上 下
55 / 167

  信濃守

しおりを挟む
 とは言え、将軍から使者、無下には断れない。
「上洛して奸賊三好修理(長慶)を討ちたいのですが・・・・・」
 出来るだけ申し訳なさそうな顔をして、景虎は告げる。
「なにぶん、甲斐の武田大膳が不穏な動きを見せております」
 本当は今別に、晴信は何も仕掛けてきては居ない。
 勿論、表面上はであるが。
「我がら上洛すれば、大膳は信濃を襲い、越後に攻め寄せて来るかもしれませぬ」
 これは事実だ。
 景虎が上洛などすれば、必ず晴信はその隙を突くだろう。
「ですから・・・・」
「でしたら」
 そう景虎が言うのが分かって様に、間髪入れず晴光は応じる。
「上さまが武田大膳に和睦を命じます」
「・・・・・・まぁ、それなら・・・」
 景虎は眉を寄せる。
「お任せいたします」
 どうせ晴信が応じるわけがないと思いながら、景虎は頷いた。

 そして数ヶ月後、晴光が持って来た返事が、武田晴信を信濃守に任じたので、和睦は成った、だから上洛しろ、というものだった。
 景虎は唖然とした。
 全て、晴信の望み通りになったのである。
 
 景虎は怒り狂う。
「要は公方さまにとって我らの争いなど、どうでも良いということじゃ」
 殿、と景綱が宥める。
 ふん、と景虎は顔を背ける。

 足利公方義輝は、兎に角三好長慶を討ちたい。
 それが義輝の全てであり、それだけなのだ。
 景虎と晴信が揉めている事など、どうでも良いことなのだろう。

 馬鹿馬鹿しい、と景虎は心の底から思った。
 景虎が上洛すれば、当然、晴信は北信濃、そして越後を奪いに来る。
 義輝がその事が分からないのか、分かっていてそんな事はどうでも良いから、長慶を討てと言っているのか。
 どちらにしろ、景虎には関係ない。

 こんな話、当たり前だが、受けるつもちはない。

「殿」
 しかし景綱は、そうでは無かった。
「このお話、お受けいたしましょう」
 えっ?と景虎は声を漏らす。
「形だけでも良いので、兵を率いて上洛致しましょう」
「正気か?」
 景虎は驚いたが、景綱は黙って頷く。

 直江景綱は賢き者だ。
 宇佐美定満の様な恐ろしい切れ者で、あっと驚くような策を出すわけではない。
 本庄実乃と同じように、真っ当な事を真っ当に言う男だ。
 ただし景虎の父、為景の頃から、家老として場数を踏んでいるので、実乃より経験豊富だ。
 その景綱がこの話を受けろと言うのは、意外である。

「ただしこちらから、条件を加えるのです」
 景綱が静かに告げる。
「高梨どのや、その他の北信濃衆の領地に、武田大膳が手を出さないと」
「そんなもの、守わけがないだろう」
「それで良いのです」
 淡々と景綱は言う。
「破らせれば良いのです」
「・・・・・どうことだ?」
 景虎は首を捻る。
「武田大膳は、公方さまの約定すら守らぬ卑怯者」
 低く、そして重い声で景綱が言う。
「そう周囲の者たちに思わせておくのです」
 静かな声で戻して、景綱が続ける。
「それにそこまで意味があるとは思えぬが?」
「今はありませぬ」
 景虎の言葉に、景綱は即答する。
「今は武田に勢があります、だから意味はありませぬ」
 表情を変えず、景綱は話を続ける。
「ですが武田が勢いを失くした時、それは意味を持ちます」
 なるほどな、と景虎は納得する。

 武田晴信は謀(はかりごと)をめぐらし、信濃の国衆たちを支配下においている。
 だが彼らは、心の底から、心服しているわけではない。
 武田が強いから従っているだけだ。
 現に以前の戦さで、信濃の国衆たちの戦意は、それほど高くなかった。

 今は武田に力がある。だから従う。
 だが力を失えば、国衆らは裏切る。
 その時の口実して、武田大膳は公方さまの約定すら破る卑怯者というのが、丁度いいのだ。

 うむ、と景虎は頷く。
 一手先の事を考えれば損だが、数十手先の事を考えれば確かに利がある。
「分かった、ここは公方さまに恩を売るとしよう」
 承知しました、と景綱は頭を下げた。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

令嬢の名門女学校で、パンツを初めて履くことになりました

フルーツパフェ
大衆娯楽
 とある事件を受けて、財閥のご令嬢が数多く通う女学校で校則が改訂された。  曰く、全校生徒はパンツを履くこと。  生徒の安全を確保するための善意で制定されたこの校則だが、学校側の意図に反して事態は思わぬ方向に?  史実上の事件を元に描かれた近代歴史小説。

