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第六章

人魔研究所

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 ゴラクドール地下のポータル・マシンからユリウスが転送された先は、ラエイラの地下シェルターの中だった。
 ポータル・マシンが置かれていたのは、白い壁に囲まれた部屋の中で、目立たないように布製の衝立で目隠しをされていた。部屋の外は、地下シェルターの通路になっていたが、誰もいなかった。
 ユリウスが通路を奥へと歩いて行くと、彼の姿を見つけて駆け寄ってきた者がいた。

「来たのか、ユリウス」

 声を掛けてきたのはグリスだった。
 彼はアザドーからの命令で『人魔研究所』を見張っていたのだ。
 この通路は一般市民は立ち入り禁止区域になっているらしく、関係者しか通れない場所らしかった。

「研究所はこの奥だ。だが問題が生じている」

 グリスからは少々焦りが見えた。

「何かあったのか?」
「つい先ほど、魔獣が現れた」
「魔獣?前にヒュドラが現れたばかりだというのに、またですか…。よほど魔獣に好かれているんですね」
「今度はデカイ蛇女の魔獣だ。ここは地下シェルターだから無事だが、地上は大変なことになってるよ」
「軍は出動したんですか」
「ああ。しかし、前回と違って勇者候補たちもいないし、苦戦している」
「アザドーは静観ですか?」
「人間しか入れない場所だからな。人魔同盟が王政府と交渉しているようだが、どうも動きが遅い。王家もこれ以上アザドーに借りを作りたくないのだろう」
「魔族を排除しておいて、こんなときだけ助けてくれというのもなかなか厚顔なものですしね。まあ、向こうから泣きついてくるまで放っておけば良いのです」

 優し気な顔とは裏腹に厳しい言葉を投げるユリウスに、グリスは苦笑いした。

「そっちは放っておいて、こちらはこちらで仕事にかかりましょう」
「わかった」

 地上に通じるシェルターの入口は避難民で溢れかえっているため、グリスは魔族の仲間をシェルターの立ち入り禁止区域に待機させていた。
 ユリウスにとっては聖魔騎士団のメンバー以外の仲間など邪魔なだけだったが、それでもアザドーの幹部を務めるグリスは無能ではなかった。ちゃっかり研究所の入口のセキュリティカードを手に入れていたのだ。
 ユリウスはグリスたちを外で待機させ、自らは光速行動を使って、研究所内に何なく侵入した。

 壁に『人魔研究所』というプレートがかかっている部屋の中は、以前の研究施設リユニオンよりは、かなりこじんまりとした広さであった。
 その分、効率よく人間や魔族の入った水槽型のポッドが並べられていた。他の装置なども小型化されており、狭いスペースでも問題ないように設計されていた。コルソー商会がこの研究所の設計から什器の設置、政府の認可まで一式を請け負っていて、尚且つ出資もしているようだとグリスが教えてくれた。

 ユリウスが壁際に身を潜めると、両手をハンカチで拭いながらフルール・ラウエデスが実験室から出て来た。実験の準備が整っていないと、スタッフを叱りつけに出て来たようだった。ユリウスにとっては忘れもしない、忌まわしいあの研究施設リユニオンの施設長だ。
 慌てたスタッフがすぐに準備しますと云って走り去って行った。
 アザドーによると、フルールは、大司教というタガが外れたことで、公国の資金を勝手に使い込み、高い金を払って魔族や奴隷を次々と買ったり、自分の興味のある実験のみに注力できるようになって、かなり浮かれているという。
 公国からは時々、聖騎士長のレナルドが御用聞きにやってくる程度で、もう誰も彼を止める者はおらず、彼はこの研究所の独裁者だった。
 最近では、人間の若い男の遺体が運び込まれたとのことだった。

 アザドーは知らなかったが、これに味を占めたフルールが、今度は若い娘の肉体を手に入れて欲しいと要望を出していて、レナルドはその要望を叶えるためにエリアナを襲ったのである。

