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第7章 1
しおりを挟むショーを一ヶ月後に控え、サンドリヨンのスタッフは毎日忙しそうにしている。
撮影の仕事は減っていたが、ショーで使うドレスの調整やリハーサルで花奈実も最近はほとんど毎日事務所に顔を出していた。
「おはようございま、す……」
いつものように事務所に入ると、なんだか重苦しい雰囲気が漂っていた。
忙しそうに立ち回るスタッフたちの姿は少なく、ほとんどの者がフロアの中心に置いてあるテーブルを取り囲んで難しい顔をしていた。その輪の中にはララや田中、そして蜜也の姿もある。
「ど、どうしたんですか」
「あ、花奈実チャン。見てよこれ」
ララが輪の中心にあったノートパソコンの画面を花奈実のほうに向ける。
表示されていたのはとある服飾専門学校の学内コンテストのページだった。最優秀賞の見出しの後に、ウエディングドレスの横で誇らしげに笑う男性の写真が載っている。
その男性に見覚えがあって花奈実は写真をじっと見つめた。
「そのドレス、蜜也さんのデザインなんです。端的に言うと盗作です」
「しかもショーのラストで使う予定だったドレスなのよ」
いつも冷静な田中の声には怒りが滲んでおり、ララは拳を握りしめていた。
「と、盗作……」
「そうよ。こんなデザイン蜜也クンにしか描けないわよっ!」
「証拠ならありますよ」
田中が、蜜也がいつも持ち歩いているスケッチブックを開いてみせる。そこには日付入りで全く同じデザインのドレスが描かれていた。いや、全く同じではない。蜜也の方が形が洗練されている。
花奈実はスケッチブックを手に取った。その瞬間、写真の男性のことを思い出す。
「わ、私この人……」
「え、知り合いなの?」
――蜜也くんの家の前にいた人だ。
このスケッチブックを届けようと尋ねたときに、蜜也かと思って駆け寄った人影。それがまさにこの人物だった。
あのとき焦って花奈実を突き飛ばしたのも、スケッチブックを拾ったのも盗作するため――
「私……ご、ごめんなさい……」
ことの顛末を話し、花奈実は深々と頭を下げた。
自分はなんてことをしてしまったのだろう。
スケッチブックを落としてしまったばかりにこんなことに。あのとき事務所に預けていれば盗作されることはなかったのに。
指先がかたかたと震える。スタッフたちの表情を見るのが怖くて顔を上げられそうになかった。
そんな花奈実の頭にぽんと手が置かれる。
「みんな、ごめん。俺の責任だ。そもそも俺が社外秘のスケッチブックを外に忘れたのが原因だ。本当にごめん」
置かれたのは蜜也の手だった。そこからじわじわと温かさが伝わってきて泣きたくなる。
――また、蜜也くんに謝らせてる。
そのことが心底情けなくなる。
「まあ責任を押しつけ合ってもしょうがないじゃない? とにかくあたしらはショーを成功させることだけ考えましょ。盗作の話は田中チャンに任せていいのよね」
「はい俺が。専門学校に連絡と、場合によっては弁護士を入れます。現場スタッフはショー関連に集中してください」
「とりあえず代わりのデザインをどうするかだよな……」
蜜也の言葉に衝撃を受けて花奈実は顔を上げた。
「え、このデザイン、使えないの……?」
「東京ブライダルショーなんてでかいイベントでしかもトリだからな。最後の最後に出すデザインが他の人間が作ったとはいえ、一度世に出たものっていうのはなんか違うかなって話してたんだ。別にこっちがオリジナルだから堂々としてりゃいいんだけど、ケチついたデザインで最後飾るのもいやだろ」
「そんな……」
蜜也のデザイン画は今まで見た中でも5本の指に入るほど素敵だった。蜜也が特に力を入れてデザインしたものだとよくわかる。それが自分のミスによって世に出ないなんて。
あまりのショックに足元がふらつく。今にも倒れそうな花奈実を蜜也がそっと背中に手を回して支えた。
「とりあえず花奈実は今日は帰っていいよ。代案のデザインが固まったらまた連絡するから。それまで体調崩すなよ」
ぽんと背中をたたかれる。慰めや励ましの意味が込められている優しい力加減だった。
蜜也は自分を責めていない。そうわかって余計に惨めになる。
――どうせだったらめちゃくちゃに罵倒してくれた方がまだ良かったのに……。
こういうときの蜜也はとても優しい。それが今はつらい。
「あと一ヶ月だぞ」「これ以上のデザインで新作ってマジかよ……」。スタッフの誰かの会話が聞こえてくる。こんな土壇場で準備してきたものが駄目になるなんて、スタッフも不安なことだろう。
