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巫女の治める国

第四章第11話 クサネ良いとこ一度はおいで?

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「はぁ、はぁ、フィーネ様。どうやら……着いたようです」
「クリスさん、お疲れ様でした。本当にいつもありがとうございます」

生贄騒動はあったものの、午前中にマツハタ宿を出発した私たちはクリスさんの懸命のラッセルのおかげでどうにか峠を越えてクサネ宿に到着した。

既に太陽は山々の影に隠れ、茜色の空は徐々に黒を深めつつある。

クサネ宿はトウゲン湖という湖のほとりに築かれた宿場町で、この湖の周りは山で囲まれている。温泉郷としても有名な場所だそうなので、この湖はきっとカルデラ湖に違いない。

「今日は良い旅館に泊まりましょう」
「わーい」

私の一言にルーちゃんが素直に喜びの感情を露わにする。

今日は不愉快なこともあったし、クリスさんの労を労いたいというのもある。

周囲を見渡すと、暗くなってきているというのにずいぶんと人通りも多く、それに伴い営業している店も多い。どうやらこのクサネ宿はずいぶんと栄えているようだ。

ちょっとその辺の人に良い旅館を教えてもらおう。私は目の前を歩いている男性に声をかける。

「すみません、そこのお兄さん。ちょっとお尋ねしたいのですが」
「はい、なんでしょう? おや、外国の人なんて珍しい。どうしました?」
「先ほど着いたばかりなんですが、この町で一番おススメの旅館ってどこですか?」
「旅館? そうだねぇ、高くても大丈夫ですか?」
「一泊で一人金貨十枚とかでなければ大丈夫です」
「ははは、そんな旅館はないよ。それだったらウンリュウ亭がいいんじゃないか? クサネで一番の高級旅館だよ」
「それって、どこにあるんですか?」
「この道をまっすぐ行って……」

と、このような感じで何人かに聞いてみたが、全員にウンリュウ亭を勧められたので私たちはウンリュウ亭に宿泊することにした。

そして町の人に教えてもらった場所へ行ってみると、そこには湖畔に立つとても趣のある大きな建物が建っていた。

立派な門をくぐって建物の中に入り、私がフロントへと向かう。いつもクリスさんにやってもらってばかりだし、今日くらいは私が代わりにやったって良いはずだ。

「いらっしゃいませ」
「こんばんは。三名で二泊したいのですが、お部屋は空いていますか?」
「はい。二種類のお部屋がございまして、一つは離れのお部屋、もう一つはこちらの本館の通常のお部屋でございます。離れのお部屋は一泊金貨 5 枚、通常のお部屋ですと金貨 2 枚となります」
「それなら離れのお部屋でお願いします」
「かしこまりました。こちらの宿帳に記入をお願いいたします」
「はい」

私は宿帳に記入していく。

フィーネ・アルジェンタータ、クリスティーナ、ルミアで住所は、ホワイトムーン王国王都、でいいよね? 職業は、まあ治癒師でいいや。聖女候補とか書くの恥ずかしいし。

「それではご案内いたします」

私たちは女将さんに部屋へと案内してもらった。リビングに寝室が二つの豪華なお部屋で、源泉かけ流しでレイクビューの専用露天風呂までついている。

すばらしい!

「お食事はお部屋までお運びいたします。あと一時間ほどでご用意できますが、いかがなさいますか?」

これはありがたい。ジロジロと見られるのはもう慣れてきたとはいえ、食事中にまでされるのはあまり気分が良いものではない。

「はい。お願いします。あっちの緑の髪の子がものすごくよく食べるので、あの子の分を多めに、そして私の分を少なめに用意してもらえますか?」
「かしこまりました。苦手な食べ物などはございますか」
「いえ、特にありません」

女将さんは一通り説明し、私たちの注文を聞き取るとそのまま下がっていった。

****

「お食事をお持ちいたしました」

ルーちゃんお待ちかねの夕食が運ばれてきた。

「本日の先附さきづけ蛍烏賊ほたるいかと春野菜の和え物にございます。春野菜は独活うど、春キャベツ、新玉ねぎ、菜花でございます」

茹でた蛍烏賊の入った野菜サラダのような感じだ。野菜のシャキシャキ感、それに蛍烏賊の味わいと醤油ベースのソースがよく合っている。

「姉さま、美味しいですねっ! それにあたしのだけ量が多いですっ!」
「ルーちゃんの分を多くしてもらうようにお願いしましたからね」
「わーい。ありがとうございますっ!」

その分私のお皿にはひとかけずつしかのっていないが、私はそれで丁度良い。

「お椀は筍と紅ずわい蟹でございます」

漆塗りの洒落たお椀が運ばれてくる。蓋を取ると上品な出汁の香り、そしてほのかに柚子の香りが広がってくる。

「これは、しょっぱすぎず、薄すぎず、絶妙な味ですね。筍の歯ごたえと柚子の香りもいいですね」
「この国は色々なものを食べるのですね。私はこの蟹というものを食べるのははじめてです。それにタケノコとユズとは何でしょう?」
「筍というのは、竹という植物の新芽のようなもので地面に埋まっています。柚子はオレンジのような果物ですが、その皮をこうして香りづけに使うんです。ほら、この黄色っぽいのがそうですよ」

