186 / 246
第七章
イドラの思念
しおりを挟む
イシュタムは将たちの推測通り、黒塗りの馬車の中にいた。
突然現れたイシュタムに、イドラの姿を借りたテュポーンは驚いた。
『貴様、どこから現れた…?』
「転移だ。おまえこそここで何をしている?」
『人間と取引したのだ。復活するまでの贄を繋ぐために』
「見返りは何だ」
『こやつらと敵対する人間共を食らってやることだ。ググッ…悪い話ではないだろう?』
「欲深い人間のやりそうなことだな」
『ググッ、貴様もエサにしてやる』
イドラの左胸から黒い霧が湧き出し、イシュタムを包み込んだ。
『ググッ…溶けて私の一部となれ』
「フッ」
それに構わずイシュタムはイドラの左肩を強い力で掴んだ。
『何っ…!』
霧に包まれたイシュタムの身体は、他の人間たち同様、溶かされ消化されるはずだった。
だが彼の肉体には何の変化もなく、そのまま居座った。
『むぅ…!?貴様、なぜだ…』
「現身とはいえ魔界の神である我をおまえごときが取り込もうとは笑止」
『神、だと…?』
この時のイシュタムの言動はトワたちが知っている、ちょっと間の抜けたイシュタムのそれではなく、底知れぬ威厳に満ちていた。
すると黒い霧は、イドラの左胸の中に吸い込まれて消えた。
「…感じるぞ、イドラの思念を」
イシュタムは、イドラに触れたまま、微かに感じるイドラの思念を追って思念の空間へダイブした。
イドラは暗い小さな部屋の片隅で、膝を抱えていた。
思念の流れる世界で、イドラはこの小さな部屋ごと、何もせず、ただ揺蕩っているだけだった。
そんなイドラが想いを馳せるのは、イシュタムのことばかりだ。
バベルの洞窟で初めてイシュタムの現身を見つけた時、伝説の通りの姿に惚れ惚れと見つめたものだった。
まさか、その現身に本物の神が宿るとは思いもしなかった。
短い期間だったが、イシュタムと共に過ごした時間はイドラにとって、初めてのことばかりで心地よいものだった。イシュタムとの仲を取り持ってくれたイシュタルとの関係も興味深いものだった。
イシュタムがイドラの胸から宝玉を取り除こうとしたのも、助けてくれようとしたからであり、殺そうとしていたわけではないのだろう。
冷静に考えればわかることだったのに、まんまとテュポーンの術中にはまって、心を乗っ取られてしまった。
だが、この想いだけは手放すわけにはいかない。
イドラの最後の意識は、その想いだけで繋がれていた。
この部屋はイドラの意識の最後の砦であり、テュポーンはこの部屋ごと丸呑みしようと隙を伺っている。
意識がすべて乗っ取られてしまえば、テュポーンは自らを依り代として、未だ魔界にある本体を召喚し、こちらの世界に復活するだろう。
テュポーンがこの世界で復活する目的は人間を食らうことだ。
それは魔界の神イシュタムによってそのように作られたのだから、本能に従った行動なのである。
意識を共有しているイドラにはテュポーンの考えていることが手に取るようにわかる。
かつてのテュポーンは食欲という欲望の塊だった。
ところが長年イドラの意識下に潜むうち、欲望を叶えるための知恵をつけるようになった。
テュポーンはただの食欲の塊から、『生き物』へと変化しつつある。
魔獣召喚の宝玉はイドラの体内に同化し、偶然か必然かイドラの体を媒介して魔界への道を繋げてしまった。その道は通常魔界の扉によって閉じられており、イドラが魔獣召喚を行う時にだけ開かれる。
テュポーンはイドラが魔獣召喚を行うたびに開かれる魔界の扉を通って、密かに魔界から忍び込み、イドラの知らぬ間に徐々に意識を侵食していったのである。
