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1巻

1-3

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 こちらの世界の言葉で「歌う男」という名を持つ青年は、しゃがみこんで土をいじっていた。ユオの声に導かれ、シュティ・メイはゆっくりと立ち上がる。日の光に照らされ、白銀の髪がキラキラと輝く。その顔の造形は、遠目で見ても十分わかるほどに整っていた。
 またイケメン――そんな俗っぽいトゥトゥの考えは、彼の背に生えているものを目にした瞬間に吹き飛んでいた。

「は、は、は、羽ー!?」
「羽の生えているものくらいいるさ」

 はははと笑うユオに、返事をする余裕もなかった。
 あまりにも神秘的な姿に近づくことすら恐れ多く、遠くから見つめていると、男はこちらに近づいてきた。不躾ぶしつけにならないように、目線を泳がせながら、そっと盗み見る。襟首えりくびの広い服の後ろから生えている、神々しいまでの大きな純白の羽。

「……て、天使……?」
有翼人ハーピーを知らんのか。こやつの世界ではどうか知らんが、俺の世界では、まぁ――ちょっとでかい鳥だ」
「ちょっとでかい鳥……」

 翼に神秘性を感じるトゥトゥと違い、吸血鬼にかかれば天使もただの――いや、ちょっとでかいだけの鳥になってしまうことを知る。
 白い翼を見て天使が真っ先に思い浮かんだのは、前世の記憶があるからだけではない。
 この世界にも教会があり、天使の像も置かれているのだ。シュティ・メイを見て天使を連想するのはごく一般的な感性だろう。
 それを、ちょっとでかい鳥。
 よく見てみれば、庭を歩くにわとりたちは彼を仲間だと思っているのか、それとも格下だと思っているのか、当たり前のように彼の足を踏んづけて走り回っている。人間以外には、彼の翼は本当に鳥にしか見えないのかもしれない。

「……と、飛べるの?」
「まぁ、鳥だからなあ」

 トゥトゥはいまいち呑み込めないまま、とりあえず白い翼を持つ男に向き直った。

「翼に驚いてしまってごめんなさい。とても綺麗なものだから……。ええと――亡くなった祖母の代わりに、この下宿屋の大家を務めることになりました。これからどうぞ、よろしくお願いします」
「……」

 トゥトゥはぺこりと頭を下げるが、シュティ・メイと呼ばれた有翼人ハーピーの男は、無表情のままじっとトゥトゥを見下ろすだけ。
 無反応の男を前にはらはらするトゥトゥに、ユオが言う。

「こやつは口がきけぬ」

 トゥトゥは驚いてユオを振り返る。

「この宿にやってきたときにはすでに声を失っておった。ゆえに、先ほどの名はミンユが付けた」
「おばあちゃんが名付けたって……話せない人に、シュティ・メイって?」

 あまりにも皮肉が効きすぎているのではないだろうか。戸惑うトゥトゥに、ユオは頷く。

「なに、住んでいればわかる」

 何がわかると言うのだろう。なおも困惑するトゥトゥにユオが説明を続けた。

「庭はほぼシュティ・メイが管理している。何かあればこやつに聞くといい」

 男には、耳の位置にも小さな羽が生えていた。
 この外見では、表玄関の方に出ることは難しいだろう。玄関があまりにも無法地帯だった理由がわかる。
 この見事な庭は、祖母がいなくなった後も彼が手を入れ続けてくれていたから、美しいままなのだ。
 下宿屋を引き継いだトゥトゥにこの草花の所有権があるとはいえ、好き勝手に使うのははばかられる。

「そうなんですね。これからは私もお手伝いさせてもらえたらと思います」

 よろしくお願いしますと再び頭を下げたトゥトゥに、シュティ・メイはささやかな会釈えしゃくを返す。そして、話はそれで終わりだと思ったのか、すいっと彼が離れていった。

「あっ」
「……?」

 トゥトゥから思わずれた声に反応して、シュティ・メイは振り返る。話せなくとも、耳はよく聞こえるらしい。わずかに安心して、トゥトゥは彼のかたわらに駆け寄った。

「あの畑に生えている野菜、どれも立派ですね? 今は何を植えてるんですか? どこかにおろしてます?」

 あれだけ立派な野菜だ。おろしていても不思議はない。トゥトゥは一ついくら位で売れるだろうかと、脳内でそろばんを弾く。
 うふうふと笑うトゥトゥの前で、シュティ・メイは銅像のように動かない。表情にも一ミリも変化がない。

