坂の上の本屋

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坂の上の本屋のバイトには友人がいる

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***

 まごうことなき春である。
 サークルの窓から見える景色には、綻びはじめた蕾桜と、浮かれた新入生と保護者の群れがあった。

「うちに新入生は入ってくれるかね……。~~入ってくれるといいなぁ……っ!」
「さぁ……」
サークル存続の危機だぞ!? と切実な思いで肩を掴んで揺すったが、こっちは幽霊部員だから知ったこっちゃないしな、とすげなく言われた。
「冷てぇなぁフタキン……、小学校からの仲だろ?」
「小学校からとか関係ないだろ」
二村はしばらく窓際で本を読んでいたが、あ、と顔を上げた。
「知り合いが入学してるはずだから、声掛けてやろうか? 俺と同じで名義だけでいいなら入るかも」
「マジか! 掛けろ掛けろ絶対」
ていうかお前、俺以外にも友達いたんだなぁ……、と告げると、やっぱりやめるか今の話、と言われ俺は慌てて首を振った。

 イマイチ愛想に欠ける二村のことだ。
 どうせ同じように愛想のない、可愛げのない後輩を連れて来るに違いない。

 ……と思っていたら、これだからフタキンというやつはわからない。
 戸を開いた先にあったのは、遠慮がちな黒い瞳だった。
「……あの。こんにちは……」
その後ろからも、女子が顔を覗かせ口を開いた。
「こんにちは! あ、零次さんもどうも」
「どうも」
暇だからちづに付いてきちゃいました、と愛想よく笑いかけるのを、へぇーと、どうでもよさそうな声で応対していた。
 女子に……。女子に塩対応をするな……。

 まさかの女子だった。それもふたりも。
 大人しそうな清楚系女子に、活発そうなショートカット女子である。真逆の存在に見えるが、仲はいいのかそれとも入学式の浮かれ気分が抜けていないのか、どこかまだ浮き足立っているように見えた。
 キャッキャとはしゃぐ声がこの部屋で聞けるなんて、まるで白昼夢のようだ。
「……二村くん、ちょっといいかな」
「二村くんて」
とりあえず外に、と手で合図するが、訝しげな顔をされた。清楚女子に不思議そうな目で見送られ、慌てて愛想よく手を上げた。
「すぐ戻るから、ふたりはお茶でも飲んでゆっくりしててねー」
「あ、はーい。ありがとうございまーす」
はよこいと手招きすると、二村は不審そうな顔をしてついてきた。部屋の外に出るなりその腕を掴んだ。

「……フタキン、女の子の知り合いなんていたの?」
「人口の半分は女だぞ、知り合いくらいいるだろ。お前俺のことなんだと思ってんだ」
朴念仁……と口から漏れ、その手に持っていた本の角で刺された。地味に痛い。おーイテ、と手の甲をさすった。
「逆に訊きたいんだけど、お前の行動範囲でどうやって女子と出会うの?
 お前、本屋と家と大学の行き来しかないよね? なんなの? 彼女たちは俺たちにしか見えないイマジナリー女子なの? こわい!」
「なに言ってるんだほんとに。……俺だってスーパーとコンビニくらい行くよ」
「スーパーとコンビニにいるのって子供とその親だけだろ!?」
いや普通に老若男女いるだろと言いつつ、でもどっちも本屋でできた知り合いだ、と二村は続けた。あぁ本屋ね……、と変に納得した。
 本屋のバイト以外で、二村に他人との繋がりができるとは思えなかった。悪いやつではないのだが、こいつは少々正直すぎるきらいがある。
「塩澤さんはわからないけど、千鶴さんは幽霊部員くらいならなってくれると思う。なんか文句あるのか?」
「ない!!!」
「うるさ……」
できるだけ厳かな顔をして部屋の中へ戻った。そして何食わぬ顔で笑顔を作った。

