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余談

ベルベットの記録(2)

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 セレスはいくら聞いても、どこでどうして怪我を負ったのかは話してくれなかったが、もしかしたら、彼にあの傷を負わせた相手が追ってきて、襲われたのではないかとベルベットは心配した。
 諜報部員の彼のことだから、事前に察知して逃げたのかもしれない。
 あの傷では、そう遠くには逃げられないはずだと、彼女は必死で探した。
 隠れられそうな狭い路地を片っ端から探してみたが、セレスの姿を見つけることはできなかった。

「そっか…、隠密スキルを使ってるんだ。そりゃ見つかんないよね…」

 日も暮れてきて、諦めて戻ろうとした時だった。
 突然、大きな揺れが襲った。
 しかも、今までもよりも大きい。
 路地から裏通りへ出た時、彼女が見たものは、体の大きな魔族が地面に拳を突き立てているところだった。拳をついた地面から亀裂が入り、揺れはそこから起こっていた。

「もしかしてあの人が地震を起こして…?でも一体何のために?」

 その魔族の傍には肩から巾着袋を提げた男がいて、その男が指さした建物が、魔族の起こした地震によって崩れ始めた。よく見るとその周囲には覆面をした男たちが複数人立っていて、壊れた建物へと向かって駆け出して行った。

「嘘…!地震を起こして建物を壊したの!?」

 思わずそう口走ってしまったベルベットは、巾着袋の男に見咎められた。

「誰だ!?」
「ヤバ!」

 彼女は慌てて逃げようとしたが、男に追いかけられてすぐに捕まってしまった。

「人間の女か。見られた以上、タダで帰すわけにはいかん」

 彼女を捕えた男は懐からナイフを取り出した。

「きゃあ!」

 ベルベットは悲鳴を上げた。
 男がナイフを彼女の喉元に突きつけようとした時、その腕を掴んで止めた者がいた。

「よせ」

 それは地震を起こした魔族だった。

「人間を殺すのは良くない」

 すると、人間の男はすぐにナイフをしまった。

「それもそうか。厄介なことになっても困るしな。では事が済むまで監禁しておこう。記憶を消しておけば済むことだ」

 ベルベットは男に腕を掴まれ、とある建物へと連れて行かれた。
 そこは下町にあるホテルだった。
 観光客向けの中規模宿で、市内中央にくらべれば格安で泊まれるというので、客は魔族が多い。
 そのホテルの最上階の一番広い部屋、つまりスイートルームに彼女は連れて行かれた。
 部屋にはベルベットより年上に見える女がいて、自分の爪を小さな棒のようなもので整えていた。
 驚いたことに、その女性は、少しくせっ毛だが真っ黒な髪をしていた。
 この世界で黒い髪の人間の女性といえば、聖魔の代名詞だ。
 ベルベットの目は彼女に釘付けになったが、その女性に正面から会うこともなく、部屋の奥にある小部屋に入れられ、外から鍵を掛けられた。
 縄で両腕を縛られただけで、歩き回ることはできるものの、軟禁状態にされてしまった。
 あの黒髪の女性が誰なのかが気になった。
 まさか聖魔がこんなところにいるはずがない。
 彼女ははしたないと思いつつも扉に耳を当て、隣の部屋から漏れ聞こえる声を聞こうとした。先ほどの女性を含め、複数の何者かの声が聞こえてくる。

「ガイルは?」
「連中とお仕事中だ」
「あの魔族、本当に役に立つわね。土属性のスキルで簡単に建物を壊してくれるんだから。ねえ、先生。あいつ、上級魔族でしょ?どこで見つけてきたのさ?」
「貴様らは知らなくていいことだ」
「ふぅん?まあいいけど。こないだおかしな奴が邪魔しに来たんでしょ?なんかワケアリ?」
「大丈夫だ。あのネズミならガイルに始末させた」
「それにあいつ、私のこと本気で聖魔様だと思ってるみたいで、従順すぎてキモいんだけど」
「おまえはあいつの前で聖魔様を演じてくれればそれでいい。稼ぎたければな」

 そう云って男は笑った。
 そのうち、彼らの仲間の人間が部屋に戻ってきたようで、複数の男の声が聞こえ始めた。

「いや~大量大量。今回はアタリだったぜ」
「崩れた建物から金目のものをガッポリいただくなんて、こんな楽な仕事、他にねえよな」
「あいつら、きっとまだ金目のものを盗られたって気づいてないぜ」
「気付くころにはオサラバさ」