テュポーンが復活すれば世界中の人間と魔族がテュポーンのエサとなるだろう。
その復活を阻むためには、意識を支配されないようにするしかない。
強固な意識を持てば、テュポーンといえど容易く呑み込めはしない。
そのイドラの想いを支えているのは、イシュタムの言葉だった。
こうなってしまってはもう会うことは叶わないだろうと思いつつも、まだ信じている自分がいる。
必ず助けると云った、彼の言葉を。
その微かな希望の思念を、イシュタムは感じ取った。
「イドラ…」
イドラの意識はまだかすかに残っている。
だが彼にはそこへ行く術がない。
他人の意識下へ潜り込めるのは、彼の知る限り1人しかいない。
イシュタムの意識はそのままトワの思念を追って亜空間を飛んでいった。
イシュタムから体を託されたイシュタルは、馬車の中でテュポーンと向かい合い、無言で睨みあっていた。
イシュタムの意識はどこかへ行ってしまい、突然1人にされた彼は、どうしたものかと考えあぐねていた。目の前にいるイドラはテュポーンというバケモノに支配されている。
こんな状況で後を託されたイシュタルとしてはたまったものではない。
まったく、勝手な神だ、と彼は心の中で文句を云った。
テュポーンの方も、黒い霧が効かないイシュタムに対し、身動きが取れない状態だった。
2人の間には、沈黙が流れたままだった。
その沈黙を破ったのは、馬車の外から掛けられた声だった。
「イシュタム、そこにいるのか?」
「いたら返事をしてください!」
「テュポーンってヤツもそこにいるの?」
イシュタルはその声に聞き覚えがあった。
あの勇者候補たちの声だ。
イシュタルの表情が少しだけ動いたのを、テュポーンは見逃さなかった。
『ググッ、エサが来たか。ここから出て行かねば外の奴らを食らうぞ』
「待て、外の人間に手を出すな」
イシュタルは、馬車の扉を開けて、外へ出た。
馬車の外にいたのは予想通り、将たち勇者候補だった。
「イシュタム!やっぱりここにいたのね!だ、大丈夫なの?」
「あの霧は平気だったの?」
「中にいたのはイドラか?テュポーンは?」
自分たちがイシュタルの弱点になったとも知らず、彼らは矢継ぎ早に質問を投げかけてくる。
イシュタルは馬車の扉を閉めて、彼らを馬車から遠ざけようとした。
すると将は逆にイシュタムを馬車の影に連れ込んだ。
「誰かに見られたらマズイだろ。あんた見たまんま魔族だし」
幸い、この馬車の周辺には人が寄り付かないため、誰にもイシュタムが見咎められることはなかった。
アマンダがローブを取ってくると云って天幕へ走って行った。
イシュタルは優星の元の姿を知っていたので、元に戻れたのかと自分のことのように喜んだ。
だが優星は、記憶を失って以降、初めて見る魔族に驚いていた。
将は優星のことをイシュタルに説明するのを面倒くさがって、いろいろあって記憶を失っている、とだけ説明した。
アマンダがローブを持って来てイシュタムに着せたが、ローブ職の人間にしては大きすぎて不自然だった。何よりその額の大きな角は覆い隠すのが難しい。この角のせいで人間のフリをするのを諦め、人目を避けてとりあえず自分たちの天幕へと連れて行った。
ゾーイは1人で父親と話したいと云い、将たちと別れて宰相の天幕へと向かった。
「おお、ゾーイか。座りなさい」
宰相は、天幕の中に置かれた椅子を息子に勧め、膝を突き合わせて話をすることにした。
「父上のおっしゃっていた切り札とは、あの馬車の中の者ですか」
「ああ、誰かから聞いたのかね?そうだ。あの馬車の中にはテュポーンと名乗る者がいる」
