元王女で転生者な竜の愛娘

葉桜

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第8話

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 緑風の町イシュルテは、スィエル王国の最端にある小さめの町だ。とても長閑な地。緑風の町、というのはまだ自然の残る町並みと、それゆえにそよぐ風が優しいなんて言われていることが所以らしい。決して私が言い始めたわけじゃないことだけは主張したい。
 イシュルテという町は、前述の通り自然が残る町だ。発展はそれほどしていない。急激な発展などもってのほかだ。それは、領主が古くからの景色を残したいと考えているから、というのもあるけれど、何よりもこの近郊には風竜が住まうと伝えられているからだ。事実として、この近くでは度々竜の姿が目撃される。子竜であるリフがいてもそれほど混乱を招かないのは、そうしたこともあるんだと思う。

 竜の目撃は、もちろん町の外にも知られているようなことだ。人の口に戸は立てられないし、無闇に広めようとはしなくても勝手に知れ渡ることだから仕方ないわよね。
 けど、この町に観光目的でやってくる人は少ない。国境が近いのもあるけれど、竜なんて滅多に見れるものじゃないし。風竜は町からも望める山岳で暮らしているんだけれど、昔からあらゆる理由で山へと挑んでそのまま生死不明になる人間がいるものだから、この町と風竜を目的としてやってくる人は途絶えはせずとも今では常識的な数だ。

「そういえば、テオたちは此処までどうやって来たの? やっぱり馬?」

 森から出て歩き、着いた門を潜ってイシュルテの町を歩く。まだ朝は早い方ではあるけれど、それでも町の人たちはちらほらと外を歩き、私とリフに気付いては声を掛けてくれる。それに対するリフの反応は私の頭にしがみついて尻尾を揺らすだけ。私は軽く頭を下げたりして挨拶を返しながら、ふと浮かんだ疑問を投げ掛ける。
 ちらりと見ると、テオは目をしばたかせ、口を開いた。

「ああ、馬で来たんだ。城から馬車で来るわけにはいかなかったからな」
「そうだよね。馬車じゃどうやったって目立つし」
「……王命であれば、馬車を使おうと思ったのだが」
「王命だったとしても、俺が向かうことになったならば使わなかったぞ」

 この世界に車、と呼ばれるものは存在しない。とはいえレイン兄やシル姉によれば、魔法的な技術と組み合わせての発展は大昔にあったみたいだし、それが一回失われた今でも様々な国で残された文献を頼りに開発はされているそうだから、いつかは変わるんだろうけど。今現在、少なくともこの国では地面の上……地上と言ってもいいのかな? 地上での徒歩以外の移動手段となると、馬車が主だ。長距離の移動ならなおのこと、特に貴族ともなれば馬車、あとは馬に乗ってだろうけど、馬に乗っての移動は騎士だとかが主になる。
 いずれにしても酷く目立つものだ。まして、馬車ともなればなおさら。町と町を行き来するような行商人の顔は頻繁に変わるようなものではないから、見慣れない馬車が来ればそれだけで人目は引く。

 つまりはテオは好まないわよね、そういうの。アルノーさんの気持ちはわかるけれど。

「それじゃ、厩舎きゅうしゃに預けているのね。なら、手紙を渡したら、ふたりの馬を引き取って……私はどうしようかな」

 自慢でもなければただの事実確認でしかないけど、私に乗馬経験はない。この年になるまで王城にいて、乗馬に興味でも持てれば別だったんだろうけど……こうしたたられば話をするべきじゃないよね。ちょっと悲しくなるし、別に未練があるわけでもないし。

 それはともかくとしても、流石に徒歩だけでスィエルまで行くのは厳しい。乗り合いの馬車にお世話になることも手といえば手だけど――。

「それなら、俺の馬に乗れば良い」
「私、乗馬の経験がないのよ」
「抱えるようにすれば問題はないだろ?」
「…………なるほどー」
「もちろん、嫌ではなければだがな」

 純粋に厚意しか感じられない提案ではあるけど、いいのかな、それは。テオからの提案なのだから、テオ自身は気にしてないのだろうけれど。いかんせん私、中身はそこそこの年齢だし。いや、見た目通りの年齢の反応をって考えてもどうなのかなって思うけど……うん、今は保留にしておこう。






