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01 : 志田 花純 … 天真爛漫でいて努力家なヒロイン

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 転生したらしい。
 それも、乙女ゲーの世界への悪役転生というものだそうだ。



【 こうして魔王は、女子高生へと転生したのだった 】



 ここは日本全国から名家の子息子女が集う、由緒正しき名門白鳥学園。文武両道はもちろんとした厳しい学園生活の中で、生徒たちは互いに絆を深め、縁を培ってゆく。学園は学びの場であるが、義務を背負う若者たちにとって大事な社交の場でもあったのだ。

 そんな白鳥学園の、一角。
 壁一面に貼られたガラスは三角や四角など様々で、ところどころに色ガラスが埋め込まれていた。高く抜けた天井から、明るい陽が燦々と降り注ぐ。格式ある結婚式場のような美しいカフェテリアで、事件が起こった。

 この学園の生徒の多くは名家の子息子女である。しかし、その枠に含まれない生徒がいないという訳ではない。理由は様々にしろ、平民階級の生徒が在籍する理由の多くは、成績優秀者の奨学金制度の充実にあった。中等部から適用されているそれは、高等部までの最大六年間受給することが出来る。
 その努力は生半可なものでは通用しない。放課後や休み時間はもちろんとして、寝食を削って勉強に費やす者もいた。
 奨学生はすぐにわかる。皆常に大きな鞄を持ち歩き、過半数の生徒にぺこぺこと頭を下げながら過ごしているからだ。

 ――そして、ここにも一人。

 優雅なひと時を過ごすためのカフェテリアで、無粋にも教科書を開いている奨学生――志田 花純(しだ かすみ)がいた。
 カフェテリアのテーブルを一つ占領して、花純は一心不乱にノートと睨めっこしている。片手には辞書、片手にはシャーペンと消しゴムを持ち、器用に細かく指先を動かしていた。
 それだけなら、もしかすれば、まだよかったかもしれない。しかし、花純が座っている位置、それが非情に悪かった。
 手入れの行き届いた美しい庭の全てを展望できるように設計されたその一角は、この学園に通う名家子息子女でも、限られた者達しか座ることの出来ない特別な席であったのだ。だが、日ごろカフェテリアに縁のない花純がそれを知らなくても、致し方ないだろう。
 在校生の多くが羨むその席で、花純はノートを広げその景色を楽しむ義務を怠っている。

 そんな花純を、多くの在校生が遠巻きにしている。ひそひそと、隠す気もない悪意に気付いているのかいないのか。ノートと向き合う花純はひたすらに右手を動かしていた。

 コツン、と大理石の床にヒールが鳴る。

 威圧的な女生徒が花純の隣に立った。各方面から差し込む光のせいで、花純のノートに影を落とすことは無い。気づかぬ花純に痺れを切らした女生徒は、花のように可憐な唇から言葉をこぼした。

「ちょっと、貴方――」

 花純はまだ顔を上げない。辞書を捲り、付箋に書き込み張り付けていく。速記もあわやというほどの凄まじい勢いで、次々とノートに書き連ねて行っていた。

「貴方、そこの――志田花純!」

 名前を呼ばれ、丸めていた背筋を伸ばすと「はいっ!」と花純は手を上げた。教師に呼ばれたとでも思ったのだろう。花純はパチパチと瞬きをすると、慌てたように周りを見渡した。くすくす、という悪意を含んだ嘲笑にようやく気付いた花純は頬をほんのりと赤らめる。
 しかし、目の前で腕組みする女生徒を思い出し、顔から血の気を引かせた。蒼白した顔で花純が席を立つ。

「あ、あの、すみませんっ。今図書室に行ったら、どうもどなたかが貸切になさっていて、勉強をする場がなくって――どうしても今日中に先生に聞いておきたいことがあって、それをまとめるだけだって、五分くらいのつもりで――!」
 わたわた、とテーブルの上のノートや辞書を掻き集めながら、花純は口々に言い訳を放った。

 どこぞのイケメンが可愛い蝶との逢引のために図書室を貸し切りにするのは有名な話で、その度に奨学生である花純は難儀していた。教室は放課後に残ることが許されず、かといって花壇に座ってする訳にもいかない。花純はほんの少しだから、とこの華やかなカフェテリアで教科書を広げたのだ。

「本当に、すぐに立ち退きますので――」
「貴方、何か思い違いをされているのではなくて?」

 腕を組んでいる女子――蘇芳 永久子(すおう とわこ)が、冷ややかな声色でそう告げた。細められた瞳は氷のように冷たく、真珠のように白い肌がその凄みを増していた。美しい顔を歪め、下賤の身である花純を見下ろす。

 永久子の怒りに、カフェテリアにいた全員が頷いた。永久子はこの学園の中でも1・2を争う名門の出である。それに最近何かと花純に不満を感じているであろう彼女が花純に一喝入れてくれれば、皆の溜飲も下がるというもの。皆が花純を嘲りながらその場を見守る。

「――そこに見えるのは、食堂員たちが私のために丹精込めて作った、焼きプリン。最後の一個を取って行ったのは貴方ね?」
「ちがうっ!」

 永久子の怒号を、すかさず花純が否定した。

「嘘おっしゃい! そこに見えているのよ、焼きプリンを入れるための特性の陶器。それは学園が特注した佐賀の土を使っているもので――」
「だから、ちがう!」
「違わぬ! 今日と言う今日は許せぬ! その身焼き滅ぼしてくれよう!」
「蘇芳様、すみません。お話の途中ですが、少しご不浄に付き合っていただけますか?」

 ――よろしいですよね?