「テュポーンというのは伝説の魔獣の名ですが…」
「もちろん知っておるとも。だが、そんなものは存在しない。どうせ伝説の魔獣を騙る魔族だ」
「魔族ですって?」
「ああ、そうだ。特殊なスキルを持つ魔族だよ。1日に1人人間を生贄にくれとかいうので、こちらの戦力になってもらうよう取引をしたんだ。人間を食らう魔族がいるというのは驚きだったがね」
「…」
ゾーイの父親は、あの馬車の中にいる者を単なる魔族だと思っているようだった。
魔族が人間を食うなど酷い誤解と偏見だが、これも魔族に対する無知と無関心のせいなのだろう。
「だが、あの黒い霧を出すスキルは大したものだ。あの霧に触れると人間は消えてしまうのだよ。あの魔族はその霧を自在に操るのだ」
「そんな恐ろしいスキルの使い手が、裏切るとは考えないのですか」
「ああ、そんな心配はいらない」
「なぜです?」
ゾーイは父親の秘密を知っていたが、あえて知らないフリをした。
宰相はやけに自分の右の袖口をチラチラを見ている。そこに例の宝玉を隠し持っているのがバレバレだ。
宰相はわざと話を逸らせた。
「まあ、良いではないか、そんなことは。それより今まで何をしていたのか、話してくれないか」
父はやはり息子にも秘密を漏らす気がないようだ。
その時、天幕の外で護衛の兵士の慌てる声が聞こえて来た。
あまりに騒がしいので、宰相とゾーイが天幕を出ると、黒い霧がすぐ間近まで迫って来ていた。
「な…!なんだこれは…!こんなバカな…」
「すぐに逃げましょう」
「何かの間違いだ!あれが裏切るはずがない…!」
宰相は慌てて自分の袖から宝玉を取り出した。
ゾーイは、そのテニスボールほどの大きさの透明な玉を見た。
「私が説得する!」
宰相はその玉を手に、馬車の方へ向かおうとしたが、息子によって制止された。
「自殺するつもりですか!」
「離せ!これは何かの間違いだ!もう一度説得を…」
「説得なんかできる相手ではないと、なぜわからないんです?」
ゾーイは父親の手からその宝玉をつかみ取った。
「何をする!?」
「こんなものに頼るから、おかしなことになったんだ」
「返せ!それがないと私は…」
「まだ気づかないんですか!それに操られているのはあなたの方だということに!」
ゾーイはその宝玉を思いっきり地面に叩きつけた。
その衝撃で宝玉は、粉々に割れてしまった。
「うわああああ!な、何ということを…!」
宰相は地面に跪き、粉々に割れた宝玉を前に嘆いていた。
「早く逃げましょう!」
ゾーイは盾を構えながら父親の腕を無理矢理引っ張って、天幕から逃げ出した。
一方、将たちはローブをかぶせたイシュタムを連れて天幕へ戻った。
その時、ちょうど戻ってきたカラヴィアと鉢合わせした。
カラヴィアはイシュタムを見て驚いていた。
「ちょっと…こいつまで一緒!?」
「この人、あの馬車の中にいたのよ」
「はぁ?」
エリアナの説明にカラヴィアは混乱した。
「あの馬車にはイドラがいたのだ」
「へ?イドラ…?いやいや、あの馬車にはテュポーンて怪物がいたはずよ?」
「テュポーンはイドラの身体を乗っ取った」
「乗っ取った…って、じゃあ、イドラがテュポーン!?」
「待て。イシュタムが戻ってきた」
「ん?戻ってきたってどゆこと?ちょっともう、ワケわかんない!」
カラヴィアが混乱して大声を張り上げていると、イシュタムは急に立ち上がって将たちに向かって声を荒げた。
「急いでここを離れろ!あれが復活しようとしている」
「あれって何だよ?」
「ともかく急げ!」
「意味わかんねえ!ちゃんと説明しろよ」
将がイシュタムに噛みついた。