「それで、アレン殿、だったか。その者は何処に?」

 町を先導するようにして歩く私に、ふと思い出した様子でテオが尋ねてくる。目的の場所は、もう見えていた。

「アレンで合ってるわ、喫茶店の店主をしているの。ほら、あのお店、喫茶店フロリアっていうところ」

 答えながら指差した先には、立て看板。木製のそれには店名と共に小さめの文字でメニューが書かれている。
 立て看板が出されているのだから当たり前だけど、お店の入口にはオープンと書かれた札が掛けられていて、既に営業を始めているのがわかる。

「喫茶店の店主に、手紙?」
「店主をしているのはレイン兄の知り合いのお弟子さんなんです。だからただの喫茶店の店主ではないというか……本人は凡人を自称してますけどね」

 訝しげなアルノーさんに答えながら、迷わず近づいたドアへと手を伸ばしノブを捻る。押し開けばドアにつけられた軽やかなベルの音が鳴り響いて、店内に来客を知らせてくれたとほぼ変わらないくらい。

「いらっしゃいませ」

 迎えてくれた声はひとつ、男の人の声。
 私にとっては聞きなれた声。開いた扉の先、まだ人がほとんどいない店内の向かって奥にあるカウンターの中に、ひとりの男の人が立っている。
 見た目の年の頃はグレン兄と変わらないくらい。深紅クリムゾンレッドの短髪に、対照的な蘭玉色アクアマリンの双眸。白のワイシャツに黒のネクタイといった清潔な装いをしていて、黒色のエプロンは腰巻き状のものだ。
 彼は人当たりの良さそうな笑みを僅かに浮かべていたが、こちらを……というよりも私を見てだろう、その顔から外行の色を消した。

「なんだ、じゃじゃ馬娘か」
「失礼にもほどがあるんだけど」

 至極めんどくさそうに言うものだから、私は思わず声を荒らげる。まったく、この男は。

「というか、それは友人に対しての反応でもなくない? アレン」
「猫被って接してほしいってんならそうするが? リリィ」
「それは気持ち悪い」
「お前も十分失礼じゃねえか」

 確かにお互い様だわ。
 ふわりと私から離れて空を行くリフを視界に、片手を腰にあてがい、呆れたように言われて心底思った。

 アレン・エイヴァリー。
 それがこの青年の名前だ。喫茶店フロリアの店主マスターで、私の友人。
 店には従業員も一人いるけれど、基本的に提供されるメニューのほとんどがアレンのお手製。このことからわかるように、料理の腕は確か。ついでにいえば、私の料理に必ずと言っていいほど駄目出しをするくらいには味にうるさい……いや、これは私怨だわ。

「リリィ、こちらが件の?」

 ひそり、少しだけ抑えられた声量で問ってくるテオに頷き、口を開いたその時だ。

「ん? リリー? ――あ、本当にリリーだ!」

 と、遮るように店内に響いたのは別の声。
 幼さを残したその声もまた、私にとって聞きなれた子のもの。見れば店内に唯一いた客が振り向き、私をまっすぐに見て目を輝かせていた。
 その子は、二の腕あたりまである髪を揺らしながら駆け寄ってきて、ぴょん、と飛びついてくる。

「わっ、と……!」
「リリー、久しぶりだねー!」

 ぎゅっとしがみついて、見上げてくるのは少女。綺麗な氷蒼アイスブルーの髪に青色の眼を持った、可愛らしい女の子。
 私はそんな嬉しそうな彼女の顔を見下ろしながら、吹き出すように笑った。

「びっくりした……もうっ、久しぶりって、そんなに経ってないでしょ? レナ?」
「えへへ、ごめんね? でも家族なのに顔が見れないのはやっぱり寂しかったし、久しぶりって気持ちなんだよ」

