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最終章

トワの怒り

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「それで、あんたは魔王の片棒を担いであれを召喚したってわけか」
「…魔王様の決意は固く、もう止めることはできないと思った」

 マルティスとジュスターの話を聞いていて、私は魔界で魔王と別れた時のことを思い出した。
 あの時の彼は、もう決意してたんだ。だからあんな死亡フラグみたいなことを言って…。

「で、どうするんだ?このままカオスにトワを差し出すのか?」
「魔王様に、トワ様を殺させるわけにはいかない」
「俺もそれには賛成するぜ。魔王の気持ちもわかるからな。心にもないことを言って、きっとすげえキツかったんだろうと思うぜ。そこまでして別れた女を知らずに手にかけたなんてことになったら、可哀想すぎんだろ」

 イドラはフン、と息を吐き、「ではどうするんだ?」と、マルティスに問い掛けた。
 その問いには、迷いなくユリウスが答えた。

「トワ様を守るためなら神とだって戦いますよ」

 彼らの背後にいたゼフォンやイヴリスたちもユリウスに同調して戦うと云い出し、事態はカオスとの全面対決という方向へと流れ始めた。
 そんなの、私は望んでない。

「皆、ちょっと待って!」

 ジュスターをはじめ、皆が一斉に私を見た。

「あんたたち、肝心なことを忘れてるわよ」
「何を忘れてるってんだよ?」

 マルティスが能天気な顔で私に尋ねた。

「私が今、どんな気持ちかってことよ。私を無視して勝手に話を進めてんじゃないわよ!『神と戦います!』とか、勝手に決めてんじゃないっつーの!」

 私の剣幕にジュスターもユリウスも目を丸くしていた。

「魔王が可哀想ですって?何言ってんの?可哀想なのはこっちよ!」

 少し離れたところにいたダンタリアンたちもぎょっとしてこちらを注視している。
 他の者たちも、何だ何だとこちらを振り返った。

「あんたたちは、ちっともわかってない!私がどんな気持ちであんたたちを癒してると思ってるの?神と戦うとか気軽に言わないでよ。どうしてもっと、自分を大事にしてくれないのよ…!」

 カイザーはネックレスの中から小さな声で『すまん』と云った。
 ユリウスたちも、申し訳なさそうに私を見つめている。

「それにね、私は怒ってるのよ!なーにが男心よ。こっちの乙女心は無視かっつーの!」

 もう気持ちが爆発しちゃって、感情が溢れ出すのを止められなかった。
 そうよ、一言云ってやらないと気が収まらない。
 私はキッとカオスを睨みつけ、人差し指をビシッと突き付けて云ってやった。

「魔王!いるなら出てきなさいよ!出てきて、私に謝れ!!」

 ブチ切れた私に、皆ビックリしてる。
 マルティスなんかはあんぐりと口を開いたまま固まっていた。
 カオスは、私の云ったことを理解したかどうかわからないけど、攻撃してくることもなく立ち尽くしていた。

「勝手に去るって何なの?別れが辛いからわざとあんな酷いこと言ったって?はぁ?私の気持ちは一切無視なわけ?ふざけんな!そのせいでテュポーンに憑りつかれたんだっつーの!」

 一度堰を切った私の感情は、毒舌となって溢れ出した。
 すると、私の言葉に反応したのか、カオスは突然動き出して、そのでっかい顔を私の前に突き出した。

「ひゃあ!」

 目の前に突然巨大な口元が迫ってきて、私は思わず悲鳴を上げた。
 食べられるかと思った。
 お、怒ったのかな?
 ジュスターとユリウスが前に出て、私を後ろに庇った。
 マルティスが呆れたように呟いた。

「言わんこっちゃない。おまえが悪口云うから怒らせちまったんじゃね?」

 マルティスはそう云ったけど、カオスは顔を寄せただけで何もしなかった。
 それどころか、静かに膝をついて、大きな体を小さくたたむように私の前にしゃがみこんだ。それはまるで、犬が『伏せ』をしたようなポーズに見えた。

 突然、頭の中に笑い声が響いてきた。

『クックック…』

 笑ってる!?
 この声はテュポーンじゃない。
 誰?

 私は周囲をきょろきょろと見回した。
 それが誰の声か、どこから聞こえてくるのかもわからなかった。
 その声は他の者たちにも聞こえていたみたいで、私と同じように皆、きょろきょろと声の主を探していた。

『おまえを怒らせると怖いのだな』
「え」

 この声。
 まさか…。

「ゼルくん…?」
『ああ、我だ』

 それは確かに魔王の声だった。
 最初はその声が頭の中に直接響いてくるので、目の前の大きなドラゴンが話しているとは思わなかった。
 私はジュスターを押しのけてカオスの巨大な鼻先に近づいた。

「カオスの中にいるの?」
『そうだ』

 カオスは金色の大きな目をぎょろりと動かして私を見た。
 魔王はカオスの中から私に話しかけていたのだ。

「本当に、ゼルくんなの?」
『ああ、本物だぞ』

 私はカオスの鼻先にそっと触れた。

「まだ自我が残っていたのね」
『おまえの声に呼び戻された。すごい剣幕だったな』
「はう!あ、あの、それは…つい…」

 うー!全部聞かれてたのか~!
 超恥ずかしい!

