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第22話 マッツィアーノ公爵家での日々(3)
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「お母さま、ご無沙汰しています」
私は習ったとおり、笑顔でカーテシーをしながら挨拶をした。ちょっと他人行儀ではあるが、お母さまに対してもきちんと礼儀正しく挨拶をするのが本物のマッツィアーノだ。
だがそれを見たお母さまは少し戸惑っているように見える。
「え、ええ。ティティ、元気……そうね。すっかり見違えて……」
「はい。本物のマッツィアーノになれるように努力していますから」
本当は以前のように抱きしめてほしいが、本物のマッツィアーノはそんなことを求めたりはしない。
だから私も我慢をする。
「そう。偉いわね……」
お母さまは笑顔になると、そう言って私を褒めてくれた。ただ、教会にいたころよりも笑顔が少し引きつっているように見えるのはなぜだろうか?
もしかして、私は何か間違いを犯しているのだろうか?
……ううん、そんなことない。褒めてくれたのだからきっと大丈夫。
「お母さまはどのように過ごされていますか?」
「ええ。毎日決まった時間に起きてお散歩をしたり、それからティティのことをいつも考えているわ」
「私のことを?」
「ええ。ティティはお勉強がとても大変だと聞いたの。だから無理をしていないか心配しているの」
すると後ろから咳ばらいが聞こえてきた。どうやらこの面会に立ち会っているセバスティアーノのようだ。
私は振り返り、セバスティアーノに対して抗議の視線を向ける。
「失礼いたしました」
「気を付けなさい。お母さまとの時間を邪魔しないで」
「はい。肝に銘じます」
セバスティアーノはそう言うと、申し訳なさそうに頭を下げた。
今のはマッツィアーノらしかったよね? うん。そうに違いない。
そんな小さな満足感にひたりつつ、私はお母さまのほうへと向き直る。
「お母さま、今のはマッツィアーノらしくありませんでしたか?」
「え? え、ええ。そうね。マッツィアーノらしかったわ」
「本当ですか?」
「ええ、本当よ。本物のマッツィアーノになろうと頑張っているのね」
「はい。お母さまも私が本物のマッツィアーノのなると嬉しいですか?」
「もちろんよ。ティティが本物のマッツィアーノになってくれたら嬉しいわ」
お母さまにもそう言ってもらえるとさらにやる気が増してくる。
そうだ。私は間違っていない。
それに大好きなレイは目の前で殺され、孤児院のみんなだって……。
だからもう、私には私にはもうお母さましかいないのだ。ここから逃げたところで行くところなんてない。
だったらこのまま本物のマッツィアーノになって、お母さまが安心して暮らせるようにすればいい。
そうだよね? レイ?
「わかりました。もっと努力して、本物のマッツィアーノになります」
するとお母さまは笑顔で頷いてくれた。しかしその笑顔はやはり教会での笑顔よりも引きつっているように見えたのだった。
◆◇◆
それから他愛もない話をしていると、すぐに授業の時間がやってきてしまった。名残惜しいが、本物のマッツィアーノになるためにはテレーゼの授業をしっかり受けなければならない。
「お母さま、私はそろそろ授業の時間なので失礼します」
「ええ。頑張ってね。お母さんはいつも、ティティを応援しているわ」
そう言われるとやはり嬉しくなる。思わず頬が緩みそうになるが、私は本物のマッツィアーノになるのだ。感情が表情に出るだなんてもってのほかだ。
「はい、ありがとうございます。それではまた」
私は平静を装い、お母さまの居室を退出した。そして自室へと戻る道すがら、どうしても気になっていることを質問してみる。
「テレーゼ、お母さまの笑顔が少し引きつっていたのはどうしてだと思う?」
「申し訳ありません。私はマリア奥様のことを詳しく存じ上げないのですが、あの笑顔は引きつっていたのでしょうか?」
テレーゼは平然とした様子で聞き返してくる。
「そうなの。前はもっとこう、ぱぁって笑っていたと思うのよ」
「なるほど。そうですね……」
テレーゼは少し考えこみ、それからおもむろに口を開く。
「もしかすると、待遇が良くないのかもしれません」
「待遇?」
「はい。マリア奥様のお部屋ですが、お嬢様のお部屋と比べて少々殺風景だったと思いませんか?」
「え? それは、そうね」
「椅子も硬かったのでは?」
「そうだったわ」
「やはり……」
「やはりって、どういうこと?」
「はい。ご説明します。おそらくですが、マリア奥様のことをきちんと支える者がいないことが問題なのだと思います」
「支える者?」
「はい。たとえばお嬢様にはマリア奥様がいらっしゃいますね?」
「ええ」
「もちろん、私もお嬢様をお支えする決意でおります」
そうか。やっぱりテレーゼは厳しいけど、ちゃんと私のことを考えてくれているんだ。
「ですが、マリア奥様には誰もいらっしゃらないのです」
「テレーゼ、私がいるわ。私はお母さまの味方よ」
「それはもちろんそうでしょう。お嬢様がマリア奥様を大切に想っていらっしゃることは承知しております。ですが、お嬢様はまだマリア奥様をお支えすることはできません」
「……じゃあどうすればいいの? お母さまはずっとひとりなの?」
「方法はあります」
「だから、どうすればいいの?」
「それは簡単なことです」
「簡単?」
「はい。その方法をお嬢様はすでにご存じのはずです」
「え?」
すでに知っている……あ!
