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しおりを挟む麻由は慌てて視線をそらした。
「こんなところで寝ているなんて馬鹿じゃないのか。お持ち帰りしてくださいって言ってるようなものだ」
突き放すような言い方についいらだってしまう。
「関係ないれすっ。私は恋人を作りに来たんだからっ」
突っかかる麻由をあしらうように男は鼻を鳴らした。
「恋人、ね。あんな下心だらけの奴にいいようにされるのが理想の恋なら止めないが」
理想の恋。その言葉が胸にグサリと突き刺さった。そうだ、自分が今まで恋人を作ろうとしなかったのはそんな素敵な恋を追い求めていたからじゃないか。
学生の頃、周りにどう言われようと誰とも付き合わなかったのは自分なりの理想ってものがあったからで。
(そんなこと考えてるうちに恋の仕方もわからないままここまで来ちゃった……)
情けなくなって、鼻の奥がツンとした。視界が涙の膜で歪む。
「悪い、言い過ぎた。ほら送っていくから」
泣き出しそうな麻由の顔を見て男はばつが悪そうに謝ると、肩を貸して立ち上がらせる。
「とりあえず、デパート出るまではしゃんとしてくれよ。同期の星なんだろ」
どうしてそのことを知ってるんだろう。麻由は思考のまとまらない頭でぼんやりと考えた。
通用口に止まっていたタクシーに二人で乗り込むと、麻由の体はまたシートに鉛のように沈んでいってしまう。
まぶたが重くて、急激な睡魔が襲ってくる。
「君、住所は」
「んー……」
頭の中にはきっちり番地まで住所が浮かぶ。同時に、薄暗く静まりかえったワンルームの映像も。
今ぬくもりのない一人暮らしのアパートへ戻ったらさみしさで死んでしまうんじゃないかと思った。
「住所」
「帰りたく、ない」
男の促す言葉に、答える気にはならなかった。
運転手が迷惑そうにこちらを振り返っている。男は眉をしかめて一つため息をついていた。
「とりあえず流してくれ」
男の一言でタクシーが出発する。振動が心地よくて、ずっとこのまま走り続けてほしいと麻由は思った。
「酒弱いんだな……麻由は」
男の低く響く声が自分の名前を紡いだことが意外だった。
同期の星といい、まるで自分のことを知っているような口ぶりだ。デパートの関係者なのだろうか。
「あの、あなた誰ですか?」
「……隼人、という」
「隼人さん……部署は?」
下の名前を言われたことは気にならなかった。自分も麻由、と下の名前で呼ばれたからだろうか。
「企画営業部だ」
「いーいですねぇ。花形部署で」
「そうか?」
「そうですよぉ、みんなの憧れですもん」
悔しさを隠すように絡んだ口調になったのが自分でもわかった。みんな、などと言ったが憧れているのは自分だ。半年以上採用されなかった自分の企画。その枠はずっと企画営業部の発案で催事が行われている。
それもマーチャンダイザーである空閑が中心となって。
付箋の文字が頭にちらついて、麻由は歯を食いしばった。
「そこに空閑って人いるじゃないですか。MDって気取った肩書きの」
「ああ、いるな」
「隼人さんは平気ですかぁ? パワハラ、されてないですかぁ?」
だらしなく語尾を伸ばした麻由の言葉に、隼人は意外そうな顔をする。
「隼人さんは、って……君はされてるのか? そんな口ぶりだが」
「されてますよぉ。企画書もう出してくるなって言われましたもん」
「それがパワハラか?」
「ですよぉ。お前には才能がないから仕事の邪魔するなってことじゃないですか……!」
「そういう意味じゃないと思うが……」
隼人は困ったように眉を下げる。
「そういう意味です……っ、空閑MDのあほっ」
話しているうちに興奮してきて、つい口汚い言葉が出てしまう。
引かれるかと思ったが、予想に反して隼人は心底おかしそうに腹を抱えて笑いをこらえていた。
(気持ち、わかってくれたのかな)
きっとこの分だと隼人も空閑には苦労をかけられているに決まっている。密かに仲間意識が芽生えた。
「空閑MDはきっと私のことが嫌いなんです」
「それは違うと思うぞ」
笑いすぎて目尻に浮かんだ涙を拭いながら、隼人がきっぱりと言う。
「逆に好きなんじゃないのか」
「あり得ませんよ! どういうことですか」
「無理して企画を考えて、疲れた君を見たくなかったんじゃないのか」
ずいぶん好意的な解釈だと思って、ついあきれたように鼻で笑ってしまった。
「ないですって。それに疲れてなんかいません」
「どうかな。無理して企画をやる必要なんかないと思うが。君の接客は評判がいいし」
自分の接客は別の部署にまで届くほどの評価なのかと、素直に嬉しくなる。つい頬をゆるめてだらしなくにやけてしまう。
「確かに売り場に立つのは好きですよ。でも、だからこそ、自分で企画をしてみたいって……」
売り場に立ち、なにが売れるか自分なりに研究した。客のニーズに合う売り場を心がけ、喜んでもらえることも増えた。同時にあの売り場ではやれることに限界があると気づいた。
「今の部門、好きなんです。若者向けの『フルール』っていう売り場が。だからこそもっとお客さんに寄り添いたい」
販売の仕事を心から好きだと思えるようになったのは部門長になってからだった。新しい部門で不安が大きかったが、一から育てるつもりで売り場を作ってきた。
結果、今までデパートを利用してこなかったであろう客層が訪れ、笑顔で買い物をしていく。自分へのちょっとしたご褒美や大切な人へのプレゼント、そんな買い物を自分が手伝えるのが嬉しい。
その場を作ったのが空閑だ。悔しいけれど、空閑の手腕は本物なのだ。
(だからこそ、認められたかった。空閑MDにすごいと思ってもらえる企画を出したかった)
はじめはそんな尊敬の気持ちを向けていたが、今は怒りや憎しみしかわいてこない。
「そこまで言うならそうとう自信のある企画だったんだろうな」
隼人の言葉に深くうなずく。
出し続けた企画の中でも、今回のものは特に自信があった。これならいける、と確信すら持っていたのだ。
「若い女性向けの癒やしグッズの企画だったんです。目玉商品はパジャマで」
企画書の内容など、見なくてもすらすら言うことができる。それほど入れ込んでいた企画だった。
良質な綿花を使用した着心地の良さを売りにしているパジャマのブランド、鮎川コットン。今までは年配者向けのデザインばかりだったのだが、最近になって若い女性向けの『フェアリー』というラインを発売したのだ。
着心地の良さはそのままに、パステルカラーを基調としたかわいらしいデザインのパジャマを見て、麻由はいけると確信した。
この商品を中心に、若い女性が喜ぶ癒やしグッズを集め、売り場を作り上げたら集客は間違いなしだと思っていた。
「なるほどね」
企画書をそらんじる麻由に、隼人はさほど興味のない様子で相づちを打つ。
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