「っやー、ごめんね急に席外して! あ、なんかオヤツ食べる? 先に出しておけばよかったね」
スーパーで買ったと思しき、桜餅のパックやらポテチやらを開いた。
 もっとオシャレなオヤツを頼めばよかったと切に思う。せめてチョコとか苺とか季節限定モノとかあるだろうに。
 二村の知り合いなんだしと思って、二村に買い出しを頼んだ俺が馬鹿だった、桜餅なんか絶対食べづらいだろ。自分の好みで食べたいもの選びやがったなコイツ。
「とりあえず入学おめでとー。どぞどぞ、好きに食べてねー」
と机の上に置くと、わーいとショートカット女子が手を伸ばした。

「……。あの……、フタキンって……?」
廊下の声が聞こえてしまって、と続けた清楚女子に二村は嘯いた。
「あー、二宮金次郎の文字りだね」
 言葉が足りない、なんにも伝わっていない。まだ女子が不思議そうにしていたので、俺は言葉を続けた。
「二村が本持ってこうさ、二宮金次郎スタイルでよく歩いてたんだよ。それで二村金次郎ってあだ名つけられて、それがどんどん派生していって最終的にフタキンになったんだよね」
 小学校時代の他クラスの知り合いは、二村はともかく零次という名まではたぶんほとんど知らなかったんじゃないかと思う。本人より先に、フタキンというあだ名が先行してしまったのだ。
「二宮金次郎……?」
「あぁ、ニノキンって言い出したのが小学校のときの先生だったんだけどね。いや俺らも金次郎のこと知らなかったんだけど、なんか、昔は小学校とかにそいつの銅像があったんだってさ」
そうなんですか……、という横で、ショートカット女子がスマホでパパっと検索し、フフッと声を漏らした。
「ほんとだ、確かに零次さんとちょっと似てるかもね」
ほら、ちづ見て、と画面を見せると、ぷふっと小さく噴き出した。
「確かに……。零次さんのこういう姿勢はよく見かけますね」
「これでもランドセル背負ってた時はもっと似てたんだ」
「あっはは! なんのアピールですかそれ」
ショートカット女子はよく笑う子である。正直助かる。

 しばらく学校や授業のことであれこれ談笑しつつ、俺はおもむろに用紙を引っ張り出してきた。ここからが正念場である。
「――それでね。さっそく本題に入って悪いんだけど、ふたりには名義を貸してほしいんだ」
「えっ。犯罪の香り……?」
途端に訝しげな顔をしたショートカット女子に、違う違う! と俺は慌てて首と手を振った。二村が口を開いた。
「大丈夫。俺も入学時から名前だけ貸してるけど、これまで犯罪に巻き込まれたことはないから」
「言い方ァ! フタキンそれフォローになってねぇんだわ! 怪しさだけがどんどん増してるんだわ!」
そうか? と椅子に座り直し、のんきに桜餅を齧った。どこか満足げな顔をしており、やっぱりそれお前が食いたかっただけだろと思う。

 椅子の上で、威圧感を与えない程度に姿勢を正した。
「ええとね、うちは映画のサークルなんだけどさ、ちょっとだけど学校から補助金もらえててね。でも人数が5人を切ると、サークルの存続ができなくなるんだよね」
 そして、そうなると補助金は当然なくなるのだ……。
 映画というものは、たまに見る分には大した出費にならない。月に1度恋人とみるとか、たまに友人とみるとかなら、の話である。
 だが、毎度新作をすべて追うとなると話は変わってくる。さらに古い作品もみたいからとサブスク登録などをし始めると、時間も金もあっという間に溶ける。もう本当に、溶けるとしか言いようがない速度で消滅する。大学生には地味に懐が痛む趣味なのであった。
 もちろん微々たる補助金ですべてを賄えやしないが、ないよりは絶対にマシである。
 補助金が……そうなんですね……と清楚女子が相槌を打ち目を細めた。少し緊張した。大人っぽい子もいたもんである。これで俺らのふたつ下か? と思う。
 バイト先の年上女性でも、こんなに落ち着いた人はいない。

