まだ夢のなか

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まだ夢のなか

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***

「面白いっていうのがよくわからないんだ」
と、そいつは言った。

 おもむろに俺の隣へとやってきてそう口を開いたのは、委員長呼びがすっかり定着してしまった憐れなクラス委員であった。
 昼休み、学校のベランダでボケッとうらぶれている時に、大して親しくもないクラスメイトにそんな申し開きをされるとは夢にも思うまい。
 仲が悪い訳ではないが取り立てて良い訳でもなかったので、一人でいるときに話しかけられることは稀だった。

「……。どういうこと?」
意味を掴みかねた俺の問いかけに、委員長の榊は言いづらそうに口を開いた。
「皆がよく、おどけたりふざけたりしてるだろう? ああいうものの、どういったところが面白いのかわからない」
「? お前、わりといつも楽しそうに笑ってるよな?」
さっきだって、クラスの三枚目が流行りの芸人の一発芸の動きや声を完璧に真似、皆から笑いを取っていた。
 それを見て、コイツも和やかに笑っていたのだ。

「……。正直に言うと、いつも周りの反応に合わせてとりあえず笑ってるだけだ」
「マジかよ器用だな。ほんとはずっとつまんなかったってこと?」
不満げに首を振った。
「つまらないんじゃない、わからないんだ」
一緒だろそれは、と俺が呟くと、全然違う、とまた首を振った。

「つまらないと思うってことは、自分の中に面白いかどうかの基準があるってことだろう?
 どうも俺にはその基準がないみたいだ。……つまらないんじゃなくて、わからないとしか言いようがない」
へぇ……と、めちゃくちゃどうでもよさそうな声が自分の口から漏れ出たので、ちょっと申し訳なく思った。反応に困ってそうなっただけで、いちクラスメイト相手に冷たい言動をするつもりは誓ってなかった。
「……で、なんでそれを俺に言うの?」

「聞いたぞ。お笑い芸人になりたいらしいな」

 真面目なやつの真面目な顔面から、あまり真面目じゃない内容の言葉が出てくると結構面白いな、と内心思った。
「あー……、子供の頃の話な。なりたかったっていうか尊敬っていうか」
いまは違うのか、と問われ、乾いた笑いが漏れた。
「受験生が進路希望に芸人なんて書けないだろ。親が呼び出されるわ」
 家族に心配は掛けない。俺にとっては、まぁまぁ大事な決めごとである。

「そうか、それは困った」
「なにが?」
「お笑い志望の人間なら、聞けば面白さの解説を頼めるかと思ったんだ」
「解説て」
笑うところかと思ったが、榊は始終真面目だった。
「まぁ、そううまくはいかないな。今の話は忘れてくれ、ついでに他言無用で頼む」
皆に変なやつだと思われたくないんだ、と言い置くと、さっさと教室へと戻っていった。
 その後ろ姿を、俺は半ば呆然と見送った。

 この十七年の半生で、俺が芸人という存在を認知したのはいつだったろうか。

 小学生? いや保育園くらいだった気がする。
 両親が共働きで、おまけに二人は仕事が大好きなワーカホリック。俺は主に祖父母に育てられた。されど子供が持つ無限の体力に腰痛持ちの二人はついてこれず、結果的にテレビをよく見せられた。
 何を見ても面白かったが、祖父の影響もあり俺が好んでよく見ていたのはバラエティだった。祖父がしてくれていた録画やらなんやらを、繰り返し繰り返し何度も何度もねだって見た。

 テレビに映る芸人たちの姿は、時折感じる一抹の寂しさを一瞬で忘れさせてくれた。幼い俺にとって、笑いをもたらす彼らはまさしく魔法使いのような存在だったのだ。

 軽快な漫才や日常を切り取るコントもいいが、目や耳に残る一発芸もそれぞれの個性が見えて味わい深い。小気味良いトークが行き交うバラエティも、受験生となった今だって楽しく見続けている。

 そんなこんなで、今や俺は笑いに携わる人間をすべからく尊敬している。
 見れば元気が出てくるし、どんなに悲しいことがあっても、腹を抱えて笑えば人生がなんとかなるような気がしてくるから不思議だ。

 それなのに。
 こんなに楽しんでいて、こんなに好きなものなのに。
 面白さがわからないってなんだよ???

