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第4話
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「呪い? 病気じゃないの?」
気になった言い回しに私は眉を寄せて聞き返す。病と言っておきながら呪いとも言ったことがどうしても気になったのだ。
するとテオは困ったように眉を下げながら答えた。
「より正確に言うのなら、呪いかどうかもわからない。だが感染経路は不明、考えられる療法も全て効果がなくてな。呪術の類によるものじゃないかとも考えられているんだ」
「……やっかいな状況なもんだな。だが呪いとも考えてんなら、不確かな伝承にすがる必要なんてなくないか? それとも、呪術の対価は術者の魂で、そいつはもう死んでるとでも?」
「もちろんその調査も進められている。国がもっとも注力しているのは原因の究明だからな。だが、〈竜巫女〉の搜索もまた必要なのではないかと考えた」
眉根を寄せるグレン兄の問いに、テオがため息混じりに答える。
そうして再度口を開こうとしたテオより早く言葉を発したのはレイン兄だった。
「〈竜巫女〉を騙る人間が現れた?」
静かに紡がれた言葉に、テオは苦々しい表情で頷いた。
ああ、だからテオは真の〈竜巫女〉だなんて言い回しをしたのか。
「ジェド……兄上と妹が〈黒鱗病〉を発症したのはふた月ほど前のことなんだが、未知の症状なのもあって決して公にはされず、限られた人間しか知らないことだったんだ」
語り始めたその言葉に、首を傾げるような点はない。口ぶりからして当時から、おそらくは今もなお王城に詰める者以外には発症者はいないのだろうから。
「もちろん完全に遮断できていたとは言わない。だがまだ死者は出ていないこともあってか、広まった内容も貴族の誰かが奇病を患ったという曖昧そのものな噂に留まっていて、子細は探ったところで知れるようなものではない――はずだったんだけどな」
「……現れたのですね、〈竜巫女〉を名乗る者が」
「ああ。しかも、王城に現れたのは兄上たちが発症してから数日も経たない内、そして発症した者が誰なのか、いつ症状が確認されたか、症状についても細かく把握している、というおまけつきだ」
「とすると、そいつは貴族の誰かが富や名声求めて娘なりなんなりに騙らせたんじゃねえの?」
「そうだったらまだ良かったんだが……」
深く息を吐くテオの眉根が深く寄せられている。
そして彼が口にした言葉は、何処か他人事のように聞いていた私を凍りつかせた。
「〈竜巫女〉と名乗り出たのは隣国――フェルメニア王国の姫君だ。フェルメニア王国第一王女アナスタシア・レム・フェルメニアが国に訪れ、自分は〈竜巫女〉で、国を助けられるのだと言い切ったんだ」
「……っ!?」
思わず息を飲み、目を見開く。驚いたってもんじゃない。
だって、〈竜巫女〉を騙っていたのは私の――アクアリアの実姉なのだから。
アナスタシア・レム・フェルメニアは、フェルメニア王国の第一王女であり、崖から突き落とされるなんてことがあるまでは、私にとって大好きで心から尊敬する最も身近な女性だった。歳は私よりも三つ年上だから、いまは十七歳のはずだ。身内の贔屓目を差し引いてもとても綺麗な人だったから、おそらく今はそれが更に磨きがかかっていることだろう。もう長く会いもしていなければ、見かけたことすらないからわからないけれど。
でも、そんな姉がわざわざスィエルにやってきて、まさか伝承上の存在を自称するなんて……あの頃、確か姉は自分は特別な存在なのだといつも言っていたけど、まさかこのことを? いや、だとしても。
「……隣国のお姫様が名乗り出たの? 偽物か本物かはさておきとしても、なんのために?」
そもそもとしてわけがわからない。