「もしかしてテュポーンが攻撃してくるんじゃ?」
優星が云うと、エリアナが「マジ?」と聞き返した。
カラヴィアが天幕の外を覗いて叫んだ。
「ちょ…!ヤバイじゃん!黒い霧みたいなのがこっちへ来るわ!」
「ええっ?!」
「黒い霧って、飲まれると食われるって奴か」
「間に合わぬ」
イシュタムが諦めたように云った。
「あんた転移できんでしょ?ここにいる皆を連れて転移してよ」
カラヴィアが云うと、イシュタムは目を瞑った。
「…近くに強い思念を持つ魔族がいるな…。よし、そこへ転移する」
イシュタムが云うと、アマンダが慌てて云った。
「待ってください!ゾーイさんがいません!私、呼んできます!」
アマンダは天幕を飛び出して行った。
「アマンダ!ダメよ、戻って!!」
エリアナが叫んだ直後、天幕の中にいた者は全員、イシュタムの転移によりその場から姿を消した。
突然現れたイシュタムに、イドラの姿を借りたテュポーンは驚いた。
『貴様、どこから現れた…?』
「転移だ。おまえこそここで何をしている?」
『人間と取引したのだ。復活するまでの贄を繋ぐために』
「見返りは何だ」
『こやつらと敵対する人間共を食らってやることだ。ググッ…悪い話ではないだろう?』
「欲深い人間のやりそうなことだな」
『ググッ、貴様もエサにしてやる』
イドラの左胸から黒い霧が湧き出し、イシュタムを包み込んだ。
『ググッ…溶けて私の一部となれ』
「フッ」
それに構わずイシュタムはイドラの左肩を強い力で掴んだ。
『何っ…!』
霧に包まれたイシュタムの身体は、他の人間たち同様、溶かされ消化されるはずだった。
だが彼の肉体には何の変化もなく、そのまま居座った。
『むぅ…!?貴様、なぜだ…』
「現身とはいえ魔界の神である我をおまえごときが取り込もうとは笑止」
『神、だと…?』
この時のイシュタムの言動はトワたちが知っている、ちょっと間の抜けたイシュタムのそれではなく、底知れぬ威厳に満ちていた。
すると黒い霧は、イドラの左胸の中に吸い込まれて消えた。
「…感じるぞ、イドラの思念を」
イシュタムは、イドラに触れたまま、微かに感じるイドラの思念を追って思念の空間へダイブした。
イドラは暗い小さな部屋の片隅で、膝を抱えていた。
思念の流れる世界で、イドラはこの小さな部屋ごと、何もせず、ただ揺蕩っているだけだった。
そんなイドラが想いを馳せるのは、イシュタムのことばかりだ。
バベルの洞窟で初めてイシュタムの現身を見つけた時、伝説の通りの姿に惚れ惚れと見つめたものだった。
まさか、その現身に本物の神が宿るとは思いもしなかった。
短い期間だったが、イシュタムと共に過ごした時間はイドラにとって、初めてのことばかりで心地よいものだった。イシュタムとの仲を取り持ってくれたイシュタルとの関係も興味深いものだった。
イシュタムがイドラの胸から宝玉を取り除こうとしたのも、助けてくれようとしたからであり、殺そうとしていたわけではないのだろう。
冷静に考えればわかることだったのに、まんまとテュポーンの術中にはまって、心を乗っ取られてしまった。
だが、この想いだけは手放すわけにはいかない。
イドラの最後の意識は、その想いだけで繋がれていた。
この部屋はイドラの意識の最後の砦であり、テュポーンはこの部屋ごと丸呑みしようと隙を伺っている。
意識がすべて乗っ取られてしまえば、テュポーンは自らを依り代として、未だ魔界にある本体を召喚し、こちらの世界に復活するだろう。
テュポーンがこの世界で復活する目的は人間を食らうことだ。
それは魔界の神イシュタムによってそのように作られたのだから、本能に従った行動なのである。
