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第七章

聖魔の価値

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 魔王は世界各国にゴラクドールを制圧したことを布告し、同時に衝撃的な発表をした。
 全世界に、トワの存在を公表したのだ。
 トワの身を守るために、公表されたのは『聖魔』という称号のみだったが、世界中の人間を驚かせたのは、その聖魔が魔族を回復させられる力を持っているということだった。
『聖魔』についての情報は指揮官クラス以上の魔族たちのみが知るトップシークレットとされ、魔王の側近以外の者たちがトワの名を呼ぶことは許されなかった。
 一般の魔族たちは『聖魔様』や『聖魔の乙女』などと呼んで最大限の敬意を払った。

 そんな荒唐無稽な話を、初めて聞いた者たちはなかなか信じなかった。
 ゴラクドールの中央広場の暴動で傷ついた者たちが、その傷を治してもらったと口々に宣伝して回ったが、『聖魔』の存在の信憑性については限定的であり、魔王が人間を威嚇するために流したデマだとか、誰かがポーションを使っただけだとか、都市伝説的にとらえる者も少なくなかった。

 魔王は、ザグレムの滞在していた広場前の高級ホテルを臨時の魔王府とした。人間がいなくても、このホテルの運営管理はアザドーの魔族が仕切っており、以前と問題なくホテルとしての機能は保たれていたからだ。
 都市にいた人間のほとんどは都市の外へと避難したが、残った魔族たちは今までと変わらず仕事をしていたので、都市機能は以前と変わりなく保たれた。
 魔王はこの都市の莫大な金と食糧庫を回収し、それらをうまく管理させるために空間転移で魔王城から事務方の大臣を何人か連れてきた。
 都市の運営を任された大臣たちは、都市に流入してくる魔族たちが飢えないように食料を配分したり、空室になった人間たちの住居を与えた。市内に残っていた魔族たちには、仕事を継続できるようにし、人間がいなくなったことで職を失った者は魔王軍へ参加するか魔王府で働くことを勧めたりと、さっそくその手腕を発揮しだした。

 軍事面に関しては魔王本人が采配を振るった。
 魔王はサレオスを空間転移で前線基地へ戻し、出兵の準備をするよう命じた。
 同時に魔王城のダンタリアンや各魔貴族にも伝達し、魔王本軍の戦力の一部を前線基地とゴラクドールに送るよう命じた。ザグレムにも中央国境に兵を進軍させるよう命じたが、彼はすべてを愛人たちに任せて自分はゴラクドールの魔王府に残っていた。
 マクスウェル軍の増援も到着し、ゴラクドールは完全に魔族の基地となった。

 魔王が人間側に与えた3か月という期間は、ゴラクドールと前線基地の兵力が整う期間である。
 つまり、3か月後には戦争が始められる準備が整うということを意味していた。
 魔王の元にはペルケレ共和国からの使者が何度も訪れていたが、門前払いされた。

 約束の三か月を一月ほど過ぎた頃、ついにペルケレ共和国の派遣した傭兵の大部隊がゴラクドールに向けて出撃した。その目的は領主のエドワルズ・ヒースと都市の奪還である。この部隊は協力を申し出た各国からの軍の混成部隊となっており、総勢10万という大軍であった。
 キュロスの傭兵本部は『聖魔』の噂を聞いてはいたが、はったりだと決めつけていた。それに万が一それが本当だったとしてもこちらは10万という大軍であり、たかだか回復士の1人くらい、どうということはない、と高を括っていた。

 このペルケレ軍進軍の情報はキュロスから脱走してきた傭兵の魔族からもたらされた。
 魔王軍はマクスウェル軍を中心として、ゴラクドールで急造された軍と合わせて7万の兵で迎え撃つことになった。
 2つの軍はゴラクドールから数十キロ離れた平原でぶつかり合った。

 まず先鋒部隊の3万の傭兵部隊が魔王軍の先鋒隊に切り込んだ。
 人間のみで構成された傭兵部隊には、回復士も混じっており、戦況は回復可能な傭兵混成部隊が有利に見えた。
 魔王軍の先鋒隊は比較的大柄で屈強な魔族の歩兵が中心であった。体力のある魔族たちはなかなか倒れず、傭兵たちはそこそこ苦戦を強いられたが、彼らには回復という有利な手段があるため、力づくで攻め込んでいった。
 すると魔族の先鋒隊は押し戻されるように散開し、陣形を崩して後退し始めた。