「本物のマッツィアーノになればいい?」
「そのとおりです」
そうか。私が本物のマッツィアーノになれば、お母さんは前みたいに笑ってくれるんだ。
「わかったわ。早く戻って授業をしてくれる?」
「ええ、もちろんです」
こうして私は一日でも早く本物のマッツィアーノとなるため、足早に自室を目指すのだった。
◆◇◆
一方その頃、マリアはセレスティアの出ていった扉を呆然と眺めていた。そんなマリアにセバスティアーノが穏やかな表情で声を掛ける。
「マリア奥様、まずまずでしたな」
だがマリアは呆然としたまま、反応を示さない。
「今後とも、しっかり頼みますよ」
そう言い残し、セバスティアーノはマリアの部屋から出ていった。それを見送ったマリアはがっくりとうなだれ、顔を両手で覆う。
やがてマリアの部屋からは嗚咽が漏れ聞こえてきたのだった。
================
次回更新は 2023/12/09 (土) 12:00 を予定しております。
私は習ったとおり、笑顔でカーテシーをしながら挨拶をした。ちょっと他人行儀ではあるが、お母さまに対してもきちんと礼儀正しく挨拶をするのが本物のマッツィアーノだ。
だがそれを見たお母さまは少し戸惑っているように見える。
「え、ええ。ティティ、元気……そうね。すっかり見違えて……」
「はい。本物のマッツィアーノになれるように努力していますから」
本当は以前のように抱きしめてほしいが、本物のマッツィアーノはそんなことを求めたりはしない。
だから私も我慢をする。
「そう。偉いわね……」
お母さまは笑顔になると、そう言って私を褒めてくれた。ただ、教会にいたころよりも笑顔が少し引きつっているように見えるのはなぜだろうか?
もしかして、私は何か間違いを犯しているのだろうか?
……ううん、そんなことない。褒めてくれたのだからきっと大丈夫。
「お母さまはどのように過ごされていますか?」
「ええ。毎日決まった時間に起きてお散歩をしたり、それからティティのことをいつも考えているわ」
「私のことを?」
「ええ。ティティはお勉強がとても大変だと聞いたの。だから無理をしていないか心配しているの」
すると後ろから咳ばらいが聞こえてきた。どうやらこの面会に立ち会っているセバスティアーノのようだ。
私は振り返り、セバスティアーノに対して抗議の視線を向ける。
「失礼いたしました」
「気を付けなさい。お母さまとの時間を邪魔しないで」
「はい。肝に銘じます」
セバスティアーノはそう言うと、申し訳なさそうに頭を下げた。
今のはマッツィアーノらしかったよね? うん。そうに違いない。
そんな小さな満足感にひたりつつ、私はお母さまのほうへと向き直る。
「お母さま、今のはマッツィアーノらしくありませんでしたか?」
「え? え、ええ。そうね。マッツィアーノらしかったわ」
「本当ですか?」
「ええ、本当よ。本物のマッツィアーノになろうと頑張っているのね」
「はい。お母さまも私が本物のマッツィアーノのなると嬉しいですか?」
「もちろんよ。ティティが本物のマッツィアーノになってくれたら嬉しいわ」
お母さまにもそう言ってもらえるとさらにやる気が増してくる。
そうだ。私は間違っていない。
それに大好きなレイは目の前で殺され、孤児院のみんなだって……。
だからもう、私には私にはもうお母さましかいないのだ。ここから逃げたところで行くところなんてない。
だったらこのまま本物のマッツィアーノになって、お母さまが安心して暮らせるようにすればいい。
そうだよね? レイ?
「わかりました。もっと努力して、本物のマッツィアーノになります」
するとお母さまは笑顔で頷いてくれた。しかしその笑顔はやはり教会での笑顔よりも引きつっているように見えたのだった。
◆◇◆
それから他愛もない話をしていると、すぐに授業の時間がやってきてしまった。名残惜しいが、本物のマッツィアーノになるためにはテレーゼの授業をしっかり受けなければならない。
「お母さま、私はそろそろ授業の時間なので失礼します」
「ええ。頑張ってね。お母さんはいつも、ティティを応援しているわ」
そう言われるとやはり嬉しくなる。思わず頬が緩みそうになるが、私は本物のマッツィアーノになるのだ。感情が表情に出るだなんてもってのほかだ。
「はい、ありがとうございます。それではまた」
私は平静を装い、お母さまの居室を退出した。そして自室へと戻る道すがら、どうしても気になっていることを質問してみる。
「テレーゼ、お母さまの笑顔が少し引きつっていたのはどうしてだと思う?」
「申し訳ありません。私はマリア奥様のことを詳しく存じ上げないのですが、あの笑顔は引きつっていたのでしょうか?」
テレーゼは平然とした様子で聞き返してくる。
「そうなの。前はもっとこう、ぱぁって笑っていたと思うのよ」
「なるほど。そうですね……」
テレーゼは少し考えこみ、それからおもむろに口を開く。
「もしかすると、待遇が良くないのかもしれません」
「待遇?」
「はい。マリア奥様のお部屋ですが、お嬢様のお部屋と比べて少々殺風景だったと思いませんか?」
「え? それは、そうね」
「椅子も硬かったのでは?」
「そうだったわ」
「やはり……」
「やはりって、どういうこと?」
「はい。ご説明します。おそらくですが、マリア奥様のことをきちんと支える者がいないことが問題なのだと思います」
「支える者?」
「はい。たとえばお嬢様にはマリア奥様がいらっしゃいますね?」
「ええ」
「もちろん、私もお嬢様をお支えする決意でおります」
そうか。やっぱりテレーゼは厳しいけど、ちゃんと私のことを考えてくれているんだ。
「ですが、マリア奥様には誰もいらっしゃらないのです」
「テレーゼ、私がいるわ。私はお母さまの味方よ」
「それはもちろんそうでしょう。お嬢様がマリア奥様を大切に想っていらっしゃることは承知しております。ですが、お嬢様はまだマリア奥様をお支えすることはできません」
「……じゃあどうすればいいの? お母さまはずっとひとりなの?」
「方法はあります」
「だから、どうすればいいの?」
「それは簡単なことです」
「簡単?」
「はい。その方法をお嬢様はすでにご存じのはずです」
「え?」
すでに知っている……あ!
「本物のマッツィアーノになればいい?」
「そのとおりです」
そうか。私が本物のマッツィアーノになれば、お母さんは前みたいに笑ってくれるんだ。
「わかったわ。早く戻って授業をしてくれる?」
「ええ、もちろんです」
こうして私は一日でも早く本物のマッツィアーノとなるため、足早に自室を目指すのだった。
◆◇◆
一方その頃、マリアはセレスティアの出ていった扉を呆然と眺めていた。そんなマリアにセバスティアーノが穏やかな表情で声を掛ける。
「マリア奥様、まずまずでしたな」
だがマリアは呆然としたまま、反応を示さない。
「今後とも、しっかり頼みますよ」
そう言い残し、セバスティアーノはマリアの部屋から出ていった。それを見送ったマリアはがっくりとうなだれ、顔を両手で覆う。
やがてマリアの部屋からは嗚咽が漏れ聞こえてきたのだった。
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