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番外編 : 世界を救った姫巫女は、桃を所望す 【後編】

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 よほど安心したのだろう。理世はそのまま、朝まで眠った。
 蒸し暑い不快感で目が覚める。同時に、窓が開いていないことに気付いた。いつもは守り人が開けてくれるのに。
 寝ぼけ眼で顔を動かして、固まる。

 テオバルトが、優しく目を細めたまま理世を見つめていたのだ。

「おはようございます、アリサ」
 おはよう、そう返そうと思ったが喉が痛い。
「ご無理なさらず」
 テオバルトが微笑む。理世は自分の喉に手を当てようとして、手が不自由なことに気付いた。手の先を視線で追い、目を見開いた。

 テオバルトと、手を繋いだまま。
 自分の行動が唐突に幼く感じ、それとは真逆の理由から、理世は顔を真っ赤に染める。慌てて離した理世を、テオバルトはにこにこと微笑んだまま見つめている。

「も、もうっ、しないがらっ」
 寝起きのせいで喉が昨日以上に不調だった。何度も咳をして喉の調子を調える理世の背をテオバルトが擦る。

「いいえ、是非。なさってください」
 理世は驚いて顔を上げた。テオバルトは、まだ笑みを浮かべている。

「これからも我々は、貴方に苦行を強いるでしょう。頑張れと、手を引き背を押すでしょう。そんな我々を許すために、アリサ。どうか沢山、甘えてください。寄りかかってください。我々が罪の意識を抱えずに済むように、どうか。お願いします」

 背を撫でながらそう言うテオバルトを、理世は唖然として見上げる。

「でも、こんな、子供みたいな……マリウス君だって、頑張ってるのに……しっかり、しなきゃ……」
「そうですね……マリウスはもう14ですから。アリサも14までは、しっかりしなくてもいいのではないですか?」

 理世はぽかんと口を開く。

 14、14まで、だと?
 彼らはいったい、自分をいくつに見ているのだろうか。過度な子ども扱いの原因を理世はそこに見た。

 けれど、それよりも。風邪で弱った頭で理世は驚いていたのだ。
 そんなの、ありなの? と。

「……14、まで、甘えても――いい……?」
「もちろん、望むのならいつまでも」
 テオバルトはまるで孫を甘やかす祖父のような愛で理世を撫でた。理世は、日本にしかないと思っていたこのやさしさに――甘えないと突っぱねる強さも、理由も、持っていなかった。

「……じゃあ、蜂蜜いっぱいの、紅茶飲みたい」
「はいすぐに」
「でも、もちょっと、撫でててほしい……」
 耳まで真っ赤に染めた理世が、テオバルトの胸に顔を埋めて呟く。テオバルトは懐いた理世に心底目じりを下げながら、ゆっくり、ゆっくりと、背を撫で続けた。

 しばらくして、コンコンとノックが鳴る。テオバルトが固い声をあげると、ドアの向こうから柔らかな声が聞こえた。
「マリウスです」
 理世たちの話し声が聞こえたのだろう。手に盆を抱えてマリウスがやって来た。起き抜けで痛む喉に、あたたかく粘り気のあるはちみつ入りのあったかい葛湯。それと、瑞々しい桃が皿に盛られていた。

「少しだけでも。あまり混ぜすぎるととろみが消えますから、お気をつけて」
 渡された葛湯は、昨日よりも随分と冷まされていた。昨夜、熱いからと飲むのをやめた理世を鑑みたのだろう。理世の頬にじんわりと熱が集まる。

「桃も、不慣れなものであまり見栄えがよくないのですが……村の人たちが、朝一番で持ってきてくださったんですよ」
 葛湯を舐める理世の隣に、コトンと皿が置かれた。歪な形に切り分けられた桃が盛られた皿を見て、理世が驚きに声を上げる。
「村の、人達?」
「ええ。姫巫女様がお風邪を召され、桃を所望していると知ると、朝一番で市場に出かけて探してくださったようで……他にも林檎や生姜、シソの葉なんかもいただいてますよ」
 マリウスは天使に引けを取らない笑顔を浮かべたまま、理世の前にしゃがみ込んだ。

「皆、一様に。アリサ様を心配なさっておりましたよ」

 理世は葛湯を一気に喉に流し込んだ。そうしなければ、昨日流した涙がまた、流れ出てしまいそうだったから。

 人々の視線が怖かった。溜息をつかれるのが怖かった。
 けれどみんな、きっと。今、心の風邪にかかっているのだ。

 回復の見込みなど無い、疲労した大地。この世界のための処方箋は、この世界のどこにも見当たらない。
 そんな中、ぽっと現れた特効薬。誰も飲んだことがないし、その効果は目には見えない。信じられなくて、しょうがないのだ。人々は、期待することに疲れてしまった。もう、希望に縋りつくことさえ辛くなったのだ。

 この世界の人々の希望になる義理なんて、理世にはない。だけど、テオバルトは、昨日理世の八つ当たりを全て受け入れてくれた。殴っても、呆れられるような暴言を吐いても。全て彼は受け止めてくれた。
 
 村の人々の真心を一口、頬張る。
 甘い果肉がじゅわりと口の中で潰れた。舌と上顎で、ゆっくりと果肉を噛み潰す。

「――アリサ様」
「マリウス君、昨日はごめんね。今日からまた、よろしくね」

 桃を飲み込み、理世は少しだけぶきっちょな笑みを浮かべた。それを見てマリウスが天使の笑みを浮かべる。

「はい、アリサ様」

 もう少し、もう少しだけ。
 理世はこの世界の風邪薬になってあげようと、そう思った。



 おわり
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