 先鋒隊の後退と入れ替わるように、魔王軍の第二陣が前に出て来た。
 先鋒隊を退けて意気が上がっていた傭兵たちは、そのまま進軍した。
 だが彼らはその第二陣の先頭すら突破できなかった。
 第二陣の先頭には恐ろしく腕の立つ魔族らがいたのだ。
 彼らは縦横無尽に駆け回り、傭兵たちをなぎ倒していった。
 まるで彼ら1人1人が数千人分の働きをしているようにみえた。
 それはジュスターをはじめとする聖魔騎士団やゼフォンたちであった。
 ジュスターが範囲魔法で兵たちを氷漬けにする傍らで、ゼフォンが彼らを槍の範囲スキルの餌食にしていく。
 彼らはあまりにも強すぎて、負傷者が大量に出た。
 回復士たちは、先鋒との戦いで魔力を相当に奪われていたため、回復が追い付かない。
 それでも傭兵たちは、自前のポーションを飲みながらなんとか戦い続けていた。彼らのモチベーションは、魔族は回復ができない、ということだった。

 ところが、ここで傭兵たちは、あることに気が付いた。倒したはずの先鋒隊の魔族たちが第二陣に混じって押し寄せてきたのだ。彼らはヒットアンドアウェイを繰り返し、傭兵部隊をチクチクといたぶってくる。
 1人の傭兵は、弓で射られて倒れた魔族が、その数秒後には自ら弓を抜いて立ち上がってくるのを見た。
 また別の者は、槍で貫いて倒したはずの魔族が、通り過ぎた後に起き上がり、背後から襲い掛かられて命を落とした。
 倒しても起き上がってくる魔族がいる。
 最初はポーションだろう、と考えてそれほど気にしていなかったが、それが1人や2人ではないことから、戦場にいる傭兵たちは、その違和感にようやく気付き始めた。

 それが『聖魔』の仕業だとわかったのは、魔族たちが口々に『聖魔様、感謝します!』という言葉を発していたからだ。
 噂レベルでしか『聖魔』の認識がなかった傭兵たちは、慌てて『聖魔』を探したが、見当たらない。そもそも『聖魔』とはどんな者なのか、一切情報がないため、探しようがなかった。
 だが、彼らがいくら探しても『聖魔』を見つけられないのは当然だった。
 実は彼女は戦場から遠く離れた都市を囲む城壁の上から彼らを見ていたのだ。傭兵部隊はまさかそんな遠方から回復できる者がいるとは想像すらしていなかった。トワは、隣にいたアスタリスの<遠見>を利用して広範囲回復魔法を放っていたのだ。

「目に見える者を回復できるんなら、アスタリスの<視覚共有>でもいけるんじゃない?」

 と彼女が云い出したので、試しに実戦でやってみることにしたのだ。
 ダメならカイザーに乗って戦場まで出て行けば済むことだ。
 そしてそれは上手くいった。
 それを隣で見ていた魔王はさすがに呆れていた。

「おまえ1人で100万の兵を癒せるのではないか?」

 と冗談まじりに云ったが、アスタリスはそれは決して冗談ではないと思った。

 傭兵部隊は第二陣、三陣を戦場に投入してきた。
 それに合わせて魔王軍の本体であるマクスウェル軍が戦場になだれこんだ。
 マクスウェル軍の中心戦力は後方の召喚士たちである。
 召喚士たちは魔獣召喚をして戦うことで、本領を発揮した。これにより数の上での不利は問題にならなくなった。

 マクスウェル軍の本体の後に続いたのは都市の志願兵たちで結成されたばかりの急造魔王軍だった。マクスウェル軍に比べると訓練も足りず、戦力的には劣る軍だったが、それを率いるカナンとエルドランの働きによって相当数の傭兵たちが討ち取られていった。
 人間、魔族、魔獣が入り乱れる戦場において、目を見張る働きをしていたのはやはりジュスターとゼフォンの2人だった。
 彼らに近づくことを恐れた傭兵たちは、ジュスター率いる第二陣を避けるように戦場を移動し続け、それに巻き込まれた他の部隊は陣形を崩され、混乱した。
 この強力な魔族たちがいる上、凄腕の癒し手がこの戦場のどこかにいる。もうそれだけで絶望的な状況だ。おまけに傭兵部隊の回復士たちは魔力が尽きてしまい、前衛を癒すどころか自分たちの身の安全を確保することに精一杯で、早々と戦線を離脱していってしまった。
 味方の数は減る一方なのに、敵の魔族の数は減るどころか、魔獣が召喚された分、自分たちを凌駕している。
 前線にいた指揮官は、後方の部隊に合流するよう指示を出した。
 それを見ていたアスタリスが、傭兵部隊の後方部隊に動きがあると伝えると、魔王が動いた。
 カイザードラゴンを放ったのだ。