 満足したのか、ぱっと離れてへらりと笑う。
 思わず頭を撫でそうになるけれど、そんなことをしていい相手じゃない。怒られはしないだろうけれど、それはそれ。

「ええと、知り合い……なのか?」

 おずおずとした声で、テオが尋ねてくる。その声に私はこくりと頷いた。

「ええ。この子はレナ――セルシアナ。昨日、レイン兄が言ってた、天狼を保護した精霊がこの子よ」
「せ、精霊……マジか」

 信じられないかもしれないけど、嘘は言わないわよ、私もレイン兄たちだって。とは思っても告げはしない。気持ちは非常にわかるもの。
 そんなことなんてお構いなしな様子で、女の子――レナはにっこりと笑った。

「はじめまして、お兄さんたち! 私、セルシアナ・エルウィンド。気軽にレナって呼んでね」
「あ、ああ。ご丁寧にどうも……? 俺は、テオドールという。テオと呼んでくれ。こっちはアルノー」
「うん、テオくんだね、それと……ルノくん。よろしくね!」
「テオくん」
「…………」

 そういう子なのよ、この子。
 戸惑ったように繰り返すテオに、苦笑をひとつ。レナはといえば、不思議そうにテオを見上げていて――アルノーさんは僅かに眉を顰めていた。

 レナことセルシアナ・エルウィンドは、精霊種の女の子だ。
 精霊種はそれほど珍しいというわけではない。基本的には大自然から生じる存在である彼らは、ざっくりと言うなら自然さえあれば増えるから、人里離れた場所にならばなおのこと多く棲んでいる。けどそれでも人間と交流する精霊は多くはない。竜への奉仕種族ともいえるからでもあるだろうけどね。
 本人曰く、仲良くなるにはあだ名をつけるのが一番、とのことらしく、レナは知りあった人にはあだ名をつけるのが決まりみたいなところがある。
 見た目もあるしこうしたところや、振る舞いは幼い子供みたいだけれど、言うまでもなく実際には外見相応の年齢ではない。レイン兄とシル姉より年下とはいえ、それでも人間の物差しで言うなら子供とは言い難い。精霊の物差しなら子供なのだそうだけれど。
 因みに、このことに関してレナは気にしてないみたいで、私が『レナ』と呼んでも、呼ばれること自体が嬉しいみたいでいつも笑顔だ。ただし、どんな呼ばれ方をしたって私とグレン兄の姉であることは譲れないようで、度々お姉さんであることを主張するのだけれど……そこも幼げと捉えられがちな理由なんじゃないか、とは思っても言うべきじゃないでしょうね。

「とりあえず座れよ。こんな時間に、そんな奴ら連れて来たんなら何かあってのことだろ。コーヒーの一杯くらいなら奢ってやる」

 と、頬に擦り寄るリフを片手で撫でながら、そう言ったアレンは僅かに目を細め、小さな笑みを口元に浮かべていた。






「リリィはカフェモカで良いな?」
「うん。ありがとー」
「リフにはミルクとして、そちらの二人は?」

 カウンターの中でてきぱきと動き出すのを見ながら、カウンター席に腰掛ける。
 左隣にはレナ。右隣にはテオ、その隣にはアルノーさんが腰掛けていて、リフを肩に乗せたアレンは彼等を見ながら首を傾げた。

「いや、お構いなく」
「そういうわけにはいかない。何かあってのことだろうとは簡単に想像がつくんだ、その間手持ち無沙汰にさせるのも何だろう?」
「……店主の気遣いはありがたいが、急ぎの身なのだ。申し訳ないが……」
「だとしても飲み物の一杯くらい口つけるだけの時間はあるだろう。コーヒー、紅茶、一般的なものならだいたい出せるから遠慮なく言ってくれ」
「あっくんあっくん! 私ミルクのおかわりっ」
「あー、はいはい。わかったよ」

 やれやれと言わんばかりのアレンだけど、その表情は柔らかい。
 精霊種の中でも異端とも言えるような振る舞いをするレナは、この店――フロリアの常連客だ。言うまでもなくそうした精霊は多くないのだけれど、レナは人間と似たような生活を好むようで、初めて見たひとが彼女を精霊と認識することは極めて少ない。所謂民族衣装とと呼ばれるような装いもしていないしね。