 ジュスターが私の肩に手を置いて、カオスに話しかけた。

「魔王様、本当にあなたなんですか…?」
『ああ。カオスの中で虚ろになりかけていたが、トワの怒りの声で目覚めたのだ』
「そうでしたか…」
『トワは随分怒っていたようだが』
「すべてお話しました」
『…だろうな。尋常ではない怒りっぷりだったからな』

 彼は半分笑いながら云った。

 ひゃ~、どうしよ。私、堂々と「謝れ」とか云っちゃったよ~。

「だ、だって、酷いこというんだもん…、すっごい傷ついたんだからね!」
『すまぬ。おまえが我を憎めば、別れを惜しむこともないと思ったのだ。浅はかな考えだったようだ』
「…それ逆効果だから!あんなこと言われたくらいで、私があなたを憎んだりすると思う?全然わかってないよ!」

 私がそう云うと、魔王は謝罪しながら、また笑った。

『乙女心を無視すんな、か?』
「むぐ…」

 完全にいじられてるし…。
 どうやら全部聞かれてたっぽい。

 声の主が魔王だとわかると、ゼフォンやイヴリスたちも私の周りに集まってきて、私をなんとか助けて欲しいと必死に懇願し始めた。

『無論だ。だがテュポーンの意識体をこのままにはしておけぬ。トワを傷つけず、テュポーンだけを追い出せれば良いのだが』

 魔王がそう答えると、辺りは一瞬シーン、と静まり返った。
 皆、打つ手を考えあぐねていたのだ。

「それならば、良い方法があるぞ」

 沈黙を破ったのはイシュタムだった。

「トワの体を傷つけたくないのならば、トワの意識体を、その中にいるテュポーンごと抜き出せばよい」
「だが、トワの意識に入り込んでいるテュポーンをうまく切り離せるのか?私はそれができなくて体ごと呑まれたのだぞ…?」

 隣にいたイドラはイシュタムの言葉に疑問を投げかけた。

「それはやってみなければわからぬ。だが意識の浅いところにいるのなら、強制的に引き剥がすことも可能だと思う」

 そう断言したイシュタムに、将とエリアナが詰め寄った。

「ちょっと、そんなんで本当に大丈夫なんでしょうね?」
「あんたのことはもひとつ信用できねーんだよ!」

 イシュタムがディスられたことに、イドラは少し微妙な表情をしたけど、やはり不安は隠せなかった。

「トワ…すまない、すべては私のせいだ。私のために君をこんな目に遭わせることになってしまった」
「それは違うよ、イドラ。全てはエウリノームが仕組んだことで、あなたも被害者なんだよ?せっかく助かったんだから、これからは自分のために生きて、幸せにならなきゃダメだよ」
「トワ…君はこんな時まで私の心配をしてくれるのか」

 私の意識下では、テュポーンが私の中にあった絶望の種が消えてしまったと騒いでいた。
 それはたぶん、魔王の誤解が解けたからだと思うのよね。
 テュポーンはそれを取っ掛かりにして私の意識のもっと深いところへ侵入し、私を完全に支配しようと企んでいたようだった。
 私の意識のごく浅いところにいるみたいだから、イシュタムの云う通り、案外引き離すのも難しくはなさそうだ。

 あれ…?
 でも待てよ…。そうすると魔王はテュポーンの意識だけを抱えてこの世界から消えちゃうわけで…。

『テュポーンの意識の分離には我も手を貸そう。分離させたら、イシュタムはトワの意識体を体に戻してやってくれ』
「その必要はないわ」

 魔王の言葉を受けて、私がそう云うと皆の視線が一斉に私に集まった。

「テュポーンの意識ごと、私を連れて行けばいいのよ」

 私はきっぱりと云った。
 ユリウスは驚いた顔で私を見た。

「トワ様、何を…言っているんです…」
「バカなことを言わないでください!」

 ユリウスの言葉を遮って、ジュスターが私に怒鳴った。
 正直驚いた。
 彼が私を怒鳴りつけるなんて、今までなかったから。

「自分が何を言っているのかわかっているんですか?」
「もちろん、わかってるわ。神様の世界へ行くんでしょ?」
「あなたはわかっていない!神の世界なんて、そんなもの、本当にあるのかどうかもわからない。二度と戻ってこれないかもしれないんですよ?それどころか、本当はそんなものは全部嘘で、この世界から出たとたん、消えて無くなってしまうかもしれない!」

 彼の剣幕に押され、私は何も云えずにいた。
 確かに、彼の云うことにも一理ある。
 だって、誰も知らないことなんだもんね。
 私だって、不安がまったくないといえば嘘になる。

