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雪山の冒険
夢
しおりを挟む二時間以上の猛攻にあった後、俺は疲労感と共に眠りについた。夢の中でかつての事件を思い越し始めた。
事件は数多の例にならって、探偵事務所で始まった。まだ面識もほとんどなかったエミリーが、押しかけて来る場面だった。
「……私の住む屋敷に泥棒が入ったの。警察は『解決』の『か』の字にもたどり着いていないみたい。あなたは優秀な私立探偵だと聞いたから、思い切って相談に来たのだけど」
俺の隣には、チャックとジェームズ。ジェームズは、相変わらず傲岸不遜なまなざしで耳を傾けていた。
「オーケー。では、思いつく限りの情報を述べてくれ。例えば、怪しい人物や、入られたときの状況とかだ」
「その日はパーティーを開催してたから、犯人は招待客の誰かかも。ただし、パーティーの会場は一階で、盗まれたネックレスは二階に置いてあったの。一階から二階に行こうとすれば、周りの誰かがそれに気づくはずなのよね。それに二階のすべての窓は鍵がかかっていたから、外から侵入したとも思えない。どう思う?」
話のあいだ、ジェームズは目をつむって、うなっていた。珍しく悩んでいるらしい。だがそれも長くは続かず、ジェームズは瞼を開き、唐突に叫んだ。
「どう思う? って、それだけじゃ、情報があまりにも足りなさすぎる!」
「威圧を抑えた方がいいぞ」
チャックが不愛想に注意する。そういう自分も威圧感高めなのだが。
エミリーはジェームズとチャックを引いているような目つきで、交互に見つめる。
「こうなったら、現場に行くしかないな……」
ジェームズはボソッと呟いた。エミリーは露骨に嫌悪感を示す。それに気づいてないのか、無視しているのか定かではないが、ジェームズは黙々と出張の準備を始めた。
そこで視界が回転し、目の前が暗闇に染まっていった。夢の中にもかかわらず、俺はひどい頭痛に襲われた。
エミリーの自宅は想像以上に大きく、豪華だった。英国女王の住まいに匹敵すると思えるほどだ。庭には岩で作られた巨大な噴水があり、その周りを囲うように芝が生えている。パトカーが止まってさえいなければ、絶景スポットとなっただろう。
俺は車を降り、エミリー宅の大きさ、豪華さを全身で感じ取った。しかし、チャックとジェームズは大して興味を示さない。
俺たちは、庭を横切り、家の玄関から続く豪華な廊下をツアーのごとく進んでいった。エミリーはまさにいま、俺たちのガイド役に徹している。
周りにある白い壁は、まるでホワイトチョコレートのよう。かじりつきたい衝動にかられてしまう。6メートル置きにダークチョコレートさながらの扉が設置してあり、設計者が「家を食べてくれ」と言っているようにしか思えない。
廊下の行き止まりまで来ると、右側に広間と思わしき大きな部屋、左側には二階へ続く階段があった。
「階段の手前の壁を見て。運搬用エレベーターがあるわ。全ての階に設置していて、百キロの荷物も運べるのよ」
「すっげえ」
俺は目を見開き、驚きの声を上げた。さらに辺りを見渡し、気づいたことを口にする。
「しかも、ほとんどの部屋にエアコンや空調機が置いてあるぞ」
「さすがの観察力ね。エアコンは二十六台、空調機は三十台設置してあるの」
エミリーはさらに自慢げに言った。ジェームズは、彼女のそんな態度にうんざりしている様子だった。彼は頭をさすりながら、急かすように聞く。
「で、盗難品のネックレスが置いてあったのはどこなんだ?」
「二階にある母の寝室よ。だけど、部屋の近くにはいなかったと家族全員が言ってる。パーティの招待客は、どうだったか分からないけど」
「じゃあ、そこを見せてもらおうか」
ジェームズは催促するように言う。エミリーはためらいの表情を少しばかり見せたが、結局は頷き、二階へと案内した。
二階廊下の壁は純白の大理石で出来ており、床には濃い赤色のカーペットが敷かれている。血液を彷彿とさせるので、あまり好きにはなれなかった。全体的に、物はあまり置かれておらず、あるのは最低限の装飾品のみだった。
廊下の右壁に、母親の寝室のものと思われるドアがあった。ジェームズは一切遠慮せず、部屋にずかずか入って行く。
俺とチャック、エミリーも、それに続いて部屋に入った。部屋の右側には、荘厳な雰囲気のベッドが置いてあり、反対側に木製デスクがある。あとは、収納ためのクローゼット。家具と呼べるものは、それくらいだった。部屋の最奥には、金で縁取られた窓があり、適度に日光が入って来る。