「カイザー、頑張って!」

 トワの声援を受けて、カイザーは『おう!』と嬉しそうに張り切った。
 戦場の上空に現れた巨大なドラゴンを見て、傭兵たちは悲鳴を上げ、魔族たちは勢いづいた。
 ドラゴンは後方の増援部隊に向かって火球を吐き出して威嚇した。
 
 倒しても倒しても起き上がってくる魔族たちにほとほと疲弊した傭兵たちは、戦場上空を飛び回るドラゴンの姿を見て、ついに戦意喪失してしまった。
 勝ち目のない戦はしない、それがモットーでもある傭兵たちは、潔く撤退命令を出した。
 ドラゴンに威嚇されて動けなかった後方の3万の部隊は、戦わずして退却した。この3万の兵はペルケレ以外の国の混成部隊だったため、ここで死なねばならない理由を見つけられなかったのだ。

 傭兵部隊はその三分の一を失い、撤退して行った。

 傭兵混成部隊が魔王軍に敗北したことはすぐにキュロス本部の知るところとなった。
 圧倒的な戦力と、謎の『聖魔』により敗走したのだ。

 彼らが武力で勝ち取ろうとしていたのは、領主のエドワルズ・ヒースとゴラクドールの解放だったが、傭兵部隊が負けたことで絶望視された。
 ところが魔王は数日後にエドワルズだけを解放した。
 彼はゴラクドールを魔王に譲渡し、魔王の直轄地と認める誓約書にサインしたことで、役目を終えたと判断されたのだ。
 無論、エドワルズはサインを拒んだが、魔王はこのままならこの都市で消費されるすべてのものの請求書がエドワルズに行くぞと脅すと、彼は素直にサインした。魔族に制圧された都市はもはや何の利益も生まないことを彼は理解したのだ。
 どのみち、抵抗したところでゴラクドールから魔王が出て行かない限り、この地は戻って来ないのだ。エドワルズは、いつか魔王が人間の地に飽きて出て行ってくれるよう祈った。それがいつになるのかはわからないが、いつか自分の子孫がこの地を取り返してくれることを願った。

 ペルケレの大部隊を見事撃退して帰還してきた魔王軍は、ゴラクドールの魔族たちに熱狂を持って迎えられた。しかも魔王軍に参加していた者たちは全員かすり傷ひとつ負うこともなく帰還したのだ。
 彼らはどこからか『聖魔』が自分たちを回復してくれていたことがわかっていたので、『聖魔』を称え、崇めた。『聖魔』さえいればもはや恐れるものはない、と彼らは信じていた。

 そんな彼らも最初から『聖魔』を信じていたわけではなかった。
 『聖魔』の存在が急に周知され出したのは、実はその本人に理由があった。

 それはトワが、魔王軍に参加したいとゴラクドールに次々とやってくる魔族たちの受付をしたことが原因だった。
 なぜトワが魔族たちの受付などをしているのかといえば、魔王軍の構成のあまりの雑さに唖然としたからだった。
 文字を持たない魔族たちは、その情報をすべて個人の魔法紋に記録している。
 上官が部下の情報を魔法紋に記録することで、軍の体をなしているのだが、それ故に横のつながりがなく、連携が取れにくい軍団となっていた。しかも、軍団の分け方は上級か下級かというなんとも大雑把なものだった。そもそも魔族は実力主義なので、実力の上の者に従うという本能的な命令系統を持っている。逆を云うと実力の拮抗する指揮官同士は、あまり共闘するということがなかったのだ。
 ゲームオタクでもあるトワは戦略シミュレーション的にありえないこの軍の編成に物申したいと手を挙げたのだった。

 魔王の布告を受けて、全世界から魔族たちがゴラクドールに押し寄せていた。
 その中でも、魔王軍に参加したい魔族たちは多く、志願者たちは魔王府に指定されているホテルのロビーに長蛇の列を作って並んでいた。
 その列の先頭に設けられた受付の机にトワの姿があった。
 トワの隣にはジュスターが座っていて、彼女の後ろにはアスタリスが立っている。
 彼女は魔王から贈られた指輪をしていたので、人間だとバレることはなかった。
 トワは、カルテを作るように魔族たちからヒアリングを行って登録票を作っていった。それを元にジュスターが魔法の得意な者と武術が得意な者に分け、得意な得物も考慮してそれぞれの部隊に編制していった。ジュスターは文字も読めたし、さすが元勇者だけあって、的確に戦略人事を行っていった。
 魔族たちは1人1人そこで登録を受け、配属される部隊と住むところが指定された。