意識を共有しているイドラにはテュポーンの考えていることが手に取るようにわかる。
かつてのテュポーンは食欲という欲望の塊だった。
ところが長年イドラの意識下に潜むうち、欲望を叶えるための知恵をつけるようになった。
テュポーンはただの食欲の塊から、『生き物』へと変化しつつある。
魔獣召喚の宝玉はイドラの体内に同化し、偶然か必然かイドラの体を媒介して魔界への道を繋げてしまった。その道は通常魔界の扉によって閉じられており、イドラが魔獣召喚を行う時にだけ開かれる。
テュポーンはイドラが魔獣召喚を行うたびに開かれる魔界の扉を通って、密かに魔界から忍び込み、イドラの知らぬ間に徐々に意識を侵食していったのである。
テュポーンが復活すれば世界中の人間と魔族がテュポーンのエサとなるだろう。
その復活を阻むためには、意識を支配されないようにするしかない。
強固な意識を持てば、テュポーンといえど容易く呑み込めはしない。
そのイドラの想いを支えているのは、イシュタムの言葉だった。
こうなってしまってはもう会うことは叶わないだろうと思いつつも、まだ信じている自分がいる。
必ず助けると云った、彼の言葉を。
その微かな希望の思念を、イシュタムは感じ取った。
「イドラ…」
イドラの意識はまだかすかに残っている。
だが彼にはそこへ行く術がない。
他人の意識下へ潜り込めるのは、彼の知る限り1人しかいない。
イシュタムの意識はそのままトワの思念を追って亜空間を飛んでいった。
イシュタムから体を託されたイシュタルは、馬車の中でテュポーンと向かい合い、無言で睨みあっていた。
イシュタムの意識はどこかへ行ってしまい、突然1人にされた彼は、どうしたものかと考えあぐねていた。目の前にいるイドラはテュポーンというバケモノに支配されている。
こんな状況で後を託されたイシュタルとしてはたまったものではない。
まったく、勝手な神だ、と彼は心の中で文句を云った。
テュポーンの方も、黒い霧が効かないイシュタムに対し、身動きが取れない状態だった。
2人の間には、沈黙が流れたままだった。
その沈黙を破ったのは、馬車の外から掛けられた声だった。
「イシュタム、そこにいるのか?」
「いたら返事をしてください!」
「テュポーンってヤツもそこにいるの?」
イシュタルはその声に聞き覚えがあった。
あの勇者候補たちの声だ。
イシュタルの表情が少しだけ動いたのを、テュポーンは見逃さなかった。
『ググッ、エサが来たか。ここから出て行かねば外の奴らを食らうぞ』
「待て、外の人間に手を出すな」
イシュタルは、馬車の扉を開けて、外へ出た。
馬車の外にいたのは予想通り、将たち勇者候補だった。
「イシュタム!やっぱりここにいたのね!だ、大丈夫なの?」
「あの霧は平気だったの?」
「中にいたのはイドラか?テュポーンは?」
自分たちがイシュタルの弱点になったとも知らず、彼らは矢継ぎ早に質問を投げかけてくる。
イシュタルは馬車の扉を閉めて、彼らを馬車から遠ざけようとした。
すると将は逆にイシュタムを馬車の影に連れ込んだ。
「誰かに見られたらマズイだろ。あんた見たまんま魔族だし」
幸い、この馬車の周辺には人が寄り付かないため、誰にもイシュタムが見咎められることはなかった。
アマンダがローブを取ってくると云って天幕へ走って行った。
イシュタルは優星の元の姿を知っていたので、元に戻れたのかと自分のことのように喜んだ。
だが優星は、記憶を失って以降、初めて見る魔族に驚いていた。
将は優星のことをイシュタルに説明するのを面倒くさがって、いろいろあって記憶を失っている、とだけ説明した。