スィエルとフェルメニアは友好的な関係は築いている。過去を辿っても大きな諍いはないことからもそれはわかる。でも、だからといってこうした事態に於いて、しかも国外には漏れるはずもない情報を掴んだ上で王女を送るなんてことはまず有り得ない。普通に考えたって気味悪いことこの上ない。
「フェルメニアの第一王女……起源を考えれば〈竜巫女〉であってもおかしくはありませんが」
「伝承の発祥はフェルメニア王家だからね……けどそれならなおのこと、名乗りあげたりはしないはずだ。とすると、偽者の可能性が、」
「――あの方は確かに〈竜巫女〉だ!!」
と、シル姉とレイン兄の会話に割って入ったのは黙していたアルノーさんだ。
彼は荒らげた声に怒気を宿して、射殺さんばかりに二人を睨みつけていた。
「あの方は奇跡を起こしてくださった! 優れた魔法医師さえも治療が不可能だと言い切った傷を、あの方は治してくださった。正しく〈竜巫女〉と呼ぶに相応しい神々しさだった、その光景さえも知らぬ人間が、あの方を疑うなど!」
口ぶりから考えるに、アルノーさんは姉――アナスタシア姫によって怪我を治してもらったんだろう。なにがあってそうなったのかはわからないけど、多分〈竜巫女〉だと信じてもらうためだろう。そうでもなければ今のアナスタシアが誰かの為にそんなことをするとは思えない。記憶の中にある変貌したあとの姉のままならなおのことだ。それに、彼は大きな勘違いをしている。
「あのですね……そのお姫様を直接見たことがないからこそ、疑うんです。聞けば聞くほど怪しいならなおさら。あと、治癒の力は〈竜巫女〉の奇跡じゃないはずですよ」
「は?」
「フェルメニア王家は先祖に治癒能力の持ち主がいたんです。それも、死んでさえいなければ完全に快復させられる程の、精霊とかが使うものに匹敵するような能力。だから今でも人間とは思えない力を持った人間が生まれるようで……奇跡は奇跡でも、それは〈竜巫女〉の奇跡とはきっと違う」
そのはずだよね、とシル姉とレイン兄を見ると、二人はこくりと頷く。
フェルメニア王家の祖先には、治癒の能力を宿した者がいる。
この事を知ったのは物心ついた頃。詳しく知ったのはレイン兄たちと暮らし始めてからのことだけど、それは魔法とは似て非なる力で本来なら人間が使えるようなものじゃないらしい。でもだからこそ、今でもその力を宿した人間が生まれる。必ず、というわけじゃないけど。
アナスタシアはその力を宿していた人間だった。走り回って転んだ時にはその力で傷を治してくれたからよく覚えてる。確かに力を使う姉は神々しいものに思えたものだ。まして、私にはないものだったから羨む心もあってさらに凄いもののように感じていた。
けど、だからこそ治癒の力は決して〈竜巫女〉の奇跡なんかじゃない。言い切れる。
「フェルメニア国が〈竜巫女〉の伝承発祥の地だから、そうなんじゃないかと思ってしまうのもわからなくはないけどね。テオも……いや、スィエルの王族もまたそう思っているんじゃないかな?」
「すげなく扱うには万が一が怖いからな。ただ、本物だとしても腑に落ちないことが多々ある」
「と、いうと?」
レイン兄の言葉に同意するテオの表情は険しいままだ。聞き返されてさらに渋面となったテオは、深い溜め息をこぼして口を開く。
「要領を得ないんだ、それに竜の気配も全くない。連れ歩くことは望まずとも、〈竜巫女〉だというのならば彼らにより見守られ、一度何かがあれば俺達を射殺さんばかりに見てきてもおかしくないだろうに……加えて、自分は未来を知っているのだとのたまいはしたが、それも現状では兄と妹が〈黒鱗病〉を患っていることくらいしか言い当ててはいない」
――未来を、知ってる?
テオの言葉に、眉を寄せる。
少なくとも小さな頃のアナスタシアに未来予知だなんて力はなかったはずだけど、まさか本当に姉は〈竜巫女〉なのだろうか?