「もちろんすでに映画好きって人も大歓迎なんだけど、こっちとしてはこれを機に映画に興味もってもらえたら嬉しいなーっていうね!
 入ってもらえたら映画の割引券とか試写会に当たった時の券も譲れるし!
 ノルマもないし、サークルの年会費もほぼナシ! だけど時々試写招待券が回ってくる! こんなお得なサークルは正直他にはないと思うんだよね!
 ていうかマジな話、名義だけでも借りられるとサークル消滅が防げるんでほんと助かります……!」
「先輩、勧誘うまいですねー!」
「えっそうかな? ありがとう!」
感心したような声を上げたショートカット女子に、俺は笑顔で頭を掻いた。
 ずっと、飲み屋へ客を勧誘するバイトをしている。歩合制で成績もいい方だ。
 新作映画をすべて見なくてはならないので、バイトであっても手なんて抜いていられなかった。社会人になってしまったら、そんなものを見ている時間はないと皆が言う。そんなことしていられるのは今のうちだと、親兄弟親戚が脅してくる。
 だから俺は学生のうちに、嫌というほど見ておくと決めたのである。学生生活は今年含めて2年しかない。就活が始まれば、きっと時間も減るだろうから実質2年も残っていない。
 後悔しないためには、まずはベストを尽くすことである。

「……というわけで、どうかな? お試しで数か月でも歓迎だよ」
割引券があるんですか……、と呟かれ、畳みかけた。
「彼氏とか友達誘って行くのも楽しいと思うよ! 新作映画の試写招待券なんかは特に、気になってる人を誘う口実に使えるしおススメだね! 興味なかったら親にあげても喜ばれるし!」
だいたいはペアの招待券だからねー、と続けると、ショートカット女子がちらりと清楚女子を見た。ついで、俺を見上げた。
「サークルで、一緒に観に行ったりはしないんですか?」
「ん? んー、皆ではあんまり行かないかな。野郎だけだしわりとバラバラかも。俺はたまにフタキンと観に行ったりするけど」
 ていうか、映画誘ってもいい感じですか? そんなのめっちゃ喜んで誘いますが?? との言葉は飲み込む。
 逃したら女の子云々の前に、このサークルが終わる。
「零次さんも映画とか見るんですねー。ずっと本読みたい人なのかと思ってました」
「自分で券買ってまでは観ないけど、割引券やらタダ券もらったら行ったりするよ」
せっかくだもんな、と続いた。
 誘って二村に断られることはあまりない。せいぜい、二村の本屋バイトと被ったときくらいだった。前もって言っておけば予定も空けてくれる。意外と人付き合いは悪くないやつなのだ。

 熟考していた清楚女子の腕を、ショートカット女子がちょいとつついた。
「いいじゃん、ちづ入っちゃえば? 零次さん、ちづとだって時間合えば一緒に行ってくれますよね?」
「? うん。別に俺でいいなら全然」
そっか塩澤さんバスケもあるんだもんな、時間が合わない日も出てくるか、などと言っており俺は引いた。
 ――フタキン、お前それフラグだよ。こんなもん学生向けの純愛映画で俺は死ぬほど見ました。お前にはフラグが立っている。折るんじゃないぞ、せっかく立ってるフラグをよ。
 二村の軽い返答に、清楚女子はわずかに頬を染め顔を上げた。
「じゃあ……あの、私の名前で良ければ、是非……」
その瞳の輝きようと言ったらなかった。
 清楚女子はフタキン目当てで、そしてショートカット女子はそのフォローのために来てくれたんだね、と春らしい暖かい気持ちで思う。それ映画で観たことある。
 女子の友情は、脆いようで固い。その団結力にはびっくりすることがある。

 でも、女の子に興味なさそうなフタキンには縁があって、彼女の欲しい俺には女の子との縁がないなんて神様はつくづく不公平だと思う。
 映画が好きだし、女の子も誘いやすいから彼女もつくりやすいかと思ったが、残念ながら今年もサークルで彼女をつくるのは難しそうである。去年も男しか入らなかったので、バイト先で彼女を作った(そして別れた)。
 同じ大学で彼女ができたら楽しそうだなと思っていたのだが、彼氏が欲しい女子はテニサーとかの飲みサーに入ってしまうのである……!
 わかってるならテニサーに入れよって? 駄目だよ俺が好きなのは映画なんだから、自分に嘘はつけない。しかし、映画が好きだから映画の好きな女子とお近づきになりたい、と思って映画のサークルを選んでこの有り様である。
 女子どころか、人が減りすぎてサークル存続の危機に瀕しているだなんて誰が思うのか。毎年春には人集めに必死で、彼女を見つけるどころではないのであった。

