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第12話
しおりを挟む王都への道中は、カノンの合流の後は特に滞りはなかった。
威厳も何もなくたって無謀な魔物以外は近付いてきたりはしないから、というカノンの言葉通り魔物の襲撃はフォレストドッグの時だけだったし、その後に現れた魔物はカノンが文字通り一蹴していたからだ。
おかげで私達は予定から大幅なズレもなくスィエル王国の首都――ルシエラに辿りついた。
王城を抱くように城壁に守られたルシエラは、当然城下町は国内でも特に発展し賑わっていると同時にとても広い都だ。
テオをはじめとして彼の兄弟達や国の貴族たちはもちろん、平民達たちも籍を置き、他国からも留学生として受け入れているというレーべリック王立学院もルシエラの一角に建てられている。
ルシエラにつくと、テオとアルノーさんは正面の門ではなく裏門へと向かった。今回テオは王命を受けての出立ではなかったからなのだろう。
「リリィ、ローブだけは決して手放さないようにな?」
裏門に着く前に馬から降りた私は、のんびりとした声でカノンにそう言われた。その言葉に異を唱えるつもりはない。
私はいま、外套のフードを深く被った姿でいる。
レイン兄とシル姉からの贈り物で、魔力の込められた糸で織られたものだ。防護のまじないと、相手に印象が残りにくくなるようなまじないの掛けられた特別性で、レイン兄たちからもこれだけは深く被っておくようにと言い聞かせられていた。
それはアナスタシア顔を合わせる危険性だけではない。竜を連れ歩いている時点で視線は集めてしまうのだから、警戒は不可欠だという判断からだった。
リフとも、出来ればカノンとも離れての行動はしないほうがいい。レイン兄とシル姉、それにグレン兄はその言葉を何度も繰り返した。
この世界において神聖であり強大な存在であると同時に、不愉快極まりなかったとしてもモノとしても有用とされる竜――それも仔竜を連れ歩き、あまつさえ幻獣種とも共にいるのだから、リフだけではなく私自身にも利用価値があると思われたっておかしくはない。私には特別な力なんてないし、命を投げ捨てるような行為だったとしたって、そんな事を考える人間が深く考えるとは思えないしね。
そう考えると軽率な判断だったかなあ、とは思う。
でも私は決めたんだ。私を助けてくれて育ててくれたレイン兄の力になるって。注がれた無償の優しさにせめて誠意を返すことが、何よりの恩返しになるはずだから。
「うん、わかってるよ。リフも、できるだけ一緒にいてね。目も手も届くような場所にいて」
フードをかぶり直しながらカノンに頷き、腕に抱えたリフに声を掛けるとリフはつぶらな瞳で私を見上げ、
「キュ~ゥ♪」
「……リフ、本当に分かってる? いつもみたいにグレン兄が助けくれたりしないんだからね? 私とカノンしかいないのよ?」
テオもリフにはよくしてくれると思うけど、王城に戻ってきた以上は第二王子としての責務や執務などによって、此処までの道中のように気軽には会いに行けなくも来れなくもなるだろう。
おまけにスィエルの王城はリフにとっても私にとっても未知。誰ひとりとして顔見知りはいないのだ。
そんな不安と心配なんて露知らず、リフはかわいらしい声をあげながら尻尾を揺らしていて。可愛いんだけどね、可愛いんだけどさあ。
「心配しなくてもリフだって馬鹿じゃないんだ。そうそう軽率にリリィから離れることはないだろうさ」
「……カノンは楽観的すぎるところがあるし、何なら楽しんでる節がありそうだから信用ならないのよ」
柔和に微笑みながらもどこか間延びしたような、のんびりとした口調のカノンは間違いなく何かを楽しんでいる。
気さくで物腰の柔らかい身内には大変優しいこの青年は、そのくせ意地が悪いところがあり、ひとをからかったり些細な問題や事件くらいなら笑って眺めるような人の悪いところがあるのだ。
だから今もわりと楽しんでる。私とリフの事を面白いものを見るようにして楽しんでる。リフの言葉がわかっていながらこれなんだから間違いない。
じとりと睨むように見ていると、カノンはきょとんとした表情を浮かべ、
「心配するなって。リフは、リリィの言いつけはしっかり守るけど、テオを見かけたら遊んでもらっていいんだよね? って言っているだけだから。とても聞き分けの良い子に育っていて安心だな」
「どこから……! どこからどういう風に教えて聞かせればいいの……っ!?」
別にテオに時間があるときなら良いと思うんだけど、リフが相手の都合を考えられるかが問題すぎる……! というかカノンはやっぱり楽しんでるじゃない!
