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「……あ、あの、さっきの人たちは一体……?」
「あ? ああ……ただの取り立て屋さね」
「取り立て屋……ですか?」
「そう。ここの土地の賃貸料ってとこだね」
「もしかして滞納されてるんですか?」
聞いたのはポアムだ。するとギロリと老婆が彼女を睨んだことで、老婆とも思えないその迫力に押されてポアムはオレの袖をそっと掴む。
「……悪いね。あんたたちが悪いわけじゃないのに。いや、アイツらも別に仕事で来てるだけで、悪いのは滞納してるあたしさね」
強気な老婆が初めて見せる弱々しい溜め息。
「けどね、見ての通りうちの店は客足が伸びなくてね。今までは何とか、夫が遺してくれた備蓄から払えてたんだけど、客の来ない店に金が貯まるわけでもなし、必然的に滞納してしまったというわけさね」
夫が遺したということは、彼女の夫はすでにこの世を去っているのだろう。
「もしかして、元々はこの店、ご主人が?」
「よく分かったね。夫は料理が大好きな人でね、いつも笑顔で客に怒鳴りながら楽しそうに料理を作っていたよ」
思い出話を語る老婆。その表情はとても穏やかで――優しい。きっと彼女にとって、その人はかけがえのない支えになっていたのだろう。
「あたしは料理なんて作れなくてね。子供でもできりゃ良かったんだけど、残念なことにできなくて、子供に継がせるってこともできなくなっちまったんだよ」
料理ができない。それなのに遺されたのは料理屋。当然切り盛りなどできるわけがない。
「何とか料理を見よう見まねで作って出したはいいものの……ちょっと待ってな」
そう言って椅子から立ち上がると、おもむろに老婆は、奥の厨房の方へ行った。
そして数分後、おぼんを持って出てくる老婆。
「ほら、食べてみな」
「え、いいんですか?」
オレも腹は減っていたのでありがたいっちゃありがたい。老婆が「いいさね」と言うので、迷うことなくオレは出されてきた丼を受け取る。
「これは……《親子丼》か」
見た目はそう。しかしこれは……。
とりあえず、まずは一口――。
オレは手を止め、顔をしかめてしまう。
「…………」
「あの、どうしたんですか、イックウ様?」
「…………」
ポアムが心配げに見つめてくるが、これを素直に言ってもいいのだろうか……。いや、すでにリアクションをとっている時点で分かり切っているとは思うが。
「……美味くないだろ?」
「……っ、えとその……」
「いいさね、気を遣わなくても。この店の状況を見れば一目瞭然だ。最初は夫の料理を楽しみに来てくれていた客も、あたしの料理を食べて、そこからは姿を見せなくなったしね」
「……す、すみません」
「何で坊やが謝るんだい。美味ければ繁盛し、不味ければ廃れる。それは食べ物屋の常だろ?」
「そ、それはそうなんですけど……」
それでも面と向かって、あなたの料理は味も薄いし肉も生焼けだし、卵には変に火が通り過ぎだしパサパサで、バランスが極めておかしいですとはなかなか言えない。
「……多分、あんたたちが最後の客になるんだろうねぇ」
老婆が向ける視線の先には、夫であろう人の絵が飾られてある。その絵を見る彼女の寂しげな瞳を見ていると、心が切なくなってきてしまう。
「この店にはね、夫との思い出が溢れてるんだよ。だから手放したくはない。だから今まで必死に守り抜こうとしてきたけど、それもどうやらここらが限界のようさね」
老婆の言う通り、食べ物屋というのは美味ければ人が集まり、不味ければ人は去って行く。それは普通のことだ。これだけ人が集まる中で、こうまで客足がないところを見ると、客足が途絶えてもうずいぶん経つのだろう。
理不尽――ではない。土地を借り、店を開いた者の背負う覚悟の一つだ。せめて土地を借りるのではなく、購入していればまだ何とかなったかもしれないが、そこまで資金に余裕は無かったのだろう。
オレは完全に諦めている老婆の表情を見る。それはまさに、オレが日本にいた頃、親や優秀な兄たちに無能だと言われた時と同じ顔だった。
そうだったなぁ。毎朝、鏡を見るのが嫌だった。それが今後も死ぬまで続くのだと思うと憂鬱でしかなかったんだよな。
だから何かきっかけがあって、それを機に変われればいいなと思っていた。
「……ありがとね、坊やたち。何だかしんみりしちまって、悪かったね」
ただ老婆は、この店を――自分の居場所を守りたいだけ。
自分にもできるんだと信じてやり続けていただけ。結局それは実を結ぶことはなかったが。
「腹が減ってんなら、米くらい食べていきな。塩や海苔とかならあるからさ」
美味いものは正義で、守りたいものを守れるというのなら――。
オレは腰かけていた椅子から立ち上がり、黙って厨房へと向かった。
「は? あ、ぼ、坊や?」
当然老婆は困惑しながらオレを目で追ってくる。ポアムもそうだ。
しかしオレは沈黙を保ったまま、厨房に立つ。
「…………米は焚かれてる。卵も玉ネギも鳥肉もある。……よし!」
オレが何も言わずに料理をし始めたので、他の二人は呆気に取られてただジッと見つめるだけになってしまっていた。そして――。