 レナから差し出されたカップを受け取って、アレンはホットミルクの準備を始める。その傍らで私用のカフェモカを作り始め、改めてテオとアルノーさんを見た。

「で、決まったか?」
「ああ、ではコーヒーを」
「……私もコーヒーを」
「かしこまりました」

 短く言って、アレンは未使用のカップをさらにふたつ取り出す。そうしてすぐに、ふわりとコーヒーの芳しい香りが漂い始めた。
 もう少し待っていてくれ、と言葉を付け足したアレンから、私は横に座るレナを見る。

「レナは何を食べてるの?」
「アップルパイ♪ バニラアイスにシナモンかけてあるの。リリーも食べる?」
「ううん、いいよ。朝ごはんは済ませているし……それにしてもよく甘いものをご飯に出来るねえ」
「精霊にとってご飯は娯楽的な意味がほとんどだからねぇ。でもあっくんの作るものは格別なんだー! レイ兄の料理もそうだけど、美味しいから通い詰めちゃう」
「そいつは嬉しい限りだな。そうじゃなくとも、レナには色々融通してもらっているし」

 用意し終えたホットミルクの注がれたカップがレナの前にそっと運ばれる。
 もぐ、とレナが熱で少しだけ溶けたバニラアイスを少し乗せたアップルパイを一口食べた拍子についた食べかすを、アレンは迷うことなく備え付けの紙ナプキンを手に取り拭いてやっている。

「融通? 精霊に何を融通してもらうと……」
「アルノー」

 ぼそりと訝しむように呟いたアルノーさんを、テオが静かに制する。
 ぼそりと、とはいえ静かな店内だ。加えて対極の位置に腰掛けていてもそう距離も遠くないのだからレナ本人の耳にも届かないはずもなく、アレンに短く礼を言ったレナはアルノーさんを振り返った。

「ルノくんはちょっとツンケンしているのね?」
「気を悪くしたのならすまない、代わりに謝らせてくれ」
「んーん、別にテオくんが謝ることじゃないと思うし、そもそも気にしてないからいいよ。知らないってことは決して悪いことではないもの」

 すまなそうに眉を下げたテオに、レナは首をふるふると横に振って見せる。
 そうして使っていたフォークを置くと、カップを手に取った。

「異種族……ましてや精霊と人間、ううん、ましてやではなく、だからこそ、かな。関わり薄いのだから、互いに知らぬことがあったところでおかしくはないわ」
「……だから君は、人と接して生きようと?」
「そんな大層な理由じゃないよ。私は、里に篭って生きるのが性に合わなかっただけ。竜に奉仕することが嫌だったわけではないけれど、ちょっと窮屈だったんだよねぇ」
「要するところ、変人だ。俺みたいな人間にだろうが、自分たちで育てた果実とかを分けてくれるくらいにはな。こういう仕事をしてると食材には鮮度と味を求めたくなるんだが……まあ、融通ってのはそういうことだ」
「レイ兄に信頼されてるひとは、精霊にとっても信頼するに値するから、俺みたいな、って表現は違うかなー。まあ、自分が変人であろうことは否定しないけど」

 アレンはリフへ、とミルクを置いて、淹れたコーヒーをテオとアルノーさんの前に、カフェモカを私の前に並べる。
 途端にリフがアレンから離れ、平皿に注がれたミルクを飲み始めた。

「それで? お前が朝から此処に来るなんて珍しいが……何かあったのか?」
「んん? あー、えっとね……」

 佇まいを正したアレンに言われて、私は荷物からレイン兄から預かった手紙を差し出した。
 口はちょっと悪いけど、アレンは気遣いの出来る人だ。だから喫茶店の店主として店を切り盛り出来ているんだろうけれど、急かすでもなく、何てことなく切り出してくれるから助かるのだ。
 なんて考えていることなどわかるはずもないアレンは差し出した手紙を受け取り、すぐに中身を確認し始める。

「レイン兄から、って言わなくてもわかるだろうけど」
「レインさん以外、こういうことはしないからな。シルさんやグレン、お前なら用があれば直接来るし、手紙を渡されたとしても中身はリストとかそんなもんだ」