ぎっと眉をつり上げて睨むと、カノンはにこにこと笑った。もう! この天狼は! もうっ!!
「別に見掛けたら声を掛けてくれて構わないが?」
と、私達のやりとりを聞いていたらしいテオがくすくすと笑みを零しながらそう切り出した。途端、口を閉ざし続けていたアルノーさんの表情が驚愕に変わり、
「殿下!? 城に戻れば貴方様にそれほどの時間は、」
「リリィ達が城で過ごす間、このまま学院に通わずにいることをお許しいただけないか、国王陛下に進言するつもりだ。学院にて学ぶことも確かにあるが……どうせアイツは相変わらずだろうからな」
声を荒らげたアルノーさんの言葉を静かに遮り、テオははっきりとそう告げる。それを聞いてアルノーさんはぐっと押し黙ってしまった。
アイツって、誰のことだろう?
テオが呆れたような、困ったような顔をしているから身近な人のことなのは確かだし、アルノーさんにもわかる人なのは確かだけど。
ちら、とカノンを見上げても、当たり前ながら肩を竦めて首をかしげているだけで。
「それに、俺が日中に必ず城を空けることになるのは良くないだろう。むしろ今は城にいた方が間違いなく得られるものは多い。……問題は何一つとしてないだろう?」
畳み掛けるようにテオが言葉を続ければ、何か言いたげだったアルノーさんは完全に言葉を飲み込み、申し訳ありませんとだけ口にして馬を引いて裏門へと近付いた。
その様子を見ながら息を吐くテオに、カノンが声を掛ける。
「口煩い頑固者を護衛にすると、大変そうだな?」
「……否定はしないが、王族として以前に至らぬ人間であるという自覚はあるからな」
眉をハの字にして答えたテオが裏門へと馬を連れて近付けば、そこは既に内側から門番を勤める騎士らしき鎧を着込んだ人たちによって開かれていた。
開けてもらえたなら立ち尽くしている必要はない。抱えていたリフに一旦、フードの中に隠れるようにして大人しくしているように言って従ってもらって、カノンと共にテオとアルノーさんを追うようにして門を潜った。
裏門はもちろん王城の後ろに位置している。
そこを潜った先に広がっていたのは色とりどりの花の咲いた手の行き届いた庭園だった。テオは門番に短く礼を述べると、巡回する騎士を捕まえて馬を厩舎に戻してもらえるよう頼むとともに、国王陛下に自身が戻ったことを報せるようにという伝令をレイン兄から託された手紙も言われた通りの言伝も添えて託した。
そうして自分で馬を連れて行くというアルノーさんと一旦別れた私達は、テオの案内で庭園を抜けて王城へと足を踏み入れていた。
庭園を抜けるまでの間、決して少なくない数の城勤めの使用人や騎士たちと擦れ違った。
それ自体は珍しいことでもなく、リフも大人しく隠れていてくれたから騒がれることもなかったし、私やカノンを見てひそりと話している姿こそあったけどそれだけで。
でも不思議だと思ったのは彼らはみんなテオを見ると礼をして通り過ぎるのを待ったが、その中には怯えるようにしていた人たちがいたことだった。
テオの事をスィエル王国の王子であるとわからなかったとはいえ、彼の噂くらいなら耳にすることはあった。
金髪碧眼といった美しい色彩の王家に置いて、唯一銀の髪と紫水晶の眼を持った青年。素行に問題があるだとかといった話は聞いたことがなく、実際に接した今でもそんな印象は全くない。
それなのにテオは少なくない数の使用人たちから怯えられている。それが私には不思議でならなかった。……かといって、尋ねようとも思えなかったけど。
「庭園は温室といった王家専用の場所以外、出入りは自由になってるから息抜きにでも来るといい。リフも自然に触れられた方がいいだろうし、リリィも屋内にいるばかりでは息が詰まるだろう?」
迷いなく進む廊下の途中でふとテオは柔らかな声音でそう切り出した。突然の事に少しだけ驚き目を瞬かせたけど、何を言われたかはすぐに理解する。
「ありがとう。リフ、テオがさっきのお庭でお散歩しても良いって」