「はっはっは。孫娘、質問が多すぎる」
「え? あっ! ごめんなさい!」

 トゥトゥは慌ててもう一度問い直す。

「野菜や花は、市場に売りに出していますか?」

 ふるふる、とシュティ・メイが首を横に振った。
 おろしていないのか。もったいない。これだけ葉ぶりがよければ、高値で売れそうなのに。落ち着き次第、おろし先のツテを探そうとトゥトゥは決意した。

「では、夕食用に少し収穫してもいいですか?」

 今度は一度、こくんと頷いた。そのまま再び歩き出すシュティ・メイだが、まだ聞きたいことがあったトゥトゥは慌てて追いかける。

「あの、ハーブもお料理用と――趣味用に分けてもらってもいいですか!?」

 トゥトゥの希望にまたしても首を一度縦に振って、庭の管理人は許可を与えた。
 よっしゃ! とトゥトゥは両手を握る。

「ありがとうございます!」

 どれから試していこうかと頬がゆるむ。乾燥ハーブでは作れなかったものを、ここでは作ることができるのだと、トゥトゥは胸をおどらせた。
 するとシュティ・メイは、畑に近づき鶏除にわとりよけの柵を乗り越えた。どうやら、トゥトゥのために野菜を採ろうとしてくれたらしい。

「わー……すごい立派な葉……」
「ミンユがいない間は、生でかじっていたが……まぁまぁおいしかったぞ」

 ホロリと涙をこぼしそうなことを言う吸血鬼に、トゥトゥはそっと誓う。

「……美味おいしいご飯作りますね」

 先ほどまで庭いじりをしていたのだろう、泥に汚れた指先で、シュティ・メイは野菜を引っこ抜く。次々と地面に転がっていく野菜の中には、トゥトゥの村では見たことがないものもいくつか見られる。

「珍しい野菜がいっぱいあるな~何を作ろうかな~」
「スープがいい。ゴロゴロと野菜が入ったやつだ」
「お、いいですね」

 シュティ・メイは次々と野菜をもぎとると、次はハーブにとりかかった。株はそのままに、庭にあったかごへ葉っぱだけをせっせと放り込んでいる。

「シュティ・メイ。何か好きな食べ物はあります?」
「……」

 彼はこちらを振り返るが、無言のままでじっとしている。

「今後私が作ったもので好きな食べ物があったら、教えてください」

 こくんと頷いた彼に、トゥトゥはほっとする。
 プチップチッと、手際よく彼がハーブをんでいく。
 シュティ・メイのにじみ出る優しさに感動していたトゥトゥだったが、かごの中に収穫物があふれそうになったのを見て慌てて止めに入る。

「もう! もう十分ですっ! また使うときにいただいてもいいですか?」
「……」

 シュティ・メイはトゥトゥを見つめ、こくんと頷いた。耳の小さな羽がピョコピョコと揺れる。
 その背後で、ユオが笑った。

「はっはっは、今夜は歓迎会だ。ちょうどいいではないか」

 その言葉を聞いて、トゥトゥは頬がゆるんだ。
 このてんこ盛りのハーブと野菜はもしかしたら、話せないシュティ・メイの歓迎の気持ちなのかもしれないと気づいたからだ。

「ありがとう、シュティ・メイ」

 トゥトゥはこの日一番の笑顔を、天使のような彼に向けた。


     * * *


 シュティ・メイとの挨拶あいさつを終えたトゥトゥは、山盛りの野菜を抱えて炊事場に引き返した。

「……っよっし! やるぞ!」

 気合いを入れると、トゥトゥは走り回った。
 下宿屋近くにある公共の井戸に行き、水を汲んで戻ったら、まずは炊事場の掃除から。急がなければ夕飯が随分と遅くなりそうだ。
 持ってきていた石鹸せっけんと、先ほどもらったローズマリーで食器洗い用の洗剤を作る。
 かまどに火を入れ、ローズマリーを十分に煮た後、こして、冷めきらないうちに小さく刻んだ石鹸せっけんを混ぜてしまえば完成だ。感覚だけで作れるほど、トゥトゥにとっては作り慣れたもの。ローズマリーは殺菌作用が強いため、父と母にも大好評だった。

「ほう、まるで呪術師じゅじゅつしのようだな」
「うわあっびっくりした!」

 鍋で作った液体を木のうつわそそいでいると、後ろからひょっこり顔を出したユオがそう言った。

「急に現れないでくださいよ!」
「無茶を言う。先に声をかけたではないか。それより、これは何だ? 魔女の秘薬か?」

 トゥトゥがすすほこりまみれて掃除をしているというのに、ユオは涼しい顔で聞いてくる。

石鹸せっけんとおばあちゃんからもらったハーブで、前からこの洗剤を作ってたんです。うちの周りは鉱山があったから、隊商もよく来ていて……。石鹸せっけんなんかは、頼んでおいたら、次の渡りのときに持ってきてくれたりしたんですよ」

