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第二章 殿下、私のことはお好き?
5.侵入者
しおりを挟む その後、泣きながら一通りの説明をしてくれたエミリオの話を要約すると、以下の通りであった。
まず、エミリオは食料を探すためにまた誰にも告げず無断で森に入っている。
どうやら帝国によって森が焼かれていることは、自分が想像していたよりも大きな被害をこの村に与えていたらしく、エミリオが危険を冒して森に入るのは相応の理由があったわけだ。
そして次に、エミリオが森で食べ物を収穫していると、数人の帝国兵が森の中を散策しているのを見かけたそうだ。
何をしていたのかは知らないが、そのうち散り散りになって辺りを歩き回り始めたとのことだ。
そして、その中の一人を、隙を見て谷底へと突き落としたらしい。
その谷の底には村へ続く水流が流れており、もしかすると直に死体がこの村の水源まで漂ってくるかもしれないという話だった。
ミルフィに抱きしめられたまま暗い声で語ったエミリオの話が終わると、周囲の人間の何人かが彼を責めるように声を荒げた。
やれとんでもないことだの、これでこの村はお終いだの、挙句の果てには全ての責任はエミリオにあるのだから、ドリトンの家で責任を取るべきだなどと言い出す始末であった。
それを未だに目を閉じたまま聞いていた燐子は、自分の中で怒りや苛立ちといった感情が鎌首をもたげているのを感じながら、鼻を鳴らした。
くだらなすぎて、逆に笑いが出そうだ。
我が身惜しさに、自分ではない誰かを矢面に立たせる。
確かに、分からぬ話でもない。自分たちのような誇りと信念を持って、死ぬことにすら価値を見いだせる人間でもなければ、こうなることが自然なのかもしれない。
(しかし、しかしだ……。それを許せるかどうかは、また話が違う)
ようやく目を開けた燐子は、馬の手綱をドリトンに預けて、一歩、村人たちの輪のほうへと近づいた。
急に渡された手綱に慌てた様子を見せながら、ドリトンだけが唯一、彼女の姿をしっかりと捉えていた。
「みんな、聞け」
燐子が凛とした声を響かせて、周囲の注目を集める。
「帝国はすでに、こちらに向けて動き出している」
彼女の一声を呼び水にして、喧騒が広がっていく。
誰も彼もが不安や、絶望、焦燥に駆られて好き放題に話をしていたが、そこでもう一度燐子が声を発したことで静けさが戻ってきた。
「アズールで騎士の連中に聞いた。『もしかすると』という話だったが、また裏の森に兵が来ていたのなら、やはり事実のようだな」
「じゃあ、やっぱりエミリオのせいで……」
「いや、動き出したのは昨日今日の話ではない。エミリオは無関係だ」
少年のいわれなき罪を晴らすことはできたが、逆に考えれば、帝国の進行は避けられない事実であるということなのだ。
何を契機に攻め込んできたのかは予測できないが、いよいよ恐れていた事態が、この村に災厄となって降り注いできたことになる。
「じゃあ、もうこの村は……」
「そういうことです」
「……ならば、全員で避難を始めなければ」
「ドリトン殿、それで良いのですか」
「良いも何も――」
「エミリオが殺めたという帝国兵、恐らくは斥候です」
それがどうした、今すぐ逃げなければ、と騒ぎ立てる連中に向けて、燐子が一喝を入れる。
「いい加減に落ち着け!」
燐子の出した大声に、栗毛の馬がわずかに反応して鼻息を荒くする。
周囲の人々が水を打ったように静まり返り、腕を組み直した燐子の顔を、恐る恐るといった雰囲気で見つめていた。
燐子は声の大きさを落とすことなく、そのまま続けた。
「今頃、斥候が一人欠けたこと気がついて、あの森に引き返してきているところかもしれない。あるいはすでに本隊に合流して、大軍を引き連れて進軍している最中かもしれない」
燐子は、他人事のようにこの村の破滅への一途を語った。
「それで、お前たちはどうするんだ。大人しく故郷とともに灰になるか、故郷を捨てて逃げられるところまで逃げるか、帝国に降って奴隷か嬲りものにでもなるか……。ついでに忠告しておくと、戦火に呑まれた村や民というのは悲惨なものだぞ。決して人の死に方ではない、とだけ伝えておく」
燐子が告げる言葉には、形容し難い現実味が込められていて、それが脅しでも何でもないということはすぐに分かった。
どう出る、と燐子は心の中で唱えた。
顔だけは平静を保っていたが、内心は誰かが自分の言葉に牙を剥いて来ることを祈っていた。
そうでなければ、この村は本当に終わりだ。
自分一人抵抗したところで、大軍相手には無意味である。
「年老いた連中や、女子供を引き連れて、魔物だらけの湿地を抜けられると思うか?仮に抜けられたとしても、果たして一体何人生き残るか……」
そんな燐子の想いに答えたのは、この世界において、自分が一番知っている人物で、それでいて自分のことを一番知っている人物であった。
「冗談じゃないわ……!」
エミリオの体からその身を離し、振り返りながら立ち上がったミルフィと目が合った。
「誰かの都合に振り回されるのはもうたくさん!うんざりなのよ!燐子!」
……やはり、彼女はこうでなければならない。
「あんたがそうして焚きつけるからには、何か考えがあるんでしょうね?」
爛々と炎を滾らせるミルフィが、一番美しい。
この世界に来て知ったことの一つだ。
