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第1章

12.懸念と不安と、優しさと

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 聖奈の言葉にウェインぽかん、と半口を開けた。見事なまでに間抜けな顔である。
 やがて、ようやく理解してか、

「はぁああああああ!?」

 彼はこれでもか、という声量を叫んだ。
 反射的に耳を覆った聖奈の目の前で、ウェインは怒気と当惑の入り混じった表情を浮かべている。別におかしなことを言った覚えはないのに。
 眉を寄せているとウェインはずい、と聖奈の方に身を乗り出した。器用である、本当に。

「あんた馬鹿か!? 俺がこれ以上あんたの世話を焼く理由がどこにあるんだよ!?」
「そうです! それにその方に頼まなくてもわたしがご案内しますよっ、セナ様!」

 というか近いです! と付け加えながらウェインを押しのけたのはアリシアだ。
 突然退けられてバランスを崩したウェインに構わず僅かに不安そうなアリシアに、聖奈は困ったように笑った。

「アリシアちゃんの気持ちは嬉しいけど、此処から出たらもう人間と神族が生活する場所しかないんでしょ? アリシアちゃんや他の人達じゃ危ない目や、嫌な目に遭わせちゃうじゃない」
「それは……」
「その点、ウェインなら大丈夫でしょう? 人間だし、仮に私が何なのか、何をしようとしているのかがバレても、脅して言うこと聞かせましたーって言えばそれ以上巻き込むこともないもの」

 もし聖奈が魔族を連れ歩いていたならば、まず事情の知らない人間や神族たちは聖奈を魔族たちが隷属させていると考えるだろう。
 自分が嫌な思いをするのはいい、いくらでも我慢ができる。だが自分のせいで誰かが嫌な思いをするのは受け入れられはしない。それだけはどうしても避けたかった。
 俯いてしまったアリシアに、聖奈は優しく声をかける。

「それにね、私は別に人間や神族と争いたいわけじゃないから。あまり刺激するようなことはしたくないんだ」

 幾人もの魔族を連れ歩けば、それだけでおのずと火種になってしまう。対話の余地などないと思っていい。それほどまでに魔族は魔族というだけで恐れられているのだから。
 昨日クロードたちと対峙し、そして彼らを退けてからずっと考えていた。
 この先もしも此処を出るとなったなら限りなく少人数がいい。でなければ火種になるだとか嫌な思いをさせてしまうのはもちろん行動もしにくいし、万が一この場所に危機が迫った時には残った魔族たちが成す術なく蹂躙されてしまう。
 犠牲は出来る限り出したくないのだ。魔族にも、人間や神族にも。失う必要がないのであればなおさら。

「我は着いていくぞ。この未熟者を一人にすれば、容易く死してしまうだろうからな」

 小さな羽を羽ばたかせて視界に入り込んだルキフェルが、短い両腕を組んでふんぞり返る。
 確かにひとりきりでは生き残れる自信はないのだが、だからといってこのぬいぐるみがいたところで生存率は上がるものなのだろうか。精神的には助かるかもしれないけれど。
 複雑な心境になりつつも、とりあえず感謝の言葉は伝えておいた。着いてきてくれるのではないかと思っていても、本当に着いてきてくれるかなんてわからなかったのだから。

「……なあ」

 と、黙り込んでいたウェインが不意に口を開いた。見遣ると、彼はやけに真剣な面持ちで聖奈を真っ直ぐに見ている。
 しばしの沈黙。その間、何処か迷っているようなウェインだったが、やがて意を決したように言葉を紡いだ。

「〈魔王〉だって言われていてもあんたはただの人間の女の子だろう? それなのにどうして魔族達をそこまで気遣うことができるんだ?」
「別にそんな大層なことはしてないよ? それにウェインだって同じじゃない。貴方もクロードさんたちと向かい合ってくれた」
「それはあんたが、俺でも殺せそうな無害そうな人間が無謀な事をしてるのを見殺しになんてできなかったからだ。結果としてそうなったってだけで、魔族を救おうだなんて考えちゃいなかった。けどセナ、あんたは違う。本心から魔族を救おうとしてるだろ?
「…………」
「どうしてそこまで出来る? どうしてそんな事を願える? 〈魔王〉だからか? だから危険しかない事でもそうして当然のように出来るのか?」