ちら、とレイン兄を見ると、視線に気付いて首を横に振る。
「俺が把握している限り、未来予知の能力の保持はなかったと思う。というか、王家の血を遡ってもそんな力の発露はまず有り得ない、かな」
「ですが、事実としてフェルメニアの姫君は訪れ、本来ならば知り得るはずのない事柄を言い当てた……とすれば千里眼の持ち主か、あるいは……」
「けど、どうせテオの兄貴も妹もそのお姫様に病から助けられたってわけでもねぇんだろ?」
考え込み始めたシル姉を横目で見つつ、グレン兄がテーブルに肘をつき、その手に顎をのせるようにしてテオへと尋ねる。
それに対してテオは隠すこともなく、けれども重く頷いた。
「その通りだ。いまはその時ではない、との一点張りで……一方でアルノーのように治癒の奇跡により救われた者もいたのだが、その力については〈竜巫女〉であるという証明にはならぬと思って良いのか?」
「その点については言い切れるよ。俺たちの言葉が信じられないのなら、フェルメニアにまつわる古い文献を漁るといい……遠い祖先に特殊な血筋の娘が妃として迎えられたとあるはずだから」
「俺個人としては疑ってはいないのだが、その点については城に戻ってから確認しよう」
やんわりとしたレイン兄の言葉に、テオははっきりと頷く。言葉を鵜呑みにするだけじゃなくて己の眼で見て確認することは大事だものね。何よりそれは、テオの周囲に伝えるにあたっても信憑性という意味で違ってくる。
私たちがどれだけレイン兄は信頼できるって言っても、他人から見れば違うもの。アルノーさんが今も険しい顔のままであるように。
「それで、本題からは逸れるのですが、どうして一国の王子である貴方が危険と知りながらも此処までやってきたのですか?」
のんびりとした声はシル姉のものだ。
透き通った蒼の眼で真っ直ぐにテオを見て、シル姉は小首を傾げていた。
「貴方が此処まで来た理由が〈竜巫女〉であることについては伺いましたけれど、貴方である理由についてはお聞きしていませんでしたから……よろしければお尋ねしても?」
「……そう、だな」
「お答えしにくいのでしたら、構いませんが……」
「いや、そうじゃないんだが……なんというか、どう説明したものかと」
口ごもり言い淀むテオは、眉を寄せ、やがて意を決したように答える。
「ざっくりと答えるなら、人より丈夫なんだ」
「丈夫? 頑丈ってこと?」
「そうとも言うが……なんというかな、怪我をしないわけでも病に全くかからないわけでもないんだが、傷の治りが早かったり、毒とかの類が効きにくかったりと、とにかくおかしな体質で」
「……なにそれ」
「すまないが詳しいことは俺自身もよくわかってないんだ。ただ、おそらくは生まれた時からそういう体質だったのだろう。俺が自分の体質を知ったのは物心がついた後、木から落ちて怪我を負った時だが」
困り眉のままにテオはそう言って微笑んだ。なるほど、わからん。
でもそれはつまり、テオは不死の体質に近いものを持って生まれたってことなんだろうか。純粋な人間とかはそうしたものを体質としては持ち合わせないけれど、スィエル王家の系譜に人間以外がいるならば、可能性はあるとは思うし。
もっとも、人間の遺伝子の方が強いから発現することはあまりないみたいだけど。アナスタシアに発現して私には発現しなかった治癒の力も、こうした理由のせいなのだから、間違ってはないはず。
すると、その考えが正しいと肯定するかのようにレイン兄が口を開いた。
「なるほど、道理で……とすると、セイの血のせいかな。数奇なものだなあ、見た目だけではなくそうした力まで現れるなんて」
のんびりと言って、レイン兄はふふ、と笑う。
セイ、という人の名前に聞き覚えはない。かつての王族とはいえテオの体質にも関係しているのだし、それが推測通りに不死のそれなら、先祖もかなり寿命は長いはずだし、生きていてもおかしくはないけれど、少なくとも私は会った事はないはずだ。
どうして王族と関わるべきではないレイン兄がテオのご先祖様――すなわち王族の名を敬称もつけずに呼んでいるのかもわからないけど、いろいろあったんだろう。レイン兄も、シル姉も。自分から語るってことはしないけど長く生きているんだもの。
「セイ……? 確か……ぶしつけにすまないが、レイン。貴方は一体……」
呆けた様子で問うテオ。