 登録の際、怪我をしている魔族が多いことに気付いたトワは、その場で彼らの傷を癒していった。
 魔族たち自身も『聖魔』の噂に関しては半信半疑なところがあったのだが、まさか目の前に本人がいて、しかも完璧に回復してもらえるなどと思ってもみなかった。
 回復が行われる度に、ロビー内に歓声が沸き起こった。片腕を欠損していた者の腕が見事元通りに生えた時には、トワの護衛に立っていた魔族たちからもどよめきとともに拍手が起こった。
「魔王軍に参加したらその場に『聖魔様』がいて、怪我を治療してもらえた」との噂は瞬く間に魔族間で広がっていき、魔王軍への参加者は爆発的に増えていったのだった。

 ラエイラからポータル・マシンで飛んできたカナンは、到着した途端暴動に巻き込まれて今に至る。あれよあれよという間に魔王軍の部隊長に任命されて彼自身も多忙を極めていた。
 カナンはジュスターにロアの件を話し、彼女の治療をトワに頼みたいと相談したが、今の状況でトワが外出することは難しいと首を横に振った。
 トワは受付業務の他、人間の国への布告文書の下書きを行うなど、魔王の秘書的な業務もこなしているため忙しく、彼女を取り巻く警備が日に日に厳しくなっていたからだ。
 ジュスターはもう少し落ち着けば、面会もできるだろう、と云った。
 カナンはトワが記憶を取り戻したことを聞いてホッと安心した。記憶のないトワに、ロアのことを説明するのが少々面倒だと思っていたのである。


 ペルケレの大部隊を撃退してから、『聖魔』の噂は全世界を駆け巡った。
 ゴラクドールには『聖魔』の噂を聞きつけた魔族たちが続々と集まってきている。
 上級下級分け隔てなく治療してくれるという『聖魔』は、魔族らにとって神にも等しい存在となっており、その存在を人間たちから守らねばならないという意識が徐々に高まり始めている。
 実はそれこそが魔王の狙いであった。
 これまで、トワの安全のために彼女の素性を隠してきたが、ザグレムのようにどこからか秘密を知ってちょっかいをかけてくる者も現れた。
 隠しておく限り、秘密はどこからか漏れるものだ。
 それならばと、魔王はすべての魔族に彼女の存在を知らせ、守らせようと考えたのだ。
 魔王の狙い通り、魔族たちは上級下級に至るまで、『聖魔』であるトワを守ろうとする動きを見せている。

 だがあまりにも忙しすぎる日々を送る彼女を心配した魔王から、ジュスターはクレームを受けることになった。

「エンゲージを試す暇もない」

 と魔王は大層立腹していたので、ジュスターは都市の市庁舎に詰めていた魔族に声を掛けて、読み書きのできる者を紹介してもらうことにした。幸いにもこの都市には仕事柄そういった能力を身につけざるを得なかった者が多く、受付の仕事を説明するとすぐに役立ってくれる者を複数人獲得できた。
 『聖魔』の手伝いができることと、接遇する相手が魔族だということで、彼らは喜んで仕事を引き受けてくれた。

 魔王が執務室として使っている部屋のソファで、トワは転寝うたたねをしていた。
 疲れているのか、魔王が隣に座っても目を覚ます気配がなかった。
 彼が眠っているトワに上着を掛けていると、ふいに自分の首のネックレスからカイザードラゴンが語り掛けてきた。

『魔王よ、そろそろネックレスをトワに返せ』
「エンゲージが成功するまではダメだ」
『…邪魔した覚えはないが』
「信用できん。我がエンゲージしようと試みた夜、おまえがトワを故意に眠らせたことを我が知らないとでも思ったか」
『…何のことだ』
「とぼけるな。どうやってトワの意識を奪った?言え!」
『私ではない。私がトワの意識を奪うなんて酷いことをするわけがないだろう』
「あくまでシラを切るか…」
『うまくいかなかったからといって私のせいにするとは魔王とも思えんほどセコイ奴だ』
「何だと!貴様がドラゴンのくせにトワに懸想していることは知っているんだぞ!確信犯ではないか」
『はっはあ…わかったぞ魔王よ、おまえは私に嫉妬していたのだな?』

 魔王はチッと舌打ちした。

「本当におまえの仕業ではないんだな?」
『違う』
「…フム」

 魔王は眠っているトワの顔を眺めながら、何事かを考えていた。
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