 洗剤は洗い流すときに大量の水を使うため、頻繁には使えないのが難点だ。しかし、この山積みの汚れた食器には最強の味方となるだろう。トゥトゥは腕まくりをし、今度はテーブルの天板をき始める。

「頼りなさそうだったが、いや見事なものだ。人間はやはり器用だな」
「……褒め言葉としてもらっておきますね」

 しげしげとトゥトゥを見つめるユオは、トゥトゥを案内した後、フラフラとどこかに出かけていたはずだ。

「私に何か用事ですか?」
「そうであった、そうであった。忘れておったのよ」
「何をです?」

 もう何を聞いても驚かないと思った。今日一日で、トゥトゥは信じられないほど度肝どぎもを抜かれたのだ。吸血鬼に始まり、様々な異世界につながる扉、そして天使、もといちょっと大きな鳥。多少のことでは、もう驚くまい。

「下宿人だ。もう一人おった」

 トゥトゥはテーブルをいていた手を滑らせ、勢い余って突っ伏した。

「な、そんなっ! そういう大事なことって、忘れます!?」
「ははは、ついうっかり」

 ついうっかりって! ものの見事に驚かされてしまったトゥトゥは、ユオに尋ねる。

「そのもう一人は、お出かけ中なんですか?」
「いや、今は風呂場にいるようだ」

 風呂場があるとは、なんて贅沢ぜいたくなんだ。さすが元宿屋。そう感心したトゥトゥは、次の瞬間サァと血の気が引いた。

「いらっしゃるなら――ご挨拶あいさつしなきゃ!」

 新しい職場で最初にする顔合わせの大切さを、トゥトゥは前世で学んでいた。なんで一人だけ忘れるなんて器用なことをしてくれたんだ――とトゥトゥは心の中で涙を流す。

「んもうっ!」

 布巾を置いて慌てて走り出そうとしたが、風呂場がどこなのかがわからない。先ほどユオに案内された中にはなかったからだ。

「お風呂場って、どこー!?」
「庭を通って行く。こちらだ」

 ユオに連れられて再び外に出たトゥトゥは、急ぎ足ながらも先ほどは目に入らなかったものをきょろきょろ見て回った。表の通りから庭へ続く通路の途中に、大きな倉庫のようなものがある。おそらく貴人が馬車で泊まりに来たときに、荷台を入れた場所だろう。うまやもその並びにあった。
 庭でのんびりとにわとりを見下ろしていたシュティ・メイに小さく手を振り、ユオの後を追いかける。
 風呂場への行き来で雨にれないように、壁沿いにしっかりとのきが出ていた。煉瓦れんがを敷き詰めた道を歩くユオが向かう先には、確かにたきぎを入れるための風呂のき口や煙突えんとつがある。しかし、風呂がかれている様子はない。

「お風呂に入ってるわけじゃないんですか?」
「入っているというか、まぁ見ればわかる」

 勝手に入るの? とトゥトゥが思ったときには、ユオが扉を開けていた。

「あっ、ちょっ――!」
「ハムむすめ、入るぞ」

 ハム娘? 今度はまさかのハムスター?
 無作法だとは思いつつ浴室をのぞくと、ザッパーンと大きな波が風呂場に広がった。
 風呂場に、波!?
 トゥトゥは唖然あぜんとしてそれを見つめた。先に入ったユオは波を全身に受け、びしょれである。

「勝手に入ってくるなって何度言ったらわかんのよ! ほんっとサイテー!」

 バッシャーン! 大きな音とともに、浴槽からざばざばと水があふれる。
 あっけにとられているトゥトゥの前に現れたのは、美しく輝くうろこ幾重いくえにも重なり、魅惑的なカーブを描いている魚の尾を持った――