***
「ハヨッス」
「はよー」
クラスメイトと挨拶を交わしつつ、窓際の前から三番目の席を引き、後ろ向きに座った。
「はよっす、榊」
「おはよう。席間違ってるぞ」
ちょっと借りるだけ、と返事をしつつ、手に下げていたトートバッグを差し出した。
「ほれ、これ」
「? なんだ?」
目を丸くし、手は伸ばさずトートを見つめた。
「俺の思う面白いものを集めてきた。
 なにが榊の琴線に触れるかわかんなかったから、わりと王道っぽいやつを集めてきた」
とりあえずこれ全部見て、と述べると、ありがとう……、と礼を言いつつとりあえず受け取った。不思議そうにトートを眺めていた。

「? なんだよ」
「いや、まさか真面目に聞いてくれてたとは」
「俺はな、榊。お笑いが好きなんだよ。三度の飯より好きだ。リスペクトが行きすぎて、最近はなりたいとすら思えなくなった」
あの面白さがわからない、でもわかりたいと言われては、ただのお笑い好きとして黙ってられない。

「……わかるようになると思うか?」
「さぁ、どうだろ。でもわかったらいいなと思うよ」

***
「橘」
見終わったから返す、とトートバッグが返ってきた。
「おう。……どうよ?」
眉間に皺がよった。ついでに目を瞑った。
「……………それぞれ何度か見たんだが、……よく、わからなかった」
「そうかー」
「いや、でもあれだ、なんとなくだが。
 橘は王道なものと言ってたよな。借りて観た漫才やコントは、伏線回収がどれも巧みだと思った。話の起承転結も綺麗で、物語としてもちゃんとしていた」
言いながら、若干申し訳なさそうな顔をしていた。
 されど、俺は嫌な思いはしていなかった。
 むしろ興味深い。面白さがわからないやつは、そういうところに目がいくんだな。新鮮なもんである。

「面白さは、まだわかんないままなんだよな?」
「……残念だが」

 なかなか手強そうである。
 今回渡したものは、賞レースの歴代優勝者の漫才やコントを集めたものばかりだった。面白いという感覚を持つ人間なら、爆笑必至の内容である。
 ちなみに俺は笑いの沸点が低いので、このレベルのものになると思い出し笑いで涙が出るくらい一人でウケてしまう。

「榊、放課後どっか暇な日とかある?」
「木曜に塾があるくらいだ」
それがどうかしたかと問われ、俺は本腰を入れることを決めた。
「次だよ次、見ながら今度は横で解説してやる」

 絶対、腹捩れるくらい笑わせてやるんだからな。

***

 呼吸困難になりかけながら笑っていた。俺一人が。

 友達と受験勉強をする、と嘯き、図書館のAVルームを借りてひたすらお笑いを見ていた。
 笑いすぎて痙攣し、痛みを伴い始めた腹を抱え、俺の視界はすっかり涙で滲んでいた。座っていられなくなり床に転がりながらも笑い続けている俺を見つめ、榊はUMAでも見つけたような顔をしてしっかりドン引いていた。

「……橘、息が出来なくなってるところ悪いんだが、そろそろ解説を頼む」
「ッフフ、死にかけのダチに、解説ッ、ブフ」
もはや、なにを聞いても笑ってしまうフェーズに入っていた。
 いけないいけない。俺は榊に笑いを教えるという最重要任務があるんだった。
「っはーー! えっとな、今のコントはな、演技力のあるトリオだ」
「それはなんとなく、俺でもわかった」
「まずな、この大ボケのすっとぼけた演技がいいだろ? そんでツッコミの間も声のトーンもすごくいい! そんで小ボケの、」
「ちょっと待ってくれ。マってなんだ」
「テンポやタイミングみたいなこと」
なるほどな、と頷いた。

 間は大事な要素だ。
 話が面白くても、これがズレるだけでまったく笑えなくなってしまうのだから、おそろしい話である。

「で、この小ボケの最後の一言と存在感があるから、このコントはより面白くなってる!」
「より面白くなってる……? 面白さに上乗せができるのか? もう少し具体的に」
真面目な顔をして聞いてくるので、俺の腹筋は再び暴動を起こしそうになっていた。
「……ウッフ、上乗せってっフフ、ふへっへへ」
「フへへじゃないんだ、話の続きを」
フへへじゃないんだってなんだよ! と腹を抱えて転がるのを、露出狂を見るような目で榊は見ていた。

 悪い悪い、と言いつつ、俺は痙攣を起こす腹を撫でさすり座り直した。
「ちなみに、榊は見ててなんか思ったこととかある?」
そうだなと少し悩みつつ口を開いた。
「てっきり、みんなは言動そのものに面白さを感じてるんだと思ってたんだが」
無言で続きを促した。
「発言した人のキャラクターとか、あとは場の雰囲気と、いま聞いた間っていうのが実は大事なんじゃないかと」
俺は大いに感心した。
「それ! マジでそれ! すごいなお前! 面白さはわからんのにそれはわかんの?」
「教えてもらいながら見ていたら、だんだん傾向が掴めてきた」
「いや受験生かよ」
「受験生だろう」

 なんか漫才みたいだな、と思った。

***

「なるほど、それが結成秘話なんですね!」
懐かしい話だった。照れくさかった。
「やー、秘話ってほどじゃないですけどねー」
「まぁでも、お陰さまで楽しくやれてます。
 橘とネタして一人でも誰かが笑ってくれたら、やっててよかったなって」
「マジメか」
実際、真面目なやつなのである。

「では最後に、せっかくなので、お笑いの面白いと思っているところを伺っても?」
榊のその目はマジだった。


「それが、いまだにわからないんですよね」


Fin.
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