「あ? ああ……ただの取り立て屋さね」
「取り立て屋……ですか?」
「そう。ここの土地の賃貸料ってとこだね」
「もしかして滞納されてるんですか?」
聞いたのはポアムだ。するとギロリと老婆が彼女を睨んだことで、老婆とも思えないその迫力に押されてポアムはオレの袖をそっと掴む。
「……悪いね。あんたたちが悪いわけじゃないのに。いや、アイツらも別に仕事で来てるだけで、悪いのは滞納してるあたしさね」
強気な老婆が初めて見せる弱々しい溜め息。
「けどね、見ての通りうちの店は客足が伸びなくてね。今までは何とか、夫が遺してくれた備蓄から払えてたんだけど、客の来ない店に金が貯まるわけでもなし、必然的に滞納してしまったというわけさね」
夫が遺したということは、彼女の夫はすでにこの世を去っているのだろう。
「もしかして、元々はこの店、ご主人が?」
「よく分かったね。夫は料理が大好きな人でね、いつも笑顔で客に怒鳴りながら楽しそうに料理を作っていたよ」
思い出話を語る老婆。その表情はとても穏やかで――優しい。きっと彼女にとって、その人はかけがえのない支えになっていたのだろう。
「あたしは料理なんて作れなくてね。子供でもできりゃ良かったんだけど、残念なことにできなくて、子供に継がせるってこともできなくなっちまったんだよ」
料理ができない。それなのに遺されたのは料理屋。当然切り盛りなどできるわけがない。
「何とか料理を見よう見まねで作って出したはいいものの……ちょっと待ってな」
そう言って椅子から立ち上がると、おもむろに老婆は、奥の厨房の方へ行った。
そして数分後、おぼんを持って出てくる老婆。
「ほら、食べてみな」
「え、いいんですか?」
オレも腹は減っていたのでありがたいっちゃありがたい。老婆が「いいさね」と言うので、迷うことなくオレは出されてきた丼を受け取る。
「これは……《親子丼》か」
見た目はそう。しかしこれは……。
とりあえず、まずは一口――。
オレは手を止め、顔をしかめてしまう。
「…………」
「あの、どうしたんですか、イックウ様?」
「…………」
ポアムが心配げに見つめてくるが、これを素直に言ってもいいのだろうか……。いや、すでにリアクションをとっている時点で分かり切っているとは思うが。
「……美味くないだろ?」
「……っ、えとその……」
「いいさね、気を遣わなくても。この店の状況を見れば一目瞭然だ。最初は夫の料理を楽しみに来てくれていた客も、あたしの料理を食べて、そこからは姿を見せなくなったしね」
「……す、すみません」
「何で坊やが謝るんだい。美味ければ繁盛し、不味ければ廃れる。それは食べ物屋の常だろ?」
「そ、それはそうなんですけど……」
それでも面と向かって、あなたの料理は味も薄いし肉も生焼けだし、卵には変に火が通り過ぎだしパサパサで、バランスが極めておかしいですとはなかなか言えない。
「……多分、あんたたちが最後の客になるんだろうねぇ」
老婆が向ける視線の先には、夫であろう人の絵が飾られてある。その絵を見る彼女の寂しげな瞳を見ていると、心が切なくなってきてしまう。
「この店にはね、夫との思い出が溢れてるんだよ。だから手放したくはない。だから今まで必死に守り抜こうとしてきたけど、それもどうやらここらが限界のようさね」
老婆の言う通り、食べ物屋というのは美味ければ人が集まり、不味ければ人は去って行く。それは普通のことだ。これだけ人が集まる中で、こうまで客足がないところを見ると、客足が途絶えてもうずいぶん経つのだろう。
理不尽――ではない。土地を借り、店を開いた者の背負う覚悟の一つだ。せめて土地を借りるのではなく、購入していればまだ何とかなったかもしれないが、そこまで資金に余裕は無かったのだろう。
オレは完全に諦めている老婆の表情を見る。それはまさに、オレが日本にいた頃、親や優秀な兄たちに無能だと言われた時と同じ顔だった。
そうだったなぁ。毎朝、鏡を見るのが嫌だった。それが今後も死ぬまで続くのだと思うと憂鬱でしかなかったんだよな。
だから何かきっかけがあって、それを機に変われればいいなと思っていた。
「……ありがとね、坊やたち。何だかしんみりしちまって、悪かったね」
ただ老婆は、この店を――自分の居場所を守りたいだけ。
自分にもできるんだと信じてやり続けていただけ。結局それは実を結ぶことはなかったが。
「腹が減ってんなら、米くらい食べていきな。塩や海苔とかならあるからさ」
美味いものは正義で、守りたいものを守れるというのなら――。
オレは腰かけていた椅子から立ち上がり、黙って厨房へと向かった。
「は? あ、ぼ、坊や?」
当然老婆は困惑しながらオレを目で追ってくる。ポアムもそうだ。
しかしオレは沈黙を保ったまま、厨房に立つ。
「…………米は焚かれてる。卵も玉ネギも鳥肉もある。……よし!」
オレが何も言わずに料理をし始めたので、他の二人は呆気に取られてただジッと見つめるだけになってしまっていた。そして――。
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