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花を愛でる男と夢を捨てた女

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 翌月の汗ばむ真夏日。
 婚約式は、つつがなく終了した。
 式の間、リヒトとエリサは一度も視線が合わなかった。
 エリサは、リヒトが結婚には関心が無いのか、既に嫌われているかもしれないと、悲しい気持ちで一杯になり、涙が溢れそうになったのを必死で堪えた。
 それでも幸せな印象に思える出来事があった。
 終わった後に公爵邸の庭を二人きりで案内してもらった時、一言だけ語りかけられた記憶がある。

「婚約してくれて、ありがとう」と、消え入るような小声で……。

 それもエリサの顔を見ずに、庭先に咲いている向日葵の黄色い花弁を優しく指先で触れながら、種子が出来る茶色の部分に麗しい顔を近づけて告げていた。

(私に話しかけずに、花に告白??)

 ギョッとした。
 目の前にいる麗しい男は、一体誰と結婚しようとしているのか?
 リヒトはその後も、エリサが話しかけても目線を反らしたまま無表情だった。
 何を考えているのか全く見当がつかない。
 エリサは馬車に乗りこんでから、花を愛でる無表情な男と結婚せねばならないのか……と、先行き不安から、車窓から外をぼんやりと見つめながら溜息が漏れてしまった。
 それをリヒトに見られていたとも知らずに。

 没交渉が続いている対隣国の戦争の気配を、国境警備状況から感じ取ったリヒトからの希望で、挙式の日取りは秋が深まる二ヶ月後と早まった。
 半年後、一年後にまた開戦している可能性があれば挙式どころでは無くなる。
 侯爵家は挙式に向け、慌てて嫁入りの用意を始めた。
 ドレスや宝飾を時間をかけて王国御用達のオートクチュール店に注文することに憧れていたのに。
 幼少期からの夢は儚く散ってしまった。
 その代わり、公爵自身が実兄である国王に掛け合って下さり、挙式から披露宴全てを、とある王宮内施設で出来ることになった。

 慌ただしく準備をする毎日。
 婚約式が終わった翌日、国境に向かったリヒトからは、何の連絡も来なかった。
 エリサは本当にあの人と結婚出来るのだろうか、と、ふと不安が胸をよぎる日々を送った。
 結婚式当日の早朝に、馬走らせ公爵家に帰還されたと聞いた。

(寝ずに、そのまま結婚式に出るなんて)

 王宮敷地内の大聖堂は、王家も挙式で利用する格式高い場所だ。
 王都で一番人気のドレスメーカーで購入した既成品に、少し手直しをしたウェディングドレスを着込んだエリサは、控室に座っていた。
 公爵家に伝わる真紅の大きなルビーが中央に鎮座したネックレスと、対のピアスを譲られて身につけている。

 支度の終えたエリサの部屋に、リヒトが入ってきた。

「……」
「……」

 一定の距離を取りつつも、お互い見つめ合う新郎新婦。
 リヒトは真っ白の騎士礼服を身に纏い…見ていて目が潰れそうな程に神々しいが、目の下にクマが出来ているのを隠しきれないでいた。
 それにしても新婦のドレス姿を見て、お世辞でも優しい言葉をかけて来るのが紳士として当たり前の社交辞令ではないのか。

 無言の見つめ合いは続く。
 一言でも話したら負ける……いや、勝ち負けではない。なんというか、虚しい。

 挙式は無事に終わり、披露宴で招待客に挨拶をしていると、若い未婚の令嬢たちは扇で口元を隠しながらコソコソと何かを噂しているのに気づいた。

「…………なのに、どうしてあんな小娘に……」
「そうよね、…………様は見向きも……」

 ちらっと聞こえる言葉の一部で、エリサを揶揄っているのが伝わってきた。

(そうよね…こんな冴えない私が、麗しの貴公子と結婚ですもんね。皆、リヒトを狙っていたのよね。それなら自分から声をかければ良かったじゃないのよ)


 考え込んで俯き加減になったエリサの背中を、リヒトが掌で支えるように触れた。

「気にすることは無い。女ってのは噂が好きなんだろうから、言わせておけ」

 女は、私もですが?と言いたくなったのを堪えて、少し微笑んだ。
 私は、『女』『淑女』ですもの。
 生き抜くには鬼でも邪でも、なるわ。
 これからは、自分を守るのは自分自身だけ。
 目の前のこの男は、アテにならないですもの。
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