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昔々、子供の頃のお話です。

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私には幼稚園の頃から幼なじみの男の子がいました。私の住んでいた地域には同世代の女の子がすくなく、同じ学年となると彼と私のふたりだけしかいなかったのです。そんな理由から、ふたりで遊ぶことが多くなりました。

私は喘息持ちだったので、あまり過激な運動はできませんでした。それを知っていた彼は、遊びの内容も私に合わせてくれていました。遊ぶときはもっぱら私の趣味が中心となり、ママゴトや人形遊びなどをして過ごしていました。

走り回る遊びは避けてくれているようでしたし、ちょっとした移動でも気をつかってくれていました。お姫様扱いをされているようで嬉しかったのを覚えています。

そんな関係は、私たちが小学生になっても続きました。しかし、お互いに学校の友達ができたので、毎日一緒に遊んでいるわけではなくなりました。

学校の帰り道はほとんど一緒だったので、お互いに予定がないときは一緒に過ごすといった感じです。その頃はさすがに、ママゴトに付き合わせたりするわけにはいかなかったので、彼の家でゲームをしたりして過ごしました。

ある日、私が喘息をこじらせて学校を休んでいると、彼がプリントなどを持ってきてくれました。彼とはクラスが違うのですが、わざわざ私のクラスに通って受け取ってきてくれたようです。

そういった小さな心遣いをしてくれる彼が、私にとって大切な存在だとそのときから思っていました。

長くふたりで過ごしてきたせいか、私にとって彼は、異性の友達と姉弟の間のように思っていました。たぶん、彼氏彼女とかよりも一歩強い感情になっていたと思います。

私の言うことを大抵聞いてくれる彼は、とても居心地の良い相手だったのです。もちろん、なんでも言うことを聞いてくれるから良かったのではなく、彼の深い優しさが、私の心のスキマを埋めてくれるような感じでした。

ちょっと内向的だったけど、その分思いやりを強く感じることが多くありました。そんなところも私にとっては相性が良い相手だったのです。

しかし、そんな関係も終わりを告げるときがやってきました。
小学校3年の頃です。彼がいじめられているということを耳にしたのです。

私たちは違うクラスだったので、詳しくはわかりませんでした。ですが、いじめの内容は友達に聞いて知っていました。

なんでも、女子と仲良くしていることから、「女たらし」というあだ名を付けられ、男子から無視されたり、女子から「触れるとニンシン」すると言われて避けられたり、クラスの班分けで仲間はずれにされたり、よくある「菌」扱いされたりといったものです。

自分のせいで、彼がいじめられていることが許せなかった私は、何度か彼のクラスに乗り込もうとしました。

しかし、別のクラスの教室というものは、まったくのアウェイで、土足で他人の家に上がり込むような抵抗感がありました。消極的な私は、なかなか実行に移せないでいたのです。

