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番外編
弟よ…… ケイニード視点
しおりを挟む「母上はけっして強い人ではなかった。お前の存在が母上を強くしたんだ」
予定より早く産まれた弟は一週間後に亡くなった。
王妃殿下の第二子懐妊は宰相の父上だけに知らされた。それを聞いた父上は王妃殿下に合わせて子をと強く願った。そしてすぐに母上は身ごもった。
後に父上はこう言った。
「なんとなく、勘だったが、急いで子を作らなければと思った」
父上の勘は当たった。
アンスレードは産まれてすぐに乳母と離宮に閉じこめられた。
父上に連れられ、初めて見たアンスレードは赤子なのに独特な雰囲気を持つ子だった。
「ケイニード、お前は今日から殿下の遊び相手となる。そして兄になれ」
まだ幼い俺には父上が何を言っているのか分からなかった。
アンスレード殿下の遊び相手は分かる。だがどうしてアンスレード殿下の兄になれと?
その言葉の意味はすぐに分かった。
閉塞された離宮。最低限の使用人。王城には騎士が大勢いるのに対し、離宮には数人。第二王子が離宮に暮らしているのにだ。
第一王子は陛下と王妃から愛情をたくさん注いでもらい、二人の手元で育てられた。
第二王子は両親から疎まれ、捨てられた。
陛下と王妃は民にとっては良き王と妃なのかもしれない。
たった一人、我が子にだけ、育児を放棄した毒親になった。
その頃の俺は家にいたくなくて、よく離宮へ覗きに行っていた。いつもこっそり覗くだけ。ずっと泣き続け、泣きつかれて眠るアンスレード。乳母は赤子のアンスレードを抱っこし庭を散歩する。その顔は疲れ果てていた。
友になるにもまだ相手は赤子。兄になるにも本当の弟でもない殿下に何もわかなかった。可愛いとも愛しいとも。
それでも家にいるよりは離宮を覗いていた方がまだましだった。
弟を亡くした母上は部屋に閉じこもった。聞こえてくるのは母上の泣き声だけ。俺が母上の部屋に入っても、母上には俺が映らなかった。
幼い俺にとってアンスレードは自分と同じように思えた。
父上は宰相として忙しく、母上は心を病み、まだ親に甘えたいのに甘えさせてくれる親はいない。
一週間だけの兄にはなったが、弟の顔を見たのは一度だけ。その顔ももう思い出せない。俺は赤子のアンスレードを弟の代わりに見ていたのかもしれない。
ある日、王城から帰ってきた父上は、布で包んだ赤子のアンスレードを連れて帰ってきた。
疲れ果てていた乳母が倒れ、陛下は「捨て置け」と代わりの乳母を見つけようとしなかった。すぐに代わりの乳母が見つかるわけではない。第二王子の乳母だ、誰でもいいというわけにはいかない。
王城から帰ってきた父上は母上の寝室へ向かった。寝室からは母上の怒号のような悲鳴が聞こえてきた。
「私のお乳は息子のものです。殿下のものじゃない」
母上は弟が亡くなってもずっとお乳を搾っていた。母上の中では弟はまだ生きていて、お乳を搾り与える。
「おまえもたいへんだな」
ソファーで寝かせられたアンスレードは大声をあげて泣いている。
巻かれた布を少し緩めようとした時、アンスレードは俺の指を必死に握った。それがただの条件反射だとしても、自分より小さい手で俺の指を必死に握る力強さに、俺は『生』を見た。
その時、小さいアンスレードが、誰かが面倒をみないと儚く消える命に思えた。
幼いながらにこの日のことは覚えている。
俺が守る。俺が兄になる。俺が友になる。俺がアンスレードを守る。
俺は母上の寝室に行った。
「かあさま、いまいきてるものをすくわなくて、かあさまはなにをすくいたいんですか。しんだおとうとですか」
なんと冷たい子供だろう。自分の子供を亡くした母親に言うことではない。自分の子供が死んだと認められない母親に言う言葉ではない。
それでも今アンスレードを救えるのは母上だけ。
「かあさまにはきこえませんか?いきたいいきたいとひっしにさけぶこえがきこえませんか」
一階の部屋にいるアンスレードの大きな泣き声は二階の寝室にまで聞こえる。
俺は母上をじっと見つめた。
「どきなさい」
母上はベッドから出て早足でアンスレードのもとに向かった。
それから父上は母上にアンスレードの今置かれている状況を説明した。
「この子は私の可愛い子。私が代わりに育てます。この子の行く末が幸福に包まれるように、第二王子として立派に育てます」
母上は繊細な人だった。愛情深いからこそ繊細だった。
俺は手のかからない良い子で育った。それは母上の愛情で育てられたからだ。手を伸ばせばすぐそこにいる。
「ケイニード」
母上はいつもの優しい顔で笑い手を広げた。
「かあさま」
俺が近づけば母上は俺を軽々抱き上げた。
「寂しい思いをさせたわね」
「かあさま」
俺は母上の胸に顔を埋めた。
あの小さかった赤子が今は俺よりも大きくなった。
「母上はお前を第二王子として立派に育てる為に強くなった。そしてもう一度この現実世界で生きようと思えたんだ。それにあれだ、手のかかる子ほど可愛い、とよく言うだろ?」
アンスレード、お前はいつもエイブレム家に助けられたと言うが、エイブレム家を救ったのはお前だ。
あのままでは母上は弟の後を追って死んでいただろう。俺も今のようには育っていなかった。いつかこのペープフォード国の危険分子になっていたかもしれない。
父上を憎み、母上を憎み、弟を恨んだ。
あの時、お前が俺の指を握らなければ、俺を真っ当な道に導いたのはお前だ。
「今頃、母さんは自分の息子と過ごせているだろうか」
「母上にとって、お前も自分の息子だ。そしていつまでもお前は俺の弟だ」
「そうか」
穏やかな顔で笑ったアンスレード。
父上の勘、弟が亡くなりお乳を持て余した母上、まるでアンスレードを育てろと、見えない糸で操られているようだ。
「俺の娘とお前の息子、俺達はどこまでも続く強い絆で結ばれているみたいだな」
「ああ、そうだな」
雲一つない晴天が、最期までアンスレードを案じ、幸せを願った母上が『ようやく会いにきてくれたのね、私の可愛い子アンスレード』と喜んで見せた空のように思えた。
完
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書籍化おめでとう御座います(*´ω`*ノノ☆パチパチ
penpen様
ありがとうございます。
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㊗️完結おめでとう御座います🍾とても楽しくて面白くてワクワクしながら読みました。リシェとハンスの中が大変良くて、国王と王妃の中も大変良くてリシェやハンスの家族中も大変良くて凄く良かったです。ルドはお馬鹿でしたね?何故あんな風になったのでしょうか?どれだけできた国王でも子育てに失敗したら駄目ですね🙅最後は可哀想な死に方でしたが自業自得ですね。選ぶ道を間違えたから仕方ないとは思いますが。番外編も読んで楽しめたので嬉しいですね。これからも応援してますので頑張って下さいね♪
東堂明美様
コメントありがとうございます。
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ありがとうございます。
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