 にこり、と微笑み手を取る花純に、唖然とする観衆。永久子はすごすごとついていくことしか出来なかった。




「昨日言いましたよね? あそこは、平民のくせにカフェテリアの上級席に座って、尚且つ教科書を広げている私を糾弾してくれ、と!」
「だが、お主がわらわの最後のプリンを!」
「蘇芳様?」
「お、怒ったではないか! 業火で焼いてくれようとまで卑劣な怒り方であったぞ!!」
「違うっ! それじゃ一男子生徒が庇えないでしょ! 生徒会長イベント発生不可能だわ! 生徒会長に、もうちょっとハードル下げてあげて!」

 カフェテリアから場所は移って、人気のない裏庭。
 キィ! と髪を振り乱しながら叫ぶ花純の怒りを、永久子は肩を落として聞いている。


 蘇芳永久子と志田花純の共通点。それは、白鳥学園に在学する女生徒というのとは別に、もう一つ存在する。

 ――なぜこのようなことになったのか。それは二人の出会いに遡らなければならない。


 あれは明るい陽が麗らかな、気持ちのよい春のことであった。
 蘇芳永久子は幼稚舎からの生粋の白鳥学園の在園生である。文武両刀を掲げる白鳥学園の名に恥じぬ成績を持ち、芸事に通じ、高い地位に見合うだけの責任感を兼ね備える、この上なく優秀な生徒であった。
 同学年の生徒はもちろん、上三つ、下三つの在学生まで把握しているその才覚は、彼女を『白鳥の女王』と言わしめた。名門出身というだけでなく、その学力、努力共に芳しく、彼女の未来は約束されたもの同然だった。

 その輝かしい未来に、永久子が高等部へ進級してすぐ、一筋の亀裂が入った。

 その亀裂は、志田花純という人の姿をしていた。

『あぁ、もう。せっかく乙女ゲーのヒロインに転生したのに初期はパラ上げばっかりでつまんないなー。前世の知識チート早くしたーい! 攻略対象と全っ然絡めないじゃん……毎日朝から晩まで勉強勉強……もぅこんなの無理ぃー!』

 永久子がたまたま紛れ込んだこの庭で、花純がそう言って不貞腐れていた。やだやだやだ! と子供みたいに芝生の上を転げまわって。

 生まれの尊い永久子にとって、芋虫のようなその姿だけで衝撃であったが、それ以上に驚くことを耳にしたのだ。

 転生、そして、前世。

 永久子は花純に話しかけた。

『二年A組、志田 花純――起立なさい』
 唐突な厳しい声に、誰もいないと思い込んでいた花純は慌てて立ち上がった。蒼白した顔でこちらをゆっくりと振り返る。
『……え、うそ。だってこの場所は、メンバー以外は誰も近づけないんじゃ……メンバーだってこの時期はまだ……――す、蘇芳、永久子……!』
 一度剥がれた仮面をつけ直すことに手間取った花純は、ポロリと更なる失言を口にした。永久子は花純に逃げられないように腕を掴むと、額がぶつかるほど顔を詰めた。

『貴方、先ほどなんとおっしゃって?』
『す、蘇芳様、失言でした……どうぞさもしい私めを憐れみ、お慈悲を……ご容赦ください……』
 永久子の形相に驚いた花純は、今にも平伏しそうだった。永久子は腕を強くつかんで花純を立たせると薔薇色の唇を再び開く。

『転生、と言ったわね。転生とは、何』
 花純は顔を蒼白させた。先ほどの比ではない。彼女にとっての、トップシークレットに触れたと永久子は確信した。

『て、転校、の間違いですわ、蘇芳様……転生、だなんて』
『お主は前世の記憶があるのだな?』
 言葉遣いが乱暴になった永久子に、花純は目を見開く。まさか、とその唇が震えた。

『お主は知っておるのか――この世界を。蘇芳永久子を』

 蘇芳永久子と志田花純の共通点。それは、白鳥学園に在学する女生徒というのとは別に、もう一つ存在する。

 ――それは、前世の記憶を持つ、転生者ということ。

『貴方、は……蘇芳永久子じゃ、ない、の?』
『わらわは、蘇芳永久子であり、蘇芳永久子ではない。わらわは、この地この時この世とは違う場所において、こう呼ばれていた』

 ――魔王、と。




「しっかりしてください、蘇芳様! このままじゃ私が生徒会長落とせないじゃないですか!」
「それはわらわの采配によるところではない」
 花純はキッと永久子を睨みつけた。永久子はすかさず目を泳がせる。

「“本物の蘇芳永久子”になりたいとおっしゃったのは、永久子さまですよ! “本物の蘇芳永久子”を知っているのは、この世界で私だけ。キッチリキッカリ、私の言うことは聞いてもらいますからね!」
 ビシッ!
 永久子を指さした花純に、永久子は嘆息する。花純の人差指を片手で包むと、首を小さく横に振った。

 ――魔王であった者は今、蘇芳永久子として人生を歩んでいる。
 その蘇芳永久子とは、恐るべきことに、乙女ゲームと呼ばれる恋愛趣味レーションゲームに登場するキャラクターだったというのだ。
 しかも何の因果か、今度も悪役。しかし勇者を滅ぼすことが仕事ではない。悪役令嬢である永久子の仕事は、ヒロインである花純を、虐めて虐めて虐め尽すこと。

「人を指さしてはならぬ」
「蘇芳様も、言葉遣い戻っておりましてよ」

 ええ、そうですわね。と、花純と共に永久子も悪役令嬢の仮面を張り付けた。




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