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第七章

テュポーン復活

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「まったく、あのジュスターって騎士団長、奇麗な顔の割に人遣いが荒いよな」

 マルティスがぼやくと、イヴリスがすかさずたしなめた。

「ゴラクドールで何もせずふてくされていたマルティスさんに、ちょうどいい仕事を与えてくださったのに何て言い草ですか」
「その通りだ。休んでないで行くぞ」

 イヴリスとゼフォンは相変わらずマルティスに冷たい。

「私もそう思いますよ、マルティス。それにお金も貰ったじゃないですか」

 確かに、魔王軍にも参加せず、ゴラクドールで鬱鬱としていたマルティスに、偵察に出るゼフォンに同行したらどうかと勧めたのはロアだ。
 気前のいい美貌の騎士団長は、旅費と称して資金をたんまり提供してくれた。マルティスにとってはいい気分転換になったことは否めない。
 マルティスはおとなしく云うことを聞くしかなかった。

「向こうは10万以上の大軍なんだろ?丘づたいに進めばそろそろ軍の尻尾くらい見えてくんじゃねえ?」
「そうですね。オーウェン方面から来るんならこの方向で間違いないはずですから」

 マルティス、ゼフォン、イヴリスにロアを加えた4人は、ジュスターからオーウェン新王国軍の動向を探って来いと斥候の役目を仰せつかった。
 彼らはそれぞれに馬を貰って、気心の知れたメンバーと再び旅に出たのである。
 ちょうどヨナルデ大平原に差し掛かろうという場所で、小休止を取っていたところだった。

 そもそも彼らが斥候として赴くことになったのは、オーウェン新王国に潜入していた聖魔騎士団のカナンが戻って来て、とある情報をジュスターに伝えたからだった。
 それはオーウェン新王国がテュポーンという魔獣を味方につけて、魔王討伐の兵を挙げたというものだった。
 事態を重く見たジュスターは、不在の魔王に代わって魔王軍の出撃準備を進めた。
 少しでも情報が欲しいジュスターは、斥候部隊を派遣することにした。そこで旅慣れているゼフォンに白羽の矢が立ったのだ。ジュスターの配下の騎士団のメンバーが不在だったこともあったが、ゼフォンがジュスターから指名されたことは彼が信頼されている証でもあった。

「兵の構成と数を調べりゃいいんだよな」
「軍馬の数もだ」
「へえへえ」
「偵察用に低級精霊のシルフを飛ばしてみましょうか」
「ああ、イヴリス、頼む」

 ゼフォンが云うと、イヴリスは精霊を召喚した。
 初めてイヴリスの召喚術を見たロアは感心した。

「マクスウェル一族は召喚術に優れると聞きますが、精霊召喚とはまた珍しいですね。すごいものを見ました」
「これでも一応直系なので。ですが直系の一族にはもっとすごい召喚手がいますよ。私自身は見たことがありませんが、自分自身に魔獣や精霊を憑依させられる者がいるとか」
「へえ…!お目にかかりたいものです」

 ロアに褒められて悪い気はしないイヴリスだった。

「トワ様がおられれば、上位精霊を召喚できるのですがね。魔力の消耗が激しいので今は低級しか召喚できませんけど」
「上位精霊はさぞ美しい姿なのでしょうね…!私ではトワ様の代わりにはなれませんが、魔王府からポーションをたくさん頂いてまいりましたので、遠慮なく使ってください」

 ロアは自分の馬に積んでいる荷物の箱の蓋を開けてイヴリスたちに見せた。
 箱の中に入っていた多くの瓶を見て、イヴリスは声を上げた。

「これ、魔力回復もできる高級ポーションじゃないですか!ザグレム領に直接買い付けに行ってもこんなには売ってくれませんよ?す、すごいです…!ロアさんてあの騎士団長と親しいんですか?」
「親しいだなんて、おこがましいです。少し分けてくださいとお願いしただけで…こんな事くらいしかお役に立てなくて申し訳ありません」
「そんだけありゃ一生遊んで暮らせるよな~」

 マルティスが軽口をたたくと、ゼフォンが彼の肩を強く掴んで囁くように云った。

「…おまえ、わかっているのか?これは戦力外のおまえのためにロアが頭を下げてまで手に入れたものなんだぞ?」
「ケッ!戦力外で悪かったな。俺は元々戦士タイプじゃねーんだよ」

 ゼフォンは、マルティスがエンゲージを解消したことで、彼の持つ唯一の戦闘系のスキルである弓スキルが使えなくなったことを云っているのだ。

「マルティスには戦闘以外でも活躍する場面がきっとありますよ」

 ロアがそうフォローすると、マルティスは得意そうに云った。

「ああ、オーウェン軍の奴らに接触できれば精神スキルを使っていろいろ聞き出せるからな」
「マルティスさんの詐欺スキルの出番ですね」
「詐欺って言うな。神スキルって言え」

