宵闇の夏色

古井論理

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夕陽の茜色

経過の中途論

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エリカ「この世界は……?」
サユリ「知らないよ。そんなことより反省会を終わらせるべきじゃないの?」
エリカ「ちょっと待ってよ」
サユリ「待って、おなか痛いからトイレ行ってくる」(舞台上手にはける)

「一旦ストップ」
 劇の練習を始めてから一か月。コウくんがやるはずだったキャラクターに代役を立て、違和感を出すスタイルで練習は進んでいた。
「違和感を出したいから、目線には気をつけて」
 チヒロが脚本を見て言う。
「わかった」
 息をするようにそう返して練習を再開しようとした私に、チヒロが脚本をめくりながら話しかけた。
「ここからは実質一人芝居になるでしょ」
「うん」
「私、見てていい?」
「いいよ」
 私はセリフを演じ始める。

エリカ「サユリ、どこ行くつもりなんだろ……。それでヒロシ、ここはまだ劇の中なんだね?」
エリカ「それは『はい』って意味でいいんだね。その証拠はどこにあるの?」
(エリカ、ヒロシに耳を寄せる)
エリカ(観客席を指さして)「この壁の向こうには、観客がいる……?」
エリカ「そんなこと言われても壁を破るわけにはいかないし」
エリカ「もっと簡単な……え?」
(エリカ、ヒロシに耳を寄せる)
エリカ「それは盲点だったな……」
エリカ「なるほど……サユリに言ってみないと」
エリカ「ところで劇のタイトルは……? こんなによくできた劇ならすごい人がシナリオ書いてるんだろうなぁ」
エリカ「サユリはまだ来ないみたいだから……タイトル教えてよ」
エリカ「宵闇の夏色、ね」
エリカ「いい名前だね……不思議な感じ。知らないはずなのになぜか知ってるような……」
エリカ「サユリ遅すぎない? ちょっと待って、少し見てくる」
(エリカ、外に出る)

 1年生が拍手したあと、ワンテンポ遅れてチヒロが拍手した。
「すごいよ、すごすぎるじゃん」
 チヒロの目は輝いていた。しかしチヒロはすぐに我に返ったような表情になって、ため息をついた。
「私ももっと練習しないとなぁ」
 私はチヒロと1年生を交互に見てから、チヒロの方へ向き直った。
「チヒロ、自主練するなら時間取るよ」
 チヒロは首を横に振って答えた。
「いい。土日で練習するから」
「わかった。で、照明は大丈夫?」
 1年生に聞くと、裏方は大丈夫との返事が返ってきた。私は1年生に優れた演者を見るような目を向けて、感嘆とともに照明指示書を見た。コウくんが残した照明指示書は、読みづらい手書き文字でなければ誰にでも分かりやすいようだ。まあ照明指示書も改変に従って変わったけれど。
「そういえば音響は……?」
「ないよ」
 チヒロが即答する。
SE効果音含め何もない」
「そっか……じゃああと10分したら一回通してみようか」
「わかった」
 チヒロは大きく深呼吸をして、セリフを読み始める。30分もない劇だ、技術で勝負する。チヒロがそんなことを言っていたのを思い出した。
「じゃあ通そっか」
 私が言うと、チヒロは時計を見て「もう10分経ったんだ」といった。
「始めていい?」
「いいよ」
 チヒロは自信のなさそうな声で答えた。
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