 彼らは高笑いしながら、なにやらガチャガチャと金属音を立てていた。
 そこまで話を聞いたベルベットは、彼らが何者かを理解した。
 彼らは盗賊団に違いない。
 聞こえる金属音は、奪ってきた金貨や宝石の類だろう。
 ガイルというのはさっきの魔族のことだろう。
 彼の地震を起こす能力を利用して、店や金持ちの家を破壊し、盗賊行為を行っていたんだ。
 このところ地震が多かったのはそのせいだ。
 被害者たちは、地震で家が崩れたと思っているから、まさか盗賊に襲われていたとは夢にも思っていない。きっと家の中を片付けている時に初めて、金品が無くなっていることに気付くのだろう。
 その泥棒の片棒を担がされているガイルという魔族は、あの女の人を聖魔だと思い込んでいて、その命令に従っているんだ。
 なんと単純な人なんだろう、と彼女は少し呆れた。
 少し考えればわかることだ。
 聖魔はゴラクドールで最強と名高い聖魔騎士団に守られている。何より魔王が傍にいる。
 その聖魔がこんなところにいるはずがない。ましてや盗賊団に手を貸すことなどありえないのだ。
 ガイルという人はなぜそんな嘘を信じてしまったのだろうか。

「ねえ、先生。どうせなら、ここを出る前にもう一仕事していかないかい?」
「ん?何をしようというつもりだ、ケイト」
「ガイルみたいなバカな魔族がいるんならさ、もっと多くの魔族を騙せるんじゃないかって思ってさ」

 彼らの計画を聞いたベルベットは、唖然とした。
 ケイトと呼ばれた女は自分が聖魔になりきって、多くの魔族を騙してここへ集め、金品を奪って、奴隷にして売り飛ばそう、などと話しているのだ。
 先生、と呼ばれた男は「好きにしろ」と云った。

「ど、どうしよう…!なんとかしないと」

 しかし、軟禁されている彼女には、何もできない。
 ベルベットは、室内をうろうろしていたが、やがて昼間の疲れからか、いつの間にか部屋のベッドで眠ってしまった。
 次に彼女が目を覚ましたのは、扉をノックする音が聞こえたからだった。

「は、はい」

 急いで飛び起きて返事をしたものの、軟禁されているこの部屋にノックをする必要などあるのだろうか、と不審に思った。
 扉が開くのを、彼女は緊張感を持って見つめた。 
 だが、扉を開けて入ってきたのは、セレスだった。

「セレスさん!」
「ベル、無事か?」
「それはこっちのセリフですよ!出歩いたりして、大丈夫なんですか?」
「ああ、もう平気だ」
「へ~え、自分の身より他人の心配するなんて、余裕あるじゃない。誰かさんそっくりねえ」

 セレスの後ろには少し派手目の、見知らぬ人間の女性が立っていた。

「…誰ですか?」
「のんびり自己紹介してるヒマはないわよ。ほら、さっさと逃げる!」
「は、はい!逃げます!」

 謎の女性にせかされて、ベルベットはセレスに連れられて部屋から脱出した。
 外出していたのか、スイートの部屋の中には盗賊団は誰もいなかった。

「全員ホテルの向かいの食堂でメシを食ってるわ。そんじゃワタシは自分のお仕事に戻るから、その子のことは頼んだわよ」

 謎の女性はそう云うと、部屋の外で姿を消した。

「あの、今の人は…?」
「ああ見えて偉い方なんだ。別の任務で同行してくれたんだが、連中をうまく外の食堂へおびき出してくれたんだ」
「え…?でも、あの人人間ですよね?」
「ああ見えて魔族だ。あの方は変身能力があるんだよ」
「ええっ!?!へ、変身できるんですか?す、すごいです!」

 ベルベットは少しオーバー気味に驚いた。
 セレスはそれを見て、クスリと笑った。

 ホテルの外へ出て安全なところまで来ると、セレスはベルベットに話しかけた。

「黙っていなくなってすまない。おまえを巻き込みたくなかった。こんなことになるとは思わなかったんだ」
「セレスさんのせいじゃありませんよ。でも、どうして私があそこにいるってわかったんですか?」
「ああ、目の良い方がいてな」
「え?視力とか関係あります?…あ!それより、大変なんですよ、あの人たち…」