アマンダがローブを持って来てイシュタムに着せたが、ローブ職の人間にしては大きすぎて不自然だった。何よりその額の大きな角は覆い隠すのが難しい。この角のせいで人間のフリをするのを諦め、人目を避けてとりあえず自分たちの天幕へと連れて行った。
ゾーイは1人で父親と話したいと云い、将たちと別れて宰相の天幕へと向かった。
「おお、ゾーイか。座りなさい」
宰相は、天幕の中に置かれた椅子を息子に勧め、膝を突き合わせて話をすることにした。
「父上のおっしゃっていた切り札とは、あの馬車の中の者ですか」
「ああ、誰かから聞いたのかね?そうだ。あの馬車の中にはテュポーンと名乗る者がいる」
「テュポーンというのは伝説の魔獣の名ですが…」
「もちろん知っておるとも。だが、そんなものは存在しない。どうせ伝説の魔獣を騙る魔族だ」
「魔族ですって?」
「ああ、そうだ。特殊なスキルを持つ魔族だよ。1日に1人人間を生贄にくれとかいうので、こちらの戦力になってもらうよう取引をしたんだ。人間を食らう魔族がいるというのは驚きだったがね」
「…」
ゾーイの父親は、あの馬車の中にいる者を単なる魔族だと思っているようだった。
魔族が人間を食うなど酷い誤解と偏見だが、これも魔族に対する無知と無関心のせいなのだろう。
「だが、あの黒い霧を出すスキルは大したものだ。あの霧に触れると人間は消えてしまうのだよ。あの魔族はその霧を自在に操るのだ」
「そんな恐ろしいスキルの使い手が、裏切るとは考えないのですか」
「ああ、そんな心配はいらない」
「なぜです?」
ゾーイは父親の秘密を知っていたが、あえて知らないフリをした。
宰相はやけに自分の右の袖口をチラチラを見ている。そこに例の宝玉を隠し持っているのがバレバレだ。
宰相はわざと話を逸らせた。
「まあ、良いではないか、そんなことは。それより今まで何をしていたのか、話してくれないか」
父はやはり息子にも秘密を漏らす気がないようだ。
その時、天幕の外で護衛の兵士の慌てる声が聞こえて来た。
あまりに騒がしいので、宰相とゾーイが天幕を出ると、黒い霧がすぐ間近まで迫って来ていた。
「な…!なんだこれは…!こんなバカな…」
「すぐに逃げましょう」
「何かの間違いだ!あれが裏切るはずがない…!」
宰相は慌てて自分の袖から宝玉を取り出した。
ゾーイは、そのテニスボールほどの大きさの透明な玉を見た。
「私が説得する!」
宰相はその玉を手に、馬車の方へ向かおうとしたが、息子によって制止された。
「自殺するつもりですか!」
「離せ!これは何かの間違いだ!もう一度説得を…」
「説得なんかできる相手ではないと、なぜわからないんです?」
ゾーイは父親の手からその宝玉をつかみ取った。
「何をする!?」
「こんなものに頼るから、おかしなことになったんだ」
「返せ!それがないと私は…」
「まだ気づかないんですか!それに操られているのはあなたの方だということに!」
ゾーイはその宝玉を思いっきり地面に叩きつけた。
その衝撃で宝玉は、粉々に割れてしまった。
「うわああああ!な、何ということを…!」
宰相は地面に跪き、粉々に割れた宝玉を前に嘆いていた。
「早く逃げましょう!」
ゾーイは盾を構えながら父親の腕を無理矢理引っ張って、天幕から逃げ出した。
一方、将たちはローブをかぶせたイシュタムを連れて天幕へ戻った。
その時、ちょうど戻ってきたカラヴィアと鉢合わせした。
カラヴィアはイシュタムを見て驚いていた。
「ちょっと…こいつまで一緒!?」
「この人、あの馬車の中にいたのよ」
「はぁ?」
