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最終章

悪意の行方

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 そんな私の思いをよそに、カオスは足元を氷漬けにされて動けないままのテュポーンに迫った。
 カオスが近づくと、テュポーンにはそれがひどく恐ろしいものに見えているのか、大きな手で顔を隠しながら縮こまって怯え、委縮しているかのように見えた。

 だけどそのうちテュポーンは逆切れしたのか、腕を振り上げてカオスに殴りかかろうとした。
 その腕はカオスによって軽々と捻りあげられてしまったけど、2つの巨大な魔獣の取っ組合いは、なんだか怪獣映画を見ているようだった。
 けれど、その実力差は一目瞭然だった。
 カオスは、もはや援護する必要もないほど一方的にテュポーンを叩きのめした。
 そのカオスの様子を見て、もうあそこには本当に魔王はいないんだと思った。

 テュポーンがカオスに向かって黒い霧を吐こうとすると、カオスはテュポーンの顔の穴に向かって、その口から光線ビームのようなものを吐き出した。
 ゼロ距離で放たれたその光線は、吐き出された黒い霧ごとテュポーンの顔の真ん中の穴奥深くへと吸い込まれていった。穴の奥がどこに繋がっているのかはわからないが、光線はテュポーンの頭を貫通することはなかった。
 光線を吐き終わったカオスは、テュポーンの両肩を掴んで押し倒した。
 固定されていた足元の氷がバリバリと音を立てて砕け、テュポーンは仰向けに地面に倒れた。
 カオスはその上に馬乗りになって、テュポーンの両腕を抑えつけた。
 倒れたテュポーンの顔の真ん中の穴からは、沸騰した赤黒い血液のようなものが溶岩のようにドロドロと吹き出した。その高熱と衝撃でテュポーンの皮膚は溶けていった。
 テュポーンは恐竜のようにけたたましく呻き声をあげ、苦しんでいた。

「反則級に強いね…!」

 私の背後でネーヴェが叫んだ。
 背ろを振り向くと、そこにいた者たち全員が畏怖の表情でカオスを見上げていた。

 カオスは倒れたテュポーンの体に、鋭い爪を突き刺して攻撃を仕掛けている。
 顔の穴からは流れ出す溶岩のような黒い血液が止まらず、テュポーンの皮膚は溶けたり再生したりを繰り返していた。

「あれは何をしてるの?体をつついてるように見えるけど…」
「カオスはああしてテュポーンの体内の核を探し、取り出そうとしているのでしょう」

 ジュスターはそう説明してくれた。
 私は、ハッとした。

「核って…まさかイドラのこと?」
「そうです。イドラはテュポーンと同化して核となっているはず。核を破壊すればテュポーンは消滅します」
「そんな…!あの爪でイドラを殺すつもりなの?なんとかならないの?」
「イドラの意識はもうとっくにテュポーンに食われて残ってはいないはずです。助けることは無理です」

 ジュスターは無情にもそう云った。
 だけど私はそうは思わない。

「イドラは私に言ったのよ。何があっても諦めないって。きっとまだあの中で頑張ってるんだと思う。早く助けてあげないと!」

 私の言葉を聞いたカナンは、何やらアスタリスにひそひそと耳打ちしていた。
 それに気づいた私は、カナンに問い掛けた。

「カナン、何か策でもあるの?」
「はい。アスタリス、先日言っていた光は見えるか?」
「うん、今はテュポーンの胸の下に見えるよ。以前よりも強く光ってる。見つけてくれっていってるみたいだ」
「光?」

 私には何のことかわからなかった。
 アスタリスはテュポーンの中に光が見え隠れしていることを教えてくれた。
 それが核かどうかはわからないけど、光は動いていて、もしかしたら依り代となっているイドラの可能性もある。

「それ、助けられる?」
「それにはまず、テュポーンの体内に入る必要があります。ですがごらんの通り、テュポーンは強力な再生能力を持っています。並みの者ではその再生能力に押しつぶされてしまうでしょう。万が一、入れたとしても、イドラにたどり着く前にテュポーンの魔力に負けて意識を支配されてしまうかもしれません」
「それじゃ、どうしたら…」
「主、その役目、俺にやらせて欲しい」