「……人魚……?」

 人魚は狭い浴槽の中でくるりと優雅に身を一回転させると、たった今トゥトゥに気づいたとばかりに眉を上げる。

「……あんた誰? ……それに、何よその顔。まさか、私を見てブスって思ったんじゃないでしょうね!?」
「えええっ!?」

 驚いて固まっていたトゥトゥに、人魚は突然いかりの矛先ほこさきを向けた。単純に人魚という存在に驚いていただけのトゥトゥは困惑する。
 ――ブスだとは思ってないけど、ちょっと――いや、かなりグラマーというか……
 トゥトゥは水面から上半身をのぞかせた人魚をまじまじと見た。
 人魚といえば、貝殻ビキニに、巻貝の髪飾り。ブロンドの髪はゆるいウェーブで、心を溶かすような甘い歌声の持ち主――というイメージが定番だろう。
 だが、現在トゥトゥの目の前にいる人魚は、控えめに言っても、ぽっちゃり人魚だ。
 そして真っ赤な顔にはニキビが広がっていた。きっとその赤さはいかりのせいだけではないだろう。――あそこまで悪化していたら、痛いだろうな。


 なつかしくも痛ましい、前世の青春の記憶がよみがえる。

「ミンユの孫で、新しい大家だ」

 驚きに呑まれていたトゥトゥの代わりに、ユオが紹介してくれる。トゥトゥは慌てて頭を下げた。

「ご挨拶あいさつが遅れてすみません。ミンユの孫で、トゥトゥと申します。これからどうぞ――」
「勝手に風呂場に入ってくるなんて失礼よ! ミンユの孫だなんて、とてもじゃないけど思えないわ! さっさと出てって!」
「ええ!? す、すみません!」

 ぺこぺこと頭を下げるトゥトゥを無視し、人魚はユオをキッとにらみつける。

「あんたも! さっさと出ていきなさいよワカメジジイ!」

 ワカメジジイ……
 確かに髪のゆるいウェーブはワカメっぽいけれど――度肝どぎもを抜かれたトゥトゥは、恐るおそるユオを見上げる。罵詈雑言ばりぞうごんを浴びせられ、全身びしょれにされてしまった彼は、けれどまったく意にも介さず笑っていた。

「はっはっは、まるで癇癪かんしゃく持ちの赤ん坊だな」
「んまあ……! 言うにこと欠いて、赤ん坊ですって!」
「いいからさっさと上がってこい。孫娘の歓迎会を開くぞ」

 れてより一層ワカメに似た髪をかき上げながら、ユオが人魚にそう言った。トゥトゥは、まだ用意もできてないのに……と思いながら、重大なことに気付いた。鍋を火にかけっぱなしだったのだ。
 早めに話を切り上げようとトゥトゥが声をかける。

「あの、人魚さん……?」
「……本当に礼儀のなってない子。私にはコーネリアっていう、うるわしい名があるんだから」

 ツン、とコーネリアは顔を背ける。確かに美しい名だ。

「すみません、コーネリアさん。できればもう少ししたら上がってきていただきたいんですが……できますか?」
「ちょっと、人魚の王女を馬鹿にしないでちょうだいっ! 陸にぐらい上がれるわよ」

 本当に人魚姫なんだ!? 驚いているトゥトゥにかまうことなく、コーネリアは両手を使って器用に飛び出てきた。
 すのこの上に滑り下り、ピチピチと尾の部分の水気を飛ばす。風呂場にあった布で丹念に尾の水分をいて、その布を腰に巻きつけた。すると足の先から、見る見るうちに魚のうろこがなくなっていき、完全に乾燥する頃には、肌色の綺麗な二本の足が出現したのだ。

「どう?」

 ふふん、と高飛車たかびしゃに笑うコーネリアだが、残念ながら体型までは変わらないようで、ずんぐりむっくりなままだった。
 トゥトゥはどう反応してよいかわからず、とりあえず愛想笑いを浮かべた。

「何よその顔! あんたが大家だなんて、絶対認めないから!!」

 顔を真っ赤にしたコーネリアが、今までで一番の大声で叫んだ。トゥトゥは慌てて頭を下げる。

「申し訳ありません。コーネリアさん――ご飯の準備はもう少しかかりそうなんですけど、よければ……」
「ここで食べるわ! ここに持ってきて!」
「今夜は野菜たっぷりのポトフだ。まあ来ないと言うなら仕方なし。おぬしの分まで全て食っておいてやろう」

 威勢のよかったコーネリアが、ユオの発言を聞いて口を閉ざす。ぎゅっとしわができるほど唇をすぼめているコーネリアに、トゥトゥは続けた。

「ポトフ、得意なんです」
「……」

 コーネリアは仏頂面ぶっちょうづらのまま、トゥトゥについてきた。
 女の子の憧れの人魚姫は、怒りんぼで癇癪かんしゃく持ちで――存外素直なようだった。


     * * *


 服を着替えて炊事場にやってきたコーネリアは、まだぷりぷりしていた。コーネリアの小言に最初のうちは謝っていたトゥトゥも、これはらちが明かないと開き直り、聞き流すことにした。
「そんなやり方はなってない」「ミンユはそんなことしなかった」などの小言を背に、トゥトゥはテキパキと手を動かす。積み上げられた食器を片付け、ちょうどいい具合に煮えていた鍋に調味料を加え、地下納戸なんどに吊るされていた干し肉を削り、パン屋と魚屋へ買い出しに走った。

