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第9話 指輪
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がちゃり。
「ただいまー」
学校が終わり、自宅の玄関を開くと、
「おかえりなのじゃ」
純白のエプロン姿の、夢魔(サキュバス)が立っていた。
左手には、おたま。
右手にはスポンジ。
その両アイテムから察せられることを、猫なで声で言ってくる。
「ご飯にするか? お風呂にするか? それとも……」
おたまとスポンジを、黒い尻尾で巻き付けるように持ち、エプロンの肩紐に、空いた両手を掛ける。
見れば、エプロンの下には何も着ていないように見える。
手も、足も、胸元も、白い肌が"素"の状態で晒されている。
俗に言う──裸エプロンというやつだ。
「……わ・ら・わ?」
「ごめん。今日疲れてるから」
僕は靴を脱ぎ、彼女の脇をすり抜けるようにして、リビングに向かった。
「うぬぬ……こら、待たんか!」
リビングの高級なソファに、どさっ! と顔から飛び込むと、怒った様子のリリーが、柔らかいスポンジを投げてきた。
ぽふっ。後頭部にクリーンヒット。だけど別に痛くない。
「もう少し、わらわに構うのじゃ。わざわざ買ったのじゃぞ、このエプロン」
「知らないもん……」
「今日はやけに気怠そうじゃのぅ……はっ! 靴下は脱がぬ方が良かったのか!?」
「どうでもいいよっ!」
「……どうせ汚れるから、かの?」
「違うっ! 僕は好色じゃないからっ!」
と、軽くやり取りしたところで、僕はソファに座り直した。
真横にリリーが腰を下ろし、横柄そうに足を組む。
「で、図書委員にはなれたかの?」
「なれたよ。代わりに友達候補を一人失ったけどね」
「座をめぐって、喧嘩でもしたのか?」
「せーかい。まぁ、今になって考えてみれば、もう少し上手いやり方があったとは思うんだけど……」
こっちも頭にきてたとは言え、屁理屈でルールの穴をついて、なおかつ顔面にドロップキックしたのだ。
もう、友達にはなってくれないだろう。
どちらかといえば、目の敵とか、復讐の対象とか、真逆の位置にノミネートされているはずだ。
「ふむ……。警戒が必要かものぅ……」
「ん? なにか言った?」
「いいや。じゃがのぅ……」
背を向け、なにやらゴソゴソとし始めた。
しかし数秒後。目的の物が見つかったのか、こちらに向き直り、右手を差し出す。
「ほれ、これを受け取ってくれ」
小さな手の平に乗っているのは、指輪だ。
銀色の輝きを持ち、精緻なレリーフが彫られ、小さな宝玉の嵌め込まれた……そう、まるで"婚約指輪"のような。
「きゅ、急になに!? そ、そういうのってムードとか、雰囲気とかあるじゃん! し、しかも僕たち、主人と隷属魔の関係だよっ!?」
「ん? 何の話じゃ?」
「指輪だよ! 急にプロポーズしないでよっ!」
「……あぁ。人間にはそういう風習があるんじゃったな」
……ん? あっ、そういえば、
「幻魔(インキュバス)から夢魔(サキュバス)へのプロポーズって、人間の精を貢ぐことなんだっけ?」
「さようじゃ。じゃからこれは婚約指輪じゃのうて、魔力を増幅させる魔法を刻印した、魔法銀(ミスリル)の"魔道具"じゃ。試作品が完成したから、お主に使ってもらおうと思ってな」
「……っ!」
恥ずかしい……ッ!
この勘違いは、恥ずかしいッ!
「むむむ~? 嬉しい勘違いじゃのぅ~? もしや、わらわとの契りを所望なのか、主様~♥」
「ち、違うからっ! 抱き着いてこないでっ!」
「またまた~、口は素直じゃないのぅ♥ 粘液に触れれば、ちっとは素直になるかのぅ~♥ ……ちゅっ♥」
「う、うわぁっ! はっ、離してえええぇぇぇえええ!」
◇◇◇
「くっ、くふぅぅ~……♥ こ、腰が、完全に砕けたぞ……」
火照った身体で、ソファーの上で妖艶に横たわっているリリー。
重要な部分こそエプロンに隠されてはいるが、汗ばんだ全身や、脱力し切った四肢からも、先程まで何をしていたのか、一目瞭然だ。
「また、やってしまったぁ……」
「もっと胸を張って誇らぬか。夢魔のわらわから魔力を奪い取れる者など、いかに世界広しと言えど、お主のみじゃ」
「全っっっ然、嬉しくない誉め言葉なんだけど……」
そう否定して、右手を天井にかざしてみる。
人差し指には、ついさっき嵌めたばかりの指輪。
天井の灯りに照らされて、魔法銀(ミスリル)が眩光を煌めかせる。
リリーの話によると、魔力を三倍も増幅させる効果があるらしい。
数百年前であれば、神が作ったのかと思えるレベルの魔道具だ。
これがあれば僕も魔法が使える、一日一度だけ……。
「ご利用は計画的に、ってやつか……」
「最善手は、昔みたく、お主が目立つのを恐れぬことなんじゃがなぁ……」
「やだ。もう僕、二度とあんな真似はしないって心に誓ってるから」
過去を色々思い出すと、少し嫌な気持ちが湧いてきた。
頬が自然に膨らむ。眉根が勝手に狭まる。
「ふっ、わらわはお主の隷属魔じゃ」
リリーは声音優しく、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「全ては、主様の御心のままに……」
