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第6章 1

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 バックヤードでの作業中、ふと後ろに気配を感じれば、振り向く前にたくましい腕に抱きしめられた。
 ふわっと香る匂いだけでもうそれが隼人だとわかる。
「誰かに見られますよ」
 そう言いつつも腕を拒否しなかった。
「見せておけばいい」
 こめかみにキスと一つ落とされる。
 嵐の夜、麻由と隼人は正式な恋人同士になった。
 隼人のことを好きなのだと認めたあの日から、隼人は遠慮なしにこうして触れあってくる。
 休日は二人で出かけたり一日中家で映画を見たりもしているのに、職場でも隙があれば人目を盗んで会っていた。
 麻由が抵抗しないのをいいことに、隼人のついばむようなキスはさらに続く。
 耳元に、触れるだけの口づけを与えられて、くすぐったくて体をよじった。
「甘い香りがする」
「さっきまでアロマの品出しをしていたからかも」
「アロマねえ」
 耳の後ろに鼻先をこすりつけられて、いよいよこそばゆい。
「それよりもっと甘い匂いがする」
「ちょっとぉっ」
 ぺろ、と熱く湿ったものが触れた。舐められたとわかって、さすがに体をばたつかせる。
「も、やりすぎ……っ」
「悪い悪い」
 隼人は顔を寄せるのをやめるが、依然として腕は腰に巻き付いたままだ。
(嬉しい、なんておかしいかな)
 職場なのだからいい加減離れたほうがいいに決まっている。けれど、本当は離れて欲しくなかった。
 裏腹な気持ちは、本心の方が勝ってしまう。
「今日、早上がりじゃないのか?」
 少しだけ甘えたような声に「このあとどこかで会いたい」というメッセージを感じ取る。そうしたいのは山々なのだが、あいにくシフトは遅番だ。
「残念ですけど……」
 麻由は手元にあった透明なビニールの包みを開ける。
 中から出てきたのはフェアリーのパジャマだ。
「買ったのか?」
「支給ですよ。催事の間はこれが制服ですから」
 目玉商品であるこのパジャマの良さを全面に出すために、販売員は実際に身につけて接客することになっている。
「これから宣伝のために、実際に着てフライヤーを配るんです」
「企画のほう、順調にいってるんだな」
「おかげさまで」
「偉い偉い」
 隼人は頬に一つキスをすると、腕を離した。ぬくもりがなくなったことに、麻由は少しだけさみしくなる。
「そんな残念そうな顔をするな。……仕事のあと、俺の家で」
「え、で、でも……今日遅いよ?」
「何時でも待ってる」
 その言葉にきゅんと胸が高鳴った。
(遅番だから会えないと思っていたのに……)
 本当は二人きりで会いたいのは自分の方だった。けれど疲れている隼人に待っていて欲しいというのは気が引けていた。隼人はそんな麻由の気持ちすらわかっているみたいだ。
 微笑む隼人の笑顔がまぶしい。
 胸の内に幸福感が広がっていくのを麻由は感じていた。


 
「あ、塚原先輩似合ってますね」
「ありがと。エリナちゃんもかわいい」
「えへ。これ、本当に着心地いいです。催事終わってからもずっとこのパジャマを制服にしたいですよ」
 フェアリーのパジャマに着替えた麻由はエリナと合流する。麻由が身につけているのは水色で、エリナは色違いのピンクだ。
 エリナの言うとおり、上質な綿花を使った生地は本当に着心地がいい。着てみると改めて製品の良さがわかった。
(お客さんも着たところをイメージしやすいし、売る側もアピールしやすい。いい戦略だったかも)
 二人はフライヤーを手にして、バックヤードから売り場へと出る。
「じゃあ二手に分かれようか。売り場をぐるっと回って、合流しよう」
 フロアの真ん中は吹き抜けがあるので、それに沿うように左右から歩いて行けば今いる場所の対面で落ち合えるはずだ。
 二人は左右に分かれてフライヤーを配り始める。
 パジャマ姿の販売員というのは目立つようで、買い物中の客も興味深そうにこちらを見ている。
 二人組の女子高生が黄色い声ではしゃぎながら麻由を囲んだ。
「お姉さん、かわいい!」
「写真撮ってもいいですかー?」
 女の子たちに挟まれて快く写真に写った。SNSに場所付きで載せてくれるならありがたい。
「触ってもいいですか?」
「もちろん」
 女子高生たちは麻由の腕を触って生地感を確かめている。「すごーい、なんかふかふか」「めっちゃ気持ちいい!」きゃっきゃとはしゃぐ姿はさらに周りの視線を集めた。
「あのー、私もチラシもらっていいですか?」
「どうぞ!」
 興味深そうにこちらを見ていた客の一人が話しかけてくる。それをきっかけに、一人また一人とフライヤーをもらいに来る客が増えた。
 感触は上々で、この分なら当日の集客も見込めそうだと、麻由はほっとする。

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