そういえばテオはまだレイン兄が外見以上に長生きしてるって聞いてなかったんだっけ。初対面で挨拶がわりに話すことでもないし、私の養父とは伝えてあるけど、扶養してもらっている身、って考えれば何もおかしなところはないわけだし。まあ、問われて答えに悩む質問でもないだろうから、レイン兄は躊躇いなく答えるわけだけど。
「これでもおじいちゃんだから、外見以上には歳を重ねている。もちろん長く生きていればそれだけ長く世界の移り変わる様を見守ることができるからね、君がスィエルの王子だってわかったのもそういうことだよ」
「だとしても、セイが王族として生きて過ごしていたのは……その頃から生きているのか? いや、だがそれは……」
レイン兄の言葉にテオは目を丸くしたまま、信じられないといった様子で問いを重ねる。
そんなにおかしいものなのでもないと思うんだけど、テオは何が引っかかっているんだろうか。首をかしげていると、レイン兄は微笑んだまま言葉を付け足した。
「さて、それほど突飛でもないと思うけれど。セイは人間ではなかったのだからね。王家の歴史においては王妃の死後、数年ほど経って追い掛けるようにして亡くなったとされているようだけれど、実のところはあくまでも表舞台から去っただけだし」
「あっさりと物凄いことを言ってくれるな、貴方は」
眉根を寄せて、額を押さえながら深い溜息をひとつ。そんなテオの横で、アルノーさんはレイン兄を睨み付けていた。
「いいえ、殿下。おそらくは全てこの男の妄言です。そもそも、このような辺境の地の森奥に隠れるように住む人間が知り得るはずもないのですから、真に受ける必要などありません」
「うん? うん、そうだね。確かに妄言と言われても仕方ない。事実と証明する手段なんて、今すぐには提示できないしね。それに……体に異常が出るようなものでもない」
敵意むき出しのアルノーさんの言葉もなんのその、柔らかな表情のままに答えるレイン兄。途端、アルノーさんの眉間に刻まれた皺が酷くなったのは言うまでもない。
でもアルノーさんの言い分は正しい、というか当然だ。だってさすがにあまりにも突飛だものね……私だって信じられない。もっとも、信じられないとは言っても無用な嘘をつくような人ではないとわかっているから、事実なんだろうとも思っているけれど。
「まあ、これについては戯言として流してくれて構わないよ。けど、事実としてテオは特異な体質を持っている……俺としては、それゆえに此処に来たというのならば物申したいところだ」
ふう、と息を吐き出して、レイン兄は表情を引き締める。対するテオはほんの少しだけ眉を下げて口を開いた。
「この体質も確かに理由ではあるが、流石にそれだけじゃないさ。ただ、都合は良かった。身分も、立場も、体質もな。まあ、ジェド達のために何か出来ないかという一心での行動、というのが一番しっくりくるんだがな」
「一応は兄貴やってる身としては気持ちはわかるけどな。同じ状況でやれることがあるなら居ても立ってもいられねーだろうさ」
「妹としては嬉しくないわけじゃないけどやめてほしいと何より思うでしょうね。真偽もはっきりしないお伽話を追い求めるなんて、いくらなんでも無茶が過ぎる。周囲の人たちに多大なる心配をかけにかけていると思うわ」
「返す言葉もないな」
終わり良ければ、なんて言ったりもするけれど、それは大事になんてならなかったからこその言葉であって、だから安心して送り出せるはずもない。たとえ寝込んでいたとしても、無事に帰ってくるまで心配で気が気じゃないし、とにかくやめてほしさはあるわよね。それを目の前の王子殿下はやらかしてくれたわけだけれど? 気付いてないのか無視してるんだかはわかんないけどアルノーさん、横で深く深く頷きまくってるわよ。いっそ可哀想になってくるわ。
あっけらかんと笑うテオを、グレン兄と共にこの王子大丈夫なんだろうか、と本気で心配になりながら見詰める。行動力に溢れに溢れてるのも問題よね。
だが不意に、テオは口を開いた。
「しかし……この様子ではこの森に噂に聞くような〈竜巫女〉はいないのだな」
と、テオが僅かに気落ちした様子で目を伏せる。わざとらしさの欠片もないその姿に少しだけ罪悪感を抱くけれど、いないものはいないのだから仕方ないわよね。
けど、そんなテオをじいっと見詰めていたシル姉は、こんなことを言った。