エリアナの説明にカラヴィアは混乱した。
「あの馬車にはイドラがいたのだ」
「へ?イドラ…?いやいや、あの馬車にはテュポーンて怪物がいたはずよ?」
「テュポーンはイドラの身体を乗っ取った」
「乗っ取った…って、じゃあ、イドラがテュポーン!?」
「待て。イシュタムが戻ってきた」
「ん?戻ってきたってどゆこと?ちょっともう、ワケわかんない!」
カラヴィアが混乱して大声を張り上げていると、イシュタムは急に立ち上がって将たちに向かって声を荒げた。
「急いでここを離れろ!あれが復活しようとしている」
「あれって何だよ?」
「ともかく急げ!」
「意味わかんねえ!ちゃんと説明しろよ」
将がイシュタムに噛みついた。
「もしかしてテュポーンが攻撃してくるんじゃ?」
優星が云うと、エリアナが「マジ?」と聞き返した。
カラヴィアが天幕の外を覗いて叫んだ。
「ちょ…!ヤバイじゃん!黒い霧みたいなのがこっちへ来るわ!」
「ええっ?!」
「黒い霧って、飲まれると食われるって奴か」
「間に合わぬ」
イシュタムが諦めたように云った。
「あんた転移できんでしょ?ここにいる皆を連れて転移してよ」
カラヴィアが云うと、イシュタムは目を瞑った。
「…近くに強い思念を持つ魔族がいるな…。よし、そこへ転移する」
イシュタムが云うと、アマンダが慌てて云った。
「待ってください!ゾーイさんがいません!私、呼んできます!」
アマンダは天幕を飛び出して行った。
「アマンダ!ダメよ、戻って!!」
エリアナが叫んだ直後、天幕の中にいた者は全員、イシュタムの転移によりその場から姿を消した。
0
お気に入りに追加
227
あなたにおすすめの小説
辺境領主は大貴族に成り上がる! チート知識でのびのび領地経営します
潮ノ海月@書籍発売中
ファンタジー
旧題:転生貴族の領地経営~チート知識を活用して、辺境領主は成り上がる!
トールデント帝国と国境を接していたフレンハイム子爵領の領主バルトハイドは、突如、侵攻を開始した帝国軍から領地を守るためにルッセン砦で迎撃に向かうが、守り切れず戦死してしまう。
領主バルトハイドが戦争で死亡した事で、唯一の後継者であったアクスが跡目を継ぐことになってしまう。
アクスの前世は日本人であり、争いごとが極端に苦手であったが、領民を守るために立ち上がることを決意する。
だが、兵士の証言からしてラッセル砦を陥落させた帝国軍の数は10倍以上であることが明らかになってしまう
完全に手詰まりの中で、アクスは日本人として暮らしてきた知識を活用し、さらには領都から避難してきた獣人や亜人を仲間に引き入れ秘策を練る。
果たしてアクスは帝国軍に勝利できるのか!?
これは転生貴族アクスが領地経営に奮闘し、大貴族へ成りあがる物語。
転生したら死んだことにされました〜女神の使徒なんて聞いてないよ!〜
家具屋ふふみに
ファンタジー
大学生として普通の生活を送っていた望水 静香はある日、信号無視したトラックに轢かれてそうになっていた女性を助けたことで死んでしまった。が、なんか助けた人は神だったらしく、異世界転生することに。
そして、転生したら...「女には荷が重い」という父親の一言で死んだことにされました。なので、自由に生きさせてください...なのに職業が女神の使徒?!そんなの聞いてないよ?!
しっかりしているように見えてたまにミスをする女神から面倒なことを度々押し付けられ、それを与えられた力でなんとか解決していくけど、次から次に問題が起きたり、なにか不穏な動きがあったり...?
ローブ男たちの目的とは?そして、その黒幕とは一体...?