 封筒に収められた手紙は二枚あるようで、アレンは順に目を通そうとして、何故かすぐにもう一枚をレナに差し出した。

「レナ」
「ほあ?」
「こっちはお前宛てだ。まったく……いつものこととはいえレインさん、どこまで見通しているんだ」
「レイ兄だから仕方ない」

 差し出された一枚を受け取って言ったレナの言葉に、アレンがそれもそうだ、と小さく笑った。

 レイン兄から預かった手紙、レナ宛も入ってたのね。
 レナが此処にいる保証はなかったはずだけど、レイン兄は……言葉にするのは難しいけれど、妙にわかっていたかのように行動していることがあるから。
 もちろん、そのことをレイン兄に聞いたところで明確な答えはもらえない。そんな気がした、だとか、そう思う、だとかといった感覚を頼りにしていて当人もどうして的中するかなんてわからないとのことだから、仕方ないのだろうけれど。頻度がおかしいだけなのよね、たぶん。幸運が重なりに重なっているだけなのよ、きっと。

 アレンとレナが手紙を読み終えるまでそこまで時間は要さなかった。淹れて貰ったコーヒーを飲んでいればすぐだ。
 顔を上げたアレンは僅かに険しい表情で私を見た。

「リリィ。お前、この中身は?」
「見ていないから知らないわよ?」

 というか開くわけないじゃない、自分宛じゃないんだもの。失礼だとか以前に、人としてのマナー違反だ。少なくとも私はそう思っている。
 ほんの少しだけ眉を寄せて答えると、アレンは険しい顔のまま手紙を閉じて封筒の中に収めた。そうしてエプロンのポケットへと差し込む。

「ならいい。回復薬ポーションを見繕って持たせてやれって書いてあるから持ってくる」

 そう言ってアレンはカウンターからほど近い、居住用の空間へと繋がる扉を開き、その奥へと消えた。
 後ろ手で閉じられてしまったからどうなっているのかはわからないけれど、遠ざかる足音と共に「イヴー!」と、アレンの声が聞こえる。

 イヴ、というのはこのお店の従業員でありアレンにとって同居人に当たる女の子だ。
 私よりも少しだけ年上で、だけどもちょっとだけ抜けたところのある子。うっかり、ドジっ子、そんな形容詞がすごく似合う。
 事実、いまもアレンに呼ばれて驚いたのか、どたばたという音が遠く微かに聞こえてくる。間を置かずに聞こえて来た何かがいくつも床に落ちるような音は、積み上げた本が雪崩でも起こしたからだろうか。もっとも、イヴのことを知っているはずもなく何が起きているかもわかってないテオとアルノーさんは不思議そうに首を傾げているけれど。

「いっちゃん、相変わらずね……いつもお部屋のお掃除を忘れるくらい没頭するんだもの」

 アップルパイを頬張って、ミルクを一口。
 天井――というよりは上階にいるイヴについて、困ったように微笑みながらレナは言う。

「放っておくと食事も睡眠も、最悪お風呂入ることも忘れるって」
「あっくんの世話焼きスキルはそうして磨かれたのかあ」
「そこは本人の性格もあると思うけれど」
「割って入ってすまないが、イヴというのは……?」

 すまなそうに声を掛けてきたのはテオだ。
 その奥では興味なさげにアルノーさんがコーヒーをすすっているけれど、私たちの会話に耳を傾けているのはわかった。

「イヴはこの店の従業員で、アレンの……義妹、って言えばいいのかしら? あいつの家族よ。二人のお師匠さんも最近は帰ってきていないみたいだから」
「そういえばアレン殿はお弟子さんと言っていたか。イヴ殿はアレン殿の兄弟弟子なんだな」
「そうそう。〈錬金術士〉の兄弟弟子なんだよ、珍しいよね」
「――は?」