「いない、とは言っていませんけれど」
ぽつりと、だけどはっきりとシル姉は言い、テオが目を丸くする。って、いやいやいや、ちょっと待ってよ。
「シル姉、何を言ってるの?」
「そうだぜ、シル姉。そんな言い方して、期待を持たせるなって」
真っ先に聞き返す形となったのは私とグレン兄にもシル姉はにこりと笑うだけ。
シル姉、違うそうじゃないのよ。嘘は言ってないよ、って笑顔がほしいわけじゃないから。レイン兄もシル姉も嘘を言うようなひとじゃないからこそ、私とグレン兄は戸惑ってるのよ? だって、逆立ちしたってそんなものはいない――。
「いいや、グレン。期待を持たせるとかではなく、いないわけではないよ?」
「レイン兄まで……〈竜巫女〉なんているわけ、」
「そうじゃなくて。テオが聞いた噂《・》、それはおそらくリリィのことだ」
「んぁ?」
――いないはず、だったんだけど。実際、いないんだけど。
「竜を連れ歩く、竜に愛された子――なんて言われ方をして、あまつさえ〈竜巫女〉じゃないかだなんて噂をされるのは、リリィ以外いない……だろう?」
テオが聞きつけた〈竜巫女〉の噂の原因、私だったかぁ。
うん。言い訳のしようもないし、これなら確かにいないわけじゃないわ。
気になった言い回しに私は眉を寄せて聞き返す。病と言っておきながら呪いとも言ったことがどうしても気になったのだ。
するとテオは困ったように眉を下げながら答えた。
「より正確に言うのなら、呪いかどうかもわからない。だが感染経路は不明、考えられる療法も全て効果がなくてな。呪術の類によるものじゃないかとも考えられているんだ」
「……やっかいな状況なもんだな。だが呪いとも考えてんなら、不確かな伝承にすがる必要なんてなくないか? それとも、呪術の対価は術者の魂で、そいつはもう死んでるとでも?」
「もちろんその調査も進められている。国がもっとも注力しているのは原因の究明だからな。だが、〈竜巫女〉の搜索もまた必要なのではないかと考えた」
眉根を寄せるグレン兄の問いに、テオがため息混じりに答える。
そうして再度口を開こうとしたテオより早く言葉を発したのはレイン兄だった。
「〈竜巫女〉を騙る人間が現れた?」
静かに紡がれた言葉に、テオは苦々しい表情で頷いた。
ああ、だからテオは真の〈竜巫女〉だなんて言い回しをしたのか。
「ジェド……兄上と妹が〈黒鱗病〉を発症したのはふた月ほど前のことなんだが、未知の症状なのもあって決して公にはされず、限られた人間しか知らないことだったんだ」
語り始めたその言葉に、首を傾げるような点はない。口ぶりからして当時から、おそらくは今もなお王城に詰める者以外には発症者はいないのだろうから。
「もちろん完全に遮断できていたとは言わない。だがまだ死者は出ていないこともあってか、広まった内容も貴族の誰かが奇病を患ったという曖昧そのものな噂に留まっていて、子細は探ったところで知れるようなものではない――はずだったんだけどな」
「……現れたのですね、〈竜巫女〉を名乗る者が」
「ああ。しかも、王城に現れたのは兄上たちが発症してから数日も経たない内、そして発症した者が誰なのか、いつ症状が確認されたか、症状についても細かく把握している、というおまけつきだ」
「とすると、そいつは貴族の誰かが富や名声求めて娘なりなんなりに騙らせたんじゃねえの?」
「そうだったらまだ良かったんだが……」
深く息を吐くテオの眉根が深く寄せられている。
そして彼が口にした言葉は、何処か他人事のように聞いていた私を凍りつかせた。
「〈竜巫女〉と名乗り出たのは隣国――フェルメニア王国の姫君だ。フェルメニア王国第一王女アナスタシア・レム・フェルメニアが国に訪れ、自分は〈竜巫女〉で、国を助けられるのだと言い切ったんだ」
「……っ!?」
思わず息を飲み、目を見開く。驚いたってもんじゃない。
だって、〈竜巫女〉を騙っていたのは私の――アクアリアの実姉なのだから。
アナスタシア・レム・フェルメニアは、フェルメニア王国の第一王女であり、崖から突き落とされるなんてことがあるまでは、私にとって大好きで心から尊敬する最も身近な女性だった。歳は私よりも三つ年上だから、いまは十七歳のはずだ。身内の贔屓目を差し引いてもとても綺麗な人だったから、おそらく今はそれが更に磨きがかかっていることだろう。もう長く会いもしていなければ、見かけたことすらないからわからないけれど。