そんなある日、下校途中で彼に会いました。

私は、いじめられていることを「先生に相談しよう」とか「いじめの中心人物に説明する」と提案しました。

彼は「ぼくと話さない方が良い」「いじめられるかもしれない」と答え、苦笑いで断ったのでした。

そのときの彼の苦笑いが、無理やり作った笑顔みたいで、痛々しかったのを私はずっと忘れることができないでいました。

私が彼に構うことで、余計にいじめられるかもしれない。私が彼と関係を断つことで、このいじめはそのうち風化するかもしれない。

そう思って、私は学校で彼に話しかけるのをやめることにしました。その分、学校が終わってから話をすれば良いと考えたのです。

その日から、学校が終わって彼の家へ通うことにしました。ですが、いつも彼が家に帰ってくるのが遅く、会うことはできませんでした。

なんとなく、避けられているんだろうとは思いました。しかし、実際に目の前で嫌いだと言われたわけでもないので、どこかで思い過ごしだと考えるようにしていたと思います。

学校で彼を見かけることはなくなり、家に行っても彼と会うことはできなくなりました。学校行事でも彼を見かけることはありません。

どうも登校していないようだと知ったのは、学年があがってクラス替えをしたときのことです。

元々彼と同じクラスだった女子から、そういったことを聞いたのでした。私と彼が下校時に最後に会ってから、二年間も彼は学校に来ていなかったのです。

毎日彼の家に行ってみますが、彼のお母さんに謝られるばかりで、取り合ってはもらえません。

やがて中学にあがるとき、彼の家は引っ越ししていきました。

私の両親は知っていたようですが、私にはなにも知らされていなかったのです。突然訪れた別れに、ショックでしばらく寝込んでしまいました。

もう彼と私をつなぐものは、何もないのだと悟りました。

同時に、彼を大好きだったことを痛感したのです。彼との思い出がすり切れるぐらい頭の中を巡りつづけました。

ケンカしたこともありました。しかし、大抵私が一方的にすねているだけで、彼が怒ることはなかったのです。

もう届かない謝罪の念が、私の全身を暴れるように駆け回ります。苦しくて、涙が止まらなくて、疲れて寝るといった毎日でした。

ふたりで遊んだ場所、話した内容、笑ったり照れたりする表情、そのすべてを鮮明に思い出すことができました。

いま思えば、彼が内向的な性格になったのは私のせいかもしれません。

私が運動できないばかりに、彼の趣味が内向的になるように誘導してしまったところもあります。

その結果、彼の人生をめちゃくちゃにしてしまったのだという考えに至り、ひとりで悶々とした日々を送り、毎日後悔していました。

私は彼が好きでした。

だけど、そんなことはどうでもよくって、そんなことを今更伝える気はなくって、ただ彼の人生を邪魔したことを謝罪して、償いたいという思いだけが私の中に残り続けていました。

普通に好きな男子としてだったら、とっくに風化していたかもしれません。

他の人から見るとパッとしないかもしれませんが、それが私にとって今でも忘れられない、とても大切な初恋でした。



それから15年経ち、私は大手の企業に就職しました。

人材派遣を担っている会社で、電話応対や事務業から始まって、いまでは営業や登録されているスタッフさんの管理を行なう、コーディネーターと呼ばれる業務もやるようになりました。

スキマ産業として知られている派遣会社ですが、企業側のメリットも大きいため、価格とリスクマネジメントをきちんと説明すれば、営業でもまずまずの成果率をあげることができました。

近年急成長した分野だけあって、ルールやマニュアル整備は行き届いていない部分も多く、トラブルやクレームが絶えない仕事です。

でも、そこそこの評価を得られるようになってきたため、それなりに充実した日々を送っていました。

何人かのスタッフさんと仲良くなり、私の評価をあげるために頑張ってくれたり、私も彼らの評価をあげて会社側に優遇されるように便宜を図ったりすることもありました。

そんな仲ですから、彼らの不満や悩みを聞くことも多く、時間が会えば一緒に食事をしたりして話を聞くことも珍しくありません。

そんなとき、とあるスタッフさんの話をリーダースタッフさんから耳にしました。

聞くところによると、コミュニケーション能力が極端に低く、クライアント側の人間との疎通が、うまくいっていないことが多いそうです。

それが元となり、トラブルが発生したり、クレームがきたりといったことも多々あって、そのスタッフを外して欲しいというお話でした。

懇意にしているリーダースタッフさんの要望ですから、なるべく職場環境の改善に力を尽くしたいところです。

しかし、安易な判断でスタッフを現場から外したりすることはできない、と説明しました。

愕然としたようでしたが、彼も社会の仕組みをよくわかっている大人ですから、頷いて大人しく引き下がってくれました。

しかし、そのように冷静な態度で引き下がられると、リーダースタッフの彼が、何か現場でしかわからないことを危惧しているのかもしれません。

そして、もしかすると大きなトラブルの発生を予感しているのでは、と考えるようになりました。

私は、その問題のあるスタッフさんと面談を行なって、環境が改善できるように努めてみると約束しました。

その後、私は会社で、その問題のあるスタッフさんの資料に目を通しました。

資料には顔写真入りの履歴書を元に作成されたデータ以外にも、現在の出向先にどれくらい勤務しているか、遅刻欠勤などのペナルティ頻度、クライアントからの評価、リーダースタッフからの評価などが書かれています。

私はリーダースタッフさんに話を聞いたとき、彼の苗字しか聞いていなかったのでピンときませんでした。ですが、資料に目を通したとき、全身に電気が走ったように固まってしまったのです。

周囲の音が一切聞こえなくなり、目は資料の顔写真と氏名を何度も往復します。すぐに視線を下ろして学歴を見てみました。私が知っている幼稚園、小学校の名前が書いてあります。現住所や中学校の名前は聞いたこともありません。