「クルルルルル……♪」
首元に片手を添えながら話しかけると、顔だけを覗かせたリフが嬉しそうに喉を鳴らし、
「それじゃあ俺もあの庭園で昼寝をさせてもらおう」
カノンは妙にウキウキした様子で言った。私は歩きながらじとりとカノンを見上げる。
「お昼寝するのはいいけど、狼姿で寝るなら気をつけてね?」
「わかってるよ。無駄な騒ぎを起こすつもりはないから」
カノンに限ってうっかりはないとは思うんだけど、本当にわかってるか心配になるのはカノンの日頃の行いのせいだと思うのよね。どこまでが本気なのかを疑いたくなっちゃうんだもの。
リフも一緒に昼寝をしような、とひょこりと顔を覗かせるリフに話し掛けている辺り、心配はいらないのだろうけれど。
眉を下げながら息を吐いていると、カノンはにこりと微笑みながらテオへと声を掛けた。
「テオも、時間がある時には一緒に昼寝をしよう。自慢の毛並みをもふりながらのとびきりの快眠を約束する」
「俺もか?」
きょとりと目を丸くしたテオに、カノンはしっかりと頷く。
「ああ。昼寝はいいぞ、幸せな気持ちになれる」
「いや、うん、そうだな?」
ウキウキとご機嫌なカノンとは対照的にテオは困惑しきりだけど、私も私で思うとこがあった。
「え、ズルい、私も久しぶりにカノンのもふもふを堪能したい」
特に手入れを徹底しているわけじゃないとは思うんだけど、日頃から日光浴がてらのお昼寝を欠かさないからか、狼姿の時のカノンの毛並みはとってもふわふわでもふもふだ。
それを知って以来、小さな頃は飛び込むようにして埋もれてよく寝たものである。けど今はそんな時間を取れる事もそう多くなくて、心底羨みながら告げるとカノンは至極真面目な顔で口を開いた。
「よし来い、二人まとめて枕になってやる」
「て、天狼を枕にしろと……? 流石に罰当たりじゃないか?」
まあ、普通の天狼なら罰当たりと感じるかもしれないけど、カノンだし。カノン本人が良いって言ってるわけだし?
軽率かつ迂闊な昼寝は避けてほしい気持ちや、だからといって狼姿のカノンの背に乗っての移動を良しとはしなかったわけだけど、それはそれこれはこれなのである。
なんて他愛ない話をしていると、テオを呼び止めた騎士の口から謁見の間にて国王陛下が待っているとの報せが届いたのだった。
国王陛下が待つという謁見の間は、呼び止められた場所からそう遠くはない場所に扉があった。
中に陛下が座しているからだろう、両側に衛兵の立つその扉に近付くと、テオに気付いて彼らは折り目正しい礼をし、
「陛下がお待ちです、どうぞ中へ」
言いながら扉を開いてくれた。テオが短く彼らに礼の言葉を口にすると迷いなく歩を進めて中に入り、
「テオドール・リュンヌ・スィエル、ただいま戻りました」
高らかに宣誓するように張り上げられたその声に、答えはあった。
「うむ。よく無事に戻った、テオドール」
低くよく通る声音は、とても優しい色を宿している。
テオの背を追うようにして謁見の間に入ったことで、その声の主を私ははっきりと目で捉える事を許された。
最奥に置かれた椅子に腰掛けた初老の男性。豪奢な衣裳を身に纏い王冠を被った、白金の髪に青い眼をしたその人は紛れもなく、見間違いようもなくテオのお父さんであり、スィエル王国の国王――アルマン・リュンヌ・スィエル陛下だ。
国王陛下はテオを見て柔らかく表情を緩めていた。その顔からはテオの無事を心から喜び安堵しているのがわかる。
と、陛下の双眸が緩くテオから外され、じっと私とカノンに注がれた。
「それに、遠路はるばるよくぞ参られたな。若き天狼殿に風竜の仔、そして――レインディル殿の愛娘殿」
柔和な笑みは絶やさず、けれども声音に宿る優しさはより深く。まるで友人の子を前にしたかのような表情で、アルマン陛下は確かに私達をそう呼んだのだった。
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