「ただいまー」
学校が終わり、自宅の玄関を開くと、
「おかえりなのじゃ」
純白のエプロン姿の、夢魔(サキュバス)が立っていた。
左手には、おたま。
右手にはスポンジ。
その両アイテムから察せられることを、猫なで声で言ってくる。
「ご飯にするか? お風呂にするか? それとも……」
おたまとスポンジを、黒い尻尾で巻き付けるように持ち、エプロンの肩紐に、空いた両手を掛ける。
見れば、エプロンの下には何も着ていないように見える。
手も、足も、胸元も、白い肌が"素"の状態で晒されている。
俗に言う──裸エプロンというやつだ。
「……わ・ら・わ?」
「ごめん。今日疲れてるから」
僕は靴を脱ぎ、彼女の脇をすり抜けるようにして、リビングに向かった。
「うぬぬ……こら、待たんか!」
リビングの高級なソファに、どさっ! と顔から飛び込むと、怒った様子のリリーが、柔らかいスポンジを投げてきた。
ぽふっ。後頭部にクリーンヒット。だけど別に痛くない。
「もう少し、わらわに構うのじゃ。わざわざ買ったのじゃぞ、このエプロン」
「知らないもん……」
「今日はやけに気怠そうじゃのぅ……はっ! 靴下は脱がぬ方が良かったのか!?」
「どうでもいいよっ!」
「……どうせ汚れるから、かの?」
「違うっ! 僕は好色じゃないからっ!」
と、軽くやり取りしたところで、僕はソファに座り直した。
真横にリリーが腰を下ろし、横柄そうに足を組む。
「で、図書委員にはなれたかの?」
「なれたよ。代わりに友達候補を一人失ったけどね」
「座をめぐって、喧嘩でもしたのか?」
「せーかい。まぁ、今になって考えてみれば、もう少し上手いやり方があったとは思うんだけど……」
こっちも頭にきてたとは言え、屁理屈でルールの穴をついて、なおかつ顔面にドロップキックしたのだ。
もう、友達にはなってくれないだろう。
どちらかといえば、目の敵とか、復讐の対象とか、真逆の位置にノミネートされているはずだ。
「ふむ……。警戒が必要かものぅ……」
「ん? なにか言った?」
「いいや。じゃがのぅ……」
背を向け、なにやらゴソゴソとし始めた。
しかし数秒後。目的の物が見つかったのか、こちらに向き直り、右手を差し出す。
「ほれ、これを受け取ってくれ」
小さな手の平に乗っているのは、指輪だ。
銀色の輝きを持ち、精緻なレリーフが彫られ、小さな宝玉の嵌め込まれた……そう、まるで"婚約指輪"のような。
「きゅ、急になに!? そ、そういうのってムードとか、雰囲気とかあるじゃん! し、しかも僕たち、主人と隷属魔の関係だよっ!?」
「ん? 何の話じゃ?」
「指輪だよ! 急にプロポーズしないでよっ!」
「……あぁ。人間にはそういう風習があるんじゃったな」
……ん? あっ、そういえば、
「幻魔(インキュバス)から夢魔(サキュバス)へのプロポーズって、人間の精を貢ぐことなんだっけ?」
「さようじゃ。じゃからこれは婚約指輪じゃのうて、魔力を増幅させる魔法を刻印した、魔法銀(ミスリル)の"魔道具"じゃ。試作品が完成したから、お主に使ってもらおうと思ってな」
「……っ!」
恥ずかしい……ッ!
この勘違いは、恥ずかしいッ!
「むむむ~? 嬉しい勘違いじゃのぅ~? もしや、わらわとの契りを所望なのか、主様~♥」
「ち、違うからっ! 抱き着いてこないでっ!」
「またまた~、口は素直じゃないのぅ♥ 粘液に触れれば、ちっとは素直になるかのぅ~♥ ……ちゅっ♥」
「う、うわぁっ! はっ、離してえええぇぇぇえええ!」
◇◇◇
「くっ、くふぅぅ~……♥ こ、腰が、完全に砕けたぞ……」
火照った身体で、ソファーの上で妖艶に横たわっているリリー。
重要な部分こそエプロンに隠されてはいるが、汗ばんだ全身や、脱力し切った四肢からも、先程まで何をしていたのか、一目瞭然だ。
「また、やってしまったぁ……」
「もっと胸を張って誇らぬか。夢魔のわらわから魔力を奪い取れる者など、いかに世界広しと言えど、お主のみじゃ」
「全っっっ然、嬉しくない誉め言葉なんだけど……」
そう否定して、右手を天井にかざしてみる。
人差し指には、ついさっき嵌めたばかりの指輪。
天井の灯りに照らされて、魔法銀(ミスリル)が眩光を煌めかせる。
リリーの話によると、魔力を三倍も増幅させる効果があるらしい。
数百年前であれば、神が作ったのかと思えるレベルの魔道具だ。
これがあれば僕も魔法が使える、一日一度だけ……。
「ご利用は計画的に、ってやつか……」
「最善手は、昔みたく、お主が目立つのを恐れぬことなんじゃがなぁ……」
「やだ。もう僕、二度とあんな真似はしないって心に誓ってるから」
過去を色々思い出すと、少し嫌な気持ちが湧いてきた。
頬が自然に膨らむ。眉根が勝手に狭まる。
「ふっ、わらわはお主の隷属魔じゃ」
リリーは声音優しく、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「全ては、主様の御心のままに……」
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