履歴書に書かれた文字は、黒のボールペンを使用していますが、ミミズのような歪んだ字でした。かろうじて文字が読めるものの、キレイとは言えません。

私はすぐに、これを書いたとき、彼の手が震えていたのだとわかりました。顔写真にはあまり生気が感じられず、どこを見ているのかもわかりません。

ぼんやりと虚空を見つめているような、小学校のとき下校時で最後に見た顔が、その記憶が呼び覚まされるような表情でした。

胸が締めつけられ、強く高鳴って、足が微かに震えました。背中に嫌な汗をかいて、顔中が熱くなってきました。

懐かしさと申し訳なさと恥ずかしさ、これからどうしようという不安、彼との思い出や小学校での出来事、それらが一斉に頭の中で流れ込んできて、グルグルと渦をつくるように回っています。

「どうしたの?」
そう呼ばれて肩を叩かれました。私は思わずびっくりして、肩を叩いてきた同僚の方が驚くぐらい大きく反応してしまったのでした。

「ああ、その人ね……私も前の出向先で担当してたよ」
「ど、どうだった?」

このとき、自分の心臓が同僚に聞こえるのではと思うぐらい高鳴っていました。その評価は決して他人事とは思えなかったのです。まるで息子の評価を尋ねているような気持ちだったのです。

「んー、マジメなんだけどね。コツコツ仕事するタイプ。でも、人と話すと手足が震えちゃったり、まともに受け答えができなくなったり……まあ、そういう人いるよね。社会不安障害だっけ」

会社の研修でも出てきた病名でした。

派遣会社に登録する人にはいくつかのタイプがあって、正社員として縛られるのがイヤなタイプ、単純に能力が低かったり、特技がないために採用されなかったタイプ、そして何かしらの疾患を抱えているタイプでした。

いずれにしても一般的な社会適応力を考えたとき、なんらかの問題を抱えていることが多いそうです。

たとえば、縛られるのがイヤなタイプはクライアントやリーダーとトラブルを起こしてしまったり、能力が低いタイプは通常は当たり前とされることもこなせなかったりと、さまざまです。

そういったタイプの人たちを、よりうまくやっていける環境に出向させることができれば、クライアントにとっても、企業にとっても、登録スタッフ本人にとってもメリットのあることです。

そして、私たちコーディネーターはそれを目標にしましょう、という研修内容の一環でした。しかし、実際にはなかなか難しく、特にスタッフさんに極端な負担が掛かるのが現状です。

「あんまり細かすぎる仕事はダメみたいね。手が震えちゃって。仕分けセンターぐらいしかないんじゃないかな」

ちなみに彼が現在いる出向先は、電話帳などの冊子をダンボールへひとまとめにして、梱包して仕分けすることを生業としているセンターでした。

仕事としては問題なさそうです。そのため、何が問題なのか聞かなければなりません。それ以前に、自分の罪悪感を晴らして謝罪したい気持ちの方が強くありました。

よし、一度話をしてみよう。
15年経って、自分がようやく前に進めるような気持ちでした。



私は彼の携帯にメールを送りました。

もちろん個人的な意味ではなく、あくまで業務用の連絡としてです。私の名前は伏せておきましたし、知り合いだということも伝えていません。

そして、仕事終わりにすこし時間をいただくようにしてもらい、喫茶店で待ち合わせをすることになりました。

すこし早めに着いた私は、入り口から一番近い場所とスーツの色などをメールで伝えます。すると、すぐに了承したという旨と、あとどれくらいで着きそうだという内容のメールが届きました。

