をするための場として私室に招いてくださった。
いくら人通りの少ないとはいえ中庭で話せるような事ではないだろう、とは王女殿下の言葉で、特に断る理由もない私とカノンが二つ返事で答えて、お茶の用意をすると言ったラスカと別れてノエルくんとリディアーヌ王女に案内されたのは少し前。
そしてリディアーヌ王女の部屋に向かい、促されるままにソファに腰掛けたのはついさっき。
私とそう大差ない外見相応の、年頃の少女が好みそうな雰囲気と落ち着いた雰囲気の共存する部屋に迎えられてそう経たずして戻ってきたラスカがお茶の準備をしたところで、
「ええっと、何からお話をするべきかしら……」
少しだけ悩んだ様子で口を開いたリディアーヌ王女は視線を斜め下に落とし、それからひとつ頷いてから更に形の良い唇を動かした。
「とりあえず、どのような状態であるかの確認をしてもらったほうが良いかもしれないわね」
言うやいなやリディアーヌ王女は左腕のほとんどを隠すロンググローブをそっと下げた。
「……!」
「……なるほど」
その下に隠されていたものを見て私は僅かに息を飲み、カノンが静かに納得したような反応を見せる。
そこにあったのは、黒。
テーブルを挟んでも目視出来るほどの腕の皮膚の一部分が、文字通り艶やかで滑らかな黒色の鱗に覆われたのだ。
〈黒鱗病〉。
いくらそれが呪術によるものとはいえ、確かにその表現に相応しいといえるような症状だ。
「わたくしはこの程度……腕の一部で済んでいますが、ジェド兄様――ジェラルド兄様はもっと広範囲に及んでいます。ただそれだけで、今のところわたくしも兄様も痛みといった違和感はないのですけれど」
「え? 比喩とかではなく、そんなにはっきりと鱗に覆われているような状態なのですか?」
「ええ。わたくしも兄様も、〈黒鱗病〉と呼ばれるコレが確認されてから今に至るまで、症状進行に伴う自覚症状といったものはないのです」
言いながらリディアーヌ王女は鱗に覆われた腕をそっと摩る。
「その症状はいつごろから確認されたんです?」
と、カノンが小さく首を傾げると王女殿下はカノンを真っ直ぐに見据え、
「数ヶ月ほど前ですわ。朝起きたら、といった状況でした。前日には無かったと言い切れますし……別段、印象的なことがあった訳でもありません」
きっとお医者様や魔法医術に秀でた治癒士といった人たちにも答えたであろう、リディアーヌ王女のはっきりとした受け答えにカノンはそうですか、と答えつつ口元に手をやり何かを考え込んでいる風であった。
対して私はというと、痛みも何もないと王女殿下は仰るけど思うよりも酷い――というよりもはっきりとした状態を見て掛ける言葉が見付からず、ただただ僅かに視線を落とすくらいしか出来なくて。
けど不意に腕の中でおとなしくしていたリフがもぞもぞとし始めたのに気付き、私は首を傾げた。
「リフ? どうしたの?」
「キューイ、キュー」
リフは何かを訴えるようにリディアーヌ王女の腕――〈黒鱗病〉の症状の現れている場所と私を交互に見るけど、何を言いたいかは勿論わからない。ただそれでも王女殿下の腕に対して反応をしているのは確かだから、とカノンを見ると小さく頷いてくれたのを見留めてからそっとリフを離してやる。
するとリフはすい、と泳ぐようにリディアーヌ王女の方へと向かうと、王女殿下の腕を至近距離で観察し、
「キュー……、キュー……」
その鳴き声は、何かを悲しんでいるかのようだった。
何を訴えているかなんて分からない私でもそうはっきりと感じるリフの声だったのだから、その意味を正しく理解できるカノンたちはその表情を僅かに険しくさせていて。
どうしたのか、は聞くことができない。少なくともこの場では聞くべきではない。
でもカノンだけじゃなくてラスカも、それにノエルくんまでもが同様の反応をしたということは、何か得られる情報があったのは確かだった。
「どうしたんですか、仔竜ちゃん?」
眉根を下げたリディアーヌ王女が、心配そうにリフに呼び掛ける。
リフは一度王女殿下を見上げ、けれどもまたすぐに悲しそうな鳴き声を発して。きっと私と同じようにただリフが悲しんでいる事だけはわかるのであろうリディアーヌ王女は、心配そうな表情のまま、
「……大丈夫です、大丈夫ですよ仔竜ちゃん」
言いながら伸ばした手がぴたりと止まる。
それを見て、私はそっと口を開いた。
「撫でてあげても……いいえ、抱っこしてあげても大丈夫ですよ」
きっとリフはリディアーヌ王女からそうされることを嫌がらないだろう。そもそも理由があったとはいえ、リフの方から近付いたのだから当然ともいえるかもしれないけど。
私の言葉に王女殿下はぱ、っとこちらを見て、止めた手を動かして優しくリフに触れた。
リフはその行為に別段嫌がる様子もなく、むしろその手にぐりぐりと頭を擦り付けるほどで。
そのままリディアーヌ王女に抱きかかえられても、リフは決して嫌がる事もないどころか悲しげな鳴き声を上げながら、それでも何処か気遣うような反応を示し続けていて。
「優しい、良い子ですね」
うん、そう、優しくていい子なんです、リフは。
でもだからこそ、リフのこうした反応の理由が、カノン達が理解して表情を険しくさせた理由が知りたい。
でも今は、きっと毅然とした振る舞いの下に不安を隠しているであろうリディアーヌ王女殿下のお心が、少しでも紛れればいいとも思うのだ。
いくら人通りの少ないとはいえ中庭で話せるような事ではないだろう、とは王女殿下の言葉で、特に断る理由もない私とカノンが二つ返事で答えて、お茶の用意をすると言ったラスカと別れてノエルくんとリディアーヌ王女に案内されたのは少し前。
そしてリディアーヌ王女の部屋に向かい、促されるままにソファに腰掛けたのはついさっき。
私とそう大差ない外見相応の、年頃の少女が好みそうな雰囲気と落ち着いた雰囲気の共存する部屋に迎えられてそう経たずして戻ってきたラスカがお茶の準備をしたところで、
「ええっと、何からお話をするべきかしら……」
少しだけ悩んだ様子で口を開いたリディアーヌ王女は視線を斜め下に落とし、それからひとつ頷いてから更に形の良い唇を動かした。
「とりあえず、どのような状態であるかの確認をしてもらったほうが良いかもしれないわね」
言うやいなやリディアーヌ王女は左腕のほとんどを隠すロンググローブをそっと下げた。
「……!」
「……なるほど」
その下に隠されていたものを見て私は僅かに息を飲み、カノンが静かに納得したような反応を見せる。
そこにあったのは、黒。
テーブルを挟んでも目視出来るほどの腕の皮膚の一部分が、文字通り艶やかで滑らかな黒色の鱗に覆われたのだ。
〈黒鱗病〉。
いくらそれが呪術によるものとはいえ、確かにその表現に相応しいといえるような症状だ。
「わたくしはこの程度……腕の一部で済んでいますが、ジェド兄様――ジェラルド兄様はもっと広範囲に及んでいます。ただそれだけで、今のところわたくしも兄様も痛みといった違和感はないのですけれど」
「え? 比喩とかではなく、そんなにはっきりと鱗に覆われているような状態なのですか?」
「ええ。わたくしも兄様も、〈黒鱗病〉と呼ばれるコレが確認されてから今に至るまで、症状進行に伴う自覚症状といったものはないのです」
言いながらリディアーヌ王女は鱗に覆われた腕をそっと摩る。
「その症状はいつごろから確認されたんです?」
と、カノンが小さく首を傾げると王女殿下はカノンを真っ直ぐに見据え、
「数ヶ月ほど前ですわ。朝起きたら、といった状況でした。前日には無かったと言い切れますし……別段、印象的なことがあった訳でもありません」
きっとお医者様や魔法医術に秀でた治癒士といった人たちにも答えたであろう、リディアーヌ王女のはっきりとした受け答えにカノンはそうですか、と答えつつ口元に手をやり何かを考え込んでいる風であった。
対して私はというと、痛みも何もないと王女殿下は仰るけど思うよりも酷い――というよりもはっきりとした状態を見て掛ける言葉が見付からず、ただただ僅かに視線を落とすくらいしか出来なくて。
けど不意に腕の中でおとなしくしていたリフがもぞもぞとし始めたのに気付き、私は首を傾げた。
「リフ? どうしたの?」
「キューイ、キュー」
リフは何かを訴えるようにリディアーヌ王女の腕――〈黒鱗病〉の症状の現れている場所と私を交互に見るけど、何を言いたいかは勿論わからない。ただそれでも王女殿下の腕に対して反応をしているのは確かだから、とカノンを見ると小さく頷いてくれたのを見留めてからそっとリフを離してやる。
するとリフはすい、と泳ぐようにリディアーヌ王女の方へと向かうと、王女殿下の腕を至近距離で観察し、
「キュー……、キュー……」
その鳴き声は、何かを悲しんでいるかのようだった。
何を訴えているかなんて分からない私でもそうはっきりと感じるリフの声だったのだから、その意味を正しく理解できるカノンたちはその表情を僅かに険しくさせていて。
どうしたのか、は聞くことができない。少なくともこの場では聞くべきではない。
でもカノンだけじゃなくてラスカも、それにノエルくんまでもが同様の反応をしたということは、何か得られる情報があったのは確かだった。
「どうしたんですか、仔竜ちゃん?」
眉根を下げたリディアーヌ王女が、心配そうにリフに呼び掛ける。
リフは一度王女殿下を見上げ、けれどもまたすぐに悲しそうな鳴き声を発して。きっと私と同じようにただリフが悲しんでいる事だけはわかるのであろうリディアーヌ王女は、心配そうな表情のまま、
「……大丈夫です、大丈夫ですよ仔竜ちゃん」
言いながら伸ばした手がぴたりと止まる。
それを見て、私はそっと口を開いた。
「撫でてあげても……いいえ、抱っこしてあげても大丈夫ですよ」
きっとリフはリディアーヌ王女からそうされることを嫌がらないだろう。そもそも理由があったとはいえ、リフの方から近付いたのだから当然ともいえるかもしれないけど。
私の言葉に王女殿下はぱ、っとこちらを見て、止めた手を動かして優しくリフに触れた。
リフはその行為に別段嫌がる様子もなく、むしろその手にぐりぐりと頭を擦り付けるほどで。
そのままリディアーヌ王女に抱きかかえられても、リフは決して嫌がる事もないどころか悲しげな鳴き声を上げながら、それでも何処か気遣うような反応を示し続けていて。
「優しい、良い子ですね」
うん、そう、優しくていい子なんです、リフは。
でもだからこそ、リフのこうした反応の理由が、カノン達が理解して表情を険しくさせた理由が知りたい。
でも今は、きっと毅然とした振る舞いの下に不安を隠しているであろうリディアーヌ王女殿下のお心が、少しでも紛れればいいとも思うのだ。
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