 ベルベットは部屋で盗み聞きした彼らの計画を話した。
 それを聞いたセレスは「わかった」と頷いた。

「おまえが逃げたとわかれば、連中は追手を差し向けるかもしれん。しばらく俺と共に行動してもらうことになるが、構わないか?」
「は、はい!喜んで!」

 ベルベットが元気よくそう云うと、セレスはフッと笑って手を差し出した。

「喜ぶようなことじゃないんだがな」

 彼女は笑顔でその手を取った。

 ベルベットがセレスに連れて行かれたのは、先ほどの安宿とは比べ物にならないほどの超一流ホテルだった。
 セレスは何も云わず、豪華な部屋に彼女を通した。

「疲れただろう、ゆっくり休むと良い。ここにいれば連中も手を出せない。安全だ」

 見たこともないような豪華な部屋に案内された彼女は、驚き、はしゃいだ。
 彼女の喜ぶ姿を満足そうに見た後、セレスは出かけると云って姿を消した。
 豪華な夕食が部屋に運ばれ、広い風呂にゆっくり入ることもできた。
 こんなすごいところに泊まれるなんて、夢のようだ。

「実はセレスさんてお金持ちだったりするのかな…」

 そんなことを考えながらふかふかのベッドで眠りについた。
 それから数日をその部屋で過ごした。
 夜になるとセレスが少しだけ顔を出してくれた。
 部屋の外には護衛役の魔族が立っていて、どこへ行くにも着いてきた。
 その数日後、ベルベットは就職課に顔を出そうとアカデミーに向かうことにした。
 護衛の魔族が着いてくると云ったが、彼女はそれを丁寧に断った。
 その代わり、アカデミーまで往復の馬車を出してくれることになった。セレスの心遣いには感謝するが、少しやりすぎな気もしていた。

 アカデミーに行くと、学園内はある噂で持ち切りだった。
 それは、このグリンブルに聖魔がお忍びで来ているという話だった。
 あの盗賊団が仕掛けた噂に違いないと彼女は確信した。
 なぜなら聖魔が滞在しているという噂の場所は、ベルベットがあの男たちに軟禁されていた下町のホテルだったからだ。

「大変、早く行って、皆にニセモノだと教えてあげなきゃ…!」

 彼女は迎えの馬車に乗らず、裏口から出て、例のホテルへ向かった。
 セレスに知らせたいとも考えたが、ホテルに戻るともう自由に行動できなくなると思ったのだ。
 ホテルの部屋の前には既に噂を聞きつけた多くの人々が、一目聖魔の姿を見たいと長い行列を作っていた。
 行列には魔族たちが多く並んでいたが、中には興味本位らしい人間の男や、フードを目深にかぶったローブ姿の魔法士らしい者も混じっていた。
 彼らの行列の前にベルベットは飛び出して叫んだ。

「皆、騙されちゃいけません!ここにいる聖魔様はニセモノです!」

 ベルベットは行列を前に、訴えた。
 すると、例の男たちがすっ飛んできて、ベルベットを取り押さえた。

「この女!」
「勝手なことをいいやがって」

 彼女は口を布で覆われ、後ろ手に両手を拘束されてしまった。
 彼女が騒いだせいで、行列に並んでいた者たちはざわつき始めた。 
 マズイと思ったのか、男たちは列に並んでいた魔族や人間合わせて50名ほどを部屋の中に招き入れた。
 彼らはスイートルームの広めの部屋に入れられた。
 拘束されたままのベルベットも部屋の中に連れ込まれた。
 部屋の前方には一段高い場所にカーテンで仕切られたステージのようなものがあり、その前で案内をしてきた男性が説明を始めた。

「これからこちらに聖魔様がご出座なさいます。聖魔様のお姿を見るだけでも癒しの効果があります。そのお姿を拝見したければ、こちらの箱に心づけをお入れください。金額によって受けられる癒しが異なりますよ」