 そう申し出たのはラセツだった。

「俺は、肉体的にも魔力的にも並みの魔族より強い。再生しようとする力にも抗って見せる。それに俺にはあれの体内に光るものが見える」

 アスタリスが傍にいた彼を見上げた。

「そうか…、この人ならやれるかもしれない」
「ラセツ、大丈夫なの?」
「無論だ。主に貰ったこの力を役に立てて見せる」
「トワ様、時間がありません。カオスにやられる前に救出しなければ」
「う、うん。ラセツ、お願い。イドラを助けて」
「必ず」

 カナンはラセツに何か話すと、すぐに行動に移した。
 騎士団メンバーも集まってきたところへ、将たち勇者候補一行やゼフォン、アルシエルらも協力を申し出てくれた。
 その間にも、カオスはお構いなしに、テュポーンの体をえぐるように爪を突き立てている。
 ジュスターは、ラセツを止めはしなかったけど、カオスの攻撃を止めることもできないと云った。

「あれはもう魔王様ではありません。テュポーンを滅ぼすという命令を実行するだけの神の現身です」
「そういうとこは魔獣と変わらないのね…」
「はい」

 ラセツは、彼を支援するカナンたちと共にテュポーンの元へ駆け出した。
 私は祈るような気持ちで彼らを見送った。

「無駄かもしれませんが、私もカオスに呼びかけてみます」

 ジュスターはそう云って、カオスの巨体へと飛んで行った。

「お願い。皆、頑張って…!」

 ラセツたちは横たわっているテュポーンの巨体にステップして駆け上がっていった。
 テュポーンの鳩尾みぞおちにあたる部分に光を見つけると、肉体を超硬化させたシトリーが、その鋼鉄よりも硬い拳で鱗で覆われたテュポーンの皮膚を数発殴ると、テュポーンの体に風穴を開けることに成功した。
 ラセツは再生しようとするその穴を強引に手で押し開いて中に侵入していった。
 彼がテュポーンの体内に潜った直後、穴はテュポーンの再生能力により閉じられてしまった。

「ラセツが閉じ込められちゃった!大丈夫かな…」
「トワ様、大丈夫です。きっと戻ってきますよ」

 傍にいたユリウスはそう云うけど、不安でしかたがない。
 その不安は的中して、ラセツの潜っていった所にカオスが鋭い爪で攻撃を仕掛けてきた。
 シトリーやカナンが、体を張ってその攻撃を防ごうとしている。
 私も必死で彼らを回復で支援した。
 邪魔をするカナンたちをカオスは自分の敵だと認識したようで、今度は彼らを攻撃してきた。
 ゼフォンやアルシエルにもカオスは攻撃を加えたけど、彼らは素早く躱した。
 するとカオスは、怒ったのか彼らに向かって首を動かしながら広範囲に光線を吐いた。
 ゾーイが盾で光線を防いだので、テュポーンの上にいたカナンやシトリーたちは無事だったけど、テュポーンの周囲にいた者たちは、光線による高熱で灼熱地獄に巻き込まれた。
 私の立っているところにまで、その熱風が届くほどだ。
 ジュスターがすぐさまそこへ氷結魔法を放って彼らを熱さから救った。
 カオスの爪は、再びラセツの潜った場所へと振り下ろされた。

「やめて!!攻撃しないで!」

 私が叫ぶと、カオスはその手を一瞬止めた。
 カオスの肩で説得を続けているジュスターの言葉が届いたのか、それとも…。

 その時、ネーヴェが指をさして叫んだ。

「見て!テュポーンの腹が…!」

 テュポーンの鳩尾のあたりの鱗が、赤黒く変色し始めたのだ。
 すると、その真上から、カオスが爪を突き立てた。
 その爪は皮膚を破って、テュポーンの腹に突き立てられ、テュポーンの腹に大きな穴を開けた。
 再生しようとするその穴から、真っ黒なスライムのようなものが這い出して来るのが見えた。
 それはよく見るとラセツだった。
 穴が塞がる前になんとかシトリーたちに引き上げられたラセツは、真っ黒いゼリー状のヘドロのようなものにまみれていたのだ。
 そして、その腕にはしっかりとイドラが抱えられていた。
 ホッとしたのも束の間、カオスが再びラセツめがけて爪を振り下ろした。