 ショートカット女子がこちらを見上げた。
「私たぶん、バスケのサークルにも入るんですけど。それは大丈夫ですか」
「もちろん掛け持ちもオッケー! 無理なく活動してね!」
と力強く述べると、なら私も全然オッケーです! と快諾してくれた。
 約一年ぶりに記名されたサークル加入の紙を見つめ、感慨深い気持ちになった。
「……ふたりも入った……! ありがてぇー! 招待券が当たったときは、ふたりに優先的に回すからね……!」
わー、やったー、ありがとうございます、と愛想のよい返事が続いた。

***

 佐々木さんは随分律儀な子らしく、結構マメにやってきた。
 二村がいないとわかるとちょっと残念そうな顔をするものの、されどすでにいる俺をスルーするのも悪いと思うのか、「先輩は最近どんな映画を観ましたか。面白いのありましたか」と律儀に訊いてくれるのであった。いい子である。

「佐々木さんはバイトしないの? フタキンと同じ本屋とかさ」
首を振った。
「あのバイトは零次さんだけなので……」
本当はバイトなど雇う気はなかったらしいのだが、二村は本屋の店主と仲が良く、特別に採用されたそうである。
 年下女子二人に、今度は本屋のおじさんである。付き合いが長いわりに、あいつの交友関係はいまだに謎だ。
「フタキンと同じ学部だから、ふたりはわりと一緒にいるのかと思ってたんだけど、案外そうでもないんだね」
「学年が違うと、ほとんど授業が被らなくて……」
零次さんよりしおちゃんと一緒になることが多いです、と言った。
 1年生は全学部共通の教養科目が多いのだ。授業がほぼ専攻科目で占められる、3~4年生とはあまり会えないのだろう。

「それは寂しいねぇ」
「はい……。……はい?」
「? だってサークルもフタキン目当てで入ったのにさ、すれ違っちゃって」
 言い当てると目を剥いて固まってしまった。
 あんなにあからさまなのに、バレてないと思ってるのすごいなと感心した。
 映画の登場人物かよ。バレバレだよ君は、と思う。俺は伊達に映画を見てきてないんだぜ。
 正直、ちょっとした惚れた腫れたくらいなら、手に取るようにわかるし書こうと思えば関係図だって書ける。新しいバイト先に入るたびそういう相関図を想像し、(映画だったらこうなるんだろうなー)とあれこれ考えるのがひそかな楽しみだったりする。

「……すみません。……不純な、動機で……」
眉間に皺を寄せ、本当に申し訳なさそうに言うので笑ってしまった。
 あはは、いやいや、と俺は手をはためかせた。慣れていた。
 二村目当ての女子になんて、子供のころから慣れていた。他人に興味のない二村のことを、ミステリアスだと女子は影ではしゃぎ、そのくせ自分に興味を向けないと怒り出すのだ。二村自身はなにも変わっていないのに、理不尽なことである。
 だがそういう理不尽な女子には往々にして小悪魔的な魅力があり、傍にいる俺は(フタキンはいいなぁ)と思ったものだ。俺なら喜んで付き合うのに、むしろ振り回されたい、と。
 こういうとこが女子には好みじゃないんだろうなーと思う。これもだいたい映画で観た。映画なら俺は、フラれる3枚目もしくは当て馬ポジの男だ。世の中うまくいかないものだ。

「いつから好きなの? フタキンは2年前くらい、自分が大学入った頃に知り合ったって言ってたけど、やっぱそのころから?」
わー、女子と恋バナだ~、また脳内相関図作ろ、とミーハー魂で問いかけると、想定外の音が飛んできた。
「……。中学生の時です」
はぇ? と変な声が出た。
「……最初に零次さんを見たのが、私が中1のときです。ようやく声を掛けられたのが2年前、……高2のころです……」
零次さんは、ぜんぜん知らないと思います……、と言った。
 固まってしまった俺を見て、しおちゃんにもすごくビックリされました……と赤く小さくなった。

「……。すごいな。映画みたいだ」
え、と言われた。
 そんなにひとりの人間のことを、好きでい続けるってどういう感覚だろうか、とわかりもしないことを思う。
 俺は恋人のいる生活が好きだし、彼女を作るための努力も普通にする。
 恋愛映画も観るし純愛映画だって観る。学園ものの青春映画だって観る。どんなにシンプルな内容だって、わかりきった展開だって俺は素直に感動する。自分が別れた後だとなおさら、あぁよかった、この恋はうまくいったのだと思う。
 でもああいった恋愛ものの映画を俺たちが安心して観ていられるのは、ハッピーエンドで終わると最初からわかっているからではないだろうか。
 現実は往々にしてそんなにハッピーなものじゃない。特に恋愛においては、誰だって思い通りにいかないことの方が多いだろう。
 それでも時々、こうやって誰かを思い続けられる人がいるのはいったいなぜなんだろうか。ハッピーエンドになるとは限らないのに。

「そんなに好きなんだ?」
佐々木さんは、赤くなって黙って頷いた。これは重症である。
 個人的には、現実の恋愛において片想いの時間なんて、短ければ短いほどいいと思っている。長くなればなるほど言い出しづらくなるし、その想いが恋なのか執着なのかわからなくなるからである。
「あの……、先輩にはご迷惑は掛けませんので……」
なんだそりゃ、と笑ってしまった。笑ってしまった俺を、不思議そうな顔で見た。
「いいじゃん別に。惚れた腫れたなんて好きにすればさ。それに俺、恋愛映画も普通に好きだしねー。現実で、それも間近でそんなの観れるなんて光栄だねぇ」
わけのわからないことを言われて、恐縮していた。

 俺は鞄から、今日届いたばかりの封筒をホイと差し出した。
「そんな佐々木さんにプレゼントしちゃおう。当たりたてホヤホヤの招待券だよ」
フタキンを誘うといいよ、というと目を丸くした。
 ゴリゴリのエンタメ映画だから、きっとフタキンとも楽しめるだろう。あいつは恋愛映画だと途中で飽きて寝てしまう。展開が読めて詰まらない、などと言う。
 そう言われるたび思ったものだ。
 わかってないな~~! と。展開がわかってるからこそ面白いものだってあるのに。
 現実で自分がその当事者となったとき、あいつがどんな反応をするのか興味が湧いた。
「あの、でも先輩。せっかく当たったんですし……」
「実はもうひと組当たってるんだよね、だから気にしなくていいよ」
人数増えると応募できる口数増えるからありがたいんだよねー、と続いた。
「俺はそっちを使うよ。誘う相手は探さなきゃだけどね」
フタキンと予定が合わなければ誰か他の人誘えばいいよ、塩澤さんとかさ、と親切心で続けると、何やら俯いて悩みだした。

 なにを悩む必要があるのだろう、と思う。
 映画のペアチケットなんて、好いた相手がいる人間こそ活用すべきだと思う。俺だって、最初はそのつもりでサークルに入ったんだから。

***

 映画館を出た頃には、春の夜の風が吹いていた。
 マフラーを巻くほどの温度ではないが、なにもないと首元が肌寒い。はしゃいだ声がした。
「最後まで展開が読めなかったね……っ」
「わかる! まさかあそこで殺されちゃうとは思わなかった!」
「恋愛ものかと思ったら、途中からサイコサスペンスになってたな。どんでん返しっていうかちゃぶ台返しっていうか……」
最近の映画ってジャンルの概念越えてるのな、とフタキンが呑気な声を出した。
 ――なんだこりゃ。
「いや俺、結構いいパスしたと思うんだけどなぁ!? なにこれ!?」
声を張ると、3人とも不思議そうに振り返った。