でも、そんな姉がわざわざスィエルにやってきて、まさか伝承上の存在を自称するなんて……あの頃、確か姉は自分は特別な存在なのだといつも言っていたけど、まさかこのことを? いや、だとしても。
「……隣国のお姫様が名乗り出たの? 偽物か本物かはさておきとしても、なんのために?」
そもそもとしてわけがわからない。
スィエルとフェルメニアは友好的な関係は築いている。過去を辿っても大きな諍いはないことからもそれはわかる。でも、だからといってこうした事態に於いて、しかも国外には漏れるはずもない情報を掴んだ上で王女を送るなんてことはまず有り得ない。普通に考えたって気味悪いことこの上ない。
「フェルメニアの第一王女……起源を考えれば〈竜巫女〉であってもおかしくはありませんが」
「伝承の発祥はフェルメニア王家だからね……けどそれならなおのこと、名乗りあげたりはしないはずだ。とすると、偽者の可能性が、」
「――あの方は確かに〈竜巫女〉だ!!」
と、シル姉とレイン兄の会話に割って入ったのは黙していたアルノーさんだ。
彼は荒らげた声に怒気を宿して、射殺さんばかりに二人を睨みつけていた。
「あの方は奇跡を起こしてくださった! 優れた魔法医師さえも治療が不可能だと言い切った傷を、あの方は治してくださった。正しく〈竜巫女〉と呼ぶに相応しい神々しさだった、その光景さえも知らぬ人間が、あの方を疑うなど!」
口ぶりから考えるに、アルノーさんは姉――アナスタシア姫によって怪我を治してもらったんだろう。なにがあってそうなったのかはわからないけど、多分〈竜巫女〉だと信じてもらうためだろう。そうでもなければ今のアナスタシアが誰かの為にそんなことをするとは思えない。記憶の中にある変貌したあとの姉のままならなおのことだ。それに、彼は大きな勘違いをしている。
「あのですね……そのお姫様を直接見たことがないからこそ、疑うんです。聞けば聞くほど怪しいならなおさら。あと、治癒の力は〈竜巫女〉の奇跡じゃないはずですよ」
「は?」
「フェルメニア王家は先祖に治癒能力の持ち主がいたんです。それも、死んでさえいなければ完全に快復させられる程の、精霊とかが使うものに匹敵するような能力。だから今でも人間とは思えない力を持った人間が生まれるようで……奇跡は奇跡でも、それは〈竜巫女〉の奇跡とはきっと違う」
そのはずだよね、とシル姉とレイン兄を見ると、二人はこくりと頷く。
フェルメニア王家の祖先には、治癒の能力を宿した者がいる。
この事を知ったのは物心ついた頃。詳しく知ったのはレイン兄たちと暮らし始めてからのことだけど、それは魔法とは似て非なる力で本来なら人間が使えるようなものじゃないらしい。でもだからこそ、今でもその力を宿した人間が生まれる。必ず、というわけじゃないけど。
アナスタシアはその力を宿していた人間だった。走り回って転んだ時にはその力で傷を治してくれたからよく覚えてる。確かに力を使う姉は神々しいものに思えたものだ。まして、私にはないものだったから羨む心もあってさらに凄いもののように感じていた。
けど、だからこそ治癒の力は決して〈竜巫女〉の奇跡なんかじゃない。言い切れる。
「フェルメニア国が〈竜巫女〉の伝承発祥の地だから、そうなんじゃないかと思ってしまうのもわからなくはないけどね。テオも……いや、スィエルの王族もまたそう思っているんじゃないかな?」
「すげなく扱うには万が一が怖いからな。ただ、本物だとしても腑に落ちないことが多々ある」
「と、いうと?」
レイン兄の言葉に同意するテオの表情は険しいままだ。聞き返されてさらに渋面となったテオは、深い溜め息をこぼして口を開く。
「要領を得ないんだ、それに竜の気配も全くない。連れ歩くことは望まずとも、〈竜巫女〉だというのならば彼らにより見守られ、一度何かがあれば俺達を射殺さんばかりに見てきてもおかしくないだろうに……加えて、自分は未来を知っているのだとのたまいはしたが、それも現状では兄と妹が〈黒鱗病〉を患っていることくらいしか言い当ててはいない」
――未来を、知ってる?
テオの言葉に、眉を寄せる。
少なくとも小さな頃のアナスタシアに未来予知だなんて力はなかったはずだけど、まさか本当に姉は〈竜巫女〉なのだろうか?
ちら、とレイン兄を見ると、視線に気付いて首を横に振る。
「俺が把握している限り、未来予知の能力の保持はなかったと思う。というか、王家の血を遡ってもそんな力の発露はまず有り得ない、かな」
「ですが、事実としてフェルメニアの姫君は訪れ、本来ならば知り得るはずのない事柄を言い当てた……とすれば千里眼の持ち主か、あるいは……」
「けど、どうせテオの兄貴も妹もそのお姫様に病から助けられたってわけでもねぇんだろ?」
考え込み始めたシル姉を横目で見つつ、グレン兄がテーブルに肘をつき、その手に顎をのせるようにしてテオへと尋ねる。
それに対してテオは隠すこともなく、けれども重く頷いた。
「その通りだ。いまはその時ではない、との一点張りで……一方でアルノーのように治癒の奇跡により救われた者もいたのだが、その力については〈竜巫女〉であるという証明にはならぬと思って良いのか?」
「その点については言い切れるよ。俺たちの言葉が信じられないのなら、フェルメニアにまつわる古い文献を漁るといい……遠い祖先に特殊な血筋の娘が妃として迎えられたとあるはずだから」
「俺個人としては疑ってはいないのだが、その点については城に戻ってから確認しよう」
やんわりとしたレイン兄の言葉に、テオははっきりと頷く。言葉を鵜呑みにするだけじゃなくて己の眼で見て確認することは大事だものね。何よりそれは、テオの周囲に伝えるにあたっても信憑性という意味で違ってくる。
私たちがどれだけレイン兄は信頼できるって言っても、他人から見れば違うもの。アルノーさんが今も険しい顔のままであるように。
「それで、本題からは逸れるのですが、どうして一国の王子である貴方が危険と知りながらも此処までやってきたのですか?」
のんびりとした声はシル姉のものだ。
透き通った蒼の眼で真っ直ぐにテオを見て、シル姉は小首を傾げていた。
「貴方が此処まで来た理由が〈竜巫女〉であることについては伺いましたけれど、貴方である理由についてはお聞きしていませんでしたから……よろしければお尋ねしても?」
「……そう、だな」
「お答えしにくいのでしたら、構いませんが……」
「いや、そうじゃないんだが……なんというか、どう説明したものかと」
口ごもり言い淀むテオは、眉を寄せ、やがて意を決したように答える。
「ざっくりと答えるなら、人より丈夫なんだ」
「丈夫? 頑丈ってこと?」
「そうとも言うが……なんというかな、怪我をしないわけでも病に全くかからないわけでもないんだが、傷の治りが早かったり、毒とかの類が効きにくかったりと、とにかくおかしな体質で」
「……なにそれ」
「すまないが詳しいことは俺自身もよくわかってないんだ。ただ、おそらくは生まれた時からそういう体質だったのだろう。俺が自分の体質を知ったのは物心がついた後、木から落ちて怪我を負った時だが」
困り眉のままにテオはそう言って微笑んだ。なるほど、わからん。
でもそれはつまり、テオは不死の体質に近いものを持って生まれたってことなんだろうか。純粋な人間とかはそうしたものを体質としては持ち合わせないけれど、スィエル王家の系譜に人間以外がいるならば、可能性はあるとは思うし。
もっとも、人間の遺伝子の方が強いから発現することはあまりないみたいだけど。アナスタシアに発現して私には発現しなかった治癒の力も、こうした理由のせいなのだから、間違ってはないはず。
すると、その考えが正しいと肯定するかのようにレイン兄が口を開いた。
「なるほど、道理で……とすると、セイの血のせいかな。数奇なものだなあ、見た目だけではなくそうした力まで現れるなんて」
のんびりと言って、レイン兄はふふ、と笑う。
セイ、という人の名前に聞き覚えはない。かつての王族とはいえテオの体質にも関係しているのだし、それが推測通りに不死のそれなら、先祖もかなり寿命は長いはずだし、生きていてもおかしくはないけれど、少なくとも私は会った事はないはずだ。
どうして王族と関わるべきではないレイン兄がテオのご先祖様――すなわち王族の名を敬称もつけずに呼んでいるのかもわからないけど、いろいろあったんだろう。レイン兄も、シル姉も。自分から語るってことはしないけど長く生きているんだもの。
「セイ……? 確か……ぶしつけにすまないが、レイン。貴方は一体……」
呆けた様子で問うテオ。
そういえばテオはまだレイン兄が外見以上に長生きしてるって聞いてなかったんだっけ。初対面で挨拶がわりに話すことでもないし、私の養父とは伝えてあるけど、扶養してもらっている身、って考えれば何もおかしなところはないわけだし。まあ、問われて答えに悩む質問でもないだろうから、レイン兄は躊躇いなく答えるわけだけど。
「これでもおじいちゃんだから、外見以上には歳を重ねている。もちろん長く生きていればそれだけ長く世界の移り変わる様を見守ることができるからね、君がスィエルの王子だってわかったのもそういうことだよ」
「だとしても、セイが王族として生きて過ごしていたのは……その頃から生きているのか? いや、だがそれは……」
レイン兄の言葉にテオは目を丸くしたまま、信じられないといった様子で問いを重ねる。
そんなにおかしいものなのでもないと思うんだけど、テオは何が引っかかっているんだろうか。首をかしげていると、レイン兄は微笑んだまま言葉を付け足した。
「さて、それほど突飛でもないと思うけれど。セイは人間ではなかったのだからね。王家の歴史においては王妃の死後、数年ほど経って追い掛けるようにして亡くなったとされているようだけれど、実のところはあくまでも表舞台から去っただけだし」
「あっさりと物凄いことを言ってくれるな、貴方は」
眉根を寄せて、額を押さえながら深い溜息をひとつ。そんなテオの横で、アルノーさんはレイン兄を睨み付けていた。
「いいえ、殿下。おそらくは全てこの男の妄言です。そもそも、このような辺境の地の森奥に隠れるように住む人間が知り得るはずもないのですから、真に受ける必要などありません」
「うん? うん、そうだね。確かに妄言と言われても仕方ない。事実と証明する手段なんて、今すぐには提示できないしね。それに……体に異常が出るようなものでもない」
敵意むき出しのアルノーさんの言葉もなんのその、柔らかな表情のままに答えるレイン兄。途端、アルノーさんの眉間に刻まれた皺が酷くなったのは言うまでもない。
でもアルノーさんの言い分は正しい、というか当然だ。だってさすがにあまりにも突飛だものね……私だって信じられない。もっとも、信じられないとは言っても無用な嘘をつくような人ではないとわかっているから、事実なんだろうとも思っているけれど。
「まあ、これについては戯言として流してくれて構わないよ。けど、事実としてテオは特異な体質を持っている……俺としては、それゆえに此処に来たというのならば物申したいところだ」
ふう、と息を吐き出して、レイン兄は表情を引き締める。対するテオはほんの少しだけ眉を下げて口を開いた。
「この体質も確かに理由ではあるが、流石にそれだけじゃないさ。ただ、都合は良かった。身分も、立場も、体質もな。まあ、ジェド達のために何か出来ないかという一心での行動、というのが一番しっくりくるんだがな」
「一応は兄貴やってる身としては気持ちはわかるけどな。同じ状況でやれることがあるなら居ても立ってもいられねーだろうさ」
「妹としては嬉しくないわけじゃないけどやめてほしいと何より思うでしょうね。真偽もはっきりしないお伽話を追い求めるなんて、いくらなんでも無茶が過ぎる。周囲の人たちに多大なる心配をかけにかけていると思うわ」
「返す言葉もないな」
終わり良ければ、なんて言ったりもするけれど、それは大事になんてならなかったからこその言葉であって、だから安心して送り出せるはずもない。たとえ寝込んでいたとしても、無事に帰ってくるまで心配で気が気じゃないし、とにかくやめてほしさはあるわよね。それを目の前の王子殿下はやらかしてくれたわけだけれど? 気付いてないのか無視してるんだかはわかんないけどアルノーさん、横で深く深く頷きまくってるわよ。いっそ可哀想になってくるわ。
あっけらかんと笑うテオを、グレン兄と共にこの王子大丈夫なんだろうか、と本気で心配になりながら見詰める。行動力に溢れに溢れてるのも問題よね。
だが不意に、テオは口を開いた。
「しかし……この様子ではこの森に噂に聞くような〈竜巫女〉はいないのだな」
と、テオが僅かに気落ちした様子で目を伏せる。わざとらしさの欠片もないその姿に少しだけ罪悪感を抱くけれど、いないものはいないのだから仕方ないわよね。
けど、そんなテオをじいっと見詰めていたシル姉は、こんなことを言った。
「いない、とは言っていませんけれど」
ぽつりと、だけどはっきりとシル姉は言い、テオが目を丸くする。って、いやいやいや、ちょっと待ってよ。
「シル姉、何を言ってるの?」
「そうだぜ、シル姉。そんな言い方して、期待を持たせるなって」
真っ先に聞き返す形となったのは私とグレン兄にもシル姉はにこりと笑うだけ。
シル姉、違うそうじゃないのよ。嘘は言ってないよ、って笑顔がほしいわけじゃないから。レイン兄もシル姉も嘘を言うようなひとじゃないからこそ、私とグレン兄は戸惑ってるのよ? だって、逆立ちしたってそんなものはいない――。
「いいや、グレン。期待を持たせるとかではなく、いないわけではないよ?」
「レイン兄まで……〈竜巫女〉なんているわけ、」
「そうじゃなくて。テオが聞いた噂《・》、それはおそらくリリィのことだ」
「んぁ?」
――いないはず、だったんだけど。実際、いないんだけど。
「竜を連れ歩く、竜に愛された子――なんて言われ方をして、あまつさえ〈竜巫女〉じゃないかだなんて噂をされるのは、リリィ以外いない……だろう?」
テオが聞きつけた〈竜巫女〉の噂の原因、私だったかぁ。
うん。言い訳のしようもないし、これなら確かにいないわけじゃないわ。
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