「くっ、下宿代、絶対に上乗せしてやる……!」

 トゥトゥは涙ながらに決意した。そういえば、下宿代のことは祖母から何も教わっていない。しかし、初対面の相手にお金の話はしにくかった。もう少し落ち着いてから聞いてみようと心に決める。
 なんとか夕食の準備が整った頃には、もう日がかたむいていた。
 あまり遅くなると、どこにあるかわからない蝋燭ろうそくを、真っ暗な中探さなくてはならない。トゥトゥはユオに手伝ってもらいながら、手早く食事をリビングに運んだ。

「素敵なリビングですね」
「左様。ミンユは皆がここに集まると、いつもにこにこしておった」

 食事をとるダイニングテーブルとは別に、大きな暖炉の前にはソファやテーブルまである。下宿人同士、顔を合わせられる場として祖母が設けたのだろう。
 炊事場のかまどと別に暖炉もあるなんて、と、本日何度目かの感動にトゥトゥは包まれる。食器を並べながら、トゥトゥは「そういえば」と切り出した。

「この下宿屋の屋号は何ですか?」
「ヤゴ?」

 ユオがキョトンとした顔で問い返してきた。

「下宿屋の名前です。うちの料理屋は、鉱山にある料理屋だから、〝石のかまど〟って名前でした」
「そのままだな」

 笑ったユオに、トゥトゥは「確かに」とつぶやく。今まで気にしたことがなかったが、料理屋だからかまどとは、本当にそのままだ。

「ミンユの血だな。素直なところがよく似ている」

 歌うところはまだ見ていないが、シュティ・メイなんて名付けるぐらいですもんね、とトゥトゥは苦笑した。

「残念ながらこの建物に名はない。宿屋時代にはあったかもしれんが、ミンユはもうそれを名乗っていなかった――跡を継いだのはおぬしだろう。新たに決めるといい」

 屋号は受け継ぐものだが、ユオも知らないのならば仕方がないのかもしれない。

「いいの考えておきます」
泊まるラフィーヤム、とかは止めてくれよ」

 トゥトゥは一つ思い浮かんだものがあったが、ユオが言ったのとあまり遜色そんしょくがない、どストレートな名前だったので、口をつぐんだ。
 食器を並べ終える。初めて扱ったかまどで作ったにしては上出来だ。

「夕食の準備が整ったので、シュティ・メイを呼んできてもらえますか?」

 トゥトゥは後ろにいるはずのユオに、振り返らずに頼んだが、返ってきたのは甲高かんだかい声だった。

「いやよ! なんで私が鳥臭いあいつになんか、わざわざ近づかなきゃいけないのよ」

 配慮ってもんを持ちなさいよね。そう続けながらコーネリアはダイニングチェアに座る。テーブルの上に並んでいる料理を見て、コーネリアは顔をしかめた。

「ちょっと、こんな緑色の草を食べるのなんて鳥だけでしょ。私は食べないわよ! お肉ももっとパリッとしてジュワッとしてるのがいい! 魚なんて絶対いや! ミンユは私の好きなもの沢山作ってくれたのに、こんな鳥のえさみたいな食事、信じられない!」

 コーネリアは両腕を組んで、トゥトゥをギッとにらみ上げる。

「作り直してちょうだい」

 無理です、と言いかけて、トゥトゥは迷った。
 単なる好き嫌いなら切って捨てるつもりでいたが、もしこれが「種族」の戒律かいりつだったら――。前世では、同じ人間の中でも文化が違えば食習慣が異なる場合が多かった。特定の動物を食べることを禁じている人たちもいた。ましてや人魚ともなると、食習慣など想像もできない。
 王都は港町だ。これからの食生活は魚がメインとなってくるだろう。だが、人魚である彼女が、種が近そうな魚を食べるのを躊躇ためらうことは、大いにありうることだった。

「これ。わがままばかり言って困らせるんじゃない。ハム娘」

 答えあぐねていたトゥトゥの背後から、軽快な声が聞こえた。振り返れば、ユオとシュティ・メイがいた。庭で土いじりをしていた彼を、連れてきてくれたのだろう。


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