「分かってるだろうが、何にも触れるんじゃないぞ」
ジェームズはそう言って、慎重な足取りで部屋を進んでいく。足元を見ると、かすれてよく見えない、大きな足跡がいくつかついていた。その一つ一つがチョークの線で囲われている。犯人が残したものだろう。
「この足跡、犯人はずいぶん大柄だな」
チャックがそう言ったのに対して、ジェームズがうつろな顔で説明する。
「そうとも限らない。見てみろ、どの足跡もほんの一部しか地面についていない。地面を踏む力が極端に弱いか、足の一部しか靴の底にピッタリついていない、ということだ。後者だとすると、この靴は犯人の足に対して、かなり緩いと考えられる。つまり、犯人の足のサイズは、足跡よりずっと小さいと分かる」
「さすがだね」
俺は感心の表情を浮かべた。
「だが、その情報だけでは何の役にも立たない。どうしたものか……」
ジェームズはうなった。現実世界の俺も同様に、寒さで無意識にうなっていた。一瞬目が覚めかけたが、ふいにぬくもりが感じられた。きっとエミリーが、暖かい毛布かなにかを掛けてくれたのだろう。
結局、足跡以外に目立った手がかりはなかった。諦めて階段を降り、一階へと戻ろうとした。そのとき、あることに気が付いた。階段を下りた先の壁、運搬用エレベーターの真向かいに、先ほどまで気づかなかった扉が見えた。壁の色に似せて、うまくカモフラージュしてある。
「この扉は何?」
「そこに気づいちゃったか……とても自慢できるような所じゃないから、ずっと黙っていようと思ってたんだけど」
エミリーがため息まじりに言う。
「見せてもらおう」
ジェームズは何のためらいもなく言い放ち、ドアノブのない扉を爪でこじ開けようとする。思いのほかエミリーは、不愉快そうな顔をチラッと見せるだけだった。ジェームズの性格に、ある程度慣れてしまったらしい。
ジェームズが扉を開くと、古そうな階段が現れた。どうやら地下へ続いているらしい。きちんとエミリーの許可を得て、階段を下っていった。
地下の通路、見た目は綺麗だが、どこからか生ごみのような異臭がする。嫌な顔をせずにはいられない。
「はぁ、この通路の真下には下水道が通っていてね、どれだけ掃除を頑張っても臭いは取れないの」
エミリーは不満げに言った。
それからは皆、無言で慎重に進んでいった。不気味な空間が、心までも暗黒に包もうとしている気がした。これと言った明かりもなく、床の至る所が濡れているので、何度も滑りそうになった。分かれ道は一階以上に多く、あちこちに張り巡らされており、まるで地下迷宮のようだった。床の所々にあるマンホールが、道印になっており、迷子になるのを防いでくれている。
悲劇は突然起きた。通路の最奥までたどり着いたときだった。チャックがつるりと足を滑らせ、後ろに倒れてしまった──背中が、背後にいたジェームズに激突する。そして二人は、二つのドミノのようにバタンと床に倒れこんだ。
ジェームズの分厚い黒衣は、床の水を大量に吸ったらしく、彼が床から立ち上がるのを苦難にしている。チャックは意図せずだろうが、ジェームズを下敷きにしていたため、大して濡れていなかった。
「なんでこんなに床がビショビショなんだ? 危ないにも程がある!」
ジェームズが苛立たしそうにわめいた。エミリーは対応に疲れたのか、答えなかった。チャックは倒れこんでいるジェームズを起こそうと、彼の腕を掴んで引っ張った。その過程で、ジェームズの服に顔が振れるほど近づいた。そして、なぜなのか知らないが、チャックは顔をしかめ、咳きこんだ。数秒経つと、俺にもその理由が分かった。ジェームズの臭いだ。正確にいえば、濡れた黒衣の臭い。
「悪い、この家のバスルームを借りてもいいかな?」
ジェームズが半泣きでエミリーに迫った。彼女はすばやく否定する。
「もちろん、だめ。あと、誰の服も貸さないわよ」
「おい……おい! おーい──!」
ジェームズは叫んだ──変だな。このときの彼は確か、歯ぎしりしながら帰路に就くはずだったけど……あ、そうか! この声は現実世界で発せられているんだ。だけど、なんでこんなに取り乱しているんだろう?
俺は頭の中の登場人物を無視し、地下室の天井を通り抜け、天空へ上っていった。頭上遥か高くで現実世界への扉が開かれ、俺を吸い込もうとしていた──
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