私は柚子の皮をお箸でつまんでクリスさんに見せる。

「なるほど、これですか」

クリスさんはマイスプーンで柚子の皮を掬ってはまじまじと見つめている。

私はそんなクリスさんを悪いとは思いつつもまじまじと見つめてしまった。和食のお椀を手で持たずにスプーンで掬って食べるというのは中々不思議な光景だと思うのは私だけではないだろう。

向付むこうづけは、氷頭膾ひずなますでございます」
「これって、鮭でしたっけ?」
「左様でございます。鮭の鼻先の軟骨部分を氷頭と申しまして、その膾でございます」
「フィーネ様、本当にお詳しいですね」
「ええ、まあ」

一応、出身地みたいなものだからね。前の世界だからちょっと違うけど。

甘酸っぱいコリコリした食感と柚子の香りは昔から好きだった。よくお正月に家族で食べたっけな。

そう、家族でって、あれ? 前の世界に家族、いた、よね? あれ?

兄弟はいたんだっけ?

……思い出せない。どうして?

私の名前は……フィーネ・アルジェンタータ。

あれ? 前の世界でもそうだっけ?

両親の名前は?

「コリコリしてておいしーですっ! 酢漬けですねっ!」

思考の渦に入りかけたがルーちゃんの一言で現実に戻ってきた。

そうだ。今はそんなこと を考えるよりもせっかくの食事を楽しまなくちゃ。

「本日の焼き物は猪肉の朴葉ほおば味噌焼きでございます」

味噌の香ばしい香りが広がってくる。薄切りの猪肉とシイタケ、ししとう、それと白髪ねぎが添えられている。

「んー、おいしーですっ! これなら三十皿くらい食べられそうですっ!」
「まだ他の料理も来るからそんなに食べたら他のものが食べられなくなってしまいますよ。リエラさんじゃないんですから」

やはりルーちゃんは味噌がお気に入りらしい。この国を出る前に買い込んでおこう。

「あー、確かに。お母さんなら全部のメニュー三十皿ずつとか言いそうですよね」

あはは、とルーちゃんが笑いながら言う。お金を出す私としては笑い事ではないのだが。

そんなことを考えながらお肉を口に運ぶ。柔らかいお肉と臭みのない脂が口の中でとろけていく。それを香ばしく焼けた味噌に香りが包み込んで口の中に幸せな味が広がっていく。

「でも、私もこれならふた皿は食べられそうですね。これは美味しい」
「ですよねっ!」

ちらりと見遣るとクリスさんも夢中になって食べている。どうやら気に入ってくれたようだ。

「ヤマメの炊き合わせでございます」

昆布出汁の香りとキノコの香りが広がってくる。これまた絶妙な塩加減のあっさりとした味わいだが、それが丁度このお魚とキノコ、そして何かの葉物野菜の味を引き立てている。

「筍の炊き込みご飯でございます」

うん。春といえば、という感じのメニューだよね。

出汁の香りの漂う炊き込みご飯に筍の歯ごたえ、そして三つ葉のシャキッとした歯ごたえと香りが絶妙なハーモニーを醸し出している。

「ああ、美味しいですね」

誰にともなく思わずポロリと呟いた。

「美味しいですっ!」

ルーちゃんは一人だけ大きなお茶碗で、山盛りの炊き込みご飯をハフハフと口に運んでは幸せそうな表情をしている。

クリスさんはマイスプーンで味わうように噛みしめている。

「本日の水菓子はわらび餅でございます」
「姉さま、これなんですか?」
「お菓子だとは知っていますが、私もよく知りませんね」

そう言いながら楊枝を刺すとそのまま口に入れる。

「うーん、なんだかあっさりした甘さですね。このぐにぐにしているのは何だろう? 不思議ですね。でも姉さま、美味しいですっ!」

さすがはルーちゃん。よく分からなくても美味しいものは OK で幸せそうに食べている。

「わらび餅は、わらびという山菜の根を乾燥させた粉で作った菓子でございます。上にかかっているのは黒蜜ときな粉でございます」
「そーなんですね。ありがとうございますっ!」

ルーちゃんはそう言いながらわらび餅を味わっている。

私もわらび餅を口に運ぶ。すると、黒蜜のちょっと独特の香りとすっきりとした甘さ、そしてきな粉の香りが口の中に広がり、そしてプルプルのわらび餅が柔らかい食感を残して消えていく。

「ああ、これも美味しいですね」

私たちはウンリュウ亭の夕食を満喫したのだった。

================
わらびの根から取れるわらび粉は 10 kg からわずか 70 g なのだそうです。精製にも大変な手間暇がかかるそうで、それを手作業で行っていた昔はさぞかし高級品だったことでしょう。

※ 違和感を持たれた方も多いと思いますので補足します。フィーネちゃんが前の世界の家族を思い出せないという事態を「そんなこと」と感じたのは、既にそう感じられるほどに遠い記憶になっているという事です。三歳や四歳の頃に死別した家族、と言われてもピンとこないのと同じような感覚と思っていただければ想像しやすいかもしれません。この短い期間でそうなったのにはもちろん理由がありますが、それが明らかになるのはかなり先となります。

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