不定期なので、楽しみにお待ち頂ければ嬉しいです。
拙い文章なので、誤字脱字がありましたらすいません。報告して頂ければその都度訂正させていただきます。
小説家になろう様でも公開しております。
30代社畜の私が1ヶ月後に異世界転生するらしい。
ひさまま
ファンタジー
前世で搾取されまくりだった私。
魂の休養のため、地球に転生したが、地球でも今世も搾取されまくりのため魂の消滅の危機らしい。
とある理由から元の世界に戻るように言われ、マジックバックを自称神様から頂いたよ。
これで地球で買ったものを持ち込めるとのこと。やっぱり夢ではないらしい。
取り敢えず、明日は退職届けを出そう。
目指せ、快適異世界生活。
ぽちぽち更新します。
作者、うっかりなのでこれも買わないと!というのがあれば教えて下さい。
脳内の空想を、つらつら書いているのでお目汚しな際はごめんなさい。
異世界着ぐるみ転生
こまちゃも
ファンタジー
旧題:着ぐるみ転生
どこにでもいる、普通のOLだった。
会社と部屋を往復する毎日。趣味と言えば、十年以上続けているRPGオンラインゲーム。
ある日気が付くと、森の中だった。
誘拐?ちょっと待て、何この全身モフモフ!
自分の姿が、ゲームで使っていたアバター・・・二足歩行の巨大猫になっていた。
幸い、ゲームで培ったスキルや能力はそのまま。使っていたアイテムバッグも中身入り!
冒険者?そんな怖い事はしません!
目指せ、自給自足!
*小説家になろう様でも掲載中です
矢車菊の花咲く丘で
六道イオリ/剣崎月
ファンタジー
ある日カサンドラは
墓地で怪我をした老人と見知らぬ男に遭遇した
その老人から行方不明になった娘を探して欲しいと頼まれる
行方不明になった娘の行方を
墓地で会った見知らぬ男ことトリスタンを手下に加え娘の行方を追うことに――
「そんなこともあったわね」
「はいはい、ありましたね、姫さま」
二人は小高い丘から青い花が咲く平原を眺める
※重複投稿※
転生貴族のスローライフ
マツユキ
ファンタジー
現代の日本で、病気により若くして死んでしまった主人公。気づいたら異世界で貴族の三男として転生していた
しかし、生まれた家は力主義を掲げる辺境伯家。自分の力を上手く使えない主人公は、追放されてしまう事に。しかも、追放先は誰も足を踏み入れようとはしない場所だった
これは、転生者である主人公が最凶の地で、国よりも最強の街を起こす物語である
*基本は1日空けて更新したいと思っています。連日更新をする場合もありますので、よろしくお願いします
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
婚約破棄された検品令嬢ですが、冷酷辺境伯の子を身籠りました。 でも本当はお優しい方で毎日幸せです
青空あかな
恋愛
旧題:「荷物検査など誰でもできる」と婚約破棄された検品令嬢ですが、極悪非道な辺境伯の子を身籠りました。でも本当はお優しい方で毎日心が癒されています
チェック男爵家長女のキュリティは、貴重な闇魔法の解呪師として王宮で荷物検査の仕事をしていた。
しかし、ある日突然婚約破棄されてしまう。
婚約者である伯爵家嫡男から、キュリティの義妹が好きになったと言われたのだ。
さらには、婚約者の権力によって検査係の仕事まで義妹に奪われる。
失意の中、キュリティは辺境へ向かうと、極悪非道と噂される辺境伯が魔法実験を行っていた。
目立たず通り過ぎようとしたが、魔法事故が起きて辺境伯の子を身ごもってしまう。
二人は形式上の夫婦となるが、辺境伯は存外優しい人でキュリティは温かい日々に心を癒されていく。
一方、義妹は仕事でミスばかり。
闇魔法を解呪することはおろか見破ることさえできない。
挙句の果てには、闇魔法に呪われた荷物を王宮内に入れてしまう――。
※おかげさまでHOTランキング1位になりました! ありがとうございます!
※ノベマ!様で短編版を掲載中でございます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる