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(102)約束

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 ここへ来るまでに、いろいろあったな…。

 異世界に召喚されて、塔の中に閉じ込められて。
 初めてを知らない男に奪われて、娼婦になれって言われて絶望したっけ。
 まさかその人と結婚するなんて、あの時は想像もしていなかった。

「門、開け!」

 近衛隊長が叫ぶと、王宮への巨大な扉が開いた。
 ガイアは私をエスコートして扉の奥へと足を踏み入れた。

 この日の私の衣装は、サンドラが高級娼館を出る時に持たせてくれたクリーム色のドレスだった。
 決して派手じゃないけど貧弱な胸に目が行かないように、少し襟の高い胸元にはレースのフリルが飾られて、赤い宝石で留められている。ウエストはぎゅっと絞られ、そこから繋がるスカートは緩やかに裾が広がり、スタイルが良く見えるようデザインされていた。
 三つ編みにした髪を一つにして後ろに垂らした髪型は、ガイアにはお気に召したようで、やたらと褒めてくれた。

 私たちは近衛兵に先導されて、王宮の広い回廊を歩いて行った。 
 ガイアが私を連れて行くのは、回廊の奥にある王の間だ。
 王の間というのは王の執務室のことで、今日は王妃とごく近しい側近だけが呼ばれているという。

 どうしよう、緊張してきた…。
 大丈夫だろうか、私。
 ちゃんと挨拶できるかな。

 緊張が伝わったのか、王の間の扉の前で、ガイアは私に微笑みかけた。

「大丈夫だ。俺がついている」
「うん…」

 ここまで来たら、もう行くしかない。

 近衛兵の手によって、王の間の扉が開かれた。
 部屋の中には何人かの人間がいた。

「戻ったか、ガイウス」

 正面奥にいる緋色のマントを纏った壮年の男性が言った。
 あれがガイアのお父さん、アレイス王だ。

 王の隣には扇で顔の下半分を隠した女性が立っていた。
 頭から薄いベールのようなものを被っていて、薄紫色のドレスを身に着けている。
 たぶん、あれが王妃だ。
 その両脇には三人のおじさんが立っていて、こちらを見ている。
 右側の体格の良い顎髭のおじさんは軍務大臣、反対側にいる二人は国務大臣と財務大臣だとガイアが耳打ちして教えてくれた。

 ガイアは私の手を取って、王の前に歩み寄った。

「父上、母上、ただいま戻りました」

 ガイアは胸に手を当てて腰を折った。
 私も教えられた通り、王と王妃の前で膝を折り、貴婦人の最敬礼をとった。

 私を品定めするような、王妃と大臣たちの視線が突き刺さる。
 それが好意的なものではないと、はっきりわかる。

「その娘か」
「はい。我が妻にと望む者です。今日はこの者との婚姻をお許しいただきたくまかりこしました。サラ、自己紹介を」

 ガイアが私に視線をくれた。
 大丈夫、事前に打ち合わせた通りにやればいいだけだ、とその目は言っていた。
 私はもう一度貴婦人の礼をして、大きく息を吸ってから、名乗った。

「アレイス国王陛下、ならびに王妃殿下、お目通りをお許しいただき感謝申し上げます。私は隣国メルトアンゼル皇国フェリシエ伯爵の娘、サラ・アオキ・フレデリカ・フェリシエと申します。ガイウス殿下とは縁あってこの国にやってまいりました。どうぞお見知りおきくださいませ」

 良かった、噛まずに言えた…。

「ふむ。利口そうな娘だ。いくつだ?」
「18…いえ、19になりました」
「何っ?」

 私が言ったことにガイアはひどく驚いていた。
 …何かおかしなこと、言ったかな?

「どうした?」
「いえ、なんでもありません」

 あまりに驚いていた彼を王も不審に思ったようだけど、ガイアはすぐに平静に戻った。

「ガイウス、この娘、隣国より此度の王都襲撃の賠償の一環として連れ帰ったというのはまことか?」
「はい。皇帝とはそのように話をつけてあります」
「そうか」

 ガイアは私を連れ帰った後、皇帝に書簡を送ったそうだ。
 わざわざ隣国から私を迎える理由として不自然でないように、ちゃんと手続きをしてくれていた。
 それは、メルトアンゼル皇国が賠償金の一部として、アレイス王国の王子に私を嫁がせるというものだった。

「ガイウス、あなたは借金のカタに国に売られた娘を嫁に貰うというの?」

 嫌味たっぷりにそう話したのは王妃だった。
 彼女は口元を扇で隠したまま、私を舐めるように見た。

「母上。そうではありません。彼女は俺が賠償金の一部としてんです」
「この娘のどこにそんな価値があるのかしら?」

 王妃は厳しい口調で言った。
 まるで責められているみたいで、居心地悪かった。
 ガイアのお母さんは根っからの王族で、私を見てきっといい顔はしないだろうと彼は言った。
 他国の貴族、それも聞いたこともない没落貴族の家柄の娘を、次期王となる王子の嫁にすることに不満がないはずがない。
 なのにガイアはあくまで私を庇ってくれる。

「彼女を知れば、賠償金すべてをチャラにしてもいいとさえ思うはずです」
「…ほう?大した自信だな」
「そうは見えないけれど。だいたい、魔力はあるの?最低でも100以上はなくては認められなくてよ」
「無理を言うでない、王妃よ。100以上の魔力の持ち主など魔法院のエリートくらいしかおらぬのだぞ」
「…目安を言っただけですわ」
「ルドヴィカの縁談の時には、魔力は80程度あれば十分だと言っていたくせに…」

 苦々しく呟くガイアに、王妃は素知らぬふりをした。
 ガイアは王と王妃に向かって、自信たっぷりに言った。

「ならば測定器でも使って、試してみてはいかがです?」
「いいだろう。測定器をこれへ」
「はっ」

 王の背後に控えていた側近の男が、すぐさま箱に入った例の測定器を私の前に差し出した。
 随分と用意のいいことだ。初めから魔力を測定するつもりで、もし規定に達していなければ私を結婚相手とは認めないつもりだったのかもしれない。

「さ、手をかざしてみなさい」

 本当にいいのかな…?
 救いを求めるようにガイアを見ると、彼は無言で頷いた。
 私は覚悟を決めて、球の上に手をかざした。
 ほんのりと球体が光った。

 側近の男はその球を覗き込んだ。
 そして何度もパチパチと目を瞬きした。

「そんなバカな…」
「どうした?」
「いえ、どうもこの測定値がおかしくて…」
「いいから早く数値を読み上げなさい」

 側近の態度にイライラした様子で、王妃は言った。
 すると側近はようやく数値を口にした。

「29000…と出ております」
「ええっ?」
「バカな!」

 その数値にその場は一瞬凍り付いた。
 周囲がざわつく中、側近は測定器を王と王妃に見せた。
 王は私とガイアだけが平然としているのを、チラッと横目で見ていた。
 数値が以前よりちょっとだけ上がってるけど、誤差の範囲かもしれない、と私は思った。
 これに異を唱えたのは王妃だった。

「ありえないわ。壊れているのじゃなくて?今すぐ別の測定器を持ってきなさい」
「いえ、先程までは正常に起動しておりましたが…」
「こんな数値、普通じゃないわ。取り替えなさい」
「はっ」

 側近は測定器を持って王の間を出て行こうとした。
 それを止めたのはガイアだった。

「いくらやっても同じですよ。測定器が壊れているわけではない。それをこちらへ」

 ガイアがきっぱり言って、側近に手招きをした。
 彼は側近に測定器を使わせ、その球体に表示されている数字を周囲に見せた。
 その数値は88。それを見た側近は頷いた。

「やっぱり故障はしていないようです…」
「…どういうことだ?ガイウス」
「サラは稀有な魔力の持ち主なので、正確な数値が測れないのです」
「稀有ですって?そんな数値はありえないわ。故障でなければ一体なんだというの。…それとも、あなたが何か細工をしたの?」

 王妃は扇を下ろして、私に詰め寄った。

「え…?私は何も…」
「お待ちください、母上」

 私を背中に庇うように、ガイアが前に立ってくれた。

「たった今、目の前で見ていたはずだ。サラは不正などしていない」

 険悪なムードになりそうな母子を宥めたのは父だった。

「…まあ、測定器の真偽のほどは置いとくとして。そなた、魔法は使えるのか?」

 王の質問は、この部屋の全員が知りたいことだったようで、皆固唾をのんで私の返答を待った。

「…はい。ですがガイウス様の許可なくしては決して使いません」
「ほう?ガイウスの命によってのみ動くのか。ではガイウス、命じて見せろ」

 ガイアは仕方がない、と息を吐いた。

「…わかりました。父上、ペーパーナイフをお借りできますか?」
「うん?構わんが」

 王は首を傾げながらも、手紙を開封する時に使用する小さなナイフをガイアに渡した。
 私は彼が何をするつもりなのかを悟った。

「ガイア、まさか…」
「ああ。悪いが頼む」

 ガイアはペーパーナイフで自分の左手の甲に3センチくらいの傷をつけた。うっすらと血が滲む程度の傷を、王や周囲に見せた。
 慌てたのは彼の母親だった。

「ガイウス、何をするの!」
「よく見ていてください。…サラ、頼む」
「はい。失礼します」

 私はガイアの左手をそっと包み込むように持って、その傷に唇を寄せた。
 その様子に面食らったのは王妃だった。

「…あ、あなた、な、何をしているの?」
「母上、ご覧ください」

 ガイアは左手を見せた。
 その手には傷一つなかった。

「…!!どういうこと?傷が…」
「サラが傷を癒したんですよ」
「まさかそんな…」

 王も王妃も、大臣たちも目を見開いたまま言葉を失っていた。
 このままじゃマズイことになりそうだ。
 光魔法を除いて、この世界には癒しの魔法は存在しない。
 だからこれは奇跡と呼ばれる類のことで、公にしてはいけないと言っていたのはガイアなのに…。

「あ、あの…癒しと言っても、私が治せるのはほんの軽い傷程度です。重病者を治せたりはしませんから、自慢にもなりません」

 それは事実だ。
 ただ、この能力が今後もっとレベルが上がる可能性があることを私はなんとなく予感している。だけどそれは今ここでは言わない方が良いと思った。

「いや、大したものだ。先程の数値と言い、驚かされてばかりだな」
「父上、要らぬ混乱を招かぬよう、ここにいるご一同に今見たことは公にせぬようお願い申し上げる」

 ガイアはビシッと言ってくれた。
 不思議なことに、あんな数値と癒しの力を見ても、誰も私を異界人だと疑う者はいなかった。

「ふむ。皆の者、今のことは他言無用に頼む。これは確かに公にはできんことだ。争いの元になる」

 これに大臣たちは一様に頷いた。

「無論です、陛下。このような数値、誰に言ったところで信用されますまい」
「しかし、このような貴重な能力を持つ娘、よく皇国が放しましたな…」
「だから勝ち取った、と申し上げました」

 ガイアの言葉を聞いて、大臣も王妃もようやく彼の言った意味を理解したのだ。

「どうだ、おまえたち。ガイウスの婚姻についてまだ異論はあるか?」

 王は大臣たちに尋ねた。
 その口ぶりからすると、大臣たちはやっぱり私とガイアの結婚には反対だったみたいだ。
 すると軍務大臣が口を開いた。

「いいえ、陛下。どうして異論なぞありましょうか。測定器の信頼性はともかく、このような奇跡の力の持ち主をガイウス殿下のお妃にお迎えできるのは、我が国にとっても国益となりましょう」
「これはまたとない僥倖ですぞ。王家の将来は安泰ですな」
「まったくもってその通り」

 大臣たちは手を叩いて喜んだ。

「王妃よ、どうだ?」
「ガイウスが決めたことですもの。何も申し上げることはありません」
「そうか。ならばガイウス、そちらの令嬢との婚姻を認めよう」
「ありがとうございます」

 私はガイアと顔を見合わせて笑顔を作った。
 良かった…!

「国務大臣、今日中に国内に触れを出せ。婚姻の儀式は来月二十日の建国記念の日に合わせて執り行う。これから準備に忙しくなるだろうが、万事よろしく頼む」
「ははっ、お任せください」

 えっ?
 来月?
 そんな早く?

 私が驚いていると王妃が私に告げた。

「サラさん、と言ったからしら」
「は、はい」
「さっきは疑ったりしてごめんなさいね。夕食をご一緒しましょう。ガイウスもよ。これからのことをお話しましょう」
「はい…」

 ガイアは王妃を睨むように見つめていた。
 王妃が急に態度を変えた裏に、何か企みがあるのではないかと疑っているようだった。
 王妃はそんな彼を見て鈴のようにコロコロと笑った。

「大丈夫よ、ガイウス。ちょっとビックリしたけど私は反対しないし、彼女を虐めたりもしないわ」
「サラに何かしたら許しませんよ」
「…あなたからそんな言葉を聞くなんて…。本当に愛しているのね」
「ええ。何を犠牲にしても俺はサラを守ります」
「そう…。そんな言葉を他人のために言えるようになったのね」

 慈愛に満ちた目で彼を見上げた王妃の顔は、母親の表情をしていた。
 それから王妃は私へ視線を移した。

「益々興味が湧いたわ。サラさん、一体どうやって浮気性のこの子の心を射止めたのか、じっくり聞かせてもらうわよ?」
「ええっ?」

 王妃はクスクスと笑った。

 とにもかくにも、王と王妃への面会はこれで終わった。

 王の間を出ると、ガイアは王宮内の自分の部屋へと私を連れて行くと言って近衛兵を追い払った。
 私は、極度の緊張から、ガイアの腕にぎゅっとしがみついた。

「どうした?」
「緊張、した…!」
「よくやったな。これで正式におまえは俺の婚約者として認められたんだ。もう何の遠慮もいらん」
「うん…。でも、ナイフで自分を傷つけるなんて、もう二度としないでね?」
「ああ。母上と大臣たちはおまえとの婚姻に反対の立場だったからな。彼らを黙らせるにはああするしかなかった。すまなかったな」

 ガイアは立ち止まって、私の額にキスしてくれた。

「それはそうと、いつだ?」
「え?な、何が?」
「いつ19になった?」
「あ…」

 さっき私が歳を言った時、驚いていたのはそういうこと…?

「えっと…豊穣の月の十日…だったけど」
「どうして言わなかった!」
「だって…ガイアと離されて隔離されていたし、あの時の精神状態はそれどころじゃなくて、私自身も忘れていたから…」

 この世界に来てから、私は二度の誕生日を迎えていた。
 最初は暦の見方が分からなくて、いつの間にか誕生日が過ぎていたのだけど、元の世界と月の読み方や日数が若干違うだけでほぼ同じだということがわかると、自分の誕生日がいつなのかようやく把握できるようになった。
 二度目の誕生日は、正直に言うとさっき王様に歳を訊かれるまですっかり忘れていた。

「…三か月以上も前じゃないか…!」

 ガイアは、はーっと深くため息をついた。

「おまえの誕生日を祝ってやれなくてすまなかった」
「あ…ううん、いいのよそんなこと。言わなかったのは私だし…。気にしないで」
「そんなこと、ではない。大切なおまえの記念日ではないか。くそ、この埋め合わせはする。来年からは盛大に祝ってやるからな」
「え!い、いいよ、そんなの…」
「それでは俺の気がすまん。俺はまだ、おまえに何もしてやれていない」
「そんなことないよ」

 もういろいろ高価なプレゼントも貰ってるし、ここへ来る前だって豪華な旅行をさせてもらった。何もしてもらってないだなんてことないのに。

「いいや、ダメだ。何が欲しい?どうして欲しい?言ってみろ、何でも叶えてやる」
「私はガイアとこうしていられるだけで幸せよ」
「いいや、足りない。俺は、もっともっと、おまえを幸せにしてやりたいんだ」
「これ以上は贅沢すぎるよ…」

 廊下の壁を背にして、私はガイアの口づけを受けた。
 彼の後ろを、人が通って行くのが見えた。

「ガイア…人が見てる」
「いいさ。見せつけてやろう」
「ん…」

 ガイアはお構いなしにキスを続けた。

 もう…。いつも強引なんだから。
 でも、そんなところにも惹かれたんだ。
 ずっと、この人の傍に居たいって思った。
 今、その夢が叶おうとしている。
 不安がないといえば嘘になるけど、それ以上に私は…

「じゃあ、約束して?これからもずっと、ずーっと一緒に居てくれるって」
「ああ、約束する。気を失うくらい、おまえを幸せにしてやる。覚悟しておけよ?」

 もうとっくに幸せだよ?

 そう言おうとした私の口を塞ぐように、彼は再び口づけた。
 その熱いキスと抱擁に私は身を任せた。

 …愛してる。
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