 そのフルールの元へ、研究スタッフが駆け寄ってきた。

「また魔獣が出たそうです」
「…またですか?でも今度も軍隊が退治してくれるでしょ?放っておきなさい」
「は、はい…しかし…」
「いいですか?私たちは魔獣ではなく魔族と人間の研究をしているのです。今は不老と再生の研究で忙しいのです。それ以外のことはいちいち報告しないでください」

 フルールはスタッフを叱りつけて、施設の最奥にある頑丈そうな扉を開けた。
 ユリウスは彼に気付かれないように素早く後をつけた。
 その扉は鋼鉄製の二重扉になっており、内側の扉を開けると部屋の中に入れた。

 扉の向こうに広がる光景を見て、ユリウスは目を疑った。
 そこは大きな巨大なシェルターホールになっていて、中央には丸い円形の装置があった。扉からその中央の装置までは両脇を柵に囲まれた通路が確保されている。
 問題はその柵の外側だった。
 最初は多くの人間がいるのだと思った。
 だが、彼らはゆらゆらと不規則に動いていて、時々意味不明のうめき声も発している。
 それは不死者ゾンビイの集団だった。
 よく見れば、ホールの中いっぱいに大勢の不死者たちがゆらゆらと立っていたのだ。

 ユリウスは扉を背にしたまま思わず鼻と口を押えた。
 強烈な死臭が、ホール中に充満している。

 そんなひどい臭いを気にする様子もなく、フルールは柵に守られた通路をまっすぐ中央に向かって歩いて行く。
 通路の先の中央には大きなポータル・マシンが置かれていた。
 大きな円形の台座は、直径20メートル以上はありそうだ。
 その台座の中央には太い柱が設置され、それが台座の真上の屋根を支えており、壁のない円形の東屋のように見えた。
 ユリウスがこれまで見た装置の中で、これほどの大きさのものは見たことが無かった。
 フルールがそこへと歩いて行くと、男が1人、台座の柱近くで作業をしていた。

「セキ教授、調子はどうですか?」

 フルールは男に声を掛けた。
 セキ教授と呼ばれた男は振り向いた。前髪に白髪がメッシュのように入った40代くらいの人物だった。
 彼はポータル・マシン開発の権威だったが、アカデミーからマシンを横流ししていたということで学園をクビになった男だ。

「もう少しで終わります。3日前に50体送った時、どうも柱に接触した個体がいたようで、それが不調の原因だったようです」
「それは良かった。今日にも転送再開できますね」
「ええ。ですが一度テストをしてからになります」
「構いません。蘇生魔法はやはり失敗続きでね。今日も後3体ほどこちらに送ります。ここもすぐ満杯になってしまいますので、はやく向こうに送ってスペースを確保していただかないと困るんですよ。あなたも娘さんがようやく良くなったんですから、その分働いていただかないと」
「…わかっています」

 フルールはそれだけ云うと、来た道を戻って行った。どうやら実験の準備を待つ間の暇つぶしに来たようだった。
 仮にも名門アカデミーで教授と呼ばれたほどの男が、アゴでこき使われている様は、少し気の毒にも思えた。
 セキ教授は溜息をつくと、腰につけていたポーチから宝玉を取り出した。

「その宝玉は何ですか?」

 急に背後から声を掛けられたセキ教授は、驚いて後ろを振り向いた。
 いつの間に来たのか、そこにはワインレッドの髪を持つ美しい男が立っていた。

「あんた、誰だ…?研究員か?」
「祭司長にあなたを手伝うようにと言われまして」
「ああ、新人さんか」

 それはもちろんユリウスだった。
 彼は、セキ教授の手にした宝玉を覗き込んだ。

「それでこの大きなマシンを動かしているんですね」
「ああ。この宝玉には空間魔法が封じられているんだ。この宝玉のおかげで魔法具に空間魔法を蓄えることができたんだ」
「それはどこから調達したのですか?」
「アカデミーにいた頃、出入りしていたコルソー商会から提供されたんだよ。出所は明かされなかったけど、アカデミーが大枚はたいて購入したらしい。だがそれに充分見合ったものだったよ」
「この大掛かりなマシンは帝国などが軍事用に欲しがりそうな代物ですね」
「この機種はまだテスト段階だよ。だから事故が起こっても良いように不死者で実験をしているんだ」
「ゆくゆくは軍事国家へ売り込むわけですか」
「コルソー商会がスポンサーだからね。投資した以上、儲けを出すのは当然なんだろう」