 その男がもっともらしい口調で云うと、部屋の後ろから箱を抱えた男2人が現れ、人々にお金を入れるよう迫ってきた。

「おい、聖魔様が金を取るのか?」

 誰かが声を上げた。
 すると周囲にいた人々も「そうだそうだ」と云い出した。
 少しずつ騒ぎ出した人々に向かって、女性の声が響いた。

「静まりなさい!」

 前方の舞台のカーテンが開いて、中から黒髪の女性が出てきた。
 それはベルベットが見た、あの女性だった。
 周囲にいた男性たちが、芝居がかった様子で「ははーっ、聖魔様!」と崇めるように膝を折ると、部屋の中にいた人々からは戸惑いの声が聞かれた。
 魔族たちはその女性をすぐには聖魔だと信じなかった。
 その女性が、話に聞いていた聖魔とはかなり違っていたからだ。
 噂では、聖魔は黒く艶やかな長い髪をしていて、少女のように瑞々しく、花のように美しいと云う。
 だがそこにいたのは、黒い髪はクセッ毛で、少し年増の化粧の濃いケバい感じの女性だった。
 この女性が聖魔だというのは無理がある。
 あまりにも品がなく、とてもそうは見えなかったからだ。
 そして、そう思ったのはベルベットだけではなかった。

「聖魔様が治療を理由に金なんか取るわけがない!おまえら、偽者だな?」
「遠目に見ただけだが、聖魔様はもっと若くて美しかったぞ!」
「そうだ!第一、聖魔様のお傍に人間の男がいるのはおかしいだろ!」

 もっともな意見に、その場にいた者たちは一斉に騒ぎ出した。
 聖魔と称する黒髪の女は、「こんなはずじゃなかった」などとブツブツ云いながらも、魔族たちの方を睨みつけた。

「おだまり!」

 彼女が声を荒げて一喝すると、魔族たちはビビって彼女を見た。
 すると彼女の背後から、あの大柄なガイルという魔族が出てきた。

「ガイル、この無礼な者共を懲らしめてやりなさい」

 女がガイルに命じると、彼は人々の前にずい、と出た。

「聖魔様を侮辱する者は許さぬ」

 ガイルの登場と同時に、部屋の中に武器を持った複数の男たちが乱入し、人々を取り囲んだ。

「命が惜しけりゃおとなしく金を出しな!」

 武装した男たちは恫喝した。

「やっぱり偽者だったんだな!」

 1人の魔族が叫ぶと、偽聖魔の女は甲高い声で笑う。

「キャハハ!騙される方が悪いのさ!こんなところに魔族の女王様がくるわけないだろ!バカだねえ」

 すると、ガイルが彼女を振り向いた。

「偽者?」
「い、いやガイル、嘘だよ。あたしが聖魔さ」

 偽聖魔は慌ててそう繕った。
 彼女の背後にいた巾着袋を持った男が舌打ちして云った。

「ケイト、言葉に気を付けろ」
「わ、わかってるよ先生」
「こうなれば仕方あるまい、宝玉を使う」

 先生と呼ばれた男は、年の頃は40手前くらいに見えたが、頭髪には白いものが目立った。
 彼は肩から掛けていた巾着袋から何かを取り出して、掲げた。
 それは透明な丸い玉だった。

「宝玉、見ぃ~つけた」

 突然、人々の中からそんな声が聞こえた。
 先生と呼ばれた男はぎょっとして、固まった。

「はっはあ…。精神スキルで、この連中を操ろうってわけ?大司教公国の伝統芸ってやつだねえ」
「貴様…何者だ!」

 人々の中から平凡な顔立ちと服装の人間のが、ニヤニヤしながら前に出てきた。

「あんたの正体がわかったわ。あんた、レナルドの副官だったマルクってケチな騎士ね。随分年取ってるから気付かなかったわ。…そう、あんたがレナルドの宝玉をくすねて逃げてたってわけね」
「なぜそれを…」
「まったくもう~!あんたのおかげで宝玉を集めろっていう魔王様の命令を実行するのに10年もかかったじゃないのさ」
「魔王だと?おまえは一体…」

 すると人間の男は、「ヘーンシン♪」と云いながらその姿を、色っぽい、薄青色の長髪の魔族の女へと変えた。
 その変化に、ケイトもマルクも、その場にいた全員が驚いた。
 もちろんベルベットも。

「ワタシは魔王護衛将カラヴィア。さあ、とっとと宝玉を渡してちょうだい」
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