「やめてええ―!!」

 ラセツのいた場所にはカオスの爪がザックリと突き刺さっていた。
 私は悲鳴を上げて思わず両手で顔を覆った。

「トワ、大丈夫だよ」

 私のすぐ後ろから、その声は聞こえた。
 そっと振り向くと、そこにはアルシエルが立っていて、隣には片膝をついたラセツと腕に抱えられたイドラの姿があった。

「あ…!あなたが助けてくれたのね!良かった…!」

 カナンやシトリーたちも逃げて無事だった。
 私がホッとした直後、テュポーンの断末魔の声が聞こえた。
 見ると、カオスに抑えつけられていたはずのテュポーンの巨体は、黒い砂のように粒子化し、サラサラと大気中に消えていった。
 ゼフォンやエリアナたちはその光景に驚いていた。

「テュポーンが消えていく…!」
「倒した…のか…?」
「テュポーンをやっつけたの?」

 テュポーンが消えたのを目の当たりにした者たちは、歓喜の声を上げた。

 茫然としていた私の目の前に、突然イシュタムが転移して現れた。

「わ!イシュタム?!びっくりしたぁ…!」

 イシュタムは私に声も掛けず、膝をついているラセツの前に歩み出た。
 彼もかなり大柄だと思ったけど、ラセツと比べると小さく見える。
 イシュタムはラセツの腕から気を失っているイドラを受け取り、自分の腕に抱きかかえた。
 彼が声を掛けると、腕の中のイドラはゆっくりと目を覚ました。 

「イシュタム…」
「イドラ、無事か」

 2人は見つめあっていて、そこだけ別世界みたいなことになっている。いつの間にそんないい感じの仲になってたんだろう。
 …なんか邪魔しちゃいけない気分になったけど、私はイドラに声を掛けた。

「イドラ…!平気なの?」
「トワ…?ああ、本当に君だ。また生きて会えるなんて…嬉しいよ」

 イドラは少し衰弱しているように見えたけど、私の顔を見て安堵の笑顔を見せた。
 イドラの体は意識と切り離されてテュポーンの体内で眠りについていたらしい。
 テュポーンが砂のように消えていったことについてイドラは、依り代である自分の体を取り出されたため、実体を維持できなくなって消えていったのだろうと説明した。
 イドラは、テュポーンの意識下でずっと抗っていたため核化を免れたのだという。
 イシュタムが意識体となってテュポーンの意識下に侵入した時、イドラを見つけて、その体に意識を戻したのだそうだ。そしてテュポーンに捕まらないように体内を移動し続け、脱出の機会を伺っていたというから驚きだ。あのボンクラなイシュタムが、そんな器用なことをやってのけるとは思いもしなかった。
 ラセツがテュポーンの中に入ってきてイドラの体を見つけ、抱きかかえて脱出した際、イシュタムの意識体は、ゴラクドールにいた自分の体へと戻されたのだという。イシュタムはその後、ここへ転移してきたのだった。

 あれほど苦しめられたテュポーンが消滅して、私はホッと一息ついた。
 だけど、戦いはまだ終わっていなかった。

「トワ様、危ない!」

 ユリウスが私の体を抱き寄せて、素早く移動させた。
 ほぼ同時に、イシュタムもイドラを抱いて飛び退いた。
 私の目の前に、突然カオスの巨大な爪先が突き立った。ユリウスがいなかったら、串刺しにされていただろう。

「何が起こったの…?」

 私は驚いてカオスを見上げた。
 ジュスターが必死で止めようと説得しているけど、カオスは攻撃をやめなかった。
 今度はイシュタムとラセツを狙って爪を突き立てた。

「テュポーンは消えたのに、どうして…?」 
「そうか…。カオスは私にまだテュポーンの意識が宿っていると思っているんだ」
「ええっ?テュポーンの意識がまだ残ってるの?」
「私の中にはいないが、おそらく私たちが脱出すると同時に憑依していた奴の意識体も逃げ出したのだろう」

 イドラはそう断言した。

「逃げたって…じゃあテュポーンの意識はどこに…?」

 私は注意深く、ラセツを見た。
 まさか、彼に憑りついてたり…?

「俺は大丈夫だ」

 私の視線に気づいたラセツはそう云いながら、体にまとわりついていた黒いヘドロの塊を、手で拭って地面に落としていた。

「ちょっと、それ何?スライムみたいで気持ち悪い…」
「テュポーンの体液のようなものらしい。本体が消えたので、時間と共に消えるとは思うが、気持ちの良いものではない」
「うはあ…」

 私が覗き込むと、地面に落ちた黒いヘドロから、目に見えない何かが、私に向かって飛び出してきた気がした。

「うっ…!」

 胸の中にズシン、と何か重たいものが入ってきた感覚があった。
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