紅色の髪はとても風情があって、趣深いと。
「当然だ、ミルフィ」
まず、エミリオは食料を探すためにまた誰にも告げず無断で森に入っている。
どうやら帝国によって森が焼かれていることは、自分が想像していたよりも大きな被害をこの村に与えていたらしく、エミリオが危険を冒して森に入るのは相応の理由があったわけだ。
そして次に、エミリオが森で食べ物を収穫していると、数人の帝国兵が森の中を散策しているのを見かけたそうだ。
何をしていたのかは知らないが、そのうち散り散りになって辺りを歩き回り始めたとのことだ。
そして、その中の一人を、隙を見て谷底へと突き落としたらしい。
その谷の底には村へ続く水流が流れており、もしかすると直に死体がこの村の水源まで漂ってくるかもしれないという話だった。
ミルフィに抱きしめられたまま暗い声で語ったエミリオの話が終わると、周囲の人間の何人かが彼を責めるように声を荒げた。
やれとんでもないことだの、これでこの村はお終いだの、挙句の果てには全ての責任はエミリオにあるのだから、ドリトンの家で責任を取るべきだなどと言い出す始末であった。
それを未だに目を閉じたまま聞いていた燐子は、自分の中で怒りや苛立ちといった感情が鎌首をもたげているのを感じながら、鼻を鳴らした。
くだらなすぎて、逆に笑いが出そうだ。
我が身惜しさに、自分ではない誰かを矢面に立たせる。
確かに、分からぬ話でもない。自分たちのような誇りと信念を持って、死ぬことにすら価値を見いだせる人間でもなければ、こうなることが自然なのかもしれない。
(しかし、しかしだ……。それを許せるかどうかは、また話が違う)
ようやく目を開けた燐子は、馬の手綱をドリトンに預けて、一歩、村人たちの輪のほうへと近づいた。
急に渡された手綱に慌てた様子を見せながら、ドリトンだけが唯一、彼女の姿をしっかりと捉えていた。
「みんな、聞け」
燐子が凛とした声を響かせて、周囲の注目を集める。
「帝国はすでに、こちらに向けて動き出している」
彼女の一声を呼び水にして、喧騒が広がっていく。
誰も彼もが不安や、絶望、焦燥に駆られて好き放題に話をしていたが、そこでもう一度燐子が声を発したことで静けさが戻ってきた。
「アズールで騎士の連中に聞いた。『もしかすると』という話だったが、また裏の森に兵が来ていたのなら、やはり事実のようだな」
「じゃあ、やっぱりエミリオのせいで……」
「いや、動き出したのは昨日今日の話ではない。エミリオは無関係だ」
少年のいわれなき罪を晴らすことはできたが、逆に考えれば、帝国の進行は避けられない事実であるということなのだ。
何を契機に攻め込んできたのかは予測できないが、いよいよ恐れていた事態が、この村に災厄となって降り注いできたことになる。
「じゃあ、もうこの村は……」
「そういうことです」
「……ならば、全員で避難を始めなければ」
「ドリトン殿、それで良いのですか」
「良いも何も――」
「エミリオが殺めたという帝国兵、恐らくは斥候です」
それがどうした、今すぐ逃げなければ、と騒ぎ立てる連中に向けて、燐子が一喝を入れる。
「いい加減に落ち着け!」
燐子の出した大声に、栗毛の馬がわずかに反応して鼻息を荒くする。
周囲の人々が水を打ったように静まり返り、腕を組み直した燐子の顔を、恐る恐るといった雰囲気で見つめていた。
燐子は声の大きさを落とすことなく、そのまま続けた。
「今頃、斥候が一人欠けたこと気がついて、あの森に引き返してきているところかもしれない。あるいはすでに本隊に合流して、大軍を引き連れて進軍している最中かもしれない」
燐子は、他人事のようにこの村の破滅への一途を語った。
「それで、お前たちはどうするんだ。大人しく故郷とともに灰になるか、故郷を捨てて逃げられるところまで逃げるか、帝国に降って奴隷か嬲りものにでもなるか……。ついでに忠告しておくと、戦火に呑まれた村や民というのは悲惨なものだぞ。決して人の死に方ではない、とだけ伝えておく」
燐子が告げる言葉には、形容し難い現実味が込められていて、それが脅しでも何でもないということはすぐに分かった。
どう出る、と燐子は心の中で唱えた。
顔だけは平静を保っていたが、内心は誰かが自分の言葉に牙を剥いて来ることを祈っていた。
そうでなければ、この村は本当に終わりだ。
自分一人抵抗したところで、大軍相手には無意味である。
「年老いた連中や、女子供を引き連れて、魔物だらけの湿地を抜けられると思うか?仮に抜けられたとしても、果たして一体何人生き残るか……」
そんな燐子の想いに答えたのは、この世界において、自分が一番知っている人物で、それでいて自分のことを一番知っている人物であった。
「冗談じゃないわ……!」
エミリオの体からその身を離し、振り返りながら立ち上がったミルフィと目が合った。
「誰かの都合に振り回されるのはもうたくさん!うんざりなのよ!燐子!」
……やはり、彼女はこうでなければならない。
「あんたがそうして焚きつけるからには、何か考えがあるんでしょうね?」
爛々と炎を滾らせるミルフィが、一番美しい。
この世界に来て知ったことの一つだ。
紅色の髪はとても風情があって、趣深いと。
「当然だ、ミルフィ」
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