「本当にすみませんでした……」
気遣わしげな蜜也の視線に耐えきれなくなって花奈実は事務所を後にした。
外に出ると雨が降りしきっている。朝からパラパラと降っていたのをすっかり忘れていた。
使っていた傘は事務所に置いてきてしまった。
取りに戻ろうと、花奈実は鉛のように重い足を引きずる。
「これから新しいデザインを考えてたら間に合いませんよ」
「新作じゃなくてもいいんじゃないですか。うちの一番人気を代表作として出すとか」
「乃亜さんが結婚式で着用したドレスはどうです? あれなら実物を見たいって人も多いでしょう」
花奈実が去った後、話し合いはさらに紛糾していた。扉の外からでも話し声が聞こえてくる。
「いや、トリは新作でいく」
焦った様子で次々に意見を出すスタッフに、蜜也は落ち着いた声でそう言った。
一瞬、場がしんと静まりかえる。
――あんなに楽しみにしていたショーだもん。新作を出したいんだよね。
トリを飾れると興奮していた蜜也のことを思い出す。あんなに素直に喜びを表す蜜也を花奈実はあのときはじめて見た。
「あ、じゃああれならどうですか。今度理亜さんに着用してもらう予定だったドレス。あれならほとんど仕上がってますよ」
「あのサイズじゃ着るのは理亜チャンになるじゃない……」
「それは仕方がないんじゃないですか。こんな状況だし……。理亜さんなら会場も納得しますよ」
それ以上聞いていられなくて花奈実は階段を駆け下りた。雨脚はさっきよりも強まっているが、そんなことは気にする余裕もなく大通りまで一気に走った。
「はあ、はあ……」
道行く人が息も絶え絶えの花奈実をちらちらと見て通り過ぎていく。
ショーのラストを飾るのはきっと理亜になる。そう思ったらあの場にいられなかった。
「本当、なにしてんだろ、私……」
良かったじゃないか。サンドリヨンは新作のドレスを出せるし、見に来た客だって理亜のドレス姿が見られれば満足する。
そう思いたいのに、ぽろぽろと熱い涙がこぼれる。
街中で二人の姿を見たとき蜜也の隣を譲ることになるかもしれないと思った。けれどモデルの仕事まで理亜に引き渡すことになるなんて。
自分が悪い。それはわかっている。十分すぎるほどに。
「なんでなんにも上手くいかないんだろう……」
蜜也にふさわしくなりたいと思った。
それが無理でもせめて仕事では役に立ちたいと思った。
なのに、現実は足を引っ張ってばかりだ。その上理亜への嫉妬が溢れて止まらない。
――もう嫌だ。こんな自分、嫌いだ。
雨に濡れて呆然と立ち尽くす。ざあざあとうるさい雨音にそのまま流されて、いっそのこといなくなってしまいたかった。
通行人はもう花奈実に目もくれることなく通り過ぎていく。ショッピングビルに取り付けられた大型画面から流れるCMの音楽だけが陽気にその場を取り繕っていた。
そのとき鞄に入れておいたスマートフォンが着信音とともに震える。
「……もしもし」
『あ、花奈実。お前もう外? 傘忘れてるだろ。雨降ってんのに』
電話をかけてきたのは蜜也だった。こちらを気遣うような優しい声に余計に泣けてくる。
――どうして蜜也くんはこういうとき優しいの。
いつもは訳のわからないことで怒ったり、横柄な態度なのに、自分が落ち込んでいるときに限って優しい。
今日ばかりはその優しさがつらかった。
『花奈実? どうした。今どこ?』
「……もう無理」
『は? なに、よく聞こえない』
「もう無理だよ、蜜也くん。私にはやっぱり無理だった」
『……待ってろ。そっち行く。どこにいんの』
電話口の向こうで扉の開く音がする。蜜也が外に出たのだろう。
けれど花奈実は場所を告げるつもりはなかった。
「役立たずでごめん。迷惑かけてごめん。私みたいのを彼女にすることになってごめん。ごめん、蜜也くん」
『花奈――』
蜜也の言葉を待たずに通話を切って、そのままスマートフォンの電源を落とした。
放心する花奈実の耳に聞きなじみのあるフレーズが飛び込んでくる。
『君は幸せなシンデレラ――』
反射的に顔を上げると大型スクリーンにはサンドリヨンのCMが映っていた。
大写しになった蜜也の横顔を見ていると涙が止めどなく溢れてくる。
「シンデレラの魔法、解けちゃったよ……」
スクリーンの向こうの蜜也はもう二度と手の届かない存在なのだと実感し、花奈実はぼやけた視界でスクリーンを呆然と見上げていた。
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