 いつの間にか私の周りには、旧市街の魔族たちまで集まってきていた。その中には、棺を担いだままのロキとバルデルもいた。
 すると将とエリアナが、強い口調で云った。

「ふざけんなよトワ!俺たちはおまえを守って戦ってたんだぞ?俺たちの努力を無駄にするってのかよ?」
「そうよ!テュポーンだけを追い出せば済む話じゃない!なんであんたが行かなくちゃいけないわけ?」

 エリアナの言葉に同調した他の皆が、口々に「そうですよ!」「行かないで下さい!」と叫び出した。
 皆の気持ちは嬉しい。だけど…。

「皆、聞いて!」

 私の叫びに、皆ビクッとして口を噤んだ。

「私、魔王とエンゲージしたんだよ!その意味がわかる?」

 その事実を知った魔族たちはざわついた。
 将や優星など、一部エンゲージの意味を分かっていない者もいたけど、魔族たちは私の云いたいことがわかったようだった。

「私には、魔王がいなくなるってわかってて黙って見送ることなんてできないんだよ!」
『…そういうことを言い出すとわかっていたから、おまえを巻き込みたくはなかったのだ』
「もしテュポーンの核を取り出せていたら、あなた、私に何も言わずに、そのまま黙って消えちゃうつもりだったんでしょ?」
『…そうだな』
「そういう意味では私、テュポーンに感謝すらしてるんだよ」
「トワ様…それはどういう意味です?」

 思いがけない言葉を聞いたとばかりに、ジュスターが私を責めるように尋ねた。

「おかしな話だけど、テュポーンが私に憑りついたおかげで、こうしてあなたは私の元へ戻って来てくれたわけじゃない?だからちゃんと話せて誤解も解けた。それはきっと私が<運命操作>に、あなたが無事に私の元に戻って来てくれるようにって願ったからなんだよ。さっきマルティスが言ったけど、テュポーンが私に憑りついたのは、私が願ったことだったんだと思う」
『…ふむ』
「だったら今度は、あなたとずっと一緒にいたいって願うわ」
「トワ様…」

 ジュスターは縋りつくような目で私を見た。
 だけど私の決心はもう変わらない。

「だから、一緒に連れて行って」
『おまえにはこの世界で幸せに暮らして欲しいと思っていたのだが…』
「私とエンゲージしておいて、本気でそんなこと言ってるの?あなたがいなくなった世界で私が幸せになれると思う?」
『…しかし…おまえはそれで良いのか?』

「魔王様、どうかトワ様の願いを叶えてあげてください」

 そう云ったのは、マルティスの後ろにいたロアだった。

「私にはトワ様のお気持ちがわかります。エンゲージした相手に置いて行かれることほど辛いことはありませんから」
「ロア…」
「そりゃあ私だってトワ様と離れるのは寂しいし悲しいです。でも、トワ様が悲しむのを見るのはもっと嫌なんです。皆さんだってそうでしょう?」

 ロアの言葉には説得力がある。何しろ実体験からくる言葉だから。
 彼女の言葉に思い当たることのあるマルティスは、ポリポリと頭を掻いていた。
 すると、魔王は金色の瞳を細めて私に『わかった』と云った。

 それまで私を止めようとしていた将とエリアナも、今の話を聞いて「トワの自由にさせよう」と考えを変えたようだった。

 カイザーもネックレスから語り掛けてきた。

『戻って来るんだろうな?私をおいてなど、行かせないぞ?』
「うん。言い忘れてたけど、私まだこの世界に戻ってくることを諦めてないんだよ。だからカイザー、ジュスター、あんたたちには私の体を守ってて欲しいの」
『本当だな?戻ってくるのだな?』
「信じて良いのですか?」
「あんたたちが信じて待っててくれるなら、絶対魔王と一緒に戻ってくるわ」
『…我もそれを<運命操作>に願おう』

 魔王もそう云ってくれた。
 ジュスターはもうそれ以上何も云わず、唇をかみしめていた。
 他の皆も云いたいことを我慢しているように見えた。
 皆には申し訳ないと思う。

 私とカオスは見つめ合い、お互いの瞳の中で意思を確認しあった。

「そういうわけだからイシュタム、お願いね」

 私はイシュタムを振り返った。
 彼は神妙な面持ちのイドラの隣で、頷いていた。

「それじゃあ、ちょっと行ってくるから!皆、後をよろしくね」

 私は心配そうなジュスターや聖魔騎士団と勇者候補たちをはじめ、そこに集まっている人々に、近所に出かけるみたいな雰囲気で、元気よく手を振った。

「ではトワ、準備は良いか」
「うん」

 イシュタムは自分の体をイシュタルに預け、一足先に思念の世界へと向かったようだ。

 もしかしたら二度と戻ってこれないかもしれない。
 皆とも、もうこれっきり会えないかも…。
 でも不思議と恐れはなかった。
 きっと、それは彼が傍にいるから。
 今になって、エンゲージの意味がよくわかった。会いたくてたまらないっていうより、離れがたいって感じかな。ただ、一緒にいたい。一緒なら、何も怖くないって思うんだ。

『怖いか?』
「ううん、大丈夫」

 私は目を閉じた。
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