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

信忠 ~“奇妙”と呼ばれた男~

佐倉伸哉
歴史・時代
 その男は、幼名を“奇妙丸”という。人の名前につけるような単語ではないが、名付けた父親が父親だけに仕方がないと思われた。  父親の名前は、織田信長。その男の名は――織田信忠。  稀代の英邁を父に持ち、その父から『天下の儀も御与奪なさるべき旨』と認められた。しかし、彼は父と同じ日に命を落としてしまう。  明智勢が本能寺に殺到し、信忠は京から脱出する事も可能だった。それなのに、どうして彼はそれを選ばなかったのか? その決断の裏には、彼の辿って来た道が関係していた――。  ◇この作品は『小説家になろう(https://ncode.syosetu.com/n9394ie/)』『カクヨム(https://kakuyomu.jp/works/16818093085367901420)』でも同時掲載しています◇

大和型戦艦4番艦 帝国から棄てられた船~古(いにしえ)の愛へ~

花田 一劫
歴史・時代
東北大地震が発生した1週間後、小笠原清秀と言う青年と長岡与一郎と言う老人が道路巡回車で仕事のために東北自動車道を走っていた。 この1週間、長岡は震災による津波で行方不明となっている妻(玉)のことを捜していた。この日も疲労困憊の中、老人の身体に異変が生じてきた。徐々に動かなくなる神経機能の中で、老人はあることを思い出していた。 長岡が青年だった頃に出会った九鬼大佐と大和型戦艦4番艦桔梗丸のことを。 ~1941年~大和型戦艦4番艦111号(仮称:紀伊)は呉海軍工廠のドックで船を組み立てている作業の途中に、軍本部より工事中止及び船の廃棄の命令がなされたが、青木、長瀬と言う青年将校と岩瀬少佐の働きにより、大和型戦艦4番艦は廃棄を免れ、戦艦ではなく輸送船として生まれる(竣工する)ことになった。 船の名前は桔梗丸(船頭の名前は九鬼大佐)と決まった。 輸送船でありながらその当時最新鋭の武器を持ち、癖があるが最高の技量を持った船員達が集まり桔梗丸は戦地を切り抜け輸送業務をこなしてきた。 その桔梗丸が修理のため横須賀軍港に入港し、その時、長岡与一郎と言う新人が桔梗丸の船員に入ったが、九鬼船頭は遠い遥か遠い昔に長岡に会ったような気がしてならなかった。もしかして前世で会ったのか…。 それから桔梗丸は、兄弟艦の武蔵、信濃、大和の哀しくも壮絶な最後を看取るようになってしまった。 ~1945年8月~日本国の降伏後にも関わらずソビエト連邦が非道極まりなく、満洲、朝鮮、北海道へ攻め込んできた。桔梗丸は北海道へ向かい疎開船に乗っている民間人達を助けに行ったが、小笠原丸及び第二号新興丸は既にソ連の潜水艦の攻撃の餌食になり撃沈され、泰東丸も沈没しつつあった。桔梗丸はソ連の潜水艦2隻に対し最新鋭の怒りの主砲を発砲し、見事に撃沈した。 この行為が米国及びソ連国から(ソ連国は日本の民間船3隻を沈没させ民間人1.708名を殺戮した行為は棚に上げて)日本国が非難され国際問題となろうとしていた。桔梗丸は日本国から投降するように強硬な厳命があったが拒否した。しかし、桔梗丸は日本国には弓を引けず無抵抗のまま(一部、ソ連機への反撃あり)、日本国の戦闘機の爆撃を受け、最後は無念の自爆を遂げることになった。 桔梗丸の船員のうち、意識のないまま小島(宮城県江島)に一人生き残された長岡は、「何故、私一人だけが。」と思い悩み、残された理由について、探しの旅に出る。その理由は何なのか…。前世で何があったのか。与一郎と玉の古の愛の行方は…。

GAME CHANGER 日本帝国1945からの逆襲

俊也
歴史・時代
時は1945年3月、敗色濃厚の日本軍。 今まさに沖縄に侵攻せんとする圧倒的戦力のアメリカ陸海軍を前に、日本の指導者達は若者達による航空機の自爆攻撃…特攻 で事態を打開しようとしていた。 「バカかお前ら、本当に戦争に勝つ気があるのか!?」 その男はただの学徒兵にも関わらず、平然とそう言い放ち特攻出撃を拒否した。 当初は困惑し怒り狂う日本海軍上層部であったが…!? 姉妹作「新訳 零戦戦記」共々宜しくお願い致します。 共に 第8回歴史時代小説参加しました!

RUBBER LADY 屈辱の性奴隷調教

RUBBER LADY
ファンタジー
RUBBER LADYが活躍するストーリーの続編です

勝負に勝ったので委員長におっぱいを見せてもらった

矢木羽研
青春
優等生の委員長と「勝ったほうが言うことを聞く」という賭けをしたので、「おっぱい見せて」と頼んでみたら……青春寸止めストーリー。

処理中です...