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第1章
22.緩やかに変わり行けたら
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「この子が、セナ様の命を狙っていたんですか?」
「ただの薄汚れた神族の子供のようにしか見えぬが……」
アリシアとルキフェルが、まじまじと少年を見る。
確かに、見た目では普通の子供にしか見えない。神族なのだから整った顔立ちではあるが、薄汚れていてお世辞にも綺麗な姿じゃない事を差し引けばどこにでもいる風に思える。もちろん暗殺を生業にしているような人間が、それらしい姿で昼間に歩き回っているなんてことは有り得ないのだけれど。
少年はしばし身をよじらせながらもがき続けていたが、不意に空に浮かぶルキフェルに気付くと真っ直ぐに見詰め、やがてぽつりと呟いた。
「……喋って動くぬいぐるみとか、気持ち悪ぃ」
「なっ!?」
「ぶふぉ!!」
その内容にルキフェルは凍り付き、ウェインは吹き出した。
ぱちくりと目をしばたかせるアリシアの傍らで、聖奈も苦笑いを一つ。
確かに見る人が見ればルキフェルは気持ち悪くもあるだろう。聖奈も、おそらくアリシアも猫のぬいぐるみだからこそそういう風に考えた事はないが、これが可愛くもない姿なら――例えばデフォルメされたものではなくリアルな人形だったとしたら、少なくとも聖奈は気持ち悪いという感想を口に出していたことだろう。自室にそういった類いのものが存在しなくて本当に良かったと思う。
「貴様! 我を侮辱するか!」
わなわなと怒りに震え出していたルキフェルが、少年へと指を突き立てて声を荒らげた。
見た目とは裏腹な迫力があると思うのだが、少年は眉一つ動かすことなくルキフェルを見詰め言葉を続ける。
「気持ち悪いものを気持ち悪いって言って何が悪いんだよ。それとも何? その姿に自信でも持ってるわけ? だとしたらナルシストの使い魔か、余計気持ち悪ぃ」
「神族の小僧如きがいい度胸だ……仕置きのしがいがありそうだな……!」
「子供相手にキレたりしないの!」
今にも襲いかからん勢いのルキフェルに、聖奈は慌てて両手で彼を取り押さえた。
離せ、と暴れるルキフェルを押さえ込みながら、眉をつり上げて少年を見遣る。
「あなたもあなただよ。どうしてそんなに攻撃的なことばかりを言うの?」
「だって事実だろ」
「そうだな、ぬいぐるみが気持ち悪くてウザいものだから、思わず切り刻みたくなるのは事実だな」
「小僧貴様ァ! この場で地べたに這い蹲ってみるか!?」
「あーもー、ルキフェルもウェインも少し黙って! 話が進まないでしょう!」
言いながらウェインの頭を軽くぺしん、と叩きつつ、聖奈は少年を見詰める。
彼は怒りとも苛立ちとも取れる表情を浮かべていた。
まるで何も信じられない、信じるつもりもないといった様子に見える。
だがそれは当たり前の反応だろう。気付けば知らない人達に囲まれ、進行形で拘束されているとなれば、警戒するなという方が無理な話だ。ウェインの言葉が事実であれば彼は聖奈のことを少なからず知っているわけだけれど、それでも一方的に殺害をするべき対象として知っているに過ぎないのだから。
「ねえ、男の人たちに追われてたようだけど、どうして?」
「答える必要ない」
「けど追われているのには事情があるんでしょう?」
「仮に事情があったとして、アンタに言って何になるんだよ? オレは今からでもあんたを殺す。殺して、首を持っていく。ただそれだけだ」
「それは、私が何なのか知って危険視をした人たちの指示?」
「知るか。オレにはそんなことはどうでもいい。アンタの首を取れるか否か、それしか興味ない」
「…………」
だめだ、会話にならない。それでも分かったことはあるのだけれど。
例えば、この少年が何故か聖奈を殺すことに固執しているということだとか。それは彼の意思ではなく、誰かからの命令だろうことだとか。
とすれば、追われていたのはエルリフで聖奈を殺せなかったことが原因と考えるべきか。
未だにもがく少年を見ながら、聖奈は小さく溜息を零した。
「しかたない、か」
呟きながら立ち上がって、ルキフェルを離すと伸びをする。それからウェインに視線をやって口を開いた。
「ウェイン、そのままその子と一緒にお風呂に直行してあげて。悪いけど頭から足の先まで徹底的に綺麗にしてあげて」
「ええっ!? なんで俺が!?」
弾かれたように非難めいた声を上げたウェインに、聖奈はキッと眉をつり上げて人差し指を立てる。
「適任者はウェインしかいないでしょ? 私やアリシアちゃんじゃ逃げられるか殺されるかのどっちかだろうし、ルキフェルに至っては言うまでもないし」
「えー? ……逃しちゃってもいいんじゃね? もしくは殺すとか」
「物騒なこと言わないの。あ、別に裸の付き合いをする必要はないからね」
「あー、はいはい。とりあえず風呂場に放り込んでくりゃいいわけね。分かりましたよー」
はあ、と深く息を吐き出したウェインは、少年を担ぎ上げた。
当の少年はといえば状況を理解しきれていなかったのか、ウェインに担がれてようやくハッとした様子で暴れ始めたが、そもそもの体格差と腕力の差でものともせずに押さえ付けたウェインは歩き出す。
この宿はエルリフの宿とは異なり、部屋毎に浴室が備え付けられてある。もちろん少年を担ぎ上げたウェインが向かうのはそこだ。
聖奈は横目で見送ると、ルキフェルには此処で少しおとなしくしていてくれるよう頼み、アリシアに声を掛けて荷物を手に部屋を出た。
と、その時だ。
「……セナ様」
躊躇いがちに名を呼ばれて振り向くと、アリシアが眉を下げて聖奈を見上げていた。
「どうしたの?」
首を傾げながら問うと、彼女は一瞬目を逸らして口ごもりながらもおずおずと言った。
「あの子のこと……どうするおつもりなんですか?」
「……どうって?」
「それは……その……」
自分の服の裾をぎゅっと掴んで、アリシアは目を逸らす。
何度も口を開きかけては閉じるのを繰り返すと、やがてぽつぽつと話し始めた。
「ウェインさんのお話しでは、あの子はセナ様を殺そうとしていたそうですし……それに、どんな理由があろうとも神族です……もちろん放っておいたらあの男の人たちに酷いことをされるかもしれない、というのはわかるんですけど……」
だんだんと声が小さく尻すぼみになるアリシアに、聖奈は小さく微笑みながら答えるべく口を開く。
「正直に言うとね、あの子のこと思わず連れて来ちゃったんだ。目の前に転がってきて、追ってた人達も私達に気付いた様子はなかったっていうのもあるんだけど」
言いながら廊下をゆっくりと歩き出す。
少し遅れて後ろから続く足音に耳を傾けながら、言葉を続けた。
「でも、思わずでも連れてきちゃった以上は最後まで面倒を見たいかな。もちろん犬猫とはワケが違うっていうのはわかってるけど、アリシアちゃんが危惧してる通り、このままじゃ酷い目に遭うことは間違いないしね」
「ですがセナ様。彼は神族です、天使なんです。弱いふりをしてるかもしれないじゃないですか……」
肩越しにアリシアをちらりと覗き見ると、彼女は自分の服をぎゅっと掴んだまま俯いていた。とぼとぼと歩いてついてくる様子からは、困惑も見て取れる。
それへ恐らく、ウェインの口から語られた“神族にも奴隷が存在する”という事実を知ったためなのだろうと聖奈は思った。
聖奈もまた困惑しているの。これまで魔族のみがそうした対象にあるとばかり思っていたのに、実際には神族の中にも弾かれる者がいるだなんて。こうなれば人間だって道徳から外れた扱いを受けている可能性だってある。
もしそうならば、それらを皆、受け入れてしまっているのならば――この世界は間違いなく異様な在り方をしている。
もちろん聖奈の暮らしていた世界だって、凄惨な事件は起きていた。人身売買がないわけじゃない、人として扱われないものがいないわけじゃない。テレビを通して様々なことが起きていることは知っていた。聖奈の暮らしていた日本は平和だなんて言われていたけれど、それでも殺人は起きていた。
内戦はあっても戦争なんてことは半世紀は起きていない。それでも平和とは言い難い世界だった。
世界は、異様な在り方をしている。
一歩間違えれば壊れてしまいそうなほどに、危うくて、だが異様で異常だ。そんな在り方を変えるなんて、想像するよりずっと大変だろう。だがそれでも。
「アリシアちゃん」
立ち止まり、優しく名を呼ぶ。
アリシアはびくりと肩を跳ねさせ立ち止まったが、顔を上げる事はない。聖奈は気にせずに言葉を続けた。
「私は魔族がどれだけの仕打ちをされてきたのか、正直ちゃんとはわかってないんだと思う。だから、ほんとはアリシアちゃんは私が思う以上に人間や神族と手を取り合うことに抵抗があるのかもしれない」
「そんなことは……」
「ないわけじゃない、でしょ? でもね、きっとそれじゃいけないんだと思うんだ」
一度目を伏せて、すぐに目を開ける。静かに深呼吸をして、
「魔族だからとか神族だからとか、人間だからとか、そういうのはやめなきゃいけないんだよ。そうじゃなくて、ちゃんとその人を理解しなきゃいけないの……きっと、きっとそれが大切なんだ」
告げるとアリシアは怖々と顔を上げた。聖奈は彼女を見詰めてにっこりと笑う。
「もしかしたらね、魔族にも悪い人がいるかもしれない。誰かを傷つけることを平然と出来るようなひとがいるかもしれない。それは、きっと悪だ。でも、魔族が正しいという世界ならそれも善になっちゃう。そういうのはだめなんだよ。括りなく、悪い人を裁けるようにならなきゃいけないんだ」
「…………」
「今のこの世界は、種族の括りで判断される世界にように私は感じる。魔族は、神族は、人間は、ってそうやって括られて善悪も危険も安全も判断されているし判断してしまってる。けど、それはおかしいんだよ。種族とか関係なく良い人、悪い人ってそんな風に判断できなきゃいけない。偏見は、悲しいことだよ」
「偏見……」
「アリシアちゃんは、今はもうウェインのことをそんなに嫌ってないよね?」
問いかけると、アリシアは小さくもはっきりと頷いた。そのことが聖奈にはとても嬉しい。
「あの方は、セナ様が魔王であると知っても、わたしたちの目的を知ってもなお駆けつけてくれました。それは……セナ様の言うところの〈良い人〉なのだと思います……ヘンタイさんですけど」
「あはは……、それは否定できないなあ。でもそうだね、ウェインも多分、魔族全員を好きになってくれたわけじゃないんだと思う。きっと怖いままだよ、恐ろしいままなんだ。理由はどうあれ嫌なことをされたり、嫌な思いをしたり、怖い思いとか感じた恐怖とかってなかなか消えないからね……でも、そうじゃなくて、そういうことだけじゃなくて、その人を見ることができたなら。それはきっと簡単なことなのにとても難しい事だけど、一番必要なことなんだと私は思うよ」
すぐに変えようとするから歪みが生まれるのなら、少しずつでいい。一歩一歩、一人一人がほんの少しずつ変わっていけるのなら、いつかは異様な世界だって変わる、はずだ。
その先頭に、聖奈は立ちたいと思う。
あの遺跡にいた魔族たちは皆、戦いによる報復は望んでいなかった。平穏無事に暮らせるのならそれでいいという者たちばかりだった。
ならばきっと、人間や神族たちと同じ目線で話せるようになれたなら、その溝はいずれ埋まるだろう。
そのためにもまずは現状を生み出した原因であり元凶を絶たねばならないのだが、今はそれよりも、だ。
「その上で質問させて。アリシアちゃんはあの子のこと、どうしたい?」
真っ直ぐに見詰めて尋ねると、アリシアは目をしばたかせ、悩んだ様子ながらも答えた。
「このまま外に行かせてしまうのは、危険だと思います……外傷の中には転んだりぶつけたりするだけでは出来ない筈のものもありましたから……」
「そっか……」
聖奈は微笑み、一声掛けてから止めていた足を動かして廊下を歩き出す。その隣りに小走りで駆けてきたアリシアが並んだ。
横目でそれをちらりと確認して、聖奈は眉を寄せて考え込む。
「とすると、あの子の警戒心をどうにかしなきゃか……」
独り言のように呟くと、アリシアがそうですねと小さく頷き、
「あの子、誰のことも信じられないっていう目をしてましたね」
「アリシアちゃんにもそう見えたんだ。おそらく、誰も信じられない、信じてはいけないって、そう頑なに思ってしまうような環境にいたんだろうね……なら言葉より行動で示したほうが警戒は解きやすいのかも」
「行動で、ですか? それって難しくありません?」
聖奈は店主から聞いた部屋の番号と合致したそれが書かれた扉を見付けて立ち止まると、鍵を差し込み施錠を外すと扉を開いて入った。
ウェインたちの使う部屋とは少しだけ離れた場所にあるこの部屋は、アリシアと二人で寝泊りする部屋だ。理由はあったとはいえエルリフではウェインも相部屋だったが、今回は別部屋にしてもらったのだ。緊急事態ではあったが、アリシアのためにもそうした方がいいという判断だった。
荷物をソファに置いて、聖奈はアリシアの問いに答える。
「頭で考えようとするとね。でも実際は簡単だよ。普通に接すればいいの」
バッグを置いたソファにそのまま座った聖奈の反対側、もうひとつのソファに荷物を置いて座ったアリシアが首を傾げた。
「普通、ですか? いつも通りに振舞っていれば信じてくれるんですか?」
「信じてもらうっていうより、裏がないことをわかってもらうんだけどね。警戒してるのが馬鹿馬鹿しい、そう思ってもらうには普段通りにいるのが一番だから。気を使われてばかりなのも、居心地悪くなっちゃうでしょう?」
「それは、なんとなくわかりますけど……時間がかかりそうですね」
「あー、うん……」
眉を下げて零したアリシアに、聖奈は苦笑いをするしかない。
時間はかかるだろう。完全に信用してもらおうものならばなおさら。
「せめて、一緒に来て貰える程度にはなりたいところだけど……」
一ヶ所に長くとどまる訳にはいかない立場としては、と口に出してその無謀さをなお理解出来て自然と溜息が零れた。
信頼出来る場所や人に預けられたならそれ以上のことはないが、いかんせんこの世界で聖奈の知り合いはアリシアやウェイン以外では遺跡にいる魔族たちくらいだ。それも知り合いと呼べるのかわからないのだが。
とすると、どうしても同行してもらわなければならなくなる。その方が圧倒的に安全だからだ。とはいえ、彼の意思も尊重したいところであるけれど。
そこに至るまでの苦労はともかく、とりあえずの結論が出ると自然と考えてしまうことがある。
理緒の無事も案じているが、心配ではあるのだけれど、そういう事ではなく〈勇者〉の事だ。
聖奈と同じで、けれども違う存在。言葉なくとも互いの正体を理解しながらも、相対することしか今は出来ないただ一人の存在。
彼は、いや彼らは今どこにいるのだろう? 聖奈たちがあの遺跡を発ったのは翌日なのだから、それほど距離は離れているとは思えないのだが。
今すぐにでも会いたいだとか、そういうわけではないのだけれど、もしも彼が本心と違う行動を取っているのなら、手を取り合えることを彼も願っているのだとしたら――。
「……さすがにそれは都合が良すぎるか」
自嘲するように小さく小さく呟き、息を吐く。
「セナ様?」
「なんでもない。さあ、ウェインたちの部屋にまた行こうか。あの子の事、ちゃんとお風呂に入れられたかどうかも気になるしね」
「はい」
頷いたアリシアとともに立ち上がった聖奈は、貴重品を手にするとそのまま二人で部屋を出ると、静かに施錠をした。
「ただの薄汚れた神族の子供のようにしか見えぬが……」
アリシアとルキフェルが、まじまじと少年を見る。
確かに、見た目では普通の子供にしか見えない。神族なのだから整った顔立ちではあるが、薄汚れていてお世辞にも綺麗な姿じゃない事を差し引けばどこにでもいる風に思える。もちろん暗殺を生業にしているような人間が、それらしい姿で昼間に歩き回っているなんてことは有り得ないのだけれど。
少年はしばし身をよじらせながらもがき続けていたが、不意に空に浮かぶルキフェルに気付くと真っ直ぐに見詰め、やがてぽつりと呟いた。
「……喋って動くぬいぐるみとか、気持ち悪ぃ」
「なっ!?」
「ぶふぉ!!」
その内容にルキフェルは凍り付き、ウェインは吹き出した。
ぱちくりと目をしばたかせるアリシアの傍らで、聖奈も苦笑いを一つ。
確かに見る人が見ればルキフェルは気持ち悪くもあるだろう。聖奈も、おそらくアリシアも猫のぬいぐるみだからこそそういう風に考えた事はないが、これが可愛くもない姿なら――例えばデフォルメされたものではなくリアルな人形だったとしたら、少なくとも聖奈は気持ち悪いという感想を口に出していたことだろう。自室にそういった類いのものが存在しなくて本当に良かったと思う。
「貴様! 我を侮辱するか!」
わなわなと怒りに震え出していたルキフェルが、少年へと指を突き立てて声を荒らげた。
見た目とは裏腹な迫力があると思うのだが、少年は眉一つ動かすことなくルキフェルを見詰め言葉を続ける。
「気持ち悪いものを気持ち悪いって言って何が悪いんだよ。それとも何? その姿に自信でも持ってるわけ? だとしたらナルシストの使い魔か、余計気持ち悪ぃ」
「神族の小僧如きがいい度胸だ……仕置きのしがいがありそうだな……!」
「子供相手にキレたりしないの!」
今にも襲いかからん勢いのルキフェルに、聖奈は慌てて両手で彼を取り押さえた。
離せ、と暴れるルキフェルを押さえ込みながら、眉をつり上げて少年を見遣る。
「あなたもあなただよ。どうしてそんなに攻撃的なことばかりを言うの?」
「だって事実だろ」
「そうだな、ぬいぐるみが気持ち悪くてウザいものだから、思わず切り刻みたくなるのは事実だな」
「小僧貴様ァ! この場で地べたに這い蹲ってみるか!?」
「あーもー、ルキフェルもウェインも少し黙って! 話が進まないでしょう!」
言いながらウェインの頭を軽くぺしん、と叩きつつ、聖奈は少年を見詰める。
彼は怒りとも苛立ちとも取れる表情を浮かべていた。
まるで何も信じられない、信じるつもりもないといった様子に見える。
だがそれは当たり前の反応だろう。気付けば知らない人達に囲まれ、進行形で拘束されているとなれば、警戒するなという方が無理な話だ。ウェインの言葉が事実であれば彼は聖奈のことを少なからず知っているわけだけれど、それでも一方的に殺害をするべき対象として知っているに過ぎないのだから。
「ねえ、男の人たちに追われてたようだけど、どうして?」
「答える必要ない」
「けど追われているのには事情があるんでしょう?」
「仮に事情があったとして、アンタに言って何になるんだよ? オレは今からでもあんたを殺す。殺して、首を持っていく。ただそれだけだ」
「それは、私が何なのか知って危険視をした人たちの指示?」
「知るか。オレにはそんなことはどうでもいい。アンタの首を取れるか否か、それしか興味ない」
「…………」
だめだ、会話にならない。それでも分かったことはあるのだけれど。
例えば、この少年が何故か聖奈を殺すことに固執しているということだとか。それは彼の意思ではなく、誰かからの命令だろうことだとか。
とすれば、追われていたのはエルリフで聖奈を殺せなかったことが原因と考えるべきか。
未だにもがく少年を見ながら、聖奈は小さく溜息を零した。
「しかたない、か」
呟きながら立ち上がって、ルキフェルを離すと伸びをする。それからウェインに視線をやって口を開いた。
「ウェイン、そのままその子と一緒にお風呂に直行してあげて。悪いけど頭から足の先まで徹底的に綺麗にしてあげて」
「ええっ!? なんで俺が!?」
弾かれたように非難めいた声を上げたウェインに、聖奈はキッと眉をつり上げて人差し指を立てる。
「適任者はウェインしかいないでしょ? 私やアリシアちゃんじゃ逃げられるか殺されるかのどっちかだろうし、ルキフェルに至っては言うまでもないし」
「えー? ……逃しちゃってもいいんじゃね? もしくは殺すとか」
「物騒なこと言わないの。あ、別に裸の付き合いをする必要はないからね」
「あー、はいはい。とりあえず風呂場に放り込んでくりゃいいわけね。分かりましたよー」
はあ、と深く息を吐き出したウェインは、少年を担ぎ上げた。
当の少年はといえば状況を理解しきれていなかったのか、ウェインに担がれてようやくハッとした様子で暴れ始めたが、そもそもの体格差と腕力の差でものともせずに押さえ付けたウェインは歩き出す。
この宿はエルリフの宿とは異なり、部屋毎に浴室が備え付けられてある。もちろん少年を担ぎ上げたウェインが向かうのはそこだ。
聖奈は横目で見送ると、ルキフェルには此処で少しおとなしくしていてくれるよう頼み、アリシアに声を掛けて荷物を手に部屋を出た。
と、その時だ。
「……セナ様」
躊躇いがちに名を呼ばれて振り向くと、アリシアが眉を下げて聖奈を見上げていた。
「どうしたの?」
首を傾げながら問うと、彼女は一瞬目を逸らして口ごもりながらもおずおずと言った。
「あの子のこと……どうするおつもりなんですか?」
「……どうって?」
「それは……その……」
自分の服の裾をぎゅっと掴んで、アリシアは目を逸らす。
何度も口を開きかけては閉じるのを繰り返すと、やがてぽつぽつと話し始めた。
「ウェインさんのお話しでは、あの子はセナ様を殺そうとしていたそうですし……それに、どんな理由があろうとも神族です……もちろん放っておいたらあの男の人たちに酷いことをされるかもしれない、というのはわかるんですけど……」
だんだんと声が小さく尻すぼみになるアリシアに、聖奈は小さく微笑みながら答えるべく口を開く。
「正直に言うとね、あの子のこと思わず連れて来ちゃったんだ。目の前に転がってきて、追ってた人達も私達に気付いた様子はなかったっていうのもあるんだけど」
言いながら廊下をゆっくりと歩き出す。
少し遅れて後ろから続く足音に耳を傾けながら、言葉を続けた。
「でも、思わずでも連れてきちゃった以上は最後まで面倒を見たいかな。もちろん犬猫とはワケが違うっていうのはわかってるけど、アリシアちゃんが危惧してる通り、このままじゃ酷い目に遭うことは間違いないしね」
「ですがセナ様。彼は神族です、天使なんです。弱いふりをしてるかもしれないじゃないですか……」
肩越しにアリシアをちらりと覗き見ると、彼女は自分の服をぎゅっと掴んだまま俯いていた。とぼとぼと歩いてついてくる様子からは、困惑も見て取れる。
それへ恐らく、ウェインの口から語られた“神族にも奴隷が存在する”という事実を知ったためなのだろうと聖奈は思った。
聖奈もまた困惑しているの。これまで魔族のみがそうした対象にあるとばかり思っていたのに、実際には神族の中にも弾かれる者がいるだなんて。こうなれば人間だって道徳から外れた扱いを受けている可能性だってある。
もしそうならば、それらを皆、受け入れてしまっているのならば――この世界は間違いなく異様な在り方をしている。
もちろん聖奈の暮らしていた世界だって、凄惨な事件は起きていた。人身売買がないわけじゃない、人として扱われないものがいないわけじゃない。テレビを通して様々なことが起きていることは知っていた。聖奈の暮らしていた日本は平和だなんて言われていたけれど、それでも殺人は起きていた。
内戦はあっても戦争なんてことは半世紀は起きていない。それでも平和とは言い難い世界だった。
世界は、異様な在り方をしている。
一歩間違えれば壊れてしまいそうなほどに、危うくて、だが異様で異常だ。そんな在り方を変えるなんて、想像するよりずっと大変だろう。だがそれでも。
「アリシアちゃん」
立ち止まり、優しく名を呼ぶ。
アリシアはびくりと肩を跳ねさせ立ち止まったが、顔を上げる事はない。聖奈は気にせずに言葉を続けた。
「私は魔族がどれだけの仕打ちをされてきたのか、正直ちゃんとはわかってないんだと思う。だから、ほんとはアリシアちゃんは私が思う以上に人間や神族と手を取り合うことに抵抗があるのかもしれない」
「そんなことは……」
「ないわけじゃない、でしょ? でもね、きっとそれじゃいけないんだと思うんだ」
一度目を伏せて、すぐに目を開ける。静かに深呼吸をして、
「魔族だからとか神族だからとか、人間だからとか、そういうのはやめなきゃいけないんだよ。そうじゃなくて、ちゃんとその人を理解しなきゃいけないの……きっと、きっとそれが大切なんだ」
告げるとアリシアは怖々と顔を上げた。聖奈は彼女を見詰めてにっこりと笑う。
「もしかしたらね、魔族にも悪い人がいるかもしれない。誰かを傷つけることを平然と出来るようなひとがいるかもしれない。それは、きっと悪だ。でも、魔族が正しいという世界ならそれも善になっちゃう。そういうのはだめなんだよ。括りなく、悪い人を裁けるようにならなきゃいけないんだ」
「…………」
「今のこの世界は、種族の括りで判断される世界にように私は感じる。魔族は、神族は、人間は、ってそうやって括られて善悪も危険も安全も判断されているし判断してしまってる。けど、それはおかしいんだよ。種族とか関係なく良い人、悪い人ってそんな風に判断できなきゃいけない。偏見は、悲しいことだよ」
「偏見……」
「アリシアちゃんは、今はもうウェインのことをそんなに嫌ってないよね?」
問いかけると、アリシアは小さくもはっきりと頷いた。そのことが聖奈にはとても嬉しい。
「あの方は、セナ様が魔王であると知っても、わたしたちの目的を知ってもなお駆けつけてくれました。それは……セナ様の言うところの〈良い人〉なのだと思います……ヘンタイさんですけど」
「あはは……、それは否定できないなあ。でもそうだね、ウェインも多分、魔族全員を好きになってくれたわけじゃないんだと思う。きっと怖いままだよ、恐ろしいままなんだ。理由はどうあれ嫌なことをされたり、嫌な思いをしたり、怖い思いとか感じた恐怖とかってなかなか消えないからね……でも、そうじゃなくて、そういうことだけじゃなくて、その人を見ることができたなら。それはきっと簡単なことなのにとても難しい事だけど、一番必要なことなんだと私は思うよ」
すぐに変えようとするから歪みが生まれるのなら、少しずつでいい。一歩一歩、一人一人がほんの少しずつ変わっていけるのなら、いつかは異様な世界だって変わる、はずだ。
その先頭に、聖奈は立ちたいと思う。
あの遺跡にいた魔族たちは皆、戦いによる報復は望んでいなかった。平穏無事に暮らせるのならそれでいいという者たちばかりだった。
ならばきっと、人間や神族たちと同じ目線で話せるようになれたなら、その溝はいずれ埋まるだろう。
そのためにもまずは現状を生み出した原因であり元凶を絶たねばならないのだが、今はそれよりも、だ。
「その上で質問させて。アリシアちゃんはあの子のこと、どうしたい?」
真っ直ぐに見詰めて尋ねると、アリシアは目をしばたかせ、悩んだ様子ながらも答えた。
「このまま外に行かせてしまうのは、危険だと思います……外傷の中には転んだりぶつけたりするだけでは出来ない筈のものもありましたから……」
「そっか……」
聖奈は微笑み、一声掛けてから止めていた足を動かして廊下を歩き出す。その隣りに小走りで駆けてきたアリシアが並んだ。
横目でそれをちらりと確認して、聖奈は眉を寄せて考え込む。
「とすると、あの子の警戒心をどうにかしなきゃか……」
独り言のように呟くと、アリシアがそうですねと小さく頷き、
「あの子、誰のことも信じられないっていう目をしてましたね」
「アリシアちゃんにもそう見えたんだ。おそらく、誰も信じられない、信じてはいけないって、そう頑なに思ってしまうような環境にいたんだろうね……なら言葉より行動で示したほうが警戒は解きやすいのかも」
「行動で、ですか? それって難しくありません?」
聖奈は店主から聞いた部屋の番号と合致したそれが書かれた扉を見付けて立ち止まると、鍵を差し込み施錠を外すと扉を開いて入った。
ウェインたちの使う部屋とは少しだけ離れた場所にあるこの部屋は、アリシアと二人で寝泊りする部屋だ。理由はあったとはいえエルリフではウェインも相部屋だったが、今回は別部屋にしてもらったのだ。緊急事態ではあったが、アリシアのためにもそうした方がいいという判断だった。
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「頭で考えようとするとね。でも実際は簡単だよ。普通に接すればいいの」
バッグを置いたソファにそのまま座った聖奈の反対側、もうひとつのソファに荷物を置いて座ったアリシアが首を傾げた。
「普通、ですか? いつも通りに振舞っていれば信じてくれるんですか?」
「信じてもらうっていうより、裏がないことをわかってもらうんだけどね。警戒してるのが馬鹿馬鹿しい、そう思ってもらうには普段通りにいるのが一番だから。気を使われてばかりなのも、居心地悪くなっちゃうでしょう?」
「それは、なんとなくわかりますけど……時間がかかりそうですね」
「あー、うん……」
眉を下げて零したアリシアに、聖奈は苦笑いをするしかない。
時間はかかるだろう。完全に信用してもらおうものならばなおさら。
「せめて、一緒に来て貰える程度にはなりたいところだけど……」
一ヶ所に長くとどまる訳にはいかない立場としては、と口に出してその無謀さをなお理解出来て自然と溜息が零れた。
信頼出来る場所や人に預けられたならそれ以上のことはないが、いかんせんこの世界で聖奈の知り合いはアリシアやウェイン以外では遺跡にいる魔族たちくらいだ。それも知り合いと呼べるのかわからないのだが。
とすると、どうしても同行してもらわなければならなくなる。その方が圧倒的に安全だからだ。とはいえ、彼の意思も尊重したいところであるけれど。
そこに至るまでの苦労はともかく、とりあえずの結論が出ると自然と考えてしまうことがある。
理緒の無事も案じているが、心配ではあるのだけれど、そういう事ではなく〈勇者〉の事だ。
聖奈と同じで、けれども違う存在。言葉なくとも互いの正体を理解しながらも、相対することしか今は出来ないただ一人の存在。
彼は、いや彼らは今どこにいるのだろう? 聖奈たちがあの遺跡を発ったのは翌日なのだから、それほど距離は離れているとは思えないのだが。
今すぐにでも会いたいだとか、そういうわけではないのだけれど、もしも彼が本心と違う行動を取っているのなら、手を取り合えることを彼も願っているのだとしたら――。
「……さすがにそれは都合が良すぎるか」
自嘲するように小さく小さく呟き、息を吐く。
「セナ様?」
「なんでもない。さあ、ウェインたちの部屋にまた行こうか。あの子の事、ちゃんとお風呂に入れられたかどうかも気になるしね」
「はい」
頷いたアリシアとともに立ち上がった聖奈は、貴重品を手にするとそのまま二人で部屋を出ると、静かに施錠をした。
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レヴァイアタン国興亡記 ゲーム・オブ・セイクリッドソーズ 奴隷の勇者か、勇者の奴隷か
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この物語は、脅威の先住知的生命体が住む惑星上で孤立するレヴァイアタン国に、ヒューマンスードとして生まれた一人の奴隷少年のある決断と冒険から始まった。剣と魔法と勇者の逆進化世界に繰り広げられる、一大サーガの幕開けである。
【世界設定】 遠い過去、経済・自然・政治・戦争危機と、あらゆる点で飽和点に達した人類は、Ωシャッフルと呼ばれる最大級のバイオハザードと大地殻変動を同時に向かえ破滅寸前だった。 この時、グレーテルと呼ばれる新知性が、偶然にも地球に破損漂着した宇宙特異点ゲートを修理することに成功し、数%の人間達を深宇宙のある惑星に転移させた。
しかしグレーテルは転移先惑星のテラホーミングに失敗し、辛うじて人間が生息できるスポットへ彼らを分散させる事になった。レヴァイアタンはそんな分散先に作られた国の一つだった。
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