 あのあと佐々木さんは「あの、皆で観に行きませんか?」と言った。
 しおちゃんも予定が合えば、4人で行けますよね、と。それは朗らかな笑顔で言った。

「つくづく、欲がないよねぇ佐々木さんは……」
 思い出す。
 え、なんで?? ふたりで行きなよせっかくのペア券なのに、と述べた俺に佐々木さんは、きっと大勢で見たほうが楽しいですよ、と笑った。
 そしてそのまま、二村と塩澤さんに連絡を取って約束を取り付けてしまった。
 好きなやつを誘う口実を、どうしてふいにしてしまうのか、俺にはよくわからない。映画だったら絶対、ハッピーエンドに一歩近づいたのに。

 4人で映画見て、その後ご飯食べて、腹ごなしに夜空の下を仲良くお散歩だ。ふたりならデートになっただろうになぁ……。
「? 先輩楽しくなかったですか映画。結構面白かったと思うんですけど」
「いやめっちゃくちゃ楽しかったよ、あのB級映画な感じ! たまんないね!」
じゃ、いいじゃないですか! と塩澤さんにケロリと言われた。
 映画は楽しかったよ、ほんとに訳がわかんなくて……、これぞエンタメ映画! という感じで実に楽しませてもらった。
 映画はひとりで観ても楽しいが、誰かと観ても楽しい。
 
 二村がふいに足を止め、上を見上げた。
「……まだ咲いてたんだなぁ」
「……。ほんとですね、遅咲きですか……」
言いながらも、佐々木さんは散りゆく桜なぞほとんど見ていなかった。それは幸せそうに、ぼんやりと夜桜を見上げる二村の横顔を見ていた。

 ――わからん……。
 そんな長期間片想いなんてしたことないもんな俺は、ひと月以上したことがない。惚れやすいし諦めも早いのだ。なにがそんなに楽しいのかさっぱりだ。両想いの方が絶対楽しいだろ、と思う。
 片想いを安心して観ていられるのは映画だけ。ハッピーエンドが確約された世界の話だけなのだ。うまくいくかわからないものなんて、心配でみていられない。
 うまくいってくれないと嫌なんだよ、現実こそ。だって心臓に悪いじゃないか。

「ちづ、その下に立って。写真撮ってあげる。
 桜と写ってる娘の姿なんて、絶対ちづのお母さん見たいでしょ」
入学式来れなかったもんねと嘯き、ごく自然な動作でスマホを向けた。
 見習いたいサポート力である。
 バスケ部だからなのか? と、どうでもいいことを思う。
「あ、ほら零次さんも入って!」
ほらほら! と手で追いやった。有無を言わさぬ誘導である。映画だったら助演女優賞ものだ。
「? 俺要る? というか俺が撮るよ。塩澤さんが入ればいい」
と、フタキンが続けたのでズッコケそうになった。
 お前はメインだよ馬鹿! 馬ァ鹿!! 塩澤さんを見習え!
 なぜわからない、お前とのツーショットが欲しいのだと。そしてそれを撮ってやろうと親友ポジの女子が動いているのを。もっと映画観ろ、これ俺全部観たことある。
 塩澤さんは慣れたもので、
「ていうか順番に撮りません? それぞれで二人ずつで撮って、最後に誰かに4人で撮ってもらえば」
と述べた。自然である。サポート慣れしすぎている。

「じゃ、今度は俺が撮るよ」
と、スマホを向けた。女子二人が笑って並ぶのをタップし、枠の中に収めピントを合わせた。普段写真を撮らない二村が戻ってきて、横で俺の操作を眺めていた。
「……あのさー、フタキン」
「ん?」
「あの本屋のバイトってさ、佐々木さんは入れてあげられないの?」
一緒に働いて温めろよ、恋をよ、と思った。
「なんだよ急に。千鶴さんってバイト探してるのか?」
「いや? 俺が勝手に一緒に働いてほしいだけ」
と言うと、意味がわからん……と言いたげに眉根を寄せながら「意味がわからん……」と言われた。
「……そもそもあそこ別にバイトいらないんだよな、おじさんで事足りてるし」
「なんで足りてるとこでお前は働いてるんだよ、意味わかんねぇ……。でも現実ってそういうとこあるよな、マジでどうかと思う」

 ほんとになんなんだよ急に、と肘で突かれ、スマホの中で桜がブレた。

Fin.
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