 マルティスの文句を受け流したイヴリスの元へ、放っていた精霊が戻ってきた。

「見つけたようです」

 イヴリスの案内で、丘づたいに馬で歩いて行く。
 するとマルティスが声を上げた。 

「お、噂をすれば、だな。あれか、オーウェン軍の陣ってのは」
「すごい数だな…」

 小高い丘の上からは、遠くに多くの天幕が張られているのが見える。
 だだっ広いヨナルデ大平原に、これだけの数の軍馬や天幕があるのは、オーウェン軍の他には考えられなかった。

「さて、どうやって近づくかだな」
「おい、向こうを見ろ」

 ゼフォンが指さしたのは、オーウェン軍の陣営の反対方向から立ち上る土煙だった。
 よく見れば、どこかの騎馬軍団らしき一団だった。
 その旗は黒。

「あっちはアトルヘイム軍じゃねーか」
「奴らはオーウェン軍を止めに来たんだな。まあ、自分たちの領土をずいぶんと荒らされたみたいだからな」
「これはチャンスじゃね?漁夫の利ってヤツ…」

 マルティスが自分の計画を話そうとした時だった。
 ふいに地面が大きく揺れた。

「おっと、何だ?地震か?」

 その地震は収まるどころか徐々に強くなっていった。

「こりゃ地震じゃねえな…何が起こってるんだ?」
「私が見てきます」

 イヴリスは高い木の上に軽々と登ってオーウェン軍の方を観察した。
 彼女は大声で叫んだ。

「何か、大きなものが出てきます!」
「何かって何だよ!」
「黒い霧で良く見えなくてわからないんですよ!」
「黒い霧?」

 オーウェン軍の陣営からなにやら黒い霧が空に向かって立ち昇っていくのが見えた。
 その霧に追い立てられるように、軍馬に乗った騎士らが、天幕を放棄して慌てて移動を始めた。
 彼らの背後からは、それを追いかけるように黒い霧が溢れ出している。
 その黒い霧はやがてオーウェン軍の天幕を呑み込んで大きな渦を巻き、竜巻のように空へと立ち昇った。
 その黒い竜巻の中から、何か巨大なものが少しずつ見え隠れする。
 そこから出て来たものを見て、一同は絶句した。

「なんだありゃ…」
「あ…あああ…」

 マルティスは目を見開き、イヴリスは言葉を紡げず、ロアとゼフォンはボーゼンとしてその光景を見ていた。
 黒い竜巻の中から、突如として巨大な2本の腕が現れたのだ。

「ひ、人の…腕…!?」

 イヴリスが云った通り、その腕は筋肉質な男性の腕に見えた。
 人と違うのは、その常軌を逸した大きさである。
 この大きさの腕を持つ者がいるとしたら、それは相当な巨人なのだろうと思われた。
 その巨大な腕は、凄まじい地響きを立てて地上に振り下ろされた。
 爆発にも近い衝撃で、走っていた騎馬が何頭も倒れ、乗っていた騎士らは次々と落馬した。

 地面についた2本の腕に支えられながら、黒い竜巻から現れたのは巨大な人の顔だった。
 人といっても人間や魔族の顔とは異なる容貌で、大きすぎる両目の中は深遠なる闇が覗き、その瞳の中央には真っ赤な炎が燃えていた。
 鼻の代わりに顔の真ん中に大きな穴が1つ空いていて、そこから黒い霧がチリチリと見えている。口は顔の両端まで裂けており、ノコギリの刃のような鋭い歯が二重三重に何百本も生えているのが見えた。その口の端からは数十メートルはありそうな長い舌がダラリと垂れていた。
 後頭部には頭髪はなく、代わりに大きな目が1つついていて、絶えずきょろきょろと辺りを見回している。

「ひっ…!」

 思わず悲鳴を上げたのはロアだった。
 マルティスはサッとロアを守るように傍に立った。

「あれは何ですか…?あの禍々しい姿は…」
「なんて大きさだ…!」

 イヴリスも木から降りて来て、怯えながら思わずゼフォンの腕にしがみついた。

「あれも魔獣なんでしょうか…?」
「わからんが…今までの魔獣とは違うことは確かだ」

 顔から下の上半身は、地表に着いた両腕でほふく前進するかのように這いずって地上に現れた。それは、人の男性のような分厚い胸板を有していた。人とも魔族とも違うその皮膚はヌラヌラとした鉛色の鱗で覆われていた。
 上半身に続いてズルズルと地上に這い出て来た下半身には、巨大な蛇の尻尾がタコの脚のようにウネウネと何本も生えていた。異形の魔獣は、黒い竜巻から完全に這い出ると、その蛇の脚を支えにして器用に立ち上がった。

「でかい…」

 マルティスは思わず唸った。
 地上にその全身を現した魔獣は、立ち上がると山のように巨大で、頭の天辺は雲にかかって地上からは見えにくい程だ。その巨大さはオルトロスやキマイラの比ではなかった。
 巨大な魔獣は上体を前屈させるように曲げると、その大きな2本の腕で、逃げる騎士を馬ごと捕らえ、大きな口に直接放り込んだ。
 不気味な咀嚼音が聞こえた後、騎士の着ていた鎧や武具が、長い舌を使って吐き出された。