 あー、やっぱりそういう反応になるよね。
 なんてこともなく言ったレナに、テオが勢いよく振り向いたのを横目に、小さく笑いながらカフェモカを一口。

 錬金術士とは、数多の素材を用い組み合わせて別のものに変成させる科学技術である錬金術の使い手のことだ。
 科学技術としての側面を持つから魔法使いではないのだけれど、彼らの扱う錬金術には魔法的な効力も含まれるから、化学者であり魔法使いでもある、というのが実情らしい。私は詳しくないけれど、グレン兄がそう教えてくれたことがある。
 レイン兄たちによれば、錬金術は前時代の遺物のひとつで、遺物とされていることからわかるように失われかけていたそうだ。そうなのだから近代において名の知れた錬金術士は片手で数えられる程度しかいないし、単なる使い手と括っても数は少ない。テオが驚くのも無理もないのだ。

「まさか自国にも錬金術士が存在するとは……そうした噂などもなかったというのに」

 錬金術は、とても便利な技術だ。
 薬もそうだけれど、爆薬といったものから武器まで魔力的なものを帯びたものを精製出来るから、どの国でも錬金術士という存在は重宝されるし、彼らの研究などへの助力を惜しまない。
 ただ、同時にそれは錬金術がどれだけ危険であるかも如実に示しているわけだけれど、幸か不幸かスィエルこの国には国抱えの錬金術師はいないと聞く。
 一応アレンたちのお師匠さんはイシュルテに住居は持っているけれど、もっぱら留守にしてるし。というのもお師匠さんはちょっと変わり者で、自由気ままに気の赴くままに古文書を紐解き、そうして得たレシピを元に生み出したものを弱者に気紛れにもたらす人なのだ。もちろん渡すものは薬とか食べ物くらいで、争いの火種となりうるものは決して渡したりしない。ただそんな生き方をしているから、国の属して研究室に篭って錬金術と向き合い続けるなどもってのほか、のらりくらりと世界中を渡り歩いている方が気楽だって言っていたことをよく覚えている。

「錬金術士、と呼べるのは師匠だけだ。俺にはその才覚はないから錬金術の行使は出来ないし、イヴも見習い……簡単な回復薬ポーションとかを作るのが限度だ。そもそも錬金術自体が一般的に知られているものでもなし、この街のやつらはイヴのことを薬師か何かって認識しかしていないのさ」

 と、小さく紡いでいたテオの声が聞こえていたらしいアレンが、扉を開きながら告げた。
 テオは緩やかに振り向き、首を傾げる。さらりと零れた銀色の髪の奥に覗く紫水晶アメジストの双眸が、好奇心で煌めいているように見えた。

「俺は実際に目にしたことはないのだが、錬金術は童話に描かれる魔法使いが使うような魔法のようにしか見えないのだったか?」
「そうだな……確かにそうした魔法使いのようではあるが、ものによっては大きな釜をかき回しているだけだから、魔女みたいとも言えるかもな。かといって真似るだけでできるもんでもないんだが」

 テオの問いに答えを返しながら、アレンはカウンター越しに包みをひとつ私に差し出す。
 受け取るとずっしりとした重さと共に、ガラスがこつりとぶつかり合う音が聞こえる。

「何本か入れてきた。使う機会はそうそうないと思うが、レインさんの心配性は今に始まったことじゃないからな。いつもどおり、空き瓶は返してくれると助かるよ」
「うん、ありがとうアレン。イヴにもそう伝えておいて。どうせ掃除中でしょ?」
「……寝る前に密かにやらかして、そのまま気を失うような形で今の今まで寝ていたらしい」
「それは人前に出せないわね」

 イヴが錬金術に失敗して爆発させるのは日常茶飯事的に起きていることだ。
 お師匠さんが見越したように建物……というよりも錬金術の工房のようなスペースだけは丈夫にしているから、被害は室内だけだけれど。それでも爆発が起きているのだから、仲はちょっとした惨事だ。おまけにイヴ自身も煤で汚れる。
 つまりは今のイヴは、懇意にする相手以外の前には出せない状況ということだ。

 フロリア此処に来たからにはイヴの顔も見たかったものだけれど、こればかりは仕方ない。
 遠い目をしたかと思えば盛大な溜息を零したアレンに苦笑を浮かべつつ、受け取った包みは鞄に詰めて、残っているカフェモカを飲んだ。その目の前では我関せずといった様子でミルクを飲み干したリフが、小さくゲップを零した。
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