元公爵令嬢、愛を知る

アズやっこ

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数ヶ月後


「嬢ちゃん注文いいか」

「はい、お待たせしました」


私は毎日忙しく働いている。


「注文です。お願いします」

「これ運んで」


慣れてきた生活、慣れてきた仕事。与えられた仕事をし日々過ごしている。


「慣れてきたか?」


いつも来る年配の男性。


「はい」

「それは良かった」


いつも一言二言話すだけ。

団長さんや店主さん、他のお客様とは楽しそうに話すのを見ていると、私には見えない壁がある。でもそれはきっと、私が見えない壁を作っているから。



月に一度の休みの日、私はルナと布と刺繍糸を買いに来た。布と刺繍糸を買いルナの店で刺繍をする。


「ねぇルナ、名前ってそんなに大事?」

「そうですね。名前を呼ばれると仲良くなれた気になりませんか?」

「そう?私は自分の名前が嫌いだわ。名前を呼ばれて良かった思い出なんてないもの」


ラナベル、その名前は私を縛る呪文のようだった。何をしても婚約破棄され修道院へ送られる。そしてまた戻される。

戻され殿下にお父様に『ラナベル』と呼ばれると始めは嬉しかった。優しさがこもる呼び方に。でも次第に怒鳴り声になった。

何度も戻されると『ラナベル』と呼ばれる事に自分自身拒絶しているのが分かった。ラナベルは私ではなくもう一人の違う人、そう思っていた。


「ラナベルお嬢様、私が仕えたお嬢様は聡明なお方です。私達使用人にもとても優しいお方です。人の気持ちが分かる心の優しいお方です。

旦那様と坊ちゃまにどのような感情を持っていたとしても、幼い頃を思い出して下さい。

私はお会いした事はありませんが亡くなった奥様に呼ばれていたのではないんですか?」


お母様に呼ばれたのは遠い記憶。ラナベルと言って頭を撫でてもらった。

『大好きよラナベル。お母様はずっとラナベルを愛しているわ』

そう言ってくれたお母様はもういない。


「お嬢様、名は両親から贈られる贈り物です。産まれた子にどんな名前が良いか考え贈られる贈り物です。

産まれた命に名を授ける。

名を付け名を国へ申告し始めてこの国に認められた人になります。そしてその人を表すのが名前。

お嬢様、お嬢様がどれだけ自分の名を嫌いでも『ラナベル』はお嬢様の名前です」


ルナは私の手を握り私を見つめる。


「街でお嬢さんと呼ばれれば誰を指しているのか分かりませんが、名を呼ばれれば誰を指しているのか分かります。

男性の中には年関係なくお嬢さんと女性を呼ぶ方もいます。結婚する前の女性を呼ぶ方もいます。若い女性だけを呼ぶ方もいます。ですが、名は特定のその人を指す言葉です」


食堂でもお嬢さんと呼ばれる。それは私しか女性がいないから呼ばれているのは分かる。

この前、レモンを買いに野菜屋さんへ行った時も『食堂のお嬢ちゃん』と声をかけられた。食堂のと言われたから私だと思ったけど、それがお嬢ちゃんだけなら私は気付かず挨拶もせず通り過ぎたと思う。誰も私を呼び止める人はいないから。それに誰も私に話しかける人はいないから。


「私はラナベルと言うお嬢様の名前、好きですよ。それに以前仰っていたではありませんか。ラナベルという名は亡くなった奥様が女の子が産まれたら付けたい名だったと」


そう言って笑うルナ。


「そうよ、だから私も前は好きだったわ。でも名前を呼ばれると呪文のように聞こえるの。そして私を苦しめていく…」

「お嬢様、お嬢様は公爵令嬢のラナベルではなく、もう街娘のラナベルです。もう誰にも縛られない自由を手に入れたんです。

ようやく自由になったのにお嬢様自身で過去に縛りつけています。公爵令嬢だった時の過去に縛りつけています」

「過去…」

「ええ過去です。過ぎ去った昔です」


私は修道院に入り公爵令嬢としての身分はとっくに捨てた。修道院という狭い空間の中で私は自由を得た。繋がりがない世界、そこでは孤独だった。でもその孤独が私の世界だった。

街で働くようになり人と話す機会が多くなった。誰も私を特別扱いをしない。一人の街で働く人として接してくれる。

そこには元貴族令嬢でも修道女でもない一人の人。まだまだ失敗もするけど、それを温かく見守ってくれる人達。

その優しさに自分を取り戻し始めた。


自分の居場所がずっと分からなかった。邸にいても修道院にいても借り物の家。その中で目立たず過ごす。人付き合いは苦手だった。人の心は変わりやすいから。昨日親しくしていた人が明日私を遠巻きに見る。昨日優しかった人が明日冷たくなる。

だから人は信じない。

私は一人で平気。

上辺だけの付き合いなら傷付かないから…。

何度も戻り何度も傷付いた。そうよ、私は傷付いたのよ。ボロボロになるまで傷付いた…。


「お嬢様、お嬢様は王都ではなく、今はこの街で生きています。この街の住人です」


そうね、ここは王都じゃない。私を傷付けた人達がいる王都じゃない。王都から遥か離れた街。

私は今、ここで生きている。街の住人として働きお金を稼ぎ暮らしている。

貴族令嬢としての淑女の嗜みも何もないこの街で、私は生きている。誰かの手を借りて、私は生きている。



❈ 本日から投稿を再開します。完結までお付き合い頂けると幸いです。


            アズやっこ
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