「あ、あれは人を食らうんですか…!」

 ロアは驚いていた。

「もしかして、あれが噂に聞くテュポーンなのか…?」

 ゼフォンも慄きながらそう口走った。

「あれがテュポーンなら、オーウェン軍が味方につけたってのは嘘なのか?思いっきり味方を食ってるじゃねーか」
「魔獣などと約束なぞできんということだろう」
「ケッ、連中も気の毒に」
「だいたい魔獣などを操って戦争の道具にしようという方がどうかしている。神罰が下ったのだ」

 ゼフォンはそう断じた。

「こりゃ調査どころの騒ぎじゃねーぞ」
「あんなバケモノとどうやって戦えばいいの…?」

 ロアはマルティスの腕にしがみつきながら云った。

「神殺しの魔獣…てのもあながちハッタリじゃなさそうだ」
「戻ってジュスター様に報告した方がいいんじゃありませんか?」
「だな。ありゃあ、俺たちにゃ手に負えないぜ」

 ロアに促されたマルティスが引き返そうとした時だった。
 急に目の前に複数の人物がパッと現れて、マルティスは声を上げた。

「おわっ!な、何だ!?」

 ゼフォンやロアも彼らを見て驚いていた。
 突然現れた人物たちも、同じように驚いている。

「あんたたちは…」
「どこだここ…」

 それはイシュタムと将たち勇者候補だった。
 優星とカラヴィアもいる。

「あれ?あんた、マルティス…だっけ?何でここにいんだ?」
「そりゃこっちのセリフだっつーの!」

 将ののんびりとした言い草に、驚かされたマルティスは逆切れした。
 イシュタム以外は全員人間で、面識のある者もいるが、そうでない者もいる。
 ロアは、転移してきた中に、自分が以前ハイキックを食らわせた優星の姿を見つけて、怪訝な顔をした。
 イシュタムと転移してきた将は、ゼフォンたちに説明を始めた。

「…ってことで、俺たちはオーウェン軍の天幕にいたんだよ」
「天幕って、あそこですか?」

 イヴリスが指さす方向を、将たちが振り返った。
 彼らは目を見開いて驚愕した。
 先ほどまで自分たちがいた天幕の周辺はすっかり黒い霧に覆われていた。
 そして何より彼らを驚かせたのは、その上にそびえ立つ巨大なバケモノの姿だった。

「何よ、あのでっかいバケモノ…!ってか下が蛇じゃない!!ヤダヤダ!!」
「マジありえねえ…怖えぇぇよ…!」

 エリアナが恐れ慄き、将もブルッと体を震わせた。

「うわぁ…!本当にワタシたち危機一髪だったのね」

 カラヴィアが驚きながらもホッとした表情で云った。

「あれはテュポーンだ」

 イシュタムがそう断言した。
 その言葉に全員が言葉を失った。
 マルティスたちは「やっぱりか」と納得した。

「マジかよ…!あんなデカいのかよ…」
「あれが本体だっていうのか…!」

 将と優星も遠くに見えるテュポーンの全貌を見て畏怖した。

「ゾーイとアマンダはどうなっちゃったの…?」

 エリアナは巨大なバケモノの足元に広がっている、多くの天幕を絶望的な気持ちで見ながら呟いた。
 彼女が救いを求めるように将を見ると、将は首を横に振った。
 あの中にいて助かっているとは思えない。エリアナはぐっと唇をかみしめた。

 彼らの眼下では、逃げ出したオーウェン軍とは反対方向から来たアトルヘイム軍が、巨大なテュポーンの姿を確認して、進軍を停止していた。 
 テュポーンから逃げて来たオーウェン軍は、騎馬と歩兵が交じり合っていて、散り散りに走って来ていた。
 アトルヘイム軍は、もはや隊列をなしていないオーウェン軍と鉢合わせして、大混乱になっていた。アトルヘイム軍は彼らと戦おうとしたが、オーウェン軍はそれどころではないとばかりに、アトルヘイム軍を素通りして別の方向へと逃げていった。

 一体オーウェン軍に何が起こったのかと、アトルヘイム軍も動揺を見せていたが、オーウェン軍が逃げて来た方向にいる巨大なバケモノを見て、その理由を知ったのである。
 アトルヘイムの一軍を率いていたノーマンも目を見張った。

「なんだあれは…」

 アトルヘイム帝国軍の後方にいた皇帝も、その禍々しい魔獣の、あまりの大きさに言葉を失った。
 テュポーンは遥か上空にある口から、言葉を話した。

『崇めよ、人間共。私はこれよりこの世界の主となるテュポーンだ』

 テュポーンはそう名乗って、地鳴りのような低い声で笑う。

『人間共よ、おまえたちは私のエサだ。これからはエサとして私がおまえたちを管理する。助かりたければ隣人を差し出せ』
「誰がバケモノと取引なぞするか!」

 ノーマンはそう云い放つと、全軍に突撃命令を出した。
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