相変わらず相手のことを気遣う性格に、懐かしさと嬉しさを感じました。しかし、その性格のせいで、つらい人生を歩んできただと思うと、素直に喜ぶこともできません。

しばらくして、喫茶店の扉が開くときに鳴る、鐘の音が店内に響きました。

瞬時に私は入り口に目を向けます。すると、彼もこちらも見ていました。そして、すぐに「あっ」と言って目を伏せてしまいます。

それは小学校のとき、下校時に見かけた彼の表情とだぶって見えました。私の勢いを削ぐには十分な効果があります。

私は心を強く持って席を立ち、彼をフルネームで呼びました。ややあって彼は小さく頷きます。

「座ってください」
そう言って手のひらを差し出すと、私の向かいの席に腰を沈めました。

「驚きました……よね」
「は、はい」

しばし沈黙が訪れます。
「15年ぶり、ですね」
私の問いに彼からの返答はありませんでした。

「半分は仕事だけど、半分はプライベートでお話したいから……敬語じゃなくていい?」
「う、うん」

そこまで会話して、ようやく一段落ついた気持ちになりました。

物語はまだ始まったばかりで、本文はこれからです。だけど、まず掴みができたことに胸をなで下ろしました。

「会いたかったよ。ずっと」
彼から返事はありません。ですが、そんなことは想定内です。

「あと、ごめんなさい」
「ううん、僕の方こそ……ごめん」

途端、仕事のことなんてどうでもよくなってきました。

「私さえ……いなければ。仲良くしなければ、あなたがこんな風になることも」
彼はバッと顔をあげます。

いまにも泣き出しそうな表情で、私を見つめていました。対する私は、もう泣いていました。

「本当に、何回謝っても謝りきれない。あなたの人生をかき回してめちゃくちゃにしてしまったんだと思うと、眠れなくなる日もたくさんあった。ずっと忘れられなくて、ずっと苦しくて……生きた心地がしなかったよ」

「そんなことないよ……キミはなにも悪くない。僕が……弱かったんだ」

「あなたは弱くなんてない。私を支えてくれていたじゃない。私にいじめが降りかからないように、自分ひとりで受け止めようとしてたじゃない。いまも……生きて、くれているじゃない」

後半は涙声になっていて、彼に伝わったかどうかも怪しいものでした。堰を切った私の思いを受け止められなかったのか、彼はうつむいてしまいます。

テーブルの上に置かれた、白いペーパーナプキンをじっと見つめていました。同じようにテーブルの上に投げ出された、両手が微かに震えています。

「……え」
彼がすっと顔をあげて私を見つめてきました。私が彼の右手に自分の左手を重ねたからです。

「ごめんね、ごめんね。ひとりでずっとつらかったよね。こんなに震えるまで傷ついて……私はたくさん守ってもらったのに、あなたを守ってあげられず、支えてあげられずに、本当にごめんね」

彼は震える左手を、私の左手の上にかぶせてきました。今度は私が右手を上からかぶせます。

「これからは、私があなたを守りたい」
「そ、そんな……」

「ダメ?」
「ダメじゃないけど……悪いし」

「お願いだから守らせて。せめて、もう一度あなたが元気になるまで」

それが私にできる最大の罪滅ぼしだと思っていました。

彼に抱いた恋心をいまだ引きずっているのは事実ですが、まずは彼が元気に立ち直ることです。私の思いがどうなるかはそれからの話だと思っていました。

「でも、どうしたらいいか」
「なにも考えなくていいよ。私が導いていくから。言いたいことがあれば言えばいいし……ね」

彼はゆっくりと、でも深く、頷いてくれました。
こうして私たちは再会しました。

まずは、すっぽりと抜け落ちた15年間を埋めることが最優先です。

一緒に食事したり、遊びに行ったりして、彼をひたすら元気づけるために励ましつづけました。

その後、勉強しましたが、社会不安障害というのは、まず日常で抱いている不安とストレスを取り除くことが大事のようです。

仕事を無理のないスケジュールに合わせ、同棲する形で彼を養い、とにかく療養してもらうように努めました。

罪悪感がストレスになってはだめなので、彼には家のことを負担にならない程度にお願いしました。

根っからマジメな彼なので、家はいつもキレイで、洗濯物も溜め込まず、身体を考えられて作られた食事メニューは、お財布にも優しくできていました。

私がひとりで暮らしていたときとは、何もかもが大違いです。
だめだなあ、私は。そう思いました。

その後、私はコツコツと仕事で評価を得た結果、支部長を兼任するようになりました。小さな事務所ですが、大口の案件を抱えているので、トラブルにさえ気をつければ安泰です。

彼も遅くなりましたが大学に通い、無事卒業することができました。フリーのエンジニアをやっているので、家は裕福な方です。

それから二年後、私たちは結婚しました。

かなり遠回りだったし、良いことばかりではなかったけど、遠回りしたからこそ相手を大切に思いやることができるし、言葉ひとつひとつに気をつけることができます。

それがこれからの幸せにつながっているのだと思えば、悪くなかったのかなと、最近になって思うようになってきました。

今では胸を張って幸せだと言えます。

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