 ユリウスは眉をひそめた。

「…で、このマシンはどこに繋がっているんですか?」
「オーウェン王国跡地の地下古墳だよ」
「古墳…ですか。もしかして、ここにいる不死者たちを送っているんですか?」
「そうだよ。不死者を盗掘者からの防衛用として使いたいという人がいてね。まあ、タダでも構わないんだが、有料で引き取ってくれるんだ。最初は一体ずつ火葬してたんだけどもう追い付かなくなってね。あのフルールがよせばいいのに蘇生魔法の実験を延々と行っていてね。こんな大都市の中じゃ遺体の始末にも困るんで、助かってるんだよ」
「防衛用…?ああ、お墓の中の見回りをさせるんですか。だけど、不死者を思った通りになど動かせるんですか?」
「これがあれば可能なんだ」

 セキ教授はポーチから赤い指揮棒のようなものを取り出した。一見すると魔法使いのステッキのようだ。

「実はここの研究所で開発した秘密兵器でね」
「それは?」
「これは彼らを操る魔法具だよ。『屍術杖アートワンズ』というんだ。ここでは緊急用に常に持っているんだ」
「…死者を操る魔法具とは、驚きました」
「ああ、空間魔法と一緒に商人が持ってきた宝玉の中にあった<屍術師>っていうスキルだったんだけど、並みの人間には扱えないものだったよ。それで、ずっと寝かせていたんだが、この施設に来てから祭司長に相談してみたら、スキルを取り出してもらえることになったんだ」
「<屍術師>…ですか」
「調べてみたら、人魔大戦で魔族の将が使用したという記録があってね。それによると本来このスキルは死者を自分の思い通りに動く死人形として蘇らせるというものだったようだ」
「…魔族のスキルだったのですね」
「ただね、この<屍術師>というスキルは使用する際に大量の魔力を引き換えにするという弱点があって、大司教公国の魔法士がスキルを発動させようとして何人も死んだといういわくつきの代物なんだ。最近になってスキルを充填できる魔法具が発明されてようやく引き出すことに成功したんだ。それでもスキルを発動させた上級魔法士は魔力切れを起こしてしまったけどね」
「そんな危険なもの、よく使えるようになりましたね」
「ああ、苦労したよ。普通程度の魔力じゃ使えないから、魔法具の中に魔力増幅装置を組み込んであるんだよ。これで魔力の少ない人間でも扱えるようになったんだ」
「素晴らしい研究ですね」
「そうだろう?用途はどうあれ、魔法具としてはかなり優秀なものなんだ」
「その魔法具はずいぶんと貴重な物ですね」
「そうだね。私と祭司長と、先方に渡した分の3つしかこの世に存在しないものだ。…まあ、こんな背徳的な研究はやめたほうがいいと思っているから、理由をつけて最低限しか作らなかったんだ」
「教授はこの研究を自ら進んで行っているのではないのですか?」
「まさか。そりゃはじめは興味本位でスキルを使ってみたいと思ったよ。だけど実際に使ってみて、こんな風に死者を冒涜するようなことは、してはいけないんだと思うようになったんだ」
「あなたは真っ当な人なんですね」
「ハハ…それは嫌味かね?金のために研究を横流しするような男が真っ当なわけがない」

 そう云ってセキ教授は笑った。

「真っ当に生きたらどうです?」
「無理だよ。娘を人質に取られているんだ」
「助けて欲しいですか?」
「え?」
「あなたのその才能は、もっと役立てる場所が他にあるはずです。ここを出て真っ当な研究者になるというなら、お嬢さんを助けて差し上げます」
「…そんなこと、できるのか?」
「ええ。あなたがイエスといえば組織の者がすぐにでも動きます」
「あんた、誰なんだ…?」
「通りすがりの魔族ですよ」
「…あんた、魔族なのか…!」

 ユリウスは怪しげに笑った。
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