 ウェインの表情は複雑そうなものだった。
 怒りとも心配とも言えない、気遣いも滲むが理解出来ないとも取れる。彼自身、どんな表情をすればいいのかわからないのかもしれない。
 ただひとつ、確かに彼から汲み取れるものといえば困惑だった。
 その理由は考えるまでもない。この世界の常識はそういうことなのだから。
 魔族は忌み嫌われ、憎まれ畏れられる存在。人に危害を加える、強大な力を持つ者。そんな者たちの味方をすればどうなるかなんて明白だ、多くの人々からの憤怒と憎悪を向けられるだろう。
 けれどもそれらを承知の上で茨の道を進もうとしている聖奈に、彼は困惑し理解できずにいる。その優しさに、聖奈は小さく微笑んだ。

「別に〈魔王〉だからとかは関係ないんだと思う。もしかしたら影響はあるのかもしれないけど、ただ単純に疑問を抱いちゃったから」
「疑問……?」
「おかしいと思わない? 人間は魔族に畏れを抱いてる。それこそ出会えばすぐに襲いかかってくると思われているくらいには。でも、実際にはそんな事ないでしょう?」

 ウェインは息を飲み、目を逸らす。そんな彼を見詰めたまま、聖奈は言葉を続けた。

「話すことが出来るの、互いの考えを伝え合えるの。確かにウェインが捕まった時にはまともに話が成立してなかったけど、それでも決して有無も言わさず攻撃してくることはなかったし、それはきっと種族なんて関係なくあることなんだと思うんだ。でも魔族は一方的に排除されそうになってる。そんなの、おかしいじゃない」
「けど、魔族は人間と神族を次々と殺したって……少し前に聖都じゃその話題で持ち切りに、」
「――ねえ、ウェイン」

 言葉を遮るように名を呼ぶと、逸らされていたアクアマリンの瞳がちらりと聖奈を捉えた。
 それもすぐにそらされてしまったが、続いたであろう言葉を飲み込んだ彼に静かに語りかける。

「ウェインはこの場所の魔族と話して、どう思った? 伝え聞いたままだった?」
「……」

 答えはなかった。ならばこれ以上言うことはない。
 案内を引き受けてくれたら大助かりだったのは事実だ。だがふたつ返事で引き受けてくれるとは思えなかったし、そもそもどれかといえばルキフェルと二人旅をするだったのだから。

「皆さんには私から伝えておくから、此処から離れたいならそうしてくれて大丈夫。安心して」

 本当はウェインが直接告げたほうが良いのだろうけれど、思うほど簡単なことではないのだから強いるのはよろしくない。
 黙したままのウェインからの反応はなかったが気にとめず、聖奈はルキフェルに話に行こうか、と声を掛ける。
 ウェインに伝えておくと告げたからというのもあるが、礼儀として魔族達にはしっかりとこれからのことを言ってから発つべきなのだから。
 聖奈はゆったりとした足でルキフェルを連れて歩き出す、とその時。

「セナ様!」

 アリシアに呼ばれ、振り向く。呼んだ本人は足早に聖奈の前まで来ると、決意した様子でこちらを見上げた。

「わたしもご一緒させてください。エルリフまでではありません、その先のどこまでだって」

 はっきりと告げるアリシアの眼に一点の迷いはない。
 昨日はそのほとんどが涙目であったり陰りの落ちた顔ばかりであったが、彼女はとても芯が強いようであった。傷ついた魔族たちの治療で忙しなくしていたり、時間さえあれば新たな〈魔王〉であった聖奈を喚ぶべく祈りを捧げていたのだから、当たり前といえば当たり前なのかもしれないが。
 それと同時に少々頑固なところもあるようだった。聖奈を頑なに呼び捨てに出来ないと言い続けていたこと然り、譲れないことにはてこでも譲らないのだ。

「……間違いなく嫌な思いをすることになるよ?」

 聖奈は半ば説得を諦めながら眉を下げる。当然アリシアが食い下がらないわけもなかった。

「構いません。それに、わたしは言いました。あなたをお守りすると、お手伝いをしたいと、何よりお側で支えとなりたいと」

 真剣な面持ちのアリシアを説得する手段など、聖奈には最初から存在しない。お手上げ、といった具合で肩を竦めて見せて聖奈は微笑んだ。

「わかった。それじゃあ、一緒に行こう――……ううん、違うかな。着いてきてくれる?」
「はい!」

 本心ではアリシアには傷つくような事柄に直面しないような場所で過ごして欲しい。泣かれるのも悲観に塗れた顔を見るのも嫌なのだ。彼女だけではなく魔族たち全てに抱くこの感覚は、聖奈が〈魔王〉であるからこそのものなのかもしれないけれど。
 けれども聖奈の言葉にこの上なく嬉しそうな笑みを浮かべられては、置いていってしまった方が悲しませるんじゃないかと感じ始めてしまって。つられるように笑みを浮かべながら、せめて彼女のことは守り通さなければ、とそっと決意するのだ。
 そうしてアリシアも連れて部屋を出ようとしたところで、聖奈はあることを思い出してルキフェルを見上げた。
 今朝方聞きたいことがあった事を思い出したのだ。アリシアが知らせに来たことで、随分聞きそびれてしまったけれど。

「ルキフェル。聞きたいことあるって今朝言ったの覚えてる?」
「む? ああ、そういえばそうであったな。何だ? まずは言ってみろ」

 ルキフェルも思い出したのだろう。尊大な態度を崩さずに振り向いた彼に、聖奈は聞きたかったことを投げかけた。

「あのさ、今更だけど私、帰れるよね?」

 思えばそれは何より大切だったはずなのに、すっかり尋ね忘れていた事柄だった。
 そんな余裕もなかったといえばなかったのだが、聖奈がこちらに来たのは停電中の自宅からだ。あの時一階から聞こえてきた理緒《りお》の叫び。結局その様子を見に行くこともできずにこちらに来てしまったから、無事だったかも気になる。
 そうじゃなくてもいろいろ気になることも、やっておきたいことがあるのだ。もし簡単に行き来できないにしても、せめて理緒の無事だけは今すぐにも確かめたい。――だが。

「……無理だ」

 現実とやらは無情だった。

「へ?」

 間の抜けたような声が溢れる。そんな聖奈に追い討ちをかけるようにアリシアが言った。

「ごめんなさい、セナ様。召喚の儀式のやり方は学びましたが、送還の儀式の知識はなくて……」
「え、え? そ、それって……」
「我も知らぬな。そもそも界渡りの送還などという知識は我にはありはせん。門外漢なのでな」

 開き直ったようにも見えるルキフェルと、至極すまなそうなアリシア。
 知識がない。それすなわち一方通行だということ。そこから導き出せる答えはひとつだけだった。

「こ、ここに来てそれっ、ふざけんなぁああああああああっ!!」

 ――現状、元の世界に帰るすべがない。
 いまさら知ったその事実に、聖奈はなりふり構わず絶叫していた。


 * * *


「はぁ……」

 遺跡の入口まで出てきた聖奈は重い溜息を吐いた。
 元の世界に帰れないという事実を聞いてからもう何度目かもわからないが、溜息を吐かずにはいられないのだから仕方ないだろう。

「ええい、セナ! いつまで落ち込んでおるのだ、鬱陶しい!」

 耐え切れなくなったらしいルキフェルが、目の前にわざわざ飛んできて指をさしてくる。作り物の肉球が丸見えだ。
 普段であれば可愛いと思えるそれも今は腹立たしく思うばかり。そもそもこのぬいぐるみが動いたりしなければこんなことになっていなかったのだから、なおさらだ。……啖呵を切った事を後悔しているわけではないのだけれど。
 それでも行き場のない怒りのはけ口に、と聖奈はルキフェルの顔面をずんむと掴んだ。離せ、とうるさい声を無視して肉球をぷにぷにしてみる。暴れられはしたが、若干癒された――気がした。

「すみません……わたしが送還の知識がないばかりに……」
「ん? あー、気にしないで」

 しょんぼりと肩を落とすアリシアに、ルキフェルの肉球を触ってほんの少しだけ癒された聖奈は、ゆるゆると首を横に振った。

「一応、送還の技術自体はあるんでしょう? ならいつか帰してもらえればいいよ」
「はい! 必ずセナ様が元の世界と行き来できるようにしてみせます!」

 ぐっと拳を握り、決心するアリシアに聖奈は胸をなでおろす。
 アリシアとルキフェルによれば、召喚と対をなすように送還の術も存在はするらしい。しかしそもそもとして素養が重要であり必要不可欠である召喚術自体が一般に定着をせず、そうであるのだから召喚が出来て初めて必要となる送還が定着などするわけもなく、相当限られた形でしか伝わらない、ともしれば幻とも言える術となってしまっているそうなのだ。
 だが幸運にもアリシアは召喚の素養を持っていた。巫女一族であるルーベルから才は失われてはいなかったのだ。聖奈がこの世界に〈魔王〉として召喚されたのが何よりの証拠だろう。
 となれば手順の書かれた魔法書さえあれば送還が可能となる可能性は高い。その魔法書も首都フェノワールの王城やアリシアの生家に保管された蔵書の中には探せばきっとあるはずだと、アリシアとルキフェルは慰めではなく確信をもって断言してくれた。
 聖奈はそれを信じることにした。今は帰還を諦めることにしたのだ。
 いつか帰れるならそれでいい。理緒や、優しい両親、友人たちに心配はかけてしまうかもしれないけれど。今すぐには絶対に不可能だというのなら――そう自分に言い聞かせるほかなかった。
 聖奈はルキフェルを解放しながら、小さく息を吐く。

「……」

 ルキフェルとアリシアと共に聖奈が朽ちかけた遺跡の入口に出てきているのは、言うまでもなく此処を発つ為だ。
 あの後絶望に打ちひしがれながらも聖奈はなんとか自分を奮い立たせ、すぐに厨房代わりに使う部屋にいた女性魔族たちに事情を話した。
 彼女たちは聖奈たちを引き止めることはしなかった。その後に伝えた広間にいる男性魔族たちもそうだ。無理に同行を申し出る者もなく快く聖奈の申し出を受け入れてくれた。
 彼らがそうまですんなりと送り出してくれた理由は、聖奈の危惧を察して理解する以前に同様に思ってくれていたことにあった。

 今すぐにでも故郷に帰りたい思いはあれど、無益な争いはしたくない。傷付ける事も傷付けられる事も望まない。血で血を洗うような争いなどこりごりで、ひっそりとでも生きることが許されるのなら今はそれだけで充分過ぎるから。
 聖奈たちから何らかの報せが届くまでは決してこの遺跡から離れることはしない。
 だから道半ばで諦めなくてはならなくなってしまったとしても、生きているのならば迷わず帰ってきて欲しい。命よりも大切なものなどないし、此処は帰りつける場所でもある。送り出すことしか出来無い自分達に後ろめたさを感じる必要はないのだから。

 そう言った魔族たちは聖奈とアリシアに、僅かなお金や保存食といった旅に必要なものが詰められた鞄が手渡された。渡された。それと、武器庫から持ち出されたらしい比較的綺麗な剣がひと振り。
 聖奈に剣を扱うだけの技量はないし、魔族たちもそれはわかってはいたようだが丸腰で旅をするわけにはいいかないからと言われれば、ありがたく借りて行く事に迷いはなかった。
 本当に、良くしてくれる人たちだと思った。もみくちゃにされてそれはより強く感じていた。それでも拭えぬ不安があったけれど、感謝と嬉しさを抱いたのもまた事実だ。
 だがそこにウェインの姿はなかった。
 魔族たちにはウェインが此処を離れてしまったけど悪く思わないであげて欲しいとはもちろん伝えた。返って来た言葉と表情が心から残念がっているようなどこか淋しげだったのは、少し意外だったけれど。
 ただ、ウェインがいないのは当たり前といえば当たり前だというのに不思議とさみしさがあったのはなぜだったのだろう。否、それはきっと気のせいなのかもしれない。

「……行こっか」

 深呼吸をして、声をかける。
 いつも通り偉そうなルキフェルとアリシアが頷いたのを見て、森の方へと歩き出したところに、その声はかけられた。

「ストーーーップ!」

 唐突な制止の声に自然と足は止まる。振り向くと、そこには少しだけ憮然とした表情を浮かべた人物がひとり。
 彼はゆっくりと聖奈の方へと歩いてきた。

「ったく、自分から案内を頼んどいて置いてこうだなんて酷いじゃねーか」
「えっ? でも乗り気じゃないみたいだったし……」
「おう。確かに乗り気ではなかったが、だからって嫌とは言ってねーはずだぜ?」

 目の前で立ち止まりおどけるように笑